第64話

「よし、出かけるか」


 いつも唐突。立ち上がり、パジャマを脱ぎ捨てながらニコルはクローゼットから適当に、服を引っ張り出して着替える。数秒で完了。


 もはや見慣れたことで、いちいちブランシュは反応はしない。平坦な感情で返す。


「どこに行くんですか? 何時ごろ帰ってきます?」


 今日の食事当番はブランシュ。時間や何にするかなど、先に聞いておきたい。基本、なんでも食べる人だが、一応当番なので。


 しかし、ニコルはブランシュの眼前まで迫り、じっと見つめる。


「あんたも行くの。早く支度して。人も多いだろうから、あんま荷物持たない方がいいかもね」


「?」


 よく事態が飲み込めず、ブランシュは首を傾げる。私も? 荷物? 人が多い?


 明らかに把握していない表情の姉に対して、妹はため息をついて質問を投げかけた。


「今日は何月何日?」


「今日は……一一月一日、ですけど」


 万聖節当日。フランス中でお墓参りをする日。偉人だったりご先祖だったりのお墓に、カラフルな菊の花を贈る日。別名『トゥーサン』。なぜかよく天気が悪いことでも知られる日。今日は晴天なり。


「ならパリで一番混むところはどこ?」


 少しずつヒントを与えて答えに迫らせるニコル。顔もさらに迫る。


 後退りながら、ブランシュは顔を顰める。質問よりも距離感が気になる。


「いや、まだパリに住んで数ヶ月、なんですけど……」


 故郷のグレースから出てきて二、三ヶ月。パリの二〇区のうち、ほとんど出かけたこともない。外は怖いし、人混みは避けて生きてきた。そんなブランシュにパリの、人が集まるオススメスポットなどわかるはずもない。「こ、公園……?」と反応するのが精一杯。


 貧相な答えに、頭を抱えてニコルは落胆した。


「これだから田舎者は……ペール・ラシェーズ墓地。偉人達が眠る墓よ。作家のユイスマンスも『孤独を求める芸術家が、探し求めていた隠れ蓑』って言ったあの。ショパンの墓もあるし、願掛けでもしながら、気晴らしよ」


 つまり。散歩に誘っていると。なるほど、とブランシュは理解した。だが間違いがひとつ。


「ショパンはピアニストですけど……」


 自身はヴァイオリニスト。ショパンの曲のヴァイオリン版は、イザイなどが編曲して存在するが、基本的に彼はピアノ曲。あまり関わりはない。


 しかし、ニコルにはなんでもいい。ヴァイオリンもピアノも、オーボエもギターも一緒。音が鳴るなら、アフリカあたりの民族が使っていそうな、収穫祭などで演奏するであろう楽器も全部一緒。


「はいはい」


 だが、ペール・ラシェーズと聞いて、ブランシュは考え込む。グレースにいた時も、聞いたことがある。それこそパリ市内にある巨大な墓地として、世界的に有名だ。


「たしか、ジョルジュ・エネスコの墓もあるんでしたっけ。一度行ってみたかったです、はい」


「誰それ?」


 興味なさそうにニコルは問う。提案したにも関わらず、知っている名前以外には頓着がない。エネスコ?


 偉大な先人。少し興奮してきたブランシュは、早口に捲し立てる。


「ルーマニアのヴァイオリニストであり、ピアニストでもある方です。珍しい、ヴィオラの曲も書いてるんですよ。二〇世紀の三大ヴァイオリニストといえば、彼とクライスラーとティボーという——」


 「オッケー、オッケー」と、止まらなそうなブランシュの両肩を掴み、ニコルは制する。ひとりも知らん。


「ふーん、まぁ誰でもいいけど、ついでにショコラトリーの冬の新作も見に行きたいからね。出かけるしか」


 と、本来の目的をこぼす。ニヤッと悪い笑みを見せる。


 はぁ、と深くブランシュは息を吐いた。一瞬でも私のため、とか思ったのは間違いでした。まぁ、そういう方ですし、と達観している。


「そっちが目的じゃないですか……ていうか洗濯物……」


 あと一時間以上はまわっていることだろう。でも嬉しい。言葉ではこうだけど、ニコルが自分を思って誘ってくれたこと。塞ぎがちな自分の殻を破ってくれること。ブランシュも着替えを済ませ、先に出たニコルの後を追う前に、部屋を一度指差し確認。今日はヴァイオリンは置いていく。


「孤独を求める芸術家か……」


 求めているわけではないが、気持ちはわかる。孤独、そして孤高を目指すのは芸術家の性なのだろう。そう言った意味では、やはり私は芸術家になれない。みんなで作り上げる作品の方が好きだから。


「……あれ、でも、孤独?」


 F.A.E。フライ、アバー、アインザム。自由、しかし孤独。孤独。孤独を求める芸術家。


 「うん?」と、ブランシュは不思議に思う。なにか引っかかる。


「私、ニコルさんに意味と曲名、教えましたっけ?」

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