黄昏時の訪問者
@pawn99
第1話 空っぽの墓
「空っぽの墓を参ってなんの意味があるんだ?」
道中、男が声をかけてきた。
宙吊りにされているかのように、天に足を向け、逆さまのまま宙に浮いた男だ。
「うるさいな。いいだろ別に」
「よかぁない。私がつまらない」
口をへの字にまげて(逆さなので✓の字だ)男は答える。なら付いてこなければいいのに、と十兵衛は考えたが、面倒に思って口にはしなかった。
目的の寺は視界の片隅に映るほどの距離にあり、あまりにも今更だったためでもある。
「さぁ着いたぞ。到着したとも。しかしね、やはりわからない。故人の名前が刻まれただけで腹にはなにも抱えていない墓に意味があるのかね」
寺の門前で逆さの男はまたもやそのようなことを言う。十兵衛は無視して受付から花や線香を買って歩を進めた。
「君の父君は飛行機の落下で破片なのか肉片なのかも分からなくなったわけで、参るなら事故現場のほうがまだ正当なのではないかと思うがね」
手桶とひしゃくを借り、水を汲んでいるところでまた逆さの男がぼやく。十兵衛は根負けしたように言葉を漏らした。
「お前、今日は本当にうるさいね」
「暇でね。あいにく口くらいでしか暇をつぶせない」
男はぱくぱくと何かを喰むゼスチャーをしてみせる。
「楽しそうで良かったよ」水の入った桶を手にして立ち上がり、件の空の墓へ向けて歩き出す。
「ああよかったとも、君が問いかけに答えてくれれば更に良いんだがね」
男の問いを反芻し、ふと出かけしなの弟の視線を思い出す。一緒に行くかと誘うと寄越された視線だ。あの目は言外に同じことを問いかけていたのではないか。そう思い至ると自然と言葉が口から出ていた。
「空っぽだろうと墓は墓だ。意味はあるよ」
「どんな? その石と君の父君になんの縁もないのに」
目の前に現れた墓石を視線で示して逆さの男が言う。
「親父の名前が刻まれる最後の石さ」十兵衛は桶をおろし墓を洗い始める。「だからたとえ中が空っぽだとしても墓は墓なんだ。故人の名前と最後の記録を刻みつけて、そこに置いていくんだ」
「置きざりにしてどうする」
「過去にするんだ」
「忘れるのか?」
洗い終えた墓に花を供え、十兵衛は言う。
「……思い出にするんだよ。いつまでも悲しみに包まれて一歩も進めないなんて、それこそ悲しいだろう?」
墓を前に手を合わせた十兵衛はしばらく無言だった。逆さの男もこのときばかりは口をつぐむ。それは十兵衛には少し意外なことだったが、この奇妙な隣人にも人間味を覗き見れたようで少し嬉しく思った。
やがて、合わされていた手は落ち、十兵衛もまぶたを上げる。
「……忘れられる側はたまったもんじゃないかもしれないぜ?」待っていたかのように男は言う。
「それはしかたない。死んじまったからな」片付けをしながらさらに続ける。「帰ろうか。用は済んだ」
「頑なに来たわりに帰りはあっさりだな」
「そんなもんだよ、墓参りなんて」
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