月虹影 Case.4 ――初恋の貴女――

ダイ大佐 / 人類解放救済戦線創立者

二人の幸せ

「サキちゃん」共用電気ビークルに乗って自室の賃貸マンションに帰る途中、七瀬サキの恋人、双子の姉七瀬シキは胸に赤子を抱えて真剣な目を向けた。


「何、姉さま?」サキはシキのただならぬ様子に気を呑まれた。


 2124年春、札幌、三人は街道を南下していた。


 ビークルは自動運転モードになっている、運転手席に座るサキはハンドルに手を触れていなかった。


 街灯が後ろに流れていく、暫く二人の間に沈黙が落ちた。


「隠してることが有るでしょう――」シキがその沈黙を破る。


「姉さま。何を言ってるの」ビークルのドライブレコーダは車外のみならず車内も監視している、迂闊な事を喋れば市当局に目をつけられる可能性が有った。


 シキは溜め息をついて目を外すと赤ん坊に乳を含ませた。


 家の前でビークルは止まる、サキは先に降り、シキから赤子を抱きとった。


 ドアロックの音声認証に声を掛けた以外、沈黙したまま四十七階に有る自室に入る。


 産後うつだろうか――サキは人造人間レプリカントでありながら出産した姉のことを心配した。


 産褥期精神病さんじょくきせいしんびょう――統合失調症に似た症状を起こす――ではなさそうだけど。


 隠している事――思い当たる事は有る。


 シキがレプリカントである事を本人には教えてない。


 サキはシキがレプリカントである事を知って以来、自分の中にある偏見を出来るだけ無くそうと努めてきた――しかし、そう簡単に消えるなら苦労は要らない。


 シキに対しても気付かぬ内によそよそしい態度を取ってしまったかもしれない。


 シキに対する愛情は消えた訳では無い――むしろ以前より強まったと自信をもって言えた。


 サキが――シキもそうだったが――レプリカントを嫌っていたのは家族がレプリカントに殺されたからだ。


 サキは育ての親に本物のシキが死んだのか確認を取りに行った――勿論一人だった。


 叔母はシキがレプリカントである事を認め、重傷を負って入院したシキの治療と人間同様に〝老いる〟レプリカントの開発の為に彼女の生体情報と記憶を売ったと伝えた。


「幼い貴女が一人になるのは余りに可哀想だと思ったの――」叔母は涙ながらに語った。


「七瀬の家のご先祖はロシアのノヴォシビルスク出身だった。今ウォレス社が大々的にレプリカントの研究と製造を行っている都市国家よ。シキちゃんのクローンを造るのは当時の技術では不可能だった。シキちゃんの遺伝子を元にレプリカントを造るのが精一杯」


「シキはどうなったの?叔母さま」


「ウォレス社の深奥で他の被験者と共に眠ってるわ――シキちゃんは意識不明に陥ってから一度も目覚めてないの」


「生きているんですね」


「そう。でも今の医療では生かしておく事しかできない――目覚める可能性は殆ど無いって。生命維持装置が外されるとシキちゃんは死ぬ。義体化も出来ないって、二人に赦されるとは思ってないわ」


「叔母さまを責めたりはしないわ――シキがいなかったら私も生きたいとは思わなかった」サキは天井を見上げると首を振った。


「じゃあシキはあの事件の後からレプリカントに入れ代わっていたんですね」


 叔母はただ頷くだけだった。


 あの時――サキ達の運命を激変させた十四年前の事件――をサキは思い返していた。


 *   *   *


 2110年12月24日、札幌、夕刻の路面電車トラム車内。


〝助けて〟七瀬サキ――先月10歳になったばかりの、癖のある金髪を伸ばした女の子だ――は必死に祈っていた。


 サキの一家は暴走した人造人間レプリカントの反乱に巻き込まれたのだ。


 娘達を逃がそうと母親は必死に二人を背後に庇う。


 悲鳴が上がる。


 乗客が我先にレプリカント達から離れようとしていた。


 逃げ場は無い――AI運転のトラムは誰かが押した非常通報ボタンで異常を認識し、監視カメラをフル稼働させた――同時に鉄道警察に至急応援を要請した。


 そんな事を知る由も無いサキ達四人は人の流れに逆らえず押し流される。


 父と母の手が二人からもぎ離された。


「サキちゃん、危ない!」シキはサキを電車の側面に突き飛ばした。


 サキは見た――シキが沢山の群衆に踏みにじられるのを。


 直後、人の波がサキをも襲った。


 肺から空気が押し出された――途轍もない痛みと圧迫に息が出来ない。


〝シキちゃん――!〟声は出なかった。


 人波に視界が塞がれ、サキは気を失った。


 *   *   *


 サキは目を覚ました――病院だった。事件現場からそう遠くない病院だった。


「サキちゃん」母の姉、後にサキとシキを引き取ってくれた叔母だ――が涙を浮かべてサキを見ていた。


「叔母さん――」サキは身体を動かそうとして、酷い痛みに襲われた。


 無償ボランティアで医療を提供している病院に一家は運ばれた。


 近場の病院は総出で負傷者の治療に当たったのだが、市民IDの〝市政への貢献度〟という項目によって受けられる治療が異なっていた。


 A~Eに分けられた区分でサキ一家は貢献度D、平均的一般市民、必要が有れば切り捨てても良い、という分類だった。


 最先端の治療は受けられず、二昔も前の救急医療しか受けられなかった。


 意識を取り戻した翌日、サキは父と母が亡くなり、姉が意識不明の重体である事を市当局から知らされた。


 叔母が居ない時だった――叔母はサキに家族が死んだ事を言わない様、当局に働きかけていたのだが、余計な手間だと判断されたのだ。


「市民番号H210011182345F2HPT、七瀬サキさん、貴方の父母は亡くなりました。双子の姉のシキさんは重体です――長くは持たないでしょう」サキは最初言われた意味が分からなかった。


「お父さんとお母さんが――どうなったの?」


「飲み込みが悪いですね。死んだといったんです」サキにはそれは悪い冗談だとしか思えなかった。


「貴方は引き取り手が居なければ、孤児院に入る事になります。怪我が治りしだいこの病床は空けなければなりません。市には健康な人を入院させておく余裕は無いのです。分かりますね?」


 サキは混乱していた。


「では確かに伝えましたよ」さっさと役人は出て言った、同じ様な仕事がまだ50件以上ある、残業手当は出ない――子供がそれをどう受け止めるかなど彼には考える余裕も無かった。


 サキは同じ様に怪我をした市民が同情の目を向けてくるのを見て更に事態が分からなくなった。


 お父さんとお母さんが――死んだ?シキがもうすぐ死ぬ――さっきの人はそう言ってた。


 誰も居なくなった――その事実を知ってサキは泣き出した――大声を上げると迷惑だと思い、枕にしがみついて泣いた――傷が痛んだ。


 その後サキは叔母の家に連れて行かれた。


 叔母も父母の事に触れようとはしなかった。


 ただ、叔母が見知らぬ外国人と幾度か話している所を見た――サキにはそれも父母が遠い所に行ってしまった証の様に思われた。


 だが事件が起きてから三カ月以上経った時、サキはシキと再会したのだった。


「サキちゃん――?」叔母の家の前で通りを見ていたサキはその声に驚いた。


「シキちゃん!?」サキは後ろに来ていたシキ、叔母が隣にいた――髪が短くなっていたこと以外、何処にも変わった様子が無い――を見て我が目を疑った。


「本当にシキちゃんなの?」サキは恐る恐るシキに抱きついた――触れたら消えてしまう幻覚か何かの様に。


 シキの匂いがする――サキは力強くシキを抱きしめると、オンオンと泣き始めた。


「サキちゃん――痛いよ」


「シキちゃん――シキちゃん――シキちゃん――もう、何処へも行かないで」涙は止まらなかった。


「お父さんとお母さんは?」シキが尋ねてきた。


「遠くに行っちゃったんだって、どんなに走っても行けない所に」サキは泣きじゃくりながら答える。


「そうなの」シキは何かを悟った様だった。


「これ――サキちゃんに。少し壊れちゃったけど」シキはサキから身をもぎ離すと首から掛けていたイコン、七瀬の家に代々伝わるモザイクのペンダントを差し出した。


 困った時に助けてくれる――そんな言い伝えが有るイコンだった。


 毎日交代で身に付ける約束をしたイコンだ。


 サキはそれを受け取らずずっと泣いていた。


「もう大丈夫――私はずっとサキちゃんと一緒」シキは困ったようにサキをなだめる。


「約束して。何処までも一緒だって」サキは必死に訴えかける。


「サキちゃんも約束して――それならいい」


「するから、だから――」


「じゃ、指切り」シキはサキの首にイコンを掛けると、涙の止まらない両の瞼にキスした――サキが身を震わせる。


「約束だよ」サキの手を取り、指切りする。


 その後もサキはずっと泣き続けていた――。


 *   *   *


 時は進んで2124年、夜――揺り篭に入れた二人の子アイが落ち着くのを見計らって二人は睦言を交わし始めた。


「サキちゃん、私がレプリカントでも、愛してくれる――?」


「そんな事聞くまでも無いわ」


 二人は唇を重ねる――そのまま愛の行為に溺れた。


「姉様。聞いて――」満足する迄愛を交わし合ったサキはシキの瞳を覗き込んで言った。


「姉様は――」サキは言葉を切った、シキを抱きしめる「レプリカントなの。でも私は構わない。姉様がこのイコンを掛けてくれた時から、ずっと姉様の事を愛してる」


「そう――なのね」シキは一瞬身を震わせた――すすり泣くのが胸越しに伝わる。


「少しだけ泣かせて――まだ本当だって信じられない。トラムで襲われた記憶も――でも、私の記憶じゃなかったのね」


「誰が何を言おうと、姉様は私の姉様よ――レプリカントかどうかなんて関係ない――私には姉様しかいないの」サキはシキに口付けした。


 シキはサキの目の前から消えてしまいたい思いに駆られていた。


 しかし、アイを置いてはいけない――サキを見捨てる事も。


「約束したものね」口付けを返す。


「姉様とアイは私が守るわ――誰にも指一本触れさせない」身を縮めて泣くシキをサキは慰めた。


 アイが不意に泣きだす、シキは一瞬サキにしがみついたが、ベッドを出ると揺り篭から娘を出してあやし始めた。


「どうしたのかしら」サキも起き出してアイを構う。


「お腹が空いたの?アイちゃん。それとも――」シキは優しく赤子を揺らす。


 自分にはこの子とサキが居る、それだけでいい――。


 シキは別の涙が浮かぶのを感じる――自分のお腹を痛めて産んだ子は、確かにここに居るのだ。


 正しくそれは奇跡だった。


 私は人造人間、レプリカントかも知れない――でも、それ以前に一人の母だ。


 この感情がまがい物なら、他の全てもまがい物だろう。


 七瀬シキ、その命を継いだレプリカントは知らず知らずに子守唄を口ずさんでいた――七瀬シキと七瀬サキが幼かった頃に一緒に聞かされた唄だ。


 突然室内が明るくなった――札幌全体を覆う断熱遮光ドームが日光透過形態に移行したのだ。


 窓から差し込む光が三人を照らし出した。


 二人の娘、七瀬アイが声を上げて笑った――右手でシキの頬を、左手でサキの頬をかき撫でる。


「姉様、アイの出生届、今日出しに行きましょう――」サキが提案する。


「そうね」シキも同意する。


 ――双子姉妹は顔を見合わせて微笑んだ。


 この澱んだ世界でただ一つ信じられるもの――命を懸けて守るに値するものを見つけた二人はいつまでも窓の外を見ていた――。


 ――永遠に――。

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