第2話 

「で?これはどういうつもりなの?」


 少し騒がしい、週明けのオフィス。そこかしこで、顧客や取引先と電話で話す声が聞こえる。調度やOA機器は新しいものだが、雰囲気や机の配置はいささか古臭さを感じる事務所であった。


 その一角。大きな窓を背にした、他と比べて少し大きめのデスクを挟んで、二人の人物が話をしている。

 片や椅子に座り「退職願い」と表書きされた封書を指先で摘み、それをひらひらさせながら不機嫌な様子で。

 もう一方は、申し訳なさ気に項垂れ身体を縮こませて立っているのだが…。その努力の甲斐なく、立っている側の男は異様な存在感を放っていた。


 その男は、並外れて大きいのだ。比較対象が傍らにいないので正確には分からないが、机の高さと比べても2メートルを優に超えているだろう。

 身長だけではなく、肉付きも凄まじい。ワイシャツが包んだ体を隠しきれず、筋肉の隆起そのままに盛り上がっている。

 相対する座位の人物が細身であるため、その対比で大男の体躯がいっそう際立っている。例えるなら、痩せぎすの猛獣使いに対する筋骨隆々の怯えたライオンといった風情であった。


「あ、はい課長…。昨日身内が身罷り、まして、―グスッ。と、とても仕事が手につく状態にありません…―グスッ。で、ですので会社に迷惑をかけるわけにはいかず、た、退職させていただきたく―グスッ、存じます――グスッ」

 度々鼻をすすりながらの泣き声で伝えられた大男の回答に、細身の人物――大男の上司は右手で頭を抱えた。


 暑苦しい風体の大男と対照的に、上司のほうはすっきりとした顔立ちに加えて、やや吊り気味の知性のあふれる目元、隙なく整えられた服装など、控えめに言っても見目良い人物である。唇は薄く、やや酷薄な印象を与えるのが玉に瑕か。

 しかし、その薄い口唇から発せられる言葉は、文字面こそ厳しいものの大男に対する優しさが声に滲む、情の厚いものであった。

代田だいた、お前なぁ。身内といってもペットだろ。それで会社辞めていたらお前、どうやって生きていくんだよ。そのペットは、お前が物も食えず野垂れ死にすることを望んでいるのか?大体会社辞めて何やるつもりなんだ。菩提を弔って一生過ごすのか。自分のために飼い主が苦しむなんて、ペットのほうもさぞ迷惑だろうよ」


 そこまで言って、上司は俯いたまま震えている大男の顔を覗きこむ。

「おい、大丈夫か?すまん、きつく言い過ぎたな…」

 嗚咽を漏らし、肩を震わせうつむいていた大男――代田坊太郎だいたぼうたろうがガバっと顔を上げる。

「課長ぉぉぉお!心配ありがとうございます!!グスッ、あいつに心配させない為にも、しっかりしなければとは思っているんです。……ですが、やはり会社に迷惑をかけるわけにはいきません。ここはけじめのためにやはり退職を」


 聞いた上司はうんざりと諦めが半々でブレンドされた表情になり、手のひらを坊太郎の顔の前に突き出して話を遮った。

「わかった、お前も混乱しているだろうから、とりあえず貯まった有給休暇を消化しろ!今月から来月にかけては連休もあるから、それで1ヵ月位は休める。まずは落ち着いてこれからのことを考えろ。お前がいない間の業務は全部こっちで対処しておく。今日は直近の業務の引き継ぎと、有休申請して半休で帰れ!いいな!」

「は、はい!」

 立て板に水な上司の言葉に面食らったのか、坊太郎は思わず拍子で返事をした。

「分かったら回れ右!デスクに戻る!」

「はい!!」

 ドドド、と地響きを起こしそうな勢いで、坊太郎は自分のデスクに慌てて戻る。


「ふう。……しかしあいつ、あれで今後やっていけるのかね?」

 坊太郎の後姿を見ながら、上司はとりあえず部下の自暴自棄な退職を食い止めたことを安堵するとともに、その精神の純粋、純朴さを心配するのだった。

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