緑色のリドル

@godaihou

第1話 叩き潰せリドル

実験機体DH08号は、脚が生えて立ち上がったハチのような姿をしていた。

 もしくは人型の手足を持った重機、ユンボか、立ち上がったヘリコプターだ。

 多脚走行は山岳部の傾斜地帯などにも対応し、あくまで平地での、最高時速は七十キロメートル近くなって、救助用の背部ポッドは逆さまに乗っても酔わないという、機動歩兵部隊員のお墨付きだ。武装はもちろんのパイルバンカーと水圧カッター、パルスライフル、マイクロ波アックスと、あくまで災害救助用の工具という体裁で揃えている。現に先の怪獣災害では、倒壊したビルから十数名を救助し、うち七名を安全地帯まで搬送、彼らは現在も治療中だ。

 ワイヤー牽引を用いれば救急車くらいなら、これも平地を移動可能だ。

 そして怪獣に乗っ取られれば、瞬く間に凶悪な戦闘兵器と化した。

 体高が十メートル以下の場合は、基本的に非科学研の出動は要請されず、科学防衛隊だけで対処される事案になる。特に科学防衛隊の兵器の一部が怪獣に利用されたとあっては、防衛庁の沽券にも関わる問題だから、非科学研は現場付近の山林に待機し、通信を傍受していた。

 現場は惨憺たる状況だった。

 未判別生物災害第155071号、仮称リビルアクターは、DH08号、通称マルハチ一機を体内に取り込み、体表面を固有の繊維状物質で覆うと、銃弾すらも跳ね除けながら二九九号線を横瀬町方面に北上、追跡する科学防衛隊の攻撃を退けながら、武甲山を通過しようとしていた。非科学研に救助要請が入った頃、森之戸隊員は道の駅にあるうどん自販機でインスタントほうとうを購入、飲み物を物色していた。車中での食事を許可し、作戦司令部へ報告。

 その後、森之戸心理、上枝奈波穂両名は大型電動二輪車で登山道を川沿いに進行する。

 日没前の陽光に照らされた標高二千メートル級の山々が見渡せる位置で状況を確認。

 周囲に人が居ない事を確認し、変身許可を得てから上枝は現場を離れる。

 そして森之戸隊員は、緑色の怪獣スクィリドルとなった。

『変身を確認。以後は通信機で連携を取りながら作戦をバックアップせよ』

 そうは言うが。

 五十メートル超級の怪獣扱いとなった同僚に対して、避難以外に出来る事もない。

 半径二百メートル以内には誰も居ない。

 居たところで、正体が発覚したところで、市民の五人や十人は抱き込める。だから気を抜くなんて事はしない。「聴こえますかリドル。仮称リビルアクターは現在、武甲山北面を西北西に向かって侵攻中です」マイクに話し掛けるのは、半分は自分への確認、もう半分は作戦司令部への気休めだ。「本部の予測では第一目標地点は荒川の可能性あり、一四〇号線に合流すれば、地元集落への被害も予測されます。到達までおよそ七分。慎重に向かってください」

 果たして現場の心情を知ってか知らずか、リドルは西日に笑みを浮かべるようだ。

 反重力器官を敷き詰めた緑色の触手は、亜空間で生成され際限なく肥大化し、獰猛な収縮力によって相手を飲み込む、というのは昔の話だった。非科学研究所においては、人類の為に闘うという名目上、怪物以外の何物でもない緑色の触手のまま活動する事は危険視され、巨大な人型を成型する事に年月を費やした。その結果、至極控えめに言えば、リドルは森を守る巨人のような風格を手に入れた。それが歩く時は背を丸め、俯き、開かれた空間を探っていた。

 二足で歩く事があまり得意ではない、という事情もあり、それがまた人らしい。

 元のスクィリドルがどんな生物で、どんな目的を持っていたかは誰にも分からない。

 襲撃された森之戸隊員は知らないと言い、それについて語る事を拒んだ。だから彼が歩く歩み方は、スクィリドルのそれなのか、それを思う森之戸隊員なのか、森之戸隊員自身のそれなのか、誰にも分からない。もう少し急いで欲しいとは思い、通信機に向かってそう言った。

 返事らしい返事はないが、次の一歩は少し窮屈な場所に置いたようだった。

 傾斜地の木が数本薙ぎ倒され、緑色の巨人が微かに姿勢を崩していた。

 帰投を伝え、電動二輪に跨がり、山道を引き返して作戦司令部に合流する。

 駅前の民家を借りて作られた作戦司令部では、サイタマ方面連隊の第二特科大隊が忙しなく立ち働いていた。第五から第七支援小隊は地元の鉄道機関と連携し、住民の避難を急がせている。また逃げ遅れたか、逃げる事ができない住民の輸送ないし護衛も行われ、ちょうど目の前を装甲車輌が走り抜けていった。狭く入り組んだ道は、耕耘機以外では走りにくそうだ。

 いつでも展開出来るように、道路の両脇にバリケードが準備されている。

 門の脇に立って現場の様子を眺めていると、青地に緑と白の迷彩服を身に纏った隊員が私に肩をぶつけていった。こんな現場でスーツにスラックス姿で突っ立っているのは、一般人か非科学研の人間くらいだ。後者を引き当てた隊員から背中越しに強い舌打ちが聴こえてきた。

 別の隊員が家屋から現れ、周囲を見回してから、私の姿を見て駆け寄って来る。

「上枝博士、中で大隊長がお待ちです。こちらへどうぞ」

「博士ではないよ」瞬く間に先を行く隊員に訂正を申し入れるが、実際問題、まず肩書きが無いという事実があって、非科学研究所の職員であるから、皮肉も込めて総じて博士と呼んでやろうという風潮があるのかもしれない。靴を持って奥のリビングに上がり、モニターや通信機器などが広げられたテーブルの背後に立った。白髪を短く刈った大男が椅子に座っている。

 首だけで軽く振り返り、彼は「ああ、非科学研のな。来たか」と言った。

「状況はどうなってます?」

「我らが巨人はまだ移動中だ」大隊長は立ち上がり、右手を差し出して来た。

 捲り上げた袖の下、前腕には太い刀傷が走り抜け、濃い体毛がそれを覆っている。

「初めて顔を合わせるか。第二大隊の指揮官をしている、坂木泰道。階級は大佐だ」

「ああ、ええっと。非科学研の上枝です。どうも」

 目の前から退く気配のない、礫のような手に触れると、右手を弾かれるようだ。

 痛みは骨と肉の形をして、それが大きく誇張される。

 とてつもない握力、それと体温、刻々と上昇している。汗が滲んで密着感が増す、と。不意に手が離され、突き刺すような気化の冷却に、今度は外側の皮膚が痛んだ。「すまない、どうも。うちの部下は非科学研の連中が苦手らしい。現場に軍属でない者が居るとなるとな」

「分かります。今回は特に、内々の事として対処したいでしょうから」

 少しの間、彼の顔から力が抜ける。「出来るだろうか」彼は椅子に座り、隣に空いていた椅子を私に勧めてくれたが、立っている事にした。今もその脇を、プリントアウトした情報を各部隊に伝達する為、隊員の一人が通り抜けていった。休んでいるように思われたくはない。

 画面にはドローンからの映像が、緑色の巨人と、広大な山林を映していた。

「気は進まないが、このまま持久戦に持ち込む事になるだろう」と大隊長が言った。「敵の武装が尽きるまでは様子を見つつ、ミサイの要求通りに生け捕りに出来れば良し、それが出来なくとも、せめて傷を付けずにマルハチを回収する事が出来れば良し、と言ったところか」

 内閣府直属機関、未判別生物災害対策室に関しては。

 略称はミサイか、ミセイタイと、先に決めたはずなのに未だに一定していない。

「防衛庁の方では、検体を送るようにアメリカから要求されたという風に伺ってますが」

「それもある。渡す気はないが」

「兵器転用が目的なら、マルハチについて言えばあちらでは眼中にないと思いますけど」

「乗っ取られたという事実が既に脅威だからな。……なんだ」大隊長が仰ぎ見た位置より少し左寄り、つまり真後ろに隊員が立って、両手を背に組んだまま、何かを言いかけた薄く開いた口を強張らせていた。「報告があります」と隊員が言った。「現場に動きがありました」

「詳細を頼む。モニターは?」

「七番で確認が可能です」と隊員が言った。「本日一七〇一、武甲山北面より横瀬駅に移動した仮称リビルアクターは住宅地に侵入、第十、第十一小隊による防衛線を突破し、二九九号線より北西に進路を変えて逃走中です。これによりマルハチ一機、装甲車一機が損傷、歩兵二人が軽傷を負いましたが作戦は続行可能との事です。ただ」と、言い淀み、下唇を噛んだ。

「残りの武装はアックスとバンカー一基のはず、だったな。奪われたか?」

「いえ。ただその」

「そういうのは外から補給するまでもなく体内で生成しているでしょうね」

 と言うと隊員は押し黙り、大隊長が腕を組んで天を仰いだ。

「それは、鴨沢の見解か?」唸り声、その中に知った名前が聴こえた。「だとしても素材となる物が必要なはずだ。森か、道……逃走経路を確認できるか? なんでもいい、何か食ったような痕跡でもあれば、それと水圧カッターだ、水場か……おい、誰か地図持ってないか」

 別の隊員が地図を持って来た。

 それこそカタツムリのように。食べた側から装備に還元しているとすれば、兵器としては最強だ。少なくとも補給が必要な兵器では足元にも及ばない、ただの下位互換に過ぎない。科学防衛隊側は唯一、兵器の数では勝っているが、持久戦を挑もうという時点でそれも活かせていない。もしもそれが消耗戦であれば、一気に仕掛ける選択肢が、しかし未知の相手にあるはずもない。ないかもしれない。それは同じだけ消耗するという前提があって成立するものだ。

 相手が、死体や廃材を吸収して自らの武装に変えられるなら、消耗の価値は反転する。

 生け捕りに出来るかの境界線は、そこにある。

 どれだけ攻撃しても死なないなら、どれだけ攻撃しても構わないという事だ。

 死なないなら、何をしてでも生け捕りに出来るという事だ。

 それは、とてもアメリカンな考え方に思えて、あんまり好ましくはなかった。

「調達するような場所はない、か。我らが巨人は今どこに居る?」大隊長の指示によって、正面に置かれていたモニターがスクィリドルの後ろ姿を映す映像に切り替わった。我らが巨人は片膝を地面に付いて、空洞のような二つの目を地面に据えていた。そこには、マルハチを乗っ取り、繊維状物質で覆った仮称リビルアクターが居た。怪獣の中で、特段に大きくもない五十メートル超級の巨人と、危険度2級に当たる、十メートル以下の怪獣とでは、向かい合っても迫力は乏しい。場所も山奥の無人の集落では、周囲への被害の程度も低めに見積もれる。

「先の交戦を受け、現在地点に先回りしていたものと思われます」

「今動かせる部隊は?」

「第七小隊が近くに、第五から第八までは十分以内に動かせます、ただ」

「なんだ?」

「避難が済んでいない住人が住宅に残り、支援小隊に警固されているとの事です」

「面倒な。近くの小隊はそっちに当たらせろ。巨人には近づくな」大隊長は指示を飛ばすと大きく息を吐き、それから椅子の上で体を大きく捻っていた。「非科学研が出て来たのなら、あれで対処は可能なんだろうな?」と、そんな事を私に聞かれても困るのだけど、彼が困っている様子も伝わって来たので、肯定、とも取れる返答をし、祈っているかのように彼の正面にあるモニターに目を釘付けた。最悪、それこそ最低限やる事は、マルハチごと引っ掴んで、地下施設に無理やり連行するか、海にでも捨てるか、海の向こうまで届けばいいなあ、とか。

 少なくとも緑色の触手の方が、捕獲か、鹵獲か知らないが、まだ可能性はある。

 ただのコンテナくらいなら、容易に破壊出来る事は科学防衛隊のお墨付きなのだ。

 その後の事は有耶無耶にして、非科学研の地下施設でゆっくりと対処をすればいい。

 大隊長に断り、外に出て通信機を起動した。このラジオみたいな機械はあくまでハンディであって、非科学研の移動指揮車に積まれた通信機器を中継地点にして、スクィリドル内のどこかと通信する、はずなのだが。「誰だ、うどんなんか食ったのは」という声がノイズの中にぼんやりと輪郭を浮かび上がらせている。「くそ、野菜も麺も崩れて奥に入ったじゃないか」

 まあ、巨人の支援は科学防衛隊がやってくれるので、実際非科学研は暇なのだ。

 そして一八三三、状況は終了した。

 最も望まれない形での終了となった。

 乗っ取られたマルハチごと緑色の触手が覆い、巨人は離れた山奥に消えて、非科学研の移動指揮車が森之戸隊員を回収し、科学防衛隊は、捕獲された仮称リビルアクターを非科学研の地下施設に搬送する任務を新たに与えられた。現場は封鎖され、科学防衛隊は負傷者、行方不明者の捜索、および住宅や道路の破損箇所を調べる事となった。それが仕事だし、森之戸隊員の仕事は果たされた、にも関わらず「非科学研が現場を荒らすだけ荒らして帰って行った」

 という風評が科学防衛隊の隊員の口から口へ流れているようだった。

「まあ、頑張った方だよ、最近の中では」

 と声を掛けても、森之戸隊員は虚空を見つめたまま、息すらしてないようだった。

 椅子の縁と尻の筋肉が、ある一点でだけ交わっているというくらいに浅く腰掛け、ほとんど仰向けになるまで傾いた姿勢で、足を前方に投げ出し、頭を壁側に押し付けていた。マネキンを無理やり車内に積み込んだとしても、もう少し縮こまって場所を空けようとするだろう。

 それくらい、彼が憔悴している、と慮るのは虫が良過ぎるだろうか。

 家に帰ると、急速に疲れを感じて、そのままベッドに寝転んでしまった。

 十一時に目が覚め、二時に目が覚め、着替え、化粧を落とし、洗濯物をまとめ、水道水を二杯飲んで、五時に目が覚め、テレビとネットをだらだらと眺め、七時半に目が覚め、目に飛び込んで来たニュースに目を疑った。『大型バイクを乗り回す美人研究員』とかいう余計なお世話のキャプションもだけど、その内容もだ。「未判別生物災害対策室と協力関係にある怪獣、通称スクィリドルの昨日の出没地点付近で、大型電動二輪車を乗り回すスーツ姿の女性が目撃されました。当時この一帯は科学防衛隊によって封鎖されており、この人物は非科学研究所の関係者である可能性が高く、スクィリドルの正体にも関わっているのではないかと考えられています。ネット上では『かっこいい』『ファンになった』『表に出て活動して欲しい』といった声が寄せられ、今後の動向に注目が集まっています。続きまして、昨日出没した……」

 かれこれ、非科学研に組み入れられてから八ヶ月は、平穏に過ごしていたのに。

 疎ましい気分に、ふと電話が鳴り、出ると鴨沢博士だった。「表に出て活動するか?」

「ニュース、差し止められなかったんですか?」

「何か問題か。お前が出たいか出たくないかの話だろう、こっちは問題ない」

「スクィリドルの正体に関わってるとか言われてるじゃないですか」

「安心しろ、今回の事でお前を秘書官の仕事から外したりはしない」

「見習い研究員でもいいんで、目立つような仕事は他の人に回してください」

「そうはいかない。お前の仕事が残ってる」

「昨日の、何か……」

 ニュースキャスターが言う「昨日出没した……」が怪獣の事であれば、それはリビルアクターだろう、そして今日出没した物に関しては私は何も知らない。「場所で、新たな怪獣が出没したとの情報が入って来ました。横瀬駅近辺の道路は現在も封鎖され、避難した住民は近隣の地区の体育館や、宿泊施設で不安な朝を迎えました。海老沢あかみ首相は会見を開き、今回の事件は未曾有の危機となる可能性があり、周辺の市町村も避難に備えるようにとの事です」

「何があったんですか?」

「ニュースでやっている通りだ」

「いえ、ちょうど聞いてなくて」

「まあいい。昨日の現場だ。車が行くから三十分以内に準備を済ませておけ」

 そんな短時間で済むわけがない。

 迎えに来たのは指揮車ではなく、特殊ナンバーの公用車で、後部座席に森之戸隊員が座っていた。長い前髪で片目を隠し、青白い細面に無理をした笑顔を貼り付け、今を朝だとも思っていないような声で「おはようございます」と、もごもごと呟いた。「思ったより早かった」

「車の中で、半分準備しようと思ったんだけどね、この車なに?」

 後部座席の右が森之戸隊員、左が私、助手席には大きなカバンが置いてある。

 運転手は非科学研の研究員のようだった。軽く会釈をされたけど、見覚えがあるような、ないような顔をしていて、胸のバッジには『鴨沢ラボ』とだけ書いてあった。スタンドミラーをヘッドレストに吊り下げ、ブラシを持って、カロリーブロックを齧りながら髪を梳かした。

 髪は後ろに括って、とりあえず顔は後でいい、何しろ揺れがひどいのだ。

 車はいつの間にか山沿いの国道に入っていた。

 昨日の現場に向かう、と鴨沢博士は言っていたけど、理由を聞いていない。仕事用の携帯端末でネットにアクセスすると、ニュースサイトのトップにこんな見出しがあった。「武甲山北部に現れた巨大な物体、外宇宙からの贈り物か、警告か」横から画面を覗き込んで来た森之戸隊員が、揺れに合わせて頭をぶつけてきた。痛かった。「あ、ごめんなさい。これの事か」

「心理くんも聞いてなかったの? ……昨日何かあったんじゃないの?」

「昨日は、研究所で一通り検査してから、仮眠して、そのまま今日来たから」

「泊まりで直接って。仕事でも下着くらいは変えた方がいいよ」

「上枝さんは?」

「家帰ったから」

 本当は落ちていたのを適当に着けたけど、匂いで言えばセーフだったからセーフだ。

「僕も、博士の着替えがあったから、服は替えた」

 あの人なら、同じ物を何十枚も買って置いてそう、というイメージはあるけど。

「巨大な物体、か」話が掘り返される前に切り上げ、画面をスクロールさせた。掲載されている写真は、霞んだ空に、山の稜線が曖昧に溶けるくらいの遠距離から、雑木林を背にして開かれた細長い耕作地を捉えていた。そこに巨大な倉庫か、羽の無い飛行機に見える、丸みを帯びた円柱が横たわっていた。生物だとすれば、巨大なクジラか、一番有り得るのは怪獣だ。

 手前側は鋭利な切断面で、中心に白い骨、周りに肉や血管が見えた。

 側面は薄い黄土色に赤みが差し、端末を持つ私の手の肌色とほぼ同じだ。

 もう少し青白く、冷たくなれば、森之戸隊員のと同じになるだろう。

 奥に向かって形は、少しずつ細く絞られ、先の方には何かが付いていた。

 一枚の写真だけで細かく判断し切れないけど、同色の触手でも生えているようだ。

 そしてそれが指なら、巨大なだけの、切断された人の手足でも転がっているようだ。

「心理くんがやった?」と端末の液晶画面を傾け、隣に聞いてみた。

 森之戸隊員は首を振った。それもそうか。

「珍しいね、二日連続で怪獣が出るなんて。怪獣か分からないけど」

 横瀬町に入ると、二九九号線は科学防衛隊に封鎖され、ドローンが飛び回っていた。

 現場に潜入しようとする物好きや記者が居るので、そういう連中も科学防衛隊は守らなければならない。そうしないと、怪獣に取り込まれたり、乗り移られたりして、迂闊に攻撃も出来ない状態になりかねないからだ。そうなった場合には攻撃を行うという契約でも交わせれば話が早いのだけど、そうさせない為に、わざと自らを取り込ませに行くような連中も居る。

 怪獣愛護派は対話による対等な交渉が可能だと信じている。

 それはもしかしたら、アメリカのように未知の力の傀儡になりたいのかもしれない。

 外宇宙文明派は地球人類の滅亡と文明崩壊とを望んでいる。

 それももしかしたら、神だか悪魔だかの代わりに怪獣を崇めているのかもしれない。

 それはどちらかと言えば鴨沢博士と近しい思想だ。決定的に異なるのは、鴨沢博士は飼料にもならない怪獣から永久に仕えるべき怪獣までを勝手に選別し、相手を選んで取り入ろうとするという点だ。人間が人間を順位付けし、接する時に態度を変えるように、ですらない。

 窓の外を眺めていると、ミニマムな風景に街の百貨店が現れ、通り過ぎた。

 歩道も無い道路に沿って小さな駐車場があり、建物は五階建てで小さかった。

 道を挟んだ向かいには住宅が並び、横道に入るとすぐに川沿いの竹林が見えた。

 観光地と言うには、生活感が近すぎて、田舎というほどに寂れてはいない。

 そして今は誰も居ない。

 唐突に緑が生い茂り、路傍に長い塀が続くと、そこは地元の小さな旅館だった。

 車は『ホテル がらの』の駐車場に入り、隅の隅の方に、蛇のように静かに滑り込んだ。手前には暗緑色や、黒鉄色の無骨な車輌が並んでいて、公用車みたいな車は本当に、蛇ほどにも目立たなくなった。ドアに掴まって、外に出る。午前の日差しが山際から差し込んで来る。

「あったかくなったね、今日」

 と言うと、森之戸隊員は一人で先に進みながら、顎を微かに引いて頷いている。

「一週間くらいは過ごしやすくなるみたいだね。ね。……歩くの速いね」

「二階の大広間です」運転手が車の横に立って言った。「藪間さんがお待ちです」

「あ、はい。分かりました」

 藪間克成彦。非科学研究所の所長であり、未判別生物災害対策室の初期メンバーだ。

 還暦近い今でも、百八十センチメートル近い体躯は分厚い筋肉に覆われ、すっかり生え際が後退した白髪頭は、丸く刈り上げていた。よく日に焼けた肌は、見る人が見れば、油から上げたばかりの唐揚げのようだと言われ、その顔付きも、険相の中に、時に愛嬌が垣間見える。

 老眼の為か、いつも掛けているガラス瓶の底のような眼鏡だけは似合わなかった。

 大広間に入ると、和柄のボタンシャツにハーフパンツ、ビーチサンダルという軽装の藪間克成彦が、硬いクッションの椅子に深く座っていた。重い両開きの扉を開いてすぐ脇の所で、長机にモニターが並べてあって、そこに科学防衛隊の隊員や、坂木泰道大佐も座っていた。

「よお、遅かったじゃないか」と言って、藪間所長が手を上げた。

「武甲山に落ちた謎の物体、ですか?」

「……ああ、ネットでニュースでも見たんだな。そうだ、これだ」と、差し出されたタブレットには、より鮮明な写真が保存されていた。触手だと思った物。側面から見た全体像。鮮明に写し出された表面の質感。それは、短く太い一本と横に並んだ細長い四本に分かれた五本の指で、少し括れて骨張った関節部分から扁平な掌に繋がる前腕部で、敷き詰められた細かい皺の上に薄い体毛が生えた皮膚だった。「あれは出来るだけ詳細の分からない画像を選んで流しただけだ」藪間所長は無精髭の頬を手の平で摩った。「ネットなんかを当てにしない事だ」

 隣の森之戸隊員にタブレットを手渡し、私は藪間所長に向き直った。

 彼が言った。「何だと思う?」

「人の腕みたいですね。人に似た……生物。怪獣の?」

「これが昨晩、二十四時を過ぎた頃に、山田区の、ちょうど畑の上に現れた」

「被害状況は」

「幸い人家や通行人などには当たらず、畑も今は特に使われていないとの事だ」

「という事はやっぱり、降って来たんですか」

「それが、分からんのだ」腕を組み、彼が唸ると、目の前にタブレットが差し出され、彼はそれを渋々の面持ちで受け取った。森之戸隊員は涼しい顔で引き下がった。話してる最中、なのだけど。「と言っても、こんな物が降って来れば、もっと大惨事になっていただろうな」

「巨大なクレーターが出来たり、隕石みたいに。衝撃波が周りの物を破壊したり」

「人の腕と同じなら、それ自体が耐えられない」と森之戸隊員が静かな声で言った。

「じゃあ、それで肘から切断されたような状態に?」

「どういう事だ。腕の高さから落ちたから被害が少ない、とでも言いたいのか」

 途端に顔が熱くなる。破壊からの連想で、切断面を思い出してしまっただけだ。

「あ、いえ。何でしょうか、よく分からないんですけど」

「それは我々もだ。条件は一緒だが、上枝隊員。何か気が付く事はないか?」

「空から降って来たわけではないらしい、という事は分かりました」

 私の、この答えを聞いた時、藪間所長が見せた落胆の表情は、それはそれで爽快な嗜虐性を喚起するものだった。見当違いな事を言いたくはないが、何も分からないなら、何でも言ってしまいたくもなる。「大きいというだけで、本当に人間の腕だったり、するんですか?」

「……森之戸隊員は、何か思い付く事はあるか?」

 森之戸隊員は薄く口を開け、少し考え、聞いた。「具体的なサイズは?」

「指先から肘の切断面まで、全長はおよそ五十メートル、高さは五メートル前後だ」

「その本体は、百メートル超級になりますか」

「全身が人間と同じスケールなら、二百メートル近くにもなるだろうな」

 そういう事か。「じゃあ、左手の方もどこかに落ちてる、かも」と、思い付いて。

 違うなって、雰囲気ですぐに分かった。

「いや、そうではない。が、本体はまだ見つかっていない」藪間所長は、机に何枚も重なっていた資料を漁り、結局何も手に取らなかった。「衛星は何も捉えていない。周辺諸国も、解答が得られた範囲では、他の部位や、本体は降って来てはいないそうだ。片腕だけがある」

「怪獣が出ていないなら、非科学研は何をするんです?」

「しかし怪獣が出る可能性があり、それが百メートル超級なら、非科学研の出番だ」

「藪間所長」と隣に座っていた大隊長が呼び掛ける。

 藪間所長は椅子を後退させ、ちょうど隣に座っていた大隊長が頷き、別の資料を二枚、それぞれ上枝隊員と森之戸隊員に手渡してきた。等高線、何本も枝分かれし、途切れている細い道路と、三つ編み状に並んだ線路、河川、国道の太い線が縦に通っている。そして山田区、畑の記号の真上に、未判別生物災害第055073号と、小さな長楕円が書き込まれていた。

「現在、山田区は昨日の作戦に当たっていた部隊が展開している。人腕部型XR1号の本体が近くに居る、乃至は腕部を取り戻す為に出没する可能性を考慮しての事だ。非科学研の面々には本体の捜索、および警戒、そして出没した際には殲滅作戦に協力して貰いたいわけだ」

 森之戸隊員が聞いた。「殲滅は、本体と敵対する可能性が生じた場合の話ですか?」

「もちろん、腕部の回収後、本体が何事もなく退散するのであれば、殲滅もしない」

「いや」藪間所長が割り込んで来た。「二百メートル超級の怪獣を見逃すのは惜しい」

「戦闘になれば、こちらも相当な被害を被る、知的好奇心のみに払っていい犠牲ではない」

 大隊長の言葉を聞かず、藪間所長は瓶の底からレーザーのような視線を向けて来る。

「だが森之戸隊員なら、出来ない事もないな?」

 森之戸隊員も怯まなかった。

 彼は「こちらから攻撃するつもりはありません」とだけ、重ねて言った。

「状況に応じて、だ」と大隊長が話を断ち切った。「現場に向かう前に準備が必要だ。上の部屋に着替えを用意してある。今朝のニュースのせいで、二人とも現場では目立ってしまうからな。松永」と、大隊長に呼ばれた迷彩服姿の隊員が、私達の前に立って、大隊長の指示によって先に歩き出していた。森之戸隊員が後に続き、その後に私は慌てて二人を追い掛けた。

 三〇一一号室は客間で、十数畳の和室に科学機動部隊の装備一式が置かれていた。

 ヘルメットに通信機、暗視装置、冷却装置、バッテリーパックが取り付けられ、ゴーグルとフェイスガード、胴体の前面と背面、両肩部、腕部、両脚部にはプレートアーマー、ブーツは油でも滑らない特殊素材だ。腰回りにはポーチとホルスター、通常は予備マガジンや医療用キットを入れるけど、今回は何も入っていない。そして背中と左肩には、サィアットという部隊名のロゴマークが入っている。意味はそのまま、科学、機動、部隊。科学機動部隊なのだ。

 こちらはミサイに所属する作戦チームで、怪人を含む要人の護衛などを行っている。

「1チーム、先に現場入りしています、お二人と博士を護衛するという名目で」

 松永隊員はそう言うと、部屋から出て行った。着替えを見ないようにでも、男女を同じ部屋に入れておいて、あまり気が利いているとは言えない。森之戸隊員が先に着替えを済ませ、私は別にいらないと思うのだけど、謎の美人研究員と言われたくはないので、一応装備一式を身に付けておいた。こうなれば化粧も着替えも必要なく、そのまま出て来れば良かったのだ。

 二人で車に乗り込み、待機していた『鴨沢ラボ』の研究員が車を静かに発進させた。

 更に北に出て、途中で小さなホームセンターに寄りたいと言うので、五台くらいしか停められない小さなホームセンターに入った。店員も居ないのではと思ったが、支援小隊が一班、店の前に待機していて、我々の必要な物、つまり園芸用のノコギリや、メジャー、水平器、ノギス、踏み台、折り畳み式シャベル、聞いた事もないメーカーのスポーツドリンクを端末に打ち込んでいった。今度は右に折れ、住宅地から山沿いの細い道に入ると、軍用車両が増える。

 検問で運転手がファイルを提示する間、無遠慮な視線で後部座席を覗き込まれる。

 車で送迎される護衛チームの何がそんなに怪しいのか、なんて言わない。

 美人機動部隊員と噂されるよりは。

「どうぞ、この先を百五十メートルほど道なりに進んでください」と隊員が言った。

 小高くなった土地に雑木林が覆い被さり、それが道の左右にあって空を圧迫していた。

 空は狭く、まだ遠くて、そして淡い水色をしている。斜面の下に、民家は地滑りに巻き込まれなかった場所にだけ点々と並んでいて、どれも色が淡く、乾き切っていた。そして、道路の左端から傾斜に到達するまでの、三日月型の細長い土地は畑になっていて、しかし今は何も栽培されていなかった。代わりに、向こうまで倉庫のような円筒形の物体が横たわっていた。

 こちらに肘の切断面が見える、という事は向こうで、青い家に指の先が乗っている。

 重機も持ち出したようだけど、動かしていいものか、現場は決めかねているようで、その中でただ一人、小柄な白衣の男だけが右に左に動き回ったり、攀じ登ろうとしたりと大忙しのようだった。車を降りて、待っていると、白衣の男が私達に気付いて無言で手招きをした。

 近くに行ってみると、その腕は、大きい事は大きいが、それでも畑で二面ほどだ。

 中型トラックが一台か二台、前後に並んだような感じ、というか腕の部分を横にしただけでは、百メートル超級とされる全体像は想像にも掴み難かった。縦の距離は、いつも漠然としている。たとえばそれは常に、見ようとするだけでも、百六十センチメートルを差し引いた状態で見ているように。まして頭一つ、拳一つ大きいだけの人間を、地に伏せてから見ようとはしないように。ある程度以上まで大きい物には、大きい以上の感想を抱いたりはしないのだ。

 もう一つは、現状それが動いたり、何かの影響を与えたりしない事もある。

 怪獣の死骸でさえ、有害なガスや、何かしらの防衛機能が発動する事もあって、回収も処分も容易ではないのだけど、現状その腕は、まるで人の腕のように、ただ横たわっているだけだった。もっと腐敗が進めば、ガスが発生したり、細菌や微生物が繁殖するかもしれないが。

 そうなる前に何とかなりそうだ。これで腕の持ち主、本体さえ来なければ。

「ふむ、なかなか様になってるじゃないか。上枝隊員、なぜ装備を?」

 鴨沢博士はクリップボードに挟んだ用紙に何か書き込みながら、こちらも見ずに妙な問いを投げ掛けて来た。「あったからです。表に出て活動したくはないので」と答えると、初めて彼は振り返って、何か言いそうな口をして、ほんの少しだけ酸素を取り込んだだけだった。

 森之戸隊員が腕に近付き、表面を撫でる。その手は手袋と防具に守られている。

「どう思うかね。もちろん、一見すると人の腕によく似ているが」

「中身もですか?」

「概ねはな」鴨沢博士が手を止める。「まずサイズだが、七十キログラムの成人男性を例に取ると片腕の半分が約五パーセント、三・五キログラムとして、その十倍、体積では更に三乗倍の……何かね」ペンで腕のあちらこちらを指していた鴨沢博士が、不意に私に問い掛けた。

 何が、何かなんだ。「ええと、三乗倍というのは」

「高さが十倍なら、奥行きも横幅も十倍だろう、千倍で、三・五トンとする」

「少し軽いような」森之戸隊員が腕を見上げる。

「概算だ。詳しく調べる道具がない。ただ実際、この腕はいくぶん細身だからな」

 鴨沢博士が歩き出したので、森之戸隊員が後を追い、私もその後に続いた。

 装備がいちいち重いので、あんまり動きたくはない。もうヘルメットは脱いだ。

 その中にフェイスガードを入れて、左手の下で揺れている。風が吹いて髪も揺れた。

 汗が滲んで、髪の束はじっとりと重く、首の後ろがちくちくした。

「高さは約五メートル、横幅はもう少しある。自重で潰れて広がっているんだ」

「弾力がある。タンパク質ですか?」

「に近い。ここを見ろ、組織を採取して調べてみた。まず皮下に汗腺があった」

「分泌されるのは汗ですか。それとも何か……」

「何?」先を促してみると、森之戸隊員は私に照れたような顔を見せた。

「有害物質とか」

「え、こわ」

「安心しろ。浸透圧を利用して水分量をコントロールし、気化冷却を行っているだけだ」

「じゃあ、温暖な気候で育った生物、という事ですか」

「汗腺だが、サイズも十倍だった」鴨沢博士が言い、ペンの先で腕を突いた。「汗の分泌はむしろストレス反応じゃないかな。脂汗、冷や汗というやつだ。脂肪量は少なく、恐らく活動に必要な発熱量が充分に賄えたのだろう。ある程度、寒冷地でも乾燥地でも有り得る生態だ」

「腱反射は?」

「それに関しては、腱が固すぎてな。まるで長年動かしていないかのようだった」

「あんまり細かい動作は得意ではない?」

「それはスケール感の問題だな。五十メートル超級のお前にも自覚はあるだろう」

 二人は話をしながら、どんどん手の先の方へ歩いていった。

 道の両側、斜面の中にも、科学防衛隊が周囲を警戒しているのが見える。

 巧妙に隠れながらも、その存在を示して威圧しなければならない。だから、茶色や緑色や黒色の装備は、しっかりと金属の質感を持っていて、迷彩服は自然の中でも浮いた色彩を放っている。隊員の一人が視線に気づくと、顔を上げ、あろう事か私に向かって手を振って来た。

 振り返してあげると、彼は他の隊員に背中を叩かれ、配置を変えられていた。

「さて、指紋や静脈紋、手相もある。これは大き過ぎて採取出来なかったが」

「爪も生えてる」

「男性の腕らしいな」

「それは何でですか?」

「爪を塗ってないからな。たとえば上枝隊員、君の場合は」

 あ、爪……手袋を外して前に見せると、お化けの真似みたいだ。

「あ、でもトップコートしか」

「……まあいい、一つ一つに理由付けをしていく事が大切だからな」

 何か恥を掻かされた気がしながらも、手袋を嵌め直し、聞いた。「深爪とかは?」

「少し伸びているが、普通だな。切ってみるか?」などと、なぜかハサミの手真似をし始めたので、誰か責任者は居ないのか、周りを探してしまった。鴨沢博士が一番偉いようだ。「代謝機能と、それから免疫機能については、出現から時間が短すぎてサンプルが取れていない」

「免疫反応はテスト出来なかったんですか?」

「ああ、免疫細胞も十倍だからな。うっかり変異種でも生まれたら困るだろう」

「そうなると、あとは。死後硬直、って言うのか」

「時間に関する事はスケールが人間と違いすぎるからな、ほとんど参考にならん」

「でもいつかは腐るんですよね」何気なく聞いてみると、鴨沢博士が頷いた。

 そして彼は俯いて、苦しそうに唸っていた。「可能な限り、持たせておくが」

「それまでに本体が回収に来なければ、ですか」

 森之戸隊員の質問にも、鴨沢博士は苦しそうなままだ。彼は森之戸隊員の隣に立って、巨大な指の関節に手を触れた。慈しむような目をしていた。「それについては、大体の見当は付いているんだ。森之戸隊員、あと上枝隊員。この腕の持ち主について考察してみないか?」

「無理だと思いますけど」私はすぐに答えた。

「時間はいくらでもある」と鴨沢博士が言った。「運搬が始まるまで暇なんだ」

「答えは出てるんですか」と森之戸隊員が聞いた。「それは合っているんですか」

「六、七割方はな。分かったら指揮車まで来なさい。答え合わせをしよう」

 巨大な腕の切断面の角を曲がり、彼は向こう側に歩き去ってしまった。

 指の下から覗くと、道の先に移動指揮車が停まっていた。白い車体で、アンテナやセンサーが屋根に並び、運転席以外に窓は一切なく、腕とでも張り合えそうな大きさだ。あの中では、折り畳み式ベッドを展開すれば、仮眠も、簡単な治療さえも出来るのだ。そう思えば、重い装備を身に付けているせいか、すぐにでも横になりたくなった。右足に、左足に重心を動かしてみても、全身の重さには耐え切れず、しかも柔らかい土の上ではバランスが悪いのもある。

 柔らかくて、適当に草なんかが生えた地面が、すぐ足元にあった。

 どうせ借り物の、汚れて当然の装備品が、汚れて何が悪いのだろう。

 真後ろに倒れ込むなんて事はしない。腰を下ろし、見ると森之戸隊員は指を一本ずつ調べ回っていて、後ろに手を付き、足を前に伸ばし、まだ空は遠いかなんて思いながら、ゆっくりと仰向けになった。後頭部に砂が触れるのが分かる。不快な細かい感触が髪の毛にも入り込んで来るけど、それももう気にならなかった。首の位置が少し高くて仰け反ってても平気だ。

「上枝さん」と横の方から声が聞こえる。「こんな所で横になっていいんですか」

「良くない」首だけでそちらを見上げる。「髪が砂だらけになって気持ち悪いよ」

「ほくろを見付けたんですけど」

「それくらいあるんじゃないの? なんか、人間の腕に似てるんでしょ」

「そうですね。メラニン色素が、まあ……それと、傷も見つけました」

「それだって、切断されてる以外にも、傷とかあってもおかしくないよ」

 見付けた物はそれだけで、あとは不満そうな目と尖らせた口元だけが残った。

「博士には答えが分かってるんだし、調べても調べなくても一緒じゃない?」

「分かってるんなら、そうですけど」触れた指先が、彼には名残惜しそうだ。結局、こっちに近付いて来て、顔のすぐ横に彼がしゃがみ込んで、顔の上に影が落ちて来た。そこでは腰のポーチが顔に当たりそうなくらい近くて、脚部の装甲がとても頑丈そうに見えていた。「もしかしたら」と、彼は言い淀んで、顔を背けて言った。「六割、っていうのは嘘かもしれない」

「心理くんに考えさせて博士は自分では何もしない、って思ってる?」

「そんな事は」

「信頼するのは良い事だけど、博士にも分からない事はあると思うよ」

 迷い悩む姿に、複雑に絡み合った蔓のような緑色が重なり、嫌な予感がする。

「上枝さんは、何か分からないんですか」

「一緒に考える事は出来るけど」体を横に向け、片腕を枕にする。「片腕の無い怪獣と戦った事はあったっけ?」と聞くと、視界の端の方で森之戸隊員が首を振っていた。「そう。人型に近い、あんな感じの腕がありそうな怪獣とは? その仲間が地球に来たのかもしれない」

「仇討ちに来て、それで負傷したって事ですか。ないと思うけど」

「じゃあ、終わり。もう何も分からない」

「そうですか。ありがとうございます。参考にして考えてみます」立ち上がって、彼はまた巨大な腕を調べに行った。ほくろ、傷、それと他にあるとすれば、持病。刺青。時計、を付けていた跡とか。みかんを食べていたら指先が黄色くなっているだろうし、爪が割れたり、巻いたり、重なったり、していたからと言って、何が分かるだろう。手相を見て、占いでもしてみた方が、ヒントになりそうだ。せめて本当に人間だったら、考えてみる価値はあるだろう。

 怪獣じゃなかったら。

 両手を地面に付くと、指が土に刺さった。立ち上がって頭を振ると砂が落ちた。ほとんどは首の後ろから、服の中に落ちて「ああっ、もう。砂が、中に」そのイライラする感触に身悶えが止まらない。何もかもを脱ぎ捨てて、体中を掻き毟りたいけど、そんな事は出来ない。

 体を揺すりながら、森之戸隊員の所へ向かった。

 彼は巨大な指の関節を、両手で持って曲げ伸ばししようとしていた。

 体重を掛けて、骨まで折りそうだ。「心理くん、指動きそう?」どちらかと言えば、森之戸隊員の踵が浮きそうで、彼はもう少し力を加えてから、諦めて手を離した。「元人間っていう可能性はないかな?」待ってみる。彼は、目を丸くした。「だから、心理くんみたいに」

「人間から怪獣になった……この腕がですか、これは人間のままですけど」

「じゃあ人間のまま巨大化するのって、有り得ないかな?」

「見た事は、ないですね。人間の体のままだと巨大化に耐えられないので」

「耐えられない?」また、私は何も考えずに聞き返していた。

「同じ比率で大きくしたら、たぶん足が折れたり、関節が曲がらなかったり」

 何しろ護衛部隊用の装備をしただけで、正直ちょっと足に来てるくらいなのだ。

 言われてみれば、よく言われるサイズを統一したら昆虫が最強説も、アリが一定以上の高さから落ちても無事説も、そういう事かもしれない。森之戸隊員が中指に移ったので、私は小指の方に回って、下向きに折り曲げられた指を掴んでみた。肉の弾力、表面は少し乾燥気味で、関節は全く動く気配がない。ブーツの底で蹴りつけてみる。衝撃は全て足首に伝わった。

「足が、どうなってるかは本体が現れるまで分からないよね」

「でも鴨沢博士は、ヒントは全て出てるように言ってましたけど」

「六割くらいは見当が付いてるってね」まだ蹴りたいけど、足首が痺れて、持ち上げるのも億劫だ。森之戸隊員は薬指に移って、根元の辺りに顔を近付けて何かを確かめていた。それで気付いたのだけど、右手だ。「結婚指輪でも探してるの?」無いと思うけど、まで言おうとしたのに、その言葉を待ち構えていたかのように森之戸隊員が振り返り、また何も言わない。

 満面に光を湛え、何かが出て来る寸前の所まで、高まっているのに。

 胸に詰まった物を、彼はゆっくりと吐き出し、最後にそれが言葉になる。

「いや、胼胝、なんですけど」と言い、彼が指の付け根を指していた。

「ペンとかの? こんな大きい手で漫画家だったりするのかな」

「スポーツも……球技とか、格闘技、それか剣術とか射撃とか」固く盛り上がっている、らしい部分を上向きに撫で回しながら、一つずつ挙げていった言葉を、無言の内に一つずつ否定していって、彼は言葉を止めた。それ以外に、何をすれば胼胝が出来るかと、考えている。

 清掃だろうと、大工だろうと、仕事にしていれば、いずれ出来るのでは。

 仕事にしていれば。「剣とか銃を使う仕事なんて」ある。軍隊、科学防衛隊だ。

 しかし森之戸隊員も先に気付いた。「一番近いのは、向こうの林の中か。上枝さん」と呼んだ時には、数メートルは走り出していて、その声はいつもより大きく、弾んでいた。遠ざかる背中を見ながら、急ぎでもないだろうと、私は歩いて後を追った。畑を横切り、斜面の手前まで行った森之戸隊員は、そこに居た科学防衛隊の班に声を掛けていた。すぐに近寄って、右の手の平を見せて貰っている。わざわざ膝立ちになって、餌でも与えられる小鳥みたいに。

「上枝さん」と、追い付いた私をもう一度呼んで、彼は隊員の手を見せてきた。

「同じ胼胝があったんだ、銃か何かの。じゃあ、あの腕も軍人って事?」

「それどころか、科学防衛隊の隊員から奪い取った物かもしれない」

「隊員の中に、昨晩片腕を失った隊員が居るんですか」

 と聞くと、隊員の一人が首を振った。「いえ、そのような話は聞いていません」目は巨大な腕に向けられていて、それでいて私達を訝るような態度が隠せていなかった。森之戸隊員は立ち上がって、隊員の手を押し退けた。「心理くん」彼の肩を叩く。「何か分かったの?」

「まだ分かってないです。あの腕、昨日の何時くらいに見付かったんですか」

「二十四時過ぎだよ」私が答えるのと、隊員が「二十四時十五分です」と答えたのはほぼ同時だった。何分までは私は聞いていない。答えなくて良かったと思いながら、それとなく距離を取った。「じゃあ」森之戸隊員も答えた隊員の方を向いている。「その時間からずっと?」

「いえ、仮称リビルアクター討伐作戦終了後、第二特科大隊は現場の後処理を行い、本日〇六三〇より我々第五特科大隊に引き継ぎが行われ、現在まで我々が人腕部型XR1号の周辺の警戒、及び現場の保全を行っております。以降、二十四時間毎に交代が行われる予定です」

「どっちにしても、腕の出没時間に科学防衛隊が偶然居て良かったね」

「偶然、ですか」森之戸隊員は不満気だった。

「第二特科大隊を狙ったわけじゃないでしょ。偶然は有り得ないとか言う?」

「でも、鴨沢博士の用意した答えが、偶然だった、って事は有り得ないと思う」

「そう。それともリビルアクターかマルハチでも狙ってたのかな」

「その時点で仮称リビルアクターとマルハチ一機は非科学研に回収された後でした」

 第五特科大隊の隊員は、説明を受けたのだろうけど、まるで見て来たかのように言った。

「何か調べておられるのですか?」別の隊員が、斜面から私達を見下ろして、質問をして来たので、黙っている森之戸隊員の代わりに一通りを説明した。最後に、銃を扱う人の特徴があって、それが科学防衛隊の隊員と共通している事、だから腕を奪われた隊員が居ないかと聞いた事を伝えて、改めて考えると荒唐無稽な事を言っているなと、自分でも思った。隊員は特に何も考えずに、そういえば、と言い出した。「昨晩、隊員が一人、負傷したと聞きました」

「何人か居ましたよね。防衛ラインを突破された時に」

「その後です。夜中に、医務室に連れて行かれたって話なんですけど」

「暗いから、足を滑らせて転んだとかじゃないんですか」

「理由は分からないですけど、その隊員は朝方には戻って来たそうです」

「腕はありましたか」

「失った、という話は聞いていません。さっきも言いましたけど」

「じゃあ、あそこにあるあれは誰の腕なんでしょうね」

「新たな怪獣だと聞いています」

 八つ当たりみたいな事まで言って、これ以上質問が出て来なくて困っていると、ちょうど肩を叩かれた。森之戸隊員だ。これ幸いとばかりに「もう戻りますか」と聞くと、彼も同意してくれたので「ご協力ありがとうございました」と科学防衛隊に告げ、立ち去ろうとした。

 森之戸隊員が動かない。

 最後に、彼は隊員に尋ねた。「後処理って何をして朝まで掛かったんですか?」

「仮称リビルアクターが複数体居た場合に備えて、付近一帯を捜索していたとの事です」

「居たんですか?」

「見付かったという報告は上がっていません。詳細は作戦本部にお問い合わせください」

「ありがとうございました」森之戸隊員は、斜面に向かって頭を下げた。

 腕の側に戻って来ると、地元の、あんまり行かない路地に入ったような安心感があった。そしてこれが悩みの種でもあった。「科学防衛隊の誰かの腕が巨大化した物だったら良かったのに」と思って、口に出して言った。出来事としては重大でも、話としては簡単だ。私達はそれを考察して発表するだけでいい。誰かの腕が今後どうなるかなんて、知った事ではない。

「リビルアクターが複数体居た場合って、どういう事でしょうか」と森之戸隊員が言った。

「そのままでしょ。複数で襲って来た怪獣は前にも居たし」

「でもマルハチを乗っ取って戦える知能があるなら、マルハチを複数体奪って編隊を組んだ方が良かったんじゃないでしょうか」彼は巨大な手首を撫でていた。それが銃を扱っている可能性と、科学防衛隊との間に何も結び付かなくても、特に落胆も無いようだった。あると思う方がおかしいし、ある方がおかしいのだ。「僕が戦った感じ、そういう事は出来そうでした」

 また横になるのも面倒で、骨の突き出ていない部分に寄り掛かってみた。

「奪う隙が無かったとか?」生々し過ぎる弾力が、あまり心地良くなかった。

「それは元のリビルアクターがどんな……すごく、小さければ、無いって事は」

「マルハチを取り込めるくらいだから結構大きかったんじゃないかな」

「マルハチを取り込んだ個体はそうかもしれないけど、他の個体は違うとしたら」

「違うって、どういう風に?」

「取り込む必要すら無かったのかもしれない。本来は、対象物をコピーする能力で、取り込んだのは、弾薬……武器が消耗品だから、それが必要だった?」彼は腕の周りを右往左往する。何かを探しているようだけど、目当ての物はここには無い。非科学研究所にはあるかもしれない。でも、答えを導くヒントは全て、ここにあるらしい。「この腕も、コピーしただけ?」

「これがコピー品だとして、元の腕はどこにあったの。こんな大きい腕」

「そこまで大きい必要はないんです。たぶん、リビルアクターにとって大きければ」

「そんなに小さかったんだ、リビルアクターって」

「リビルアクターの、子供が居たんだと思います。それがとても小さかったんです」

 もう彼は巨大な腕から離れて、私の正面に立っていた。「子供ね」

「虫か何かと見間違えるくらい。それも夜中の屋外でです。叩き潰されそうになって、その、それにとって恐ろしい存在の、巨大な手になろうとした。機械と違って、細胞の一部があれば遺伝子情報から再現出来るのかもしれない。そして肘までしかないのは、一個体が再現出来るサイズの上限が概算で三・五トン、約五十メートルで、このくらいだったのかもしれない」

「かもしれない。かもしれない。面白い話だけど、答えとしてはどうなのかな」

「これ以上は無いし、鴨沢博士に答えを聞きに行きますか?」

「心理くんがいいなら、私はいつでもいいけど」と言うが早いか、森之戸隊員は巨大な手の下を潜って、道に停まっている移動指揮車の方に向かった。運転席は無人で、後部ドアから入るしかないのだけど。「ノックしたら出て来るかな?」森之戸隊員は、しかしいきなり後部ドアを開け放った。中には鴨沢博士と、科学防衛隊の隊員が一人、向かい合わせに座っていた。

「答えは分かったのか?」

「その前に一つ、その隊員の人が腕の持ち主ですか?」

 科学防衛隊の隊員は特に反応を見せず、鴨沢博士は片眉を吊り上げ、挑発的な目をして森之戸隊員を見返した。「なぜそう思うのかな?」そう問い返してみせる鴨沢博士は、既にこちらの見解をほぼ把握している様子が見受けられた。森之戸隊員が上がり込み、近くの椅子を引いて腰を下ろした。私の分の椅子は、近くにはなく、私は隣に立っているしかなかった。

「六、七割方っていうのは、DNA型の解析結果の事ですか?」

「二つ目だな」鴨沢博士が笑い、怒っている様子だった。「それを根拠にするなら、ちゃんと九割九分まで揃えてから用意しておくよ。それを聞きたくて来たのか。考察を聞かせてくれるものだと思っていたのだが」ペンの音だ。先端が、テーブルの書類を何度も叩いている。

「ほくろを見つけました」と森之戸隊員が唐突に言った。

「それだけか」

「血液型、指紋、遺伝子、そういった物を調べれば分かると思うんですけど、鴨沢博士はそこにある物から考察すれば答えに辿り着ける、というような事を言っていました。それが何なのか、ずっと分からなかったんですけど、リビルアクターの事だった。で合ってますか?」

「どうだろうな。続けるか?」

「マルハチを取り込んだと思われていたリビルアクターの、本来の特性は取り込んだ物をコピーする能力で、それは自身より大きな物でも可能です。ただしサイズには上限がある。昨晩の二十四時頃、リビルアクター討伐作戦の後処理を行っていた科学防衛隊の隊員の一人が、リビルアクターを発見します。まだ子供で小さかった、それを虫か何かと間違えたんでしょう」

「それで」

「手で叩き潰そうとした瞬間、その隊員は皮膚片か何かから遺伝子情報を取られます。そしてリビルアクターは自分の何倍もの大きさがある人間の情報を元に、そのサイズ感をそのまま再現しようとします。上限いっぱいに再現した結果、肘の部分までで力尽きてしまいました」

「それで」

「それで、あの巨大な腕が出来たんじゃないですか? ……他に何か?」

「まあそんな所だが、それだと今後もリビルアクターが様々な脅威を巨大化してコピーする事になるな」ずっと書類を叩いている。それは興奮の為でも、苛立ちの現れでもなくて、ただ彼の心拍が指先から机に漏れているように、規則的に続いているだけだった。「この隊員の名誉の為になるかは分からんが、一つ言っておくと、その時にはそれは虫の姿をしていたんだ」

「コピーしたって事ですか。等倍のサイズで」

「親が一体、子供が、何体居たのかは分からないが、何体だろうと同じ事だ。大した脅威のない虫や爬虫類などの小動物を等倍でコピーしているだろう。非生物の可能性もある。そうなったら、リビルアクターは二度と別の物をコピー出来なくなり、何らの脅威でもなくなる」

「どうしてそう言い切れるんですか?」

「そういう事をする知能が無いからだ。まして非生物では動く事も出来ないだろう」

「あの巨大な腕って、リビルアクターそのものなんですか?」思わず私も聞いていた。

「どちらかであるという分類もなくなる」

「でもマルハチと戦った時は、本当に知能があるみたいで」森之戸隊員も戸惑っていた。

「それはそうだろう」もう、ペンの音は止まっていた。

 鴨沢博士は森之戸隊員に向き直り、その目は同情的な色を宿していて、いくらか見辛そうに森之戸隊員を見つめていた。鴨沢博士は、一文字ずつを、ゆっくりと声に出して言った。「本当はこれに気付いて欲しかったんだがな。マルハチの操縦者は等倍でコピーされていた」

「人間、だった……いや人間じゃなくて、人間のコピー?」

「そうだ。マルハチ自体を乗っ取られたと思ったせいで、人間も乗っ取られるものだと思っていたのだろうが、実際は違ったんだ。だから、今日はマルハチを見なかっただろう。機械が無ければ乗っ取られないし、脅威が無ければ、巨大化される事もない。これで話は終わりだ」

 森之戸隊員は、分かりやすく元気を無くしたので、私が代わりに聞いた。

「非科学研としての仕事はもう無いんですか?」

「ホテルに戻って待機していて構わない。そのうち待機も解除されるだろう」

「分かりました。心理くん、終わったって。戻る? まだここに居る?」

 彼はどちらとも答えず、黙って立ち上がると、のろのろと外に降り立った。

 公用車のような車は、来た時と同じ場所に停まっていて、同じ人が運転席に座っていた。まるで精巧にコピーされた偽物のようだとは、今だけは特に思わなかった。森之戸隊員は、微風に押されて仕方なく歩いているという様子だった。肩を持って支えたり、してやる事もないけど、何か急に居なくなってしまいそうにも見える。「あんなの真剣に考えたところで六、七割までしか分からなかったと思うよ」フォローするつもりはあるけど、何を言っているのか自分でも分からない。「鴨沢博士だって遺伝子とか色々調べてやっと分かっただけなんだから」

「それはもういいんです」森之戸隊員が言った。「昨日、何も分かってなかった」

「みんなそうだよ」

 まさか、自分は戦闘中にコピーと入れ替わってた、とでも思ってるのだろうか。

 そんな事をまさか本人に直接聞くわけにもいかない。

 本人が分かってる以上の事を、周りの人間が理解しているわけがないのだから。

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