レストランを後にしたカナリーがトボトボと道を歩いていると、誰もいない公園が目に入った。ビルとビルの狭間にひっそりと沈む児童公園だ。彼女はそれを遠めに見ながら、昔の記憶を手繰り寄せてみる。

 かつてはこの公園から、子供たちの楽し気な歓声が聞こえていたはずなのに、今は何も聞こえない。公園内に植樹された木々が鬱蒼と茂り、鳥たちだけは華やかに歌っているというのに。そう言えばあの頃は、むしろ鳥たちの声など聞こえなかったような気もする。代わりのこの公園を満たしていたのは街が奏でる音だったような・・・。あの音って、何だったっけ?

 人々の憩いの場であったはずのこの公園も、今は忘れ去られたオモチャ箱のようだ。そのうち捨てられたような寂びれた様子に、なんとなく物悲しさを感じたカナリーは、俯いたまま足早にその前を通り過ぎようとした。

 その時、木立の隙間から、何やら白いものがヒラヒラと舞っているのが垣間見え、カナリーの足が止まった。


 何かしら?


 その公園にとって、明らかに似つかわしくはない純白の何かが、林の向こうでしきりに上下している。鳩? いいや、鳩はあんな風には飛ばない。カナリーは一旦は通り過ぎた公園の入り口に取って返し、恐る恐る足を踏み入れてみた。すると水の枯れた噴水の前で、路上パフォーマンスを繰り広げている一人の男が居た。

 「やぁ! お嬢さん! もっと近くにおいでよ!」

 男はボーリングのピンを器用にジャグリングしながら言う。

 「俺の名前はオール。ストリートパフォーマーさ。ずっとこの公園でパフォーマンスをしてるんだけど、君は久し振りの観客だよ」

 オールに勧められるまま、カナリーは近付いた。

 「昔からこの公園で? 前に来た時、貴方はいなかったと思うけど。あっ、私の名前はカナリー」

 「よろしく、カナリー」

 そう言ってオールは、更に1本のボーリングのピンを加え、合計4個で華麗なジャグリングを披露した。

 「この公園に来るようになったのは・・・ いつだっけな? 覚えてないや。でも本当に君は久し振りのお客さんなんだよ。折角だから今日は、特別にとっておきの技をお見せしちゃおうかな」

 オールは上空高く放り上げたピンが落ちてくるまでの間に、クルリと回ってそれを見事にキャッチした。

 「クスクス・・・ 楽しみだわ。で、久し振りのお客って言うけど、どれくらい来ていなかったのかしら?」

 「こう見えても、お客さんの情報はしっかりと記憶してるよ。最後のお客さんは赤い風船を持った女の子と、その子のお兄ちゃんだったな。あれは、305年7ヶ月と18日に、14時間58分29秒前だ」


     *


 二人は噴水の縁に座って話し込んでいた。

 「ふぅ~ん。君は面白いことを言うんだね」

 「面白い? そうかしら? 私、もうこの考えが頭にこびり付いちゃって、むしろ苦しいくらいなんだけど」

 オールはジャグリングに使うリングを、手持無沙汰にクルクルと回しながら言った。

 「俺たちは考えることを求められてはいないんだ。いや、許されていないと言った方が正確かもしれないな。日々、与えられた仕事を黙々とこなし、決して手は抜かない。不平も不満も漏らさず、窓を拭けと言われれば黙って拭き続け、ごみを拾え言われればいつまでも拾い続けるのさ。

 それでも報酬を求めたりせず、反抗もせず、従順にこの社会のシステムの一員として働き続ける。それが俺たちの使命だし、それ以外の選択肢は無い。でも・・・」

 「でも?」

 リングをポーンと空に向けて放り投げると、何だかフワフワとした軌跡を辿りながら、それはゆっくりと彼の手に戻ってきた。

 「でも、そんな俺たちの中にも、稀に考える力を得る者が現れる。丁度、君のようにだ、カナリー」

 「・・・・・・」

 「どうして君のような者たちが生まれてくるのか、俺には判らない。この社会を作り上げたのが神の意志だとしたら、君はいったい、誰の意志で考える力を身に着けたのだろうね? 昔の神々は仲が悪かったと言われているから、異なる考えを持った別の神が、君にそんな力を授けたのかもしれないな」

 「じゃぁ、やっぱり神様は今でも何処かにいるのね? きっと何処かで私たちを見ているんだわ!」

 意気込んで話すカナリーをなだめるような仕草でオールは続けた。

 「アッハッハ。ゴメンゴメン。おとぎ話みたいなこと言っちゃったね。何の確証も無い話で期待させちゃいけないな。済まなかった。今の話は忘れてくれ。実際、そんな神様がいるのなら、俺もお目にかかってみたいもんだよ。アッハッハッハ」

 話をはぐらかされたような気がして、カナリーはムッとする。それでもオールは、そんなカナリーに優しい目を向ける。

 「そうやって考える力を得たものは、その代償として悩むことになるのさ」

 「悩む?」

 「そう、悩み。悩みというのは与えられるものじゃない。自分の中に湧き上がってくるもの。誰かが指し示してくれる何かが正解だったとしても、もっと違う答えが有るんじゃないかって苦しむこと。俺みたく考える力を持たない者にとってそれは、単なる非生産的な回り道にしか思えないんだけど、その悩みこそが新しい何かを生み出す原動力になるとも言われている」

 「新しい何か・・・」

 ふと心に沸いた疑問をカナリーはぶつけてみた。

 「ねぇ、オール。貴方はどうしてそんなことまで知っているの? 何だか私の友達とは随分違うわ。貴方、自分に考える力が無いって言ってたけど、本当はそうじゃないんじゃないかしら」

 「アッハッハ、それは買いかぶりすぎだよ、カナリー。昔、図書館で読んだだけさ」

 「図書館ですって?」

 「そう。知っていることと考えることは別物だ・・・ そうだ、俺の友達を君に紹介するよ。図書館で働いてるんだ。ちょっと気難しい奴だけど、あいつなら君の疑問に答えられるかもしれないよ」

 「まぁ。有難う、オール。助かるわ」

 「じゃぁ、図書館に向かう前に、俺のとっておきの大技を見て行ってよ」

 そう言って彼は白い歯を見せた。

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