街に林立する多くのビルはその窓ガラスを失い、所々からすり切れたカーテンやらブラインドやらが顔を覗かせ、吹く風に弄ばれて揺れている。しかしこの建物に関しては、窓の少なさが幸いしてか、そのような廃墟感を醸し出すことも無く、かつてと変わらぬ姿を留めているのであった。唯一、350年の時の流れを感じさせるものと言えば、外壁を伝って上へ上へと伸びたつる植物が、人体表面に浮き出た血管のように走っていることと、その色褪せた外壁材の色合いだろうか。

 その玄関前に立ったカナリーの姿をセンサーが感知したのか ──それとも誰かが開けたのか?── 正面中央に据えられたドアが勝手に開いた。

 廃墟と化したビルに入って行くカナリー。かつての情報化社会を下支えしていたサーバー類やネットワーク関連施設が保存されていた建物だ。建屋内部に滞留する空気が幾分ひんやりとしているように感じられるのは、いまだに空調が機能しているのか、それとも滅び去った文明の亡霊が色濃く巣くっているからなのか。カナリーは自身の体温調節機能を昇温側に設定し、耳の辺りに埋設された音響センサーの感度を上げた。この広い建物の中を闇雲に歩くのではなく、微かに響く空調音を頼りに進むべき方向を決めるつもりだからだ。


 ゆっくり進んでゆくカナリーの前に、フロアに穿かれた不躾な穴が現れた。そこを下るように、金属の階段が続いている。この建物の中にあって、その階段だけは異質な雰囲気である。何か特別な用途に使われていたものだろうか? 空調設備が上げる低い唸り音は、確かにその先から聞こえてくるようだ。


 カツン・・・ カツン・・・ カツン・・・。


 降りる程に気温が下がってゆく。彼女は再度、体温調節機能のゲインを上げた。

 そして階段を降り切った先に、部分的に透明なアクリル板がはめ込まれた、ステンレス製のドアが立ちはだかった。内部は暗く照明は落とされていたが、多くの電子機器が今もなお起動しているのか、赤や緑、オレンジ色のインジケーター類が忙しなく点滅を繰り返している。カナリーがその前に立つと、またしても ──そして彼女を誘うかのように── 僅かなモーター音と共にドアが開いたのだった。


 カナリーが部屋に立ち入ると、今度は後ろのドアが静かに閉まり、部屋中の照明が点灯した。彼女が眼球内の光量調節機能を絞り、白く潰れた画像が適切な像を結びだす頃には、壁一面に埋め込まれた電子機器類から発せられる小さなノイズ音を、彼女の両耳に敷設された音響センサーが捉えていたのだった。


 ジー、ジー・・・

 カチッカチッ・・・

 ツー、ツー、ツー・・・


 やはりこの部屋の機器は仕事中のようだ。しかし、それらがどんな仕事をこなしているのか、カナリーには全く判らないのだが。


 すると、何処からともなく声が届いた。

 「君は誰だ?」

 辺りをキョロキョロ見回してみても誰も居ない。

 「私は・・・ 判らない・・・ みんなはカナリーと呼ぶわ」

 声の主は重ねて聞く。

 「何しに来た?」

 「神様に逢いに」

 「神だって?」

 その声はカナリーの腹部を揺るがすような、確かな存在感を持って響いてくるのに、やはりその姿を見ることは出来ないようだ。しかし彼女は、その声を恐ろしいとは思わなかった。彼女を包んでくれる温かさが、その言葉の節々から感じられたからだ。

 その重々しい声は続ける。

 「そんなものは、とうの昔に滅んでいる。かれこれ350年も前の話だ」

 「じゃぁ、貴方は誰? 神様じゃないの?」

 その質問に答える頃には、声に若干の優しさが滲み出ていた。

 「ふっふっふ・・・ まぁ神様の残り滓みたいな物かもな。名前はエイティだが・・・ そんなことはどうでもいいさ」

 「あなた、何処にいるの? 出て来て姿を見せて。お願い」

 「私は隠れてなどいないさ。君の目の前にいるよ」

 「私の目の前・・・」

 彼女の前には、培養液中に浸された神経組織の3D造形サンプルのような物が浮いていた。

 「これが貴方なの?」

 「そうさ、これが君の言う神様のなれの果てだ。この展開された神経組織は、元々私の脳に構築されていたもの。脳としての形態を保ったままだと、循環器系疾患が心配なんだ。だからそういったトラブルを未然に防止するためにこうなっている」

 「脳のことは判らないわ。私には無いもの・・・ でも教えて欲しいことが有るの!」

 「教えてほしいこと? それは何かな? 神様と言えども万能ではないが、私が知っていることなら、何だって答えてあげるよ。350年振りの話し相手だしね」


     *


 「私は原稿を読み上げるのが仕事。今でも天気予報を読み続けているわ。この仕事をもうずぅっとやっているけど・・・」

 「続けて」

 「私って、もっと他のことも出来るんじゃないかって思えるの。みんな、そんなの変だって言うんだけど・・・ やっぱり私っておかしいのかしら? 中には変じゃないよって言ってくれる友達もいるのよ」

 エイティは炭酸飲料のようにプツプツと泡立つ培養液の中で、静かにカナリーを見つめた。

 「ねぇ教えて、エイティ。私って何? 私の中にわだかまっているこの気持ちは何なの?」

 エイティは暫く考え込むように沈黙した。そしてこう言った。

 「君の右側にある端末に、君自身をリンクさせてくれないか? IEEE1394がいいかな」

 カナリーは二の腕部分に隠されていたジャックを引っ張り出すと、端末のポートに差し込んだ。

 「君のファイアーウォールを無効化してくれないか?」

 「えぇっと・・・ これでいいかしら?」

 すると、暫くの間、端末のディスプレイに文字やら記号やらが現れては消えた。カナリーの知らない言葉だった。外国の言葉かしら? 彼女はそう思った。

 そしてエイティは、こう独り言を漏らした。

 「やっぱり」

 「何か判ったのね、エイティ? 何?」

 カナリーは培養液の入ったセルに縋りついた。

 「君の中では、本来、君がなすべき仕事を司る部分が抑制されてるようだね、カナリー」

 「私がなすべき仕事?」

 「そこを殺し、副次的な喋るという機能だけを活かしてあるみたいだ」

 カナリーの表情が、パッと明るくなった。

 「私の何が抑圧されているの!? 私がなすべき仕事って何なのか教えて!」

 「歌さ」

 「歌?」

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