それでも世界を愛せるか。

駿河犬 忍

それでも世界を愛してる。

 小さな田舎町。煉瓦造りの家が立ち並び、人々はいつも同じ様に動く。


 この町の一番大きな市場では、新鮮な食料が売られ、骨董市は怪しい品を売る。曲芸師は、路地裏で芸を見せ、子供達を喜ばせる。


 市場を少し離れると、小麦畑が広がっている。さらに奥は行けば、大きな河がある。


 河の向こう岸は、いつも霞み掛かっていて見えない。河に囲まれたこの町は、魚もよく釣れた。


 一人の少年は、いつも河岸で水切りをする。彼の名前は、レウスと言うらしい。茶色のハンチング帽を被り、白いシャツにチェックの半ズボン。サスペンダーを付けている。


「またこんな所に居たんだね。たまには、おじさんの仕事を手伝いなよ。」


 レウスと同じくらいの歳の女の子が、話しかけた。綺麗な長い赤毛に、そばかす。目の色は緑色の可愛らしい子だ。幼い頃に両親を亡くし、今はレウスの家の養子になっている。


「どうせ、小麦畑の世話だろ。そんなの機械に任せれば良いんだ。」


 レウスは、また石を河に投げた。


「おじさんが、機械のことを信用してないの、レウスも知っているでしょう?夜な夜な勝手に動いてる所を見てから、わたしも信用してない。」


「でも、機械のおかげで家も建つし、仕事も楽になっているのも事実。だろ?使えるもんは、使えるうちに使うべきだ。」


 レウスが石を投げようとした手を、女の子は掴んで止めた。


「もう石を投げるのをやめて。」


「わかったよ。畑に戻れば良いんだろ。」


 レウスは、ぶっきらぼうに言うとハンチング帽を被り直した。レウスの後ろを、女の子はついて歩く。


「絶対にこの町を出てやる。」


 ズボンのポケットに手を入れて、小さく呟いた。女の子は、それを聞き逃さなかった。


「町に出て、何かしたい事あるの?わたしは、住みやすいこの町にずっと居たいけどな。」


「君は何もわかっていない。おかしいと思わないのか?この町の人は、この町に生まれて、この町で暮らし、この町で死ぬ。誰も外へ行こうとしない。」


 女の子は、少し考えてから、言葉を選ぶ様に伝える。


「そうね。わたしはおかしいと思った事、ないな。住み慣れた土地を離れて、新しい所で一から自分の生活を組み立て直すのって、必要な事なのかな。外の景色は、町長さんの家に行けば写真を見せてもらえるじゃない。」


「その写真は何回も見たよ。数え切れない程にね。何もない荒野が続いていて、その先は砂漠になっているって言う話も聞いた。」


「そうだったの?砂漠の話は知らなかったな。」


「でも、砂漠の先は誰も行った事がないらしいんだ。もしかしたら、ここよりもっと大きな町があるかも知れない。」


「ないかも知れないわ。そんな妄想ばかりしていると、寝ている間に悪魔がやって来て食べられちゃうわよ。」


「やらずに後悔するなら、やって後悔したいだけ。それに、悪魔なんて居るわけがない!」


 レウスは振り返って、女の子に向かって怒鳴った。女の子は、怒った顔をして言い返した。


「今の仕事すら何もやり切れていないのに、いい加減な事を言わないで!」


 言い返されたレウスは、激昂した。女の子の頬を叩いてしまったのだ。叩いた後、レウスは動揺して心配の声を掛けた。


「ご、ごめん。やり過ぎちゃった。本当にごめん。」


 叩かれた勢いで、横を向いている女の子は、ゆっくりとレウスの方に向き直った。


「ガガ……。ブツ。ギギギギギギギギギギ。あ。あ。ガガッ。ギギギギギギギギギギギギギギギ。」


 女の子は、頭から煙を出し、耳から火花が出たガクガクと震えた後、パタリと床に倒れてしまう。


「あっ……。あっ。ああああああああ!!」


 驚きと恐怖で尻餅を付き、後退る。這いつくばって、震える腕で地面から体を剥がし立ち上がると、走って何処かを目指した。


 辿り着いた先は、小さな教会だった。レウスは、膝跨いで祈り始めた。


 汗を垂らし、険しい顔で必死に祈るレアさを見て、神父さんは声を掛けた。


「何か大変な事でもあったのかい?」


「……。友達が、悪魔に取り憑かれてしまったんだ!僕が別の町に行きたいなんて、言ったから……。助けてください!友達が倒れている所まで、案内します!」


 あまりにも必死なレウスを見て、神父さんは険しい顔で頷いた。


 神父さんは、教会の近くの馬小屋へ行き、黒い斑の馬を出した。レウスを後ろに乗せ、走り出した。


 女の子が倒れている所に着くと、馬を停めた。風が吹いて、草木が音を立てて揺れている。


 神父さんとレウスは降りて、女の子に駆け寄った。神父さんは、目を開けて倒れている女の子の脈を測る。


「……。死んでいる。」


「うあああ。僕は、なんて事をしてしまったんだ!ああああ。」


 レウスは大声で泣き出した。神父さんは俯き、優しい手で女の子の目を閉じさせた。


「事実はどうであれ、君は殺人を疑われるだろう。この町から逃げた方が良い。街の人達は、君の事を許さないだろう。」


 神父の言葉に驚き、涙を拭って神父の顔を見つめた。神父の目は、怪しく赤い光りを宿していた。瞳孔が開き、人ではなくなった様な顔をしている。無機質な表情だ。


「そ、そんな。神父さんも悪魔に取り憑かれたんだ!」


 レウスは恐ろしくなり、河辺まで走って逃げた。蹲り、肩を振るわせ、しゃくりを上げながら泣いた。馬が後ろからついてきて、レウスの耳に鼻息を掛けた。


「心配してくれるのか?僕は取り返しのつかない事をしたんだ。もう町に戻れないよ。この命を償いにしたい。」


 レウスは赤く泣き腫れた虚な目で、河を眺めた。ゆっくりと立ち上がり、河に足を入れる。そのまま、ゆっくりと歩き河の中へ。


 河はどんどん深くなり、全身が水の中に入りきる。すると、大きな地震が起きた。水の中にまで響く轟音。レウスは水面の上に顔を出して、河岸を確かめた。


「地割れだ!」


 地面に大きな亀裂が入り、河岸から町へ続く道が大きく割れた。河の水が、一気に亀裂を流れて行く。


 レウスは泳いで、水流に巻き込まれない様に逃げた。亀裂の手前に、徐々に大きさを増す渦が出来ているのを見て、恐怖したからだ。


「ゲホッゴホッ。はぁ、はぁ。」


 必死になって、夢中で泳ぐと、レウスは向こう岸まで辿り着いていた。


「うっ!ぐぁあああ!」


 レウスは急に苦しみ、もがいた。バチバチと言う音が河岸に響く。そして、気を失ってしまった。


 目が覚めると、いつものベッドの上だった。レウスは、ベッドから起き上がり、父親の元へ向かった。


「おはよう。レウス、顔色が悪いんじゃないか?体調が優れないなら、もう少し寝ていても良いぞ。」


 父親は優しく話しかける。


「うん。ありがとう。もう少し休むよ。」


 レウスは自分の部屋へ戻る。ベッドの上で毛布にくるまって、また目を閉じた。


 煙の匂いで目が覚める。父親の大声が、遠くから聞こえる。


「まだ息子が家の中にいるんだ!!!」


 レウスはゆっくりとベッドを起き上がり、部屋を見渡した。部屋のドアから煙が出ている。何かの焼ける匂いが鼻をつく。急いで、窓を開けて、外の空気を吸った。


 家の一階が燃えている。外には人が集まり、家に飛び込もうとする父親を、複数人で取り押さえていた。


「家に入ったら危険だぞ。息子は悪魔に魅入られたんだ。諦めろ。」


 そう言ったのは、神父だった。手には大きな松明を持っている。目は赤く怪しく光っていた。


 レウスは恐怖と絶望で、声が出せなくなった。胸が岩の様に重くなり、苦しくなった。息の仕方を忘れる。これは報いなのだと、受け入れるのは、まだ10代の少年には難しいだろう。


 家の屋根が崩れた。煉瓦はバラバラと音を立てて崩れる。穴の空いた屋根から、真っ黒い鋭い爪を持った大きな手が入り込んだ。絶望し、動かない少年を掴むと、空の上まで連れ去ってしまった。







「おい!おーい!聞こえてるかー?」


 カエルの様な汚い声がする。レウスはゆっくりと顔を上げ、声の主を見た。


「よかったー。死んじまったかと思ったぜ。」


 白い肌に、白い長髪。頭には山羊の角が生えている。耳は尖り、腕と足は黒い毛で覆われている。指には黒光りする鋭い爪を持つ。瞳は真っ赤に光り、蛇の様だった。長い尻尾は、獅子の様だ。服は着ておらず、ボロ布を腰に巻いている。


「君は、悪魔なの?」


 レウスはか細い声で聞いた。


「ああ。我は悪魔の中の悪魔だ!どうだ?恐ろしいだろう。」


「僕にも取り憑いて、僕を殺して。」


「おーおー。かなり意気消沈って感じかー?それなら、取引しないか?悪魔の契約だ。」


「何でもするよ。早く言って。」


「まあまあまあ。そう焦らさんなって。何だか可哀想なガキだから、二つ提案してやろう。」


 悪魔は鋭い爪を二本立てた。


「まず一つ目は、今まで通りの生活に完全に戻してやる。町の連中も、ガキの記憶も全部書き換えて、何も無かった状態にする。その代わり、一週間後に命をいただく。もう一つは、全知全能を与えてやる。この世の全てを知り尽くした後、すぐに命をいただく。さあ、選べ。」


「そんなの二つ目に決まっている。」


 レウスは、疲れ切った顔で呟いた。遠くの地面に視線を落とした。どこまでも白い床には、白い壁。


「何で二つ目を選ぶ?一つ目の方が幸せだろう。」


「僕は幸せになりたくない。もう消えて無くなりたい。それに、一つ目を選んだ時に、僕はきっと、同じ過ちを犯すに決まっている。今すぐ消えた方が、町の皆んなのためだ。僕もそれを望む。」


「契約、成立だ。」


 悪魔は地を揺らす様な、低く恐ろしい声を出した。一瞬でレウスの目の前に移動し、人差し指の鋭い爪をレウスの額に突き刺した。


 レウスは、白目になり口を大きく開いた。最後に呟いた言葉は。


「空想よりも鮮明で、残酷なこの世界を、僕は愛している。」








*********************


「進一、このジオラマ壊しちゃうのか?」


「ああ。もう十分楽しんだからね。」


「ふーん。俺は結構好きだったけどなあ。要らないなら貰いたかったけど、ちょっと大きすぎるか。この動いてる人達って、結局どう言う仕組みなんだ?」


「小さい機械仕かけの人形。ひとつだけ、ちょっとプログラムを変えてみたんだけど、バグが起きてしまった。」


「バグ?」


「うん。不具合の事。その不具合が、世界を壊してしまうのを見ると、現実世界の人間達が如何に愚かなのか分かるよ。」


「急に難しい話だ。アニメでも良く言うよな、愚かな人間共めー、とか。」


「そうだね。完全じゃないから、面白いんだけど。つかさは、争いのない綺麗な世界と、今の世界だったら、どっちが好き?」


「俺の見えている範囲、知っている範囲の世界なら、今の世界が好きだ。薄情なのかも知れない。自分勝手なのかも知れないけどさ。争いのない世界と引き換えに、今の世界がなくなるのは、悲しい。」


「そう。ふふ。僕も同じ考えだよ。今の世界を愛している。」

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それでも世界を愛せるか。 駿河犬 忍 @mauchanmugi

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