第3話 信用できない

「あーん」


「瑠伊さん、あのさ」


「あーん?」


「疑問形になる前に一旦置こう」


 翔利は今、瑠伊にお昼ご飯を食べさせて貰っている。


 と言っても一口目を食べるハードルが高くて一旦待ったをかけたところだが。


「なにを照れてるんだい?」


「照れるでしょ。看護師さんにやって貰うのとは違うんだから」


 朝ごはんはもちろん看護師さんに食べさせて貰った。


 翔利の手足は絶対安静と言われているので動かすことを許されていない。


「看護師さんは仕事だからこっちもいいけど、瑠伊さんにして貰うのはなんかあれじゃん」


 瑠伊が両手を膝に置いて俯いてしまった。


「瑠伊さんは悪くないんだよ。俺の心の準備がね、足りてなかったの」


「翔利、素直に言いなさい。瑠伊さんみたいな可愛い子にお世話されるのが恥ずかしいって」


「ばあちゃん余計な事を言わないでよ。気まずくなるでしょ」


 瑠伊は未だに俯いたままだ。


 多分瑠伊は自分の可愛さに気づいていない。


 だから可愛いと言われても建前だと思って気にしていないのだと思う。


「瑠伊さん。お願いします」


「やっぱり私より華さんの方がいいんじゃないでしょうか……」


「瑠伊さんがいい」


 少し上がった瑠伊の顔を翔利が見つめる。


「佐伯さん。無理に私の自己満足に付き合わなくても大丈夫ですよ。私は気を使われるような人間ではないので……」


 瑠伊の目がいつも暗いけど、更に暗くなった。


「気なんて使ってないよ。むしろ使わせてるのは俺の方でしょ」


 そもそも瑠伊に翔利のお世話係をする義理なんて無い。


 昨日のやり取りを見ただけで、悪いのは瑠伊では無く環境なのが分かったのだから。


「瑠伊さんは瑠伊さんのしたいことをしていいんだよ。それが今は無いなら俺のお手伝いをしてくれると助かるんだけど」


「私は佐伯さんに償いがしたいです。だけど佐伯さんのお手伝いをしたところでなんの償いにもならないですよね……」


「俺のお手伝いは軽いものだから?」


「ち、違います。それだけでは償いきれないことだからです……」


 翔利としてはなんとかして瑠伊の罪の意識を取り除きたい。


 だけど家庭環境のせいなのか、瑠伊は自己肯定感が低く、人を信用することも出来なくなっているように見える。


 だから翔利は荒療治に出ることにした。


「瑠伊さんに。俺の言う事は全部信じて」


「え?」


「なんでも言う事聞くんだよね?」


 翔利はとりあえず信用を得る為に命令として無理やり話を聞いて貰うことにした。


「俺がこれから言う事は全部俺の本心で嘘は言わないって約束する。だから瑠伊さんは俺の言葉を全部信じて」


「出来ないと言ったらどうなりますか?」


「これは命令だからなんでも言う事を聞くって言った瑠伊さんに拒否権無いから。それとも俺への償いは終わり?」


「……それが佐伯さんの望みなら」


 瑠伊が翔利の目を真っ直ぐに見てそう告げる。


「瑠伊さんって綺麗だよね」


「なにがですか?」


「見た目と心」


 瑠伊を初めて見た時から美少女だとは思っていた翔利だけど、こうして話していると心根の綺麗さに気付かされる。


 だけど当の本人はよく分からないと言った感じに翔利を見ている。


「本心だからね」


「私は醜いですよ……」


「まぁ今はいいよ。絶対に分からせてみせるから」


 翔利は勝手に「いつか瑠伊さんに自分の綺麗さを分からせる」という目標を立てた。


「一旦区切りがついたかい?」


 ずっと黙って聞いていた華がタイミングを見計らって話しかけてきた。


「うん。帰るの?」


「一旦ね。後で瑠伊さんを迎えに来るけど、さっき言ったがあるからね。翔利のことは瑠伊さんに頼んでいいかい?」


「はい。と言ってもお昼が終わったらする事はないでしょうけど」


「大丈夫あるから。楽しみにしてて」


 翔利が不敵な笑みを浮かべながら瑠伊に言う。


「初日なんだから程々にするんだよ。じゃあね」


「ありがとうばあちゃん」


「私はまだ何もしてないよ」


ね。行ってらっしゃい」


 翔利がそう言って手を振ると華が後ろ手に手を挙げた。


「ばあちゃんって無駄にかっこいいことするんだよね」


 翔利がそう言うと華に頭を下げていた瑠伊が頭を上げた。


「本当にいい方です」


「ばあちゃんは信用できる?」


「……」


 翔利の言葉を聞いた瑠伊が黙ってしまった。


「ごめん、忘れて」


「ち、違うんです。佐伯さんも華さんもとても優しくしてくださるので、信用してない訳ではないんです……ただ」


「信じきれない?」


 瑠伊が小さく頷いた。


 瑠伊がどんな家庭環境で育ったのかを翔利は知らないから想像するしかない。


「俺と瑠伊さんって似たもの同士だよね」


「え?」


「俺もね、人とか信用できないんだよ。サッカーってチームプレイだから一緒のチームの人を信用しなきゃいけないんだけど、俺にはそれが出来なかったんだ」


 仲が悪いということではない。


 単純に興味が無く、任せても大丈夫なのか分からなかったから翔利はほとんどを個人プレイでやっていた。


「だけど俺の場合はさ、一人でもどうにかなっちゃったんだよ。だからそのまま育っていったせいで今の俺はばあちゃん以外の人をあんまり信用してないんだよね」


 一時期に比べたらマシにはなっているが、翔利は今でも他人を信用して何かを任せることが出来ない。


「じゃあやっぱり私にお手伝いを頼んだのは無理をしてですよね……」


「それね、俺も驚いたんだけど、瑠伊さんにならいいかなって思ったんだよね」


「私にならですか?」


「うん。なんでなのかは分からないけど、瑠伊さんは信用できるって思ったんだ」


 それが恋なのか自分と似ているからなのか、はたまた全く別の理由なのかは翔利自身にも分からないけど、少なくとも瑠伊のことを信用できると思った。


「だから食べさせて貰ってもいい?」


「佐伯さんは言い方がずるいです」


「どゆこと?」


「なんでもないです」


 瑠伊はそう言って箸を持ち、食事を食べやすい大きさに切り分けてから手で受けを作って俺の口元に運んでくれた。


「佐伯さん?」


 口元に運ばれてきた食事を前に翔利は口を閉ざしたまま瑠伊を見る。


「さっきのは?」


「さっきの?」


「さっきは『あーん』って言ってくれたから」


 翔利がそう言うと瑠伊の顔が真っ赤になった。


「あ、あれは華さんがそうした方がいいって昨日の夜に教えてくださったので試しただけで、効果がなかったのでもういいのではないでしょうか」


(すごい早口)


 瑠伊とは昨日会ったばかりだけど、こんなに早口で話すことは無いと思っていた。


 新鮮で可愛らしい。


「効果あるよ? あれが無かったらあの時普通に食べてただろうし」


「なら無い方がいいじゃないですか」


「俺ってわがままだから今は無いと食べる気ない」


 さっきは不意打ちで恥ずかしさが勝ったけど、来るのが分かっていたら「あーん」があった方がいい。


「佐伯さんは意地悪です」


「そんな褒めなくても」


「褒めてないです!」


 だんだん瑠伊に人間味が帯び始めてきた。


 真っ暗だった目にも光が灯り始めた。


「瑠伊さんお腹空いた」


「赤ちゃんみたいなことを言わないでください」


「赤ちゃんは喋れないから小学生だよ?」


「そのひねくれ方は確かに小学生です」


 初めて瑠伊の笑った顔を見た。


「可愛い……」


 瑠伊の笑顔を見て翔利は思わずそう呟いてしまった。


「えと、それは本心なんですか?」


「……本心なんだけど、素直に言うの恥ずかしいから二度と効かないでね」


「……はい、すいません」


 翔利と瑠伊の間に微妙な空気が流れる。


「た、食べましょう」


「うん」


 その後、瑠伊は無言で翔利に食事を食べさせた。


 翔利も「あーんは?」なんてことを聞くことをしなかった。


 そして華が迎えに来るまで微妙な空気のままぎこちない会話が続いた。

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