現実逃避行機驚安peach

@ten3131sai

第1話

「岡山くんってさ…」軽蔑を含んだ女の声がした。

うわっ!!なんだ朝か。神のため息が溜まってできたみたいな雲が漂う、薄暗い朝だった。時計は6時42分を指している。正確に言えばデジタル時計なのでさしてはいない。毎朝、夢から引きちぎられた感覚に陥る。なんの夢なんか覚えてすらない。そんなことより今は、現実を見せつけられていた。なんで毎回毎回起きるのが朝なんだ、朝って起きる時間のことなのか?違うな、毎日勝手に朝に起きてるのは俺だ。気怠い体をむくっと起き上がらせる。朝の体は10kg増しで重い。身長も伸びてるらしいから朝は成長期だな。今日の心の天気予報はくもりだ。心に二重丸をかいたままスマホを手に取った。起きて、最初に顔を合わすのは実の母ではなく、待ち受けの音楽の母なんだな。俺が勝手にバッハに設定したんだけどな。スマホの通知バーに何件か溜まっていた。開ける意味もないのにパスワードを打つ。LINEからなんかきてる。チッ、公式LINEってのは嫌がらせか?別にLINEをする友達もいないが。心だけではなく実際の天気も曇りだった。母が朝食を作っている音が聞こえる。寝ぼけてる五感にピントを合わせていく。ベットからリフトオフし、液晶の後に母におはようという。ある意味これもパスワードだな。うちの母は癇癪をお持ちなので挨拶をしないと人として認識してくれない。だからこそ、パスワードと同じくらい忘れてはいけない。そして、自分を嘲笑するかのような健康的な朝ごはんが現れる。何もしてないのに「疲れた」と言いながら朝飯にがっつく。最近はマイクラくらい睡眠休憩が短いな。マイクラと一緒で何もしてなくても腹は減るもんだ。大きく息を吸いすっと脳みそに酸素を回す。働かざる者食うべからずと言うが、普通に食わないと働けねぇだろ。昔のやつはそんな根性論ばっか突き通してるから寿命短けぇんだよ。働くことこそが生きる意味だという考え方を世間に馴染ませたいのが見え見えで冷めちゃうな。思想も鉄と一緒で子宮という名の焼却炉から出たての熱いうちに叩き込めよ。働いてうまい飯食いましょうとかに変えろよ。だいたい、なんでことわざは上からなんだよ。知らない昔のやつが偉そうなこと言うなよ。やかましいぜ、旧人類。テストの問題もそうだが、なんで語尾を丸くできないのかな?その文字勿体無いか?そんなことないと俺は思うけどな。その意味不明のプライドがいけ好かない。ふぅ、酸素が不満になって吐き出される。不満がありすぎて酸欠だわ。寝て飯食って三大欲求満たし祭りをしているのになぜ、こんなに体がだるい、病気なのか?保険が降りればいいが。精神病はいつから定められたものなのだろう。今ではよくわからないアルファベットの精神病も昔は気のせいの一言で済まされていたのか。俺のこのネガティヴもいつか病名にしてくれ。だめか。そんなことにしたら日本の大体のやつが病気になっちまうな。今日の俺のモーニングルーティーンが終わった。何がモーニングルーティーンだ。誰がてめぇの朝のしょうもない活動に興味あるんだよ。はぁ、ルーティンって嫌いだ。何も考えなくてできるからいらないことを考える。自分の中の羞恥メモリーが走馬灯みたいに駆け巡ってくる。父親が、部屋から出てきた。なんとなく嫌な空気を感じとった。ずっと家にいたいはずだが、両親の会話を聞きたくないから支度は早くして逃げるように家を出る。いつから家が快適な場所じゃなくなったんだろうか。砦を失った戦士は弱い。俺は元々身も心も最弱だけどな。家の扉を開けた瞬間じめっとした湿気が膜みたいにまとわりつく。雨が降った後特有の不快なにおいがした。そして少し雨が降っていた。最近は両親が変にピリピリしている。おれはイライラしていた。やっぱり不機嫌は伝染する。綺麗な景色より冷たい気色ばっか気にしてきたのが顕著に現れてる。

嫌になるほど見せられた味気のない通学路を歩きながら、不満が止まらなかった。特に親の喧嘩ってのはとっても惨めな気持ちになる。昔から親ってのは産み落とされてから初めて会ういわば第一村人だ。うちは冷たい都会のど真ん中だったが。生まれたての頃の視野は生物的にも人間的にも狭い。親が完璧だって思い込んでいた。今でも親が失敗してるしてるとこなんて見たくないし、聞きたくもない。幼い頃は親は全ての漢字を知ってるもんだと思ってたし、算数の問題も全部できると思っていた。だが、いつの日から親も人間なんだと気づく。そう分かっていても、親は親だ。切り離せない存在なんだ。正直、俺の親が親じゃなく人間として評価しろって言われるならどっちも嫌いだ。お前の腹の中にいたからなんだよ。だから俺はこんなに暗く生まれ育ってるのかもな。たまたま産んだけっていう関係性だけでなんで嫌いな人たちと一緒に住まなければならないんだ。親子の関係なんて血だけだ。輸血時しか意味ねぇよ。ここまで生きてこれたのも全部親のおかげだがな。その矛盾をわかっているはずなのに親への批判はやめなかった。家から駅までの10分程度の時間、ジメジメした道を歩きながらこんなジメジメしたことを考えていた。高校まではまだ30分以上あった。雨は止んだが俺の気持ちは一向に止まない。

大体、俺の名前「桃太郎」だよ?まったく、何考えてるか分からないな。まだ、金太郎とかじゃなくて良かったとでも言っとくか?うるせぇマサカリ担がすぞ。こんな、夜にドン・キホーテを徘徊してるみたいなネーミングセンスしてるくせにどっちも公務員なのが腹が立つ。そんなやつらが年金多めにもらってんじゃねぇよ。君たちは憲法守っといてくれ、大人しく。蜃気楼みたいな霧の中を抜けやっと駅に着いた、いつもの電車より少し早いが足を止めることは無かった。足を止める理由が見つからなかった。やっぱり、厳しいところで育ったやつはどっかで、発散したくなるのだろうか。野球選手が薬物やってるのはそのせいか?にしても、息子の名前で発散するのはやめて欲しいな。まだ、ネタにしやすい名前だが、別に気に入ってはないぞ。まぁテキトーな名前決めて育てないカスより幾分マシだな。耳をツンツンと突き刺すブレーキ音と共に電車が到着した。なぜか人が多かった。知らない人と雑音に囲まれて、俺は不機嫌だった。誰かから伝染したわけでもないが、ガタンゴトンとなる電車に揺られ変なスイッチが入った。

よく、「親にもらった体」とか、「産んでくれた」とか言うけど、その言葉に俺はあまり納得いってない。だって、産んだの親じゃんっておもっちゃうんだよな。勝手にセックスして大して楽しくもない人生を送ることを強いられて。それでちゃんと育てないやつもいる。そんな理不尽なことあるか?確かに俺は恵まれた家庭で育ったし、親の愛も安定したお金もあった。でも、お金や愛もねぇやつが子供を産むなよ。親には子供に楽しい人生送ってもらう義務があるんじゃねぇのか?確かに親に甘やかしてもらうのが当たり前だと思ってるヤツらは好きじゃねぇよ。けど、少なくとも世間は甘やかしてくれねぇよ。「子供も産んだことねぇやつが言うな」とか「こっちにも事情があるんだ」とか言うけど、じゃあセックスすんな。動物なら理性のストッパーもないからやっちゃうのは仕方がないかもしれない。でもお前ら人間だろ。抑えろバカが。子供と不幸を産み落とすな。俺も桃から生まれたかったよ。そしたらこんなしがらみなかったのにな。最近見た虐待のニュースを思い出して、そんなことを考えていたら、泣いている子供におじさんが怒っていた。たぶん、親じゃないな。たしかにうるさくて迷惑だったが、おじさんが怒るほどでもないだろ。「社会の厳しさを教えてやったんだ」と言わんばかりのドヤ顔。気持ち悪りぃ、なんであんな小さい子に怒れるんだろ、しかも他人の子に。自分の子なら次やらないようとか親ならそのくらいしたほうがいいかなって思うけど。社会の厳しさなんて教えられるものじゃないだろ。思い知らされるものだろ。いつの日から全部は自分の思い通りにいかないことばっかで、そんな不条理を薄々感じた時、思い知らされるんだよ。一人の人間の無意味さや無力感を不意にどこかで味わされる。いいじゃないか小さい頃くらい自分の感情の赴くままに動いて。それは歳を取れば絶対できないのに。時間は不可逆なものなのに。みんな、泣きたいんだよ。そこにいるサラリーマンもOLも。でもみんな生きてきた中で世間体とか自分の尊厳とかそういうもので「我慢する」って技を覚えるんだ。何ちゃらの石なんてなくても恥じらいの意思でみんな光らなくても進化するんだよ。電車のアナウンスから高校の最寄駅の名前が聞こえた。あ、ついた。途端に周りの音は騒がしくなった。そういや、今日イヤホン忘れてたな。スマホ見てなかった。俺の耳には現実というノイズをキャンセルする機能があるのかな。耳ってより目を背けてるな。五感は全然ピントあってない。なんだったんだ、今の時間は。誰にも何も言われてないのに自分の嫌いな誰かに反論して、暴言を吐く、そういうことでしか自分を満たせなくなっていた。ストレスが溜まっていたと言うより、ストレスが貯まっていた。ストレスが仮想通貨になればおれは今頃ザギンでシースー、ドバイで豪遊だろうな。なにかのショックとかいう次元の話じゃなかった。俺をネガティヴにしているトラウマが脳裏から離れなかった。俺は俺自体がコンプレックスになっていた。駅を出ると晴天だった。だが、雨の匂いはずっとしていた。あれ?こんな道だったっけ?歩いて数分、中学校の校門が見えたと同時に脳内ではゴールテープも見えた。着くことがゴールだ。感情がオフサイドしてるな。犬みたいなやつらがやってる玉転がしのルールはよく分からないが、適当に言ってみた。犬でも手足使ってるぞ。いつもより、人がいない校舎を何も言わずに歩いた。久しぶりの中学校の校舎、懐かしい気持ちでいっぱいだった。懐かしいと言ってもたいした思い出もないが。誰もいない教室に到着。誰もいない教室、、、居心地はいい。数十分後には満員になると思えばおなかいっぱいだ。いつもは人が多いところに一人でいると謎の優越感が生まれる。何故か微笑みを抑えられなかった。テンションが低い時少しでも上がるとどっちの感情の自分も馬鹿らしくなる。「ああ、くっそ」と発した瞬間らガラガラと古い戸の擦り合う音がした。すると、もうすでにホームルームがはじまっていた。いつの間にみんな来てたんだろう。教室には中学の頃の副担任の谷が前に立っていた。谷と言えば、小太りの中年の教師。砂漠にある雑草みたいな髪型をしている。汗でコーティングされた額はワックスをかけた次の日の床のようにてかっている。女子贔屓を絵に書いたようにするスケベ教師だ。絵を描いて金もらってる美術の先生らしい行動だな。そして、ついたあだ名は「谷間」。今考えると中学生らしいあだ名のチョイスだなと思う。そんなことより、なんでこいつがいるんだ?ん?ちょっと待てよ。なんで中学にいる?その瞬間何も動いていないのに目の前の景色がガラッと変わった。まるで、席替えで自分だけが同じ席を引いたときみたいだった。ん?なんで俺は俺が見えてる?桃太郎の視点は教室のスピーカーあたりから教室全体を見つめられるところにあった。朝から谷の壊れたカセットテープみたいに同じことの繰り返す話を10分くらい聞かされている自分たちを見ていた。いつから自分が分離したのかを考えている。するとすぐに答えが出た。分離したときはこの違和感に気づいた瞬間だった。たしかに俺は高校に行ってるもんだと思っていた。てか、多分途中まで行っていた。つまり、これは俺の夢だ。もしくは記憶の中。理由はシンプル、さっきまでの思考や行動は絶対は一回やっていることだ。やけにデジャブ感が取り憑いていたのはそういうことだったのか。毎日おんなじようなしょうもない生活を送っているからだと思っていた。それがわかったところで本番はここからだ。なぜ、今ここに擬似タイムリープさせられている?夢は自分の記憶が作り出す物語だと言われているが俺は今なんの記憶でなんの物語を作り上げているのだろうか。ヒントは今までの思考にある。今日の共通点は、、、わかった。ずっとテンションが低い。バカみたいな答えだが、ずっとがキーワードになっている。なぜなら、俺は感情の起伏が激しい方なんだ。これは情緒不安定だと言われがちだが、逆に言えば落ち込んでもあがるのが早いという諸刃の剣メリットがある。そうか、わかったぞ。この夢は俺のトラウマが創り上げた「バットな1日」だ。今日1日に人生の嫌がパンパンに詰まってる、嫌なもの詰め合わせセットみたいな日。これまたきちぃ日に当たってしまった。この夢から今すぐにでも抜け出したい。だが、一向に視点は動かない。何もできない。なんなら自分の行動すら決めることができない。俺の人生の嫌プレー集鑑賞会がスタートだ。一つだけわかってるのが、その時の俺の気持ちがわかること。夢と気づいていないさっきまでの俺はいろんな日の俺の思考や行動とリンクしていた。だから、もう一回嫌な気持ちになることができるんだ。なんだこのゴミタイムトラベルもしくはトラウマ巡り?どっちでもいいや。とりあえず最悪だ。俺の最悪の記憶が作り出したもんだ。でも仕方ない、2度とない機会だ。とことん付き合ってやろう。そんなことを思っていると場所は変わり、中学の美術室にいた。桃太郎は自分を客観視していた。今の十倍、肌がプリプリなことに気が付かないようにしていた。なんの変哲もない美術の時間な気がしたが、ここがセレクトされたと言うことは何かあるんだろと思い、桃太郎は過去の自分の思考の中に入った。すっと、自分の神経に入り込む。頭から冷たい水をかけられたように頭皮がひんやりするのを感じた。

昔から絵を描くのが大嫌いだった。何かを写そうとして全く違うものが紙に出てくるのに憤りを感じていた。「自分には芸術の才能はない」と小さいながら思てっいた。デッサンも模写も絶望的なものだった。誰にも理解されない絵しか描けなかった。絵を描いて「これはなに?」と聞かれるのがものすごく嫌いだった。自分からすれば当たり前にわかるように描いているはずなのに周りから理解されないのが悔しかった。白一色の美しい紙が自分の色という名の落書きで汚されるのにものすごく嫌悪感があった。自分には無駄な想像力があったから空想のものを頭の中で生み出すのが大好きだった。でも頭の中は見せられないから外に出したかった。共有したかった。けどそれは文字や絵などのツールでしか表すことができなかった。自分が才能がないことを気づいてからはその頭の中と目の前の絵のギャップに目を背け続けていた。そして、いつからか世間一般の絵のうまさは「模写」のうまさだと感じるようになった。昔は写真もないから遠くで見た何かを絵で書くことで伝えていた。「絵」は伝えるということから始まったのではないかと言われている。今の時代どこの場所もどんな風景もネットを開ければ液晶越しに光の信号として眼に伝わってくる。たしかに、風景画はものすごくかっこ良い。みんな見てる世界が同じという勘違いをはっきりさせてくれるのがとても趣深い。「絵」は自分にしか見えない何かを伝えるものなのだと再確認させられた。言葉や数字では表しきれないものを表すものだと。そして、抽象画というものを知った。哲学で考えられているようなことを芸術面から伝える素晴らしい絵だと思った。同時にこれなら自分でもできるんじゃないのかと思った。「気持ちや思考などにモデルはない」からなにを描いても正解じゃないし不正解でもない。そう思った。そこで自分も何かを伝えるようなものを描きたかった。メッセージ性を孕んだなにかを。もうその時点から見たものをそのまま写せないというコンプレックスから逃げていた。よくよく考えたら見たものさえ写さない自分に自分の見えない"なにか"を投影できるはずもなかった。しかし、自分には「できる」と思っていた。俺の絵にはメッセージがあってそれを描いていると自分の中の正義を掲げた。少し絵が楽しいとおもった。それはそうだ、自分の見えてる世界の色を紙の中に書くことができた。でもそれは共有されるものではなかった。モデルがないものを共有するにはバックグラウンドがいることがわかっていなかった。絵の技巧はもちろんそれに絡む歴史すなわち知識が足りていなかった。自分が描いていた絵の意味がよくわからなくなっていた。自分の目という色眼鏡で見ていたから素晴らしいものに見えたが、それはただのオナニー芸術でしかなかった。こんなこと言ったら岡本太郎も芸術じゃなくすぐ俺を爆発しにくるだろう。自分には本当にセンスがないのだなと思った。子供のような稚拙な技術なのにも関わらず子供のような言葉にできない良さも全くない。周りの人から見たらただの「気持ちが悪い下手な絵」でしかなかったのだ。自分は芸術家ではないが、誰かに何かを伝えたいという気持ちは持っていた。だからこそ、自分の芸術のセンスのなさに失望した。何かのコンクールに落ちたわけでもないし、有名な画家に罵倒されたわけでもない。自分の絵を一番支持していた自分がもう愛せなくなっていた。それが一番ショックだ。誰にも理解できないものを作っていたのか。自分の心を激写したと思っていたが、どうやらできていなかったようだ。これが絵をもっと嫌いになる理由だった。俺は副教科さえもやりたくなくなってい。芸術ってのは生き方なんだ。一人一人の信条や思想、アイデンティティの筋を表現しているからかっこよく見える。でも、俺にはなにもない。こんな絵じゃ伝わらない。こんなやつじゃ誰もわかってくれないんだ。自分の絵の良さなんてない。だけど、気持ちを込めて絵を描いたのは間違いないはず。この美術の時間もそうだ。ここで週一回絵を描いているのだが最近はテーマや気持ちを込めた絵を描きたいなと思い始めた。それまでは座学以外の暇つぶしとして授業を受けていたが「絵を描く」ことにも興味が湧いていた。人生で初めて「こういう絵描きたいな」とおもった。でも、前書いた自分の中の最高の絵は誰にも理解されなかった。理解されないどころか「てめぇみたいな、なんの技術も知識もない凡人が思いを描いたとしても誰にも伝わらねぇし、そんな絵には全くの価値がないだろ?」的な感じのことを濁して美術の先生に言われた。ごもっともだ。これをこのまま言われたのではなく、全ての話を聞いた上で私にはこう聞こえた。たしかに、凡人が自分しかわからない絵を描いて「深いな」と言っていたら相当不快な感じだろう。理解した上でショックを受けた。俺の信じていた芸術はなんだったんだろう。俺が見ていた天才と俺の間にはなんの違いがあるのだろう。俺だって一人の人間でそういう意味では一人の表現者だと思っていた。だが、俺の絵にはなにも感じるものはなかったようだ。表現=芸術だとしたら俺は学校の評定通り2だ。俺はその現実に抗っていたのかもしれない。模写ができない比較のない世界に逃げたつもりでいた。自分の土俵のつもりで相撲を取っていた。そこはとんだお門違いだった。相撲で言ったらお部屋違いだろう。そのことに今日気づいた。「気づく」って最低だ。なにも知りたくなかった。自分は天才だと自惚れるゆるゆるのおつむでありたかった。自分が芸術家だと思って絵を描くのがどれだけ楽しいだろうか。自分が歌手だと思って歌う歌がどれだけ気持ちいものだろうか。自分しかできないと思い込んでマウントを取ることがどれだけ優越感があるのだろうか。「知らぬが仏」全くその通りだ。誰かが「知らないことは恐怖」だと言っていた。例えば、火事になった時に一番死ぬ理由は一酸化中毒だ。それを知らない人はそれを対策できないから死ぬ。それを知っている人は口を手で覆い、煙の溜まらない下に潜る。それで死を防ぐ。これが「知らないは恐怖」という詭弁だ。僕は真っ向からこの意見に反対だ。そんなわけないだろう。人間の1番の恐怖は死ぬことじゃないだろう。長く生きることだろう。生きている限り辛いや恐いはつきまとうものだ。つまり、生きていることこそが恐怖だろ。生きてるということは何かしらを知り続けるっていう行為なんだ。そして「知ることも恐怖」だ。他の動物の命を奪って食っているとわかった飯は美味いか?この仮初の平和も誰かの屍の上で成り立っていると知って楽しいか?どんどん、衰退している国にいて心から笑えるか?こんな悲劇ぶってる俺より何千倍も苦労してる人がいるって考えて生きてる意味を見出せるか?深く考えることに意味なんてない。答えなんてどこにもないのに。この世の中知りたくないことばかりだ。俺もなにも知らないばかそのものだ。だが、自分に才能がないと知ってしまったのだ。「なにを根拠に言っているんだ」「努力してないだけだろ」とか言われそうだが、うるせぇよ。世の中クソ平等じゃないんだよ。それを薄々気づいた頃から平等を掲げるんだよ。「天才」なんて、そこらそこらにいねぇよ。そんなにたくさんいたらただの普通の人なんだよ。自分らはすごいと言い聞かせて、他人の凄さを認めたくないようにしか見えない。わざと馬鹿なふりをして自分の人生を肯定しているようにしか見えない。それぞれにしかできないことがあるとか言って、自分にできることなんて誰にでもできることばっかりなのに。この絵だってそうだよ。自分には才能がないと主張しながら心の隅っこでは「まだ俺の中の天才がのこっいるのではないか、自分はまだ特別な人なのではないか」と思っている。そんなわけねーのに。ばかすぎる。でもまだ俺は自分のこと天才だと思っている。わからないことばっかだ。芸術なんかより俺ってなんだ?何も見つからない。あまりにもネガティヴが止まらないので一回思考からでた。ふっと、脳から浮き上がるように。ふん、相当考え込んでるな。過去の自分。なんでこんなに落ち込んでいるのだろう。まったく覚えてなくてあくまでも推測だが、俺はすごい才能を持った人を見ると凹む習性が昔からある。これはなんの才能にも恵まれなかった人間の性なんだと思う。多分俺は自分が思っているより自分のことを下に見ていて、その劣等感から生まれてくるネガティヴマインドだと薄々気づいていた。たしかに、なんの実績もない自分よりも何かの才があるものの意見を通してしまうのは今もそうだからわかる。この時も美術の先生に少しひどいことを言われたのがきっかけのバット時期だと思う。いや、ちがうな。そんなしょぼいきっかけじゃなく自分の無力を知った時全ての負の感情が全て、流れ込んできてるんだ。いいと思っていたものが悪くなったらもう後戻りはできない、もうお気に入りの絵をお気に入りに戻せなくなった虚しさが耐えられなかったのだろう。たしかにひどい絵だっ、、ん?え、ちょっと待って。あれ、俺が書いたのか?めっちゃめっちゃいい絵じゃないか。天才じゃん。天賦の才略して天才だよ。これこそが本当の自画自賛だな。たしかに、絵の技術は稚拙では収まらないものだった。だが、形はとらえていた。その絵にはでっかく国会議事堂のようなものが描かれていて、その下に人のようなものが支柱のように突き刺さっていた。その人に中には軍人のような人やガリ勉のような見た目の人もいた。全員がヨレヨレの天冠(幽霊がつけている白い被り物※たぶん、ドンキで売っているやつ。)をつけていた。タイトルは「死がバネ」。覚えてないけどたぶん、人というのは死には逆らえないもので、終わりはどんどん近づいていっている。しかし、終わったからといってその生命が無かったことになったのではなく、確実に国や人類のバネになっているというメッセージだと俺は思う。てか、俺が書いたのだから多分そういうことだ。そしてタイトルは「死がバネ」。これはたぶん、屍とかけられているはず。素晴らしいじゃないか。死という救いようのない絶望がテーマなのに希望を彷彿とさせるこの幼稚園児みたいなタッチ、そして本当のメッセージには死の可能性や意味が込められているではないか。俺の絵、捨てたもんじゃないな。この絵は今の俺のとこにないから絶対捨ててるけど。え、待ってそういうことか。この時俺は芸術は伝えるものだと定義してるが、それは少し違う。「誰か」に伝えるものなんだ。それが一人だろうと100万人だろうと。俺はそれがわかっていなかった。いや、わかるはずもなかった。勝手に伝えると言う行為を大勢の他人にするものだと思いこんでいたのだ。でも、結果他人には全く持って伝わっていなかった。その時点で俺の芸術は破綻しているものだと思っていた。しかし、今の俺には確実に伝わった。これでいいじゃないか。どんな偉い美術家や、どんな怖い美術の先生じゃなく数年ぶりの俺に伝わった。それだけでこの絵を描いた意味があったなと心酔した。これじゃ、ナルシストだな。さすがにこの絵を描いた俺はかっこよすぎて俺に二日酔いコースだな。もしかして、これはキッザニアくらいかけがえのない時間なのかもしれない。あの時の情熱を思い出せ。昔の絵を見て少し高揚しやる気が出た途端、辺りはガラッと変わり薄暗い部屋に座っていた。違う、ここは部屋じゃない劇場だ。まだ開演してないんだ。ステージの照明は本気を出しておらず、劇場内は無駄に小洒落たBARのように薄暗かった。何を観劇するのだろう?横には母親と叔母さんがいた。なるほど、これはいとこの劇だ。いとこの陸は家も近く、一個下の優しい子で兄弟のいない俺は弟のように可愛がっていた。こいつは容姿端麗でいわゆる美少年ってやつだ。父親がヨーロッパ系の人なのでおめめぱっちり、鼻筋が通っていて、とてもかっこいい。毎年2月14日こいつに送られる大量のチョコを食うのを手伝っていた。ある日、街を歩いていたら、芸能関係の人からスカウトされてそこから演技の世界に入ったらしい。今は、イケメン高校生俳優としてドラマに引っ張りだこだ。最初は小さな劇場で演技を始めていた。たぶん、今日はいとこの初めての舞台を見に行った日だ。まぁ状況が掴めないから、入るか。すっと、全身に冷や水をかけられたような感覚に陥った。

あー、来るんじゃなかった。陸の来て欲しいオーラに負けてきてしまったのだが今とても後悔している。理由は明白だ。こののしかかって来る劣等感だよ。なんなんだよ。俺とこいつ何が違ったんだよ。こいつとは生まれ持った才能が違いすぎて、嫉妬すらする余地すらない。俺もこんな顔に生まれてくれば、こんな塞ぎ込んで捻くれた性格じゃなくて済んだのに。性格もやっぱり生まれつきだ。いや、性格は生まれつきじゃない。周りの対応だよ。イケメンに対しては優しいし、持て囃すから人に優しくできるし自分に圧倒的な自信が出て来る。俺みたいに誰からも見向きもされない、もしくは誰かに近づこうとしたら避けられる人種は心もやさぐれて、どんどん不幸になって行く。イケメンは性格が悪い?いいや、ブスの方が悪いね。だって現に俺は性格最悪で陸は優しい。遺伝子レベルで俺とあいつは違う。親戚なのに。笑えるだろ?目は全く笑ってないけどな。目のサイズも全然違うしな。ここに全てが詰まってる。周りから応援されたものとそうでないもの違いが。やっぱり最初から決まりきってるレースなんだ。スタートダッシュの時点で同じラインに立っていないんだ。そんな不平等でも、そのレースををずっと走り出されてる。俺は絶対子供なんかいらない。こんな顔で生まれてきたら子供に恨まれる。イケメンはずっといいサイクルで人生が回っていく。俺らは一生悪循環だ。ブスは頑張って存在価値を持たせるために努力するが、結局はブスだ。どこまでいってもモテるのは顔の整ってる人なんだよ。人は見た目で判断される。当たり前だ。視力が人間の判断の7割を占めてる。つまり、7割以上は絶対に見た目重視の考え方をしてるはずだ。ブスは環境に悪いんだよ。再現不可能エネルギーだ。俺には何もない。変えようのない事実をわざわざ金払って見にきてしまった。まぁ金払ってるのは諸悪の根源の親だがな。さっきからなんの演技も頭に入ってこない。結局自分は「見る側」。消費するだけの人生なんだ。超スーパーエリートをスゲェっ言って眺めてるあほ面の一人だ。ただのあほ面じゃない、あほブス面だ。あーああ、昔はそのエリートになれると思っていたんだけどなぁ、今はどうだ。昔の俺に顔向けできない。向けても歪な顔だしな。中身がどうこうそんなのどーだっていい。文字通り顔負けしてる。惨敗だ、僅差じゃない。平等じゃない、結局は遺伝子だ。まぁこいつの場合共通遺伝子はあるはずなんだがな。努力は報われる、確かにそうかもしれないな。だが、才能がある奴が良いタイミングで努力した時、ようやく結果に結ばれるんだ。もしくは結果につながった行為だけを努力と呼んでいるだけだ。まぁ、そうだよな。ざっくり言うと努力は報われてる。努力したくない言い訳じゃない、音痴が一生懸命ボイトレしても歌手には敵わないって話をしているんだ。0に何かけても0だ。俺は何も筋が通ってない。芯なしふにゃふにゃ人間だ。おまけに鼻筋も通ってない。品なしぶさぶさ人間でもある。目もちっちゃければ視野も狭い。俺はバカでも天才でもない。あいつらは紙一重、俺は目が一重。つまんねぇよ。俺は造形の悪い有象無象。俺には何も誇れるものはなくて、それを全て俺のせいにされるのが嫌でこんなにも必死に言い逃れてる。それはわかってる。だが、神は一物しか与えない。そんな訳ないだろ。じゃあ、俺に何をくれた?なんだ?このジメジメした後ろ向きの考え方か?わーお、そりゃ素晴らしいギフトだ。感謝するよ。俺は神とデオキシリボ核酸を本気で恨んでる。それにしか八つ当たりできない。だいたい、人は見た目より中身とかおっしゃる方の中身は薄っぺらいんだよ。見た目だよ、絶対に。人間の感覚の7割は視覚だぜ?人の中身が見てわかるか?結局人はなにかを見分ける時目を頼ってる。ルッキズムなんて言葉はばかばかしい。どーせ、人に容姿をとやかく言われない人種が俺らみたいなやつをかわいそうに思ってできたエゴたっぷりの主義だよな。見た目を気にするなんて当たり前だ。見た目じゃないんだったら1ヶ月に一回美容院に行くんだ?見た目じゃないのでは?優劣がつくのは仕方ない。俺が劣っていたんだ。たまたま。さらに悲しいのが自分も人を見る時は審査員側なんだ。つまり、ビジュアルがいい人に惹かれるってことだよ。悔しいんだ。自分はそんな評価されないことわかっているし、そんなことで人を決めてほしくないと思ってるいるのに無意識下で美しいものに心奪われてる。胸糞悪りぃよ。この逆転不可能の勝負を一生続ければいいのか。終わりもゲーム性もない。はぁ、こんなビジュアルで女子からも自信ももてるはずないだろ?いや、俺は親に怒ってる訳じゃねぇ。この不条理に怒ってる。せめて俺にも特徴をくれってな。普通なことが異常?どうもありがとう。そのノーマルな励ましで喜びたいよ。だが、感受性だけはひん曲がったアブノーマルらしい。心臓に負のオーラを溜めた血液がドロドロ流れているような感覚に陥る。呼吸が浅くなり、涙腺が緩くなる。目に薄い水の膜を作って俺は劇を見ている。内容は喜劇なのに俺にとっちゃとんだ惨劇だ。アイデンティティを確立してないやつの心の脆さが顕著に出てる。これだから俺は俺が嫌いなんだ。あー、鏡があるからいけねぇんだ。こんなもんで現実を見てるから辛くてしんどいだけなんだ。だめだ、今の俺には現実から目を背ける秘密道具が必要にちがいない。さっきのドロドロの負の感情が体の中を巡回しているのを感じる。ため息で換気しないと、自己嫌悪で窒息死してしまう。俺がブサイクなのか、こいつらがイケてるのか、その分かりきった質問の答えを分からないようにしていた。どっちしろ俺は大負けだ。あーむかつく、はぁ、死にたい。怒りと希死念慮を無限に反復横跳びしている気分だった。あいつらは何も悪くないなら怒りきれない。だって俺が不幸だっただけ。あいつらがツいてたんだ。まったく理不尽で涙が止まらない。その涙で濡れたハンカチ噛みちぎるくらい嫉妬してるのは俺。どっちが哀れで滑稽か見なくてもわかる。顔を見たらもっと惨めさの差が出る。顔一つで自分の意見を新幹線の椅子くらい変えてしまう浅ましさに嫌気がさす。こだまでしょうか?いいえ、俺じゃないよ。だって俺は人生ミニマリストだ。なにもねぇ。何もねぇことだけが特徴。うるせぇよ、しょうもねぇずっと分かってたんだ。見えないふりをしてた。厳密に言うと見えない気がしたんだ。長くなった前髪みたいに走ってる時や何かに集中してる時は見えないが、ふと止まった時に現れる。心にずっと存在していた気持ちなんだ。それを見てるだけ。何が見た目で判断しないだよ。お前らがジャッチしまくってるせいで俺は生き地獄宣告だよ。三権分立もクソもない。イケメンの一強じゃないか。なんなんだよ、俺はまじでなんなんだ。ふぅー、抑えろ。こんなこと考えたって何も変わらない。はっ、いやぁ〜我ながら陰気臭い頭の中だったぜ、まったく。あまりにもジメジメした空気だったので過去の自分の脳から離れた。鏡という文明の利器を恨み、秘密道具というありもしない文明の発展に頼る。なんとも信念のない男だな、俺は。まず、鏡は現実を見るもんじゃないでしょ。現状を見るもんだよ。俺は顔っていうものを不変的なものだと決めつけているけど変えようとしてないだけで別に変わるだろ。そこを現実として勝手に固めてるのは変化することを恐れて、逃げてるようにしか思えない。もしくは、自分の努力のなさを棚に数段上げて怠惰な自分を正当化してるだけだ。たしかに、元々素材がいい人が勝つのは決まりきってることなんだ。そりゃ顔の勝負でな。でも、全て顔で成り上がった人なんていないし、何か成し遂げている人は不細工が理由でそれらを諦めたりなんかしない。少なくともあんなマイナスな考えじゃなにかを成し遂げるどころか何もできないだろ。俺はいつの間にかブサイクっていうのをなにかをしない言い訳に使っていたのかもしれない。イケメンが恵まれている不条理に甘んじて自分の発展性の無さをスルーしていたんだ。一番顔で見てるのは俺だったんだ。人生顔だけじゃないのは薄々分かりながら見えていないふりをしていたんだ。自分の人生うまくいかないのを顔のせいにして、顔に恵まれたやつに八つ当たりしてただけなんだ。全く周りが見えていない。てか、見ていなかったんだ。見ていない?そうだ、そもそもこれは劇を見にきているんだ。陸の活躍見てやれよ。それにも目を背けていた。それまで下に向けていた視点をステージでスポットライトを当てられている陸に合わせた。ん?陸こんな棒読みだったっけ?前、母親に無理やり見せられた陸のドラマの時こんなぎこちなくなかったぞ。いや、そりゃそうだ。当たり前だろ。今回は初めての舞台、前見たのはもうベテランの陸だ。経験値が違いすぎる。当たり前っちゃ当たり前なんだが、ズブの素人の俺が見ても圧倒的に演技のスキルがあがってる。でも、そんなこと誰かに言われてたか?親にも、ヤフーのコメントにもそんなこと書いてなかったぞ。「ビジュよすぎ」とか、「顔面国宝」とかはよく書かれているが…その時、暗く澱んだ空間に一筋の風穴が空いたような気がした。今までモヤモヤモクモクを全部かき消すような。そうか、陸はイケメンだ、間違いなく。そうなんだ、イケメンはどこまで行ってもイケメンでその枠から飛び出すことはない。だから、俺らはこいつの努力が全く見えてなかった。こいつが人前に出るのが苦手だったのも忘れてた。記憶力も大して良くなかったし、緊張しいで顔も声も震えてるのを何度も見たことある。こいつが演技にかけてる情熱や勇気に誰も気づいてなかった、いや気づけなかった。なぜならこいつの顔という才能が光り輝いていたからだ。デメリットと呼ぶのも相応しく無い。可愛いから痴漢に遭いやすいとかそういう類のものではないんだ。シンプルにこいつらも顔に縛られてるのに変わりはない。そういうことだったんだ。確かに優劣だけで見たら上の方かもしれないけど、それはルッキズムの考え方から逸脱している訳じゃなかった。ただ、プラスに作用してる部分が大きく見られていただけなんだ。俺は不条理や不平等だと勝手に思っていた。美形の人は無敵だって。治外法権だって。でも違った、あくまで見られているのは変わらないし同じ土俵なんだ。評価が高いだけで評価されてるんだ。陸は頑張っているんだ。自分の苦手なことをしてまでも、自分の才能を活かそうと。才能がある奴が頑張っているのをみんな気に入らない、どん底から上がらないとドラマとして成り立たないからだ。俺みたいななんの才もないただ捻くれただけの人間からはちゃんとした評価は下されないんだ。俺が少数派でもなかったんだ。やっぱり、人間は見た目が大事な生き物なのだ。それにイケメンもブスも関係ない。結局は同じ枠で生きてきてるんだ。仕方ない、配られたカードで勝負するだけだ。どんなことしても元あったカードは変わらない。それを受け入れることしか俺らにはできないだろ。舞台が終わり、観客席に明かりが戻った。ステージは暗くなり、閉劇だ。俺のネガティヴで全然見られてなかったな。いや、まだ直視できてないんだ。すまんな、陸。光り輝く才能を持ったお前に嫉妬してたんだ。お前のことを避けてきたが、今度出てるドラマ一本くらい見よう。脳にはスッキリした空気が流れ、リラックスしていた。自分の中のモヤモヤを換気するために深呼吸を繰り返していた。そんな、心地よいチルタイムに浸っているとまた場面が変わった。あー、これストレス溜まるな。いや、溜まってたんだ。どこだ、ここ?桃太郎は乱雑に積まれた教科書類が大量にある謎の部屋に座っていた。わかった、ここは生徒指導室だ。嫌な予感がした瞬間、生活指導の体育教師古谷が部屋に入ってきた。あーもうわかった、場所だけじゃない状況もだ。古谷は担が絡んだ咳をしながら、剣幕な顔で俺の前に座った。ここからは予想通り説教の始まりだ。怒られている内容は学年集会で「最近気が緩んでいる」と言う内容のお小言タイムに盛大に鼻くそほじりながら聞いていたという文字通りクソしょうもないことだった。学年全員の前で大きく名前を呼ばれ帰りに呼び出されて今に至るって感じだな。まぁいいや、思考ダイブのお時間だ。すっと過去の頭に入った。

あーだるい、ただひたすらだるい。なんだよ、気が緩んでるって。知るかよ、だいたい主語がデカすぎるんだよ。校則破ってるやつとか、近所で迷惑かけてるやつとか、俺に全く関係のないやつを例えに出して怒られても全く持って響かないし、時間の無駄なんだよな。主語がでかくなればなるほど言いたいことの妥当性は低くなる、こんなん小学生でもわかるだろ。なんで中学生の俺に本気で怒ってんだよ。はぁ、うるせぇ

よくこんなデケェ声を維持しながらどーでもいいことを永遠と話し続けられるな。もう話の内容とかどーでもいいだろ、お互い。俺は怒られるの大っ嫌いなんだよ。指摘を超えた私的な感情でただデカい声を張っているようにしか聞こえない。ストレス発散の一部に俺を使うなよ。意味わからないことを言ってる自覚がないのだろうか、わかっていてももう引き下がることができないのかな?まぁどっちでもいいから早めに話の着地点を見つけてくれ。そして上陸して家に帰ろう。帰って何かあるわけじゃないけど家に帰りたい。最近は家にいる時でさえ家に帰りたい。俺にとって家ってなんなんだろうな。深く考える必要のないことを考えさすな。おもしろくない、あー暇だ。ずっとこうだ。なにもやることのない日曜くらい憂鬱だよ。生産性のせの字もない。ただ寝転がってるだけの時間のほうが今よりはまだマシだな。おっと、ボケっとしてたらまた追加で怒られた。忘れてた俺に対しての説教だったな。反省してる風顔でも作っておこう。こんな綺麗に右から左に流れる言葉もそうないな。脳にも心にも全く引っかからない薄っぺらい言葉ばっかりだ。まるでよくわからんエロい女が踊っているアプリで流行っている曲の歌詞みたいだ。こいつも踊りながら怒ればいいのに。だいたい、体育教師に説教なんかむりだろ、国語の教師とかにさせろよ。体動かしときゃいいんだ、こいつらは。俺の嫌いな職業ランキング2位なんだよ。1位は占い師だが、その話をしたら長くなるからやめよう。あーくだらねぇ、こいつも俺も。社会に出たこともない大人と社会のしの字も知らない子供の話し合いになんの意味がある?話し合いでもないし。あーいっそのことアベマで配信でもしてくれ。ひろゆきの話よりマジだろ、いや絶対そんなことないか。もう、いいよ俺を責めなくて。俺が1番俺のこと責めてる。お前みたいな俺にわかが俺についてアンチしてもなにも変わらねぇんだよ。俺には俺の1番のアンチが心の中にいるんでな。はぁ、俺みたいなやつこいつが教師でもなんでもなかったらボコボコにされてるんだろうな。なんなら、時代が違えばメタメタにやられてるだろうな。よかったよ、平和な時代に生まれて。まぁ俺みたいなやつ平和じゃないと生まれないよな。こんなしょうもない根性のやつ。気が緩んでいるとかそんな次元の問題じゃないんだよ。俺はもっと正さなきゃならない欠陥だらけだ。それを見抜いてこいつ俺に怒ってる?いや、そんな審美眼あるわけねぇか。こんな、ぐちぐち考えながら出てる言葉は「すみません」only。情けねぇよ。動物的本能だよ。まぁ言い返せるわけもないか。こんな大人が俺みたいなやつと話し合えるわけない。もう消化試合だ。話し合いできない相手との話し合いほど地獄の時間はない。相槌と反省の顔だけがこの場所に持ち込みOKなのだ。あー俺の成績の悪さなんて今関係ないだろ。わかってるよ、勉強できないことなんて。来週テストか。あんなの自分の努力と実力が不足していることを数値化するだけだ。いろんな角度から俺が無能だと訴えかけてくる。もうわかったんだよ。朝起こしてくる母親くらいしつこいな。少ないだけなんだ、みんなに配られた才能の宝箱の容量が。それだけなのに。わかってくれ、金でも同情でもなく理解をくれ。だいたい、なぜそんなに人に怒れる。怒るっていう感情が1番子供っぽいだろ。なぜそれを大人を教えるあんたが1番してるんだ?たぶん、こいつがハウツー本を出したらストレス解消法の欄に生徒を怒鳴るとかあるんだろうな。理不尽の履修登録なんかしてねぇよ。勝手に講義を始めないでくれ。あー、毎日毎日自己嫌悪キャンペーンでもやってるのか?日に日に自分を嫌いになっていく一方だ。頭の中の饒舌さが俺の現実世界の臆病さに比例してる。そんなことわかってるんだ。死にたいと思っていることさえ死んでいない現実のギャップに苛まれる。ネガティヴをさらに昇華させるネガティヴマジシャンだな俺は。マイナスかけるマイナスはプラスじゃないのか?俺は命も賭けられない勇気の欠けたやつだ。ふっ、そこで意識は外に出した。あー自暴自棄すぎて自分を追い込む言葉遊びをはじめちゃったよ。2つの2ちゃんねるから教えられた教養をふんだんにつかってる。コピペはしてないけどな。なんだ、もう1時間も怒られてるじゃん。長いなー、この怒りタイムで時給なんぼなのだろか。逆算すれば求められそうだが、やめておこう。こんな必死に怒ってたのしいか?古谷先生、ってえ?こいつめっちゃ鼻毛出てるな。しかも金色パーマだ。ぶっははは、鼻毛ローランドじゃん。え?もしかして俺鼻毛ローランドに1時間説教されてる?情けねー、おもしろすぎだろ。なんだ、こいつの言葉何も響いてこねぇよ。元々なんの響きもないけどさ。元々なんの意味もない時間が鼻毛を見る会だったなんて。桜よりよっぽど価値あるぞ。なんで俺はあの時それに気づかなかったんだ。いや、今記憶の中でわかったってことは気づいてたんだ。じゃあ、なぜ笑わない?そっか、タイミングだ。当たり前だけど今の俺はここの俺じゃない。精神状態も全然違うしなんなら年も違う。全く違う時間帯に見てるんだ。受け取り方も変わってくるに決まってる。前初めて見た映画をもう一回見た時の微妙なズレと同じだ。全く同じものなはずなのに、こっちのタイミングで少し見方は変わってくる。そういうことだったのかこの夢は。たしかに、俺は勝手にトラウマ巡りなどと命名していたが、全然違うな。自分を俯瞰的にみて考え方をシフトする崇高な時間だったんだ。ずっと俺はイヤなことを掘り返さないように無意識に魔封波していたんだ。そんなことせず卵みたいに吐き出してみたら新しく見えることもある。この夢は俺の防衛本能だ。人生と言うつまらなかったゲームの詰みを回避させてくれるための救済処置だったのだ。俺をジレンマに追い込んだ俺が俺を助ける夢を作成してそれにまんまと助けられた俺。自作自演もいいところだ。全キャスト全脚本俺じゃないか。でもそれが大事なんだ。俺なんだ結局はよ。薄いかもしれねぇがこれがけつの青いガキの結論だよ。やばい、俺は俺のこ…

突然、桃太郎はそこから引きちぎられるような感覚に陥った。

うわっ!!なんだ朝か。おっさんのため息が溜まったような雲が漂う朝だった。時計は6時42分を指していた。俺は急いでカーテンを開けた。そういや、俺曇り空が1番好きだったんだ。携帯など持たずに母に挨拶した。「いつぶりやろね、あんたから挨拶したの」と言われた。朝ごはんが出てきた。俺の好きなカボチャの煮付けだった。美味しそうに食べてると母は「あんたそれ好きだったの?」と聞かれた。俺は静かに頷いた。そうだ、俺もこの人も俺のことなんも知らないんだな。親は完璧な存在なんかじゃないなんて当たり前すぎるんだ。親はなんの理解者でもない。ただの同居人。ちょっと前に一体化していた他人の女性だ。俺のことなんて知る由もないんだ。それが当たり前ってことに気づけてなかった。でも、これだけは確実に言える。親に感謝するのがいい人生だと。生まれてきて良かった、産んでくれてありがとう。これが言えるってことはすなわち人生がうまくいってるってことだ。どんだけ、好きで生まれたわけじゃないとか捻くれてもこの原則だけは揺るがない。たしかに、生まれてきたくて生まれてきたんじゃない。でも、そんなの全員だ。その中でもうまくいって幸せそうな奴らがいる。俺がそっち側に立てないなんて誰も断言できないだろうが。どんだけ死にたい死にたい嘆いても、死にたくないって思える人生のほうが素晴らしいに決まってる。諦めるのが簡単な行為?なめるなよ、じゃあ、お前今生きるの諦めてみろ。諦めねぇのが美学、そーやって肩肘張ってろ。お前らは諦めたくないんじゃねぇよ、諦められないんだよ。諦めるのが一番難しいんだ。言い訳を探すのが容易だと思ってるやつは人生で本気の言い訳をしてこなかったんだ。俺はお前らとは違うが、諦めれねぇよ。それは諦めがダサいとかじゃない、一番辛い道だと思うからだ。死ぬのは一瞬、でもどう頑張っても俺らの生存本能はひっくり返せない。生きることに消極的なやつはいても死ぬのに積極的なやつなんていない。どんなに自殺した奴も死ぬ前はタナトフォビアに襲われている。俺は死ぬほど意気地なしだ。もう生きるしかないんだ。わかってないなんてレベルじゃなかったよ。まだまだ焼却炉から出たあつあつ状態だ俺は。はぁ、岡山桃太郎ってほんとめんどくさい!!「楽しくなってきたんじゃないかぁー」小声で叫び、玄関のドアを開けた。ドア開けた瞬間、運動後にするマスクのように息苦しい空気が運ばれてきた。

俺は不満と二酸化炭素が溜まっていた。おれはイライラしていた。伝染ではなく自発のもので。

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