灼熱ガールと氷姫

星乃森(旧:百合ノ森)

氷と灼熱

 昼休み、碓氷は皆がワイワイと雑談に盛り上がる教室を1人静かに出て行った。

 お弁当を持ち、あまり皆が使わないフロアへ足を向ける。


碓氷うすいさーん!一緒に食べよう?」


 そんな碓氷に声をかける人物がいた。

 遠くからでもよく通る、自分とは正反対の力強い声が廊下に響いた。


「……火花さん」


 その名を口にすると火花は満面の笑みを浮かべた。

 本人そのものが発光体になっていそうなほどに眩しくて、碓氷は火花から目を逸らした。


「まぁいいけど……ところでその手、また怪我したの?」

「これ?床に手をついた時に摩擦で」


 碓氷が指摘すると、火花はケタケタと笑いながら答えた。

 広範囲に及ぶ擦り傷ではないがヒリヒリしそうに見える。バスケ部に所属する火花はよくあちこちを怪我しているから、この程度の怪我は怪我の範疇に含まれないのだろうか。

 運動が特別好きでない碓氷にはよく分からなかった。


「火花さんのことだから驚かないけどね。はい、絆創膏」

「えへへ、ありがと~」

「……褒めてないからね?」


 能天気に火花さんは頬をポリポリと掻いていた。

 まったく、静かなお昼休みが騒がしくなったものだ。ここ最近、碓氷は火花とお昼を過ごすようになっていた。


 と言っても碓氷から誘うのではなく、火花の方からやって来るのだが。

 あまり友達と過ごさない碓氷には慣れない時間だが、不思議と居心地の悪さを感じることはなかった。


「火花さんって、碓氷さんと仲良いの?」


 放課後、帰る支度をしていた碓氷は自分の名前が耳に入って、思わず手を止めてしまった。

 廊下で話しかけられているのはあの火花だ。

 碓氷と違って火花は仲良しが多く、クラスの内外を問わず人間関係を築いていた。


「うん、仲良しだよ!」

「え、そうなんだ?」

「初耳だよ~」


 口々に驚くクラスメイトと共に碓氷も驚いていた。

 私と火花さんは仲良しだったの?と内心思った碓氷。


 確かに仲が悪ければ、向こうから嫌われていればお昼休みを一緒にいようとは思わないだろうが……碓氷も碓氷で火花を拒むことはなかったし、仲良しと言えば仲良しなのかもしれない。


「でも、碓氷さんってちょっと話しかけづらくない?」


 話していたクラスメイトたちは少しボリュームを下げて、確かにそう言った。

 ヒソヒソ話をしているつもりなのだろうが、碓氷の耳はその声を確実に捉えてしまった。


「だよね、美人なんだけどほとんど表情変わらないし、こっちに関心を持っているのかどうかも怪しいよね……中学が一緒だったけど、“氷姫”って呼ばれてたよ」


 胸がズキリ、と痛んだ。

 氷姫。そのような痛いニックネームは碓氷が自分で決めたものじゃない。周りが勝手に呼び出したのだ。


 可愛いとか綺麗とか言い寄ってきては、思うような反応が得られないと一転して負のレッテルを貼りたがる過去の同級生たち。

 ようやっと身勝手な人の集まりから抜け出したと思ったら、高校でも昔と同じような認識を持たれていたとは。


「ま、無理もないか……」


 昔からよく「無表情な子」とか「不愛想」なんて言われていた碓氷は、小学校でも中学校でも孤立気味だった。

 虐められなかったのは幸いだが良い気分でもなかった。


 だから高校では静かに過ごそうと思い、休み時間は独りで勉強でもしようと決意した。

 そんな碓氷に火花との接点ができたのは、たまたまだった。

「火花さん――だよね、大丈夫?」


 ある日の学校からの帰り道、碓氷はクラスメイトの1人を見かけた。

 脚を引きずって歩く背中は普段の火花と打って変わって心許なく、なんだか放っておけなかった。


「碓氷さん……あはは、ちょっと部活で捻挫しちゃってさ~。またかよって部員に呆れられちゃったよ」

「そう……」


 朗らかに笑ってみせた火花に強がっている様子はなかった。

 それでもどこか寂しそうに思えたのは碓氷の勘違いだったのかもしれない。

 どうやら家の方向は同じらしいので、碓氷は火花の肩に腕を回して添うように歩き始めた。


「う、碓氷さん?」

「家は?遠いの?」

「そんなに遠くはないけど……ありがとう」


 火花は夕陽のせいか、頬を赤らめて呟いた。


「火花さんってバスケ部だっけ?」


 沈黙が気まずかったので、うろ覚えの情報で話題を振ってみた。


「うん。こう見えてスリーポイントが得意なんだよ!」


 誇らしげに語る火花を見て、碓氷はなぜか安心感を覚えた。

 練習メニューがハードだとか、すぐにお腹が減ってしまうとか、朝起きるのが今も慣れないとか、つらつらと火花は部活の感想を並べる。清々しいまでの、裏表のない笑顔で。


 聞けば愚痴のような内容なのに、しかしどこか爽快に感じるのは火花の表情や話し方のせいだろうか。

 厳しい部分も含めて楽しんでいなければ火花のようには笑えまい。

 そうやって笑えることが羨ましく、灼熱のように碓氷を焦がした。


「ただ先輩にも監督にもよく注意されるんだよね、反射神経に頼って無茶し過ぎだって」


 ややトーンダウンした火花は見るからに落ち込んでいた。

 反射神経に優れているのは良いことではないのだろうか。


「それがそうでもないんだよ。動き出すまでの、ほんの一瞬の間にいろいろ考えなきゃいけなくて、それが難しいの!冷静になれ、までがいつものセットなんだよね~」


 自虐じみた笑いを浮かべる火花。あーだこーだとブツブツ何かを唱え始めた。

 口調自体は教室にいる火花そのものだったが、彼女のまっすぐな瞳からは真剣みが伝わってきた。


「あ、私の家はここを曲がってすぐだから。送ってくれてありがとう!」


 ブンブン手を振りながら歩く火花の背中は程なくして消えた。

 無事に家に辿り着いたのを見届けた碓氷も帰路に就いた。

「そんなことないよ!」


 火花と出会った日の回想に耽っていた碓氷の意識は、よく通る堂々とした声に引き戻された。

 教室の扉を貫通する、芯のある声だった。


「私と違って冷静だし落ち着きもあるし、成績も良いし何より優しいし、私が足首を捻挫した時だって――」


 教室内に碓氷が残っていることに気付いていないのか、火花の誉め言葉は止まることがなかった。

 相手はどういう表情になっているのか知らないが、碓氷は首から耳まで火照るのを感じていた。


「そ、そうなんだ?」

「あまり話さずに判断するのは良くない、よね……」


 けれど顔に帯びた熱は不快ではなくて、むしろ氷姫という不名誉な呼び名を溶かしてくれるものだった。

 声を潜めていた火花の友人(?)も反省したように呟いていた。

 別に優しくしたつもりはなかった。少なくとも碓氷本人はそう考えていた。

 

 たまたま帰り道にいて、火花の意思を確認する前に手伝いを申し出たけれど、それがお節介だった可能性は十二分にあった。

 見過ごすのは後味が悪い、というのはハッキリしていた。だからあれは優しさなどではない。そう碓氷は結論付けた。


「……帰ろう」


 火照った熱を置き去りにするように、碓氷は足早に教室から出た。

 火花たちが話している後方からではなく、前方の引き戸を開けて。

 やや遠回りして正門を目指して帰路に就く。


「碓氷さーん!」

「!?」


 見計らったかのようなタイミングで後ろから呼ばれ、碓氷は肩を跳ねさせた。

 馬鹿な、前方の扉は火花の死角だったはずなのに……。


「今日は部活オフの日なんだ!一緒に帰らない?」


 先ほど碓氷が教室内で一連のやり取りを聞いていたことは知らないのだろう、屈託のない笑顔で火花は碓氷を誘った。


「い、いいよ」


 だから碓氷もそのことについては触れず、何も知らないことにした。

 やった!と全身で嬉しさを表現する火花の隣に立ち、改めてその眩しさを感じ取った。

 しかし火花の本心を知ることができた今、羨望が湧いてくることはなかった。


「ところで私たち、下の名前で呼び合わない?」

「下の名前で?」

「そうそう!いつまでも苗字でさん付けなんて、他人行儀だなって思ってたの!」


 碓氷は一瞬考えて、まぁいいかと思った。

 誰かと深く関わることに恐れていた碓氷の心を、火花の笑顔がいつしか溶かしていた。


「えっと、明里あかり……?」


 自信なさげに、独り言を呟くように碓氷は彼女の名前を呼んだ。

 合っているか不安なのではなく、ただ単に誰かを下の名前で呼ぶことに慣れていなかった。


 良い名前だと素直に感じた碓氷。

 明るいという形容詞を体現する火花には相応しい名前だろう。

 そして同時に自分の名前にはコンプレックスが湧き上がる。苗字の「氷」という字も、下の名前もやはり冷たいイメージがあるから。


「うん――真雪まゆき!」


 しかし火花に呼ばれると、そんな先入観はあっという間に溶かされた。

 この時ほど自分の名前を好きになった瞬間はない。

 碓氷はつくづく思うのだった。火花、いや明里と仲良くなることができて良かった、と。

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