夏のサキュバス

葭ノ浦一未

夏のサキュバス

 夏のある日、サキュバスが現れて言った。


「私とあなたは一緒の生活をすることになったんです」


 マジか!?

 ネットで調べたり、他人に聞いたりししたが、どうもそうなったらしい。

 それでその日、二人でワンルームのアパートに帰り、部屋の掃除をした。


「想像以上でした」と、サキュバス。


 ぼくは謝った。

 公園で、夕飯を食べた。

 コンビニで買った惣菜とおにぎり。

 掃除というのはけっこう重労働だとか、そんなことを言ったりした。


「サキュバスが来るとは思ってなかったんですか?」


 まあ、

 そうかも…。


    ♥


 何日かした。

 

 金曜のゴミ出し。

 部屋に帰ってくると、サキュバスがテーブルの上に鏡を載せて頬をペタペタとやっていた。

 ぼくは部屋とキッチンの堺に寄りかかって、しばらく見ていた。

 目が合って、サキュバスが言った。


「あと三十分待ってください。完璧なサキュバスになりますから」


 子どもみたいな目をしていた。

 何だか、おかしかった。


「ああ…」と、ぼくは言った。「そういえばサキュバスだったっけ」

「そうですよ」

「山に行かないか? 暑いし」

「蚊がいそうですね」

「まあ、いるだろうね。…やめとく?」 


 どっちでもよかった。

 ふいに思い出して、すぐ脇のキッチンの蛇口を捻り、手を洗った。

 水の冷たさが気持ちよかったが、向こうで彼女が何事か言ったことが聞き取れなかった。


    ♥


 車で一時間ほど走った山の中。

 苔むした駐車場に車を止めて、二人で沢に下りた。

 流れが静かな場所があって、水は透き通り、灰色の大きな魚がゆっくりと泳いでいた。 

 釣り道具持ってくればよかったと、サキュバスは言った。

 彼女はダンガリー生地のブルーのシャツワンピースを着ていた。


「サキュバスがサキュバスである時代は終わったんです。今はサキュバス界においても、よりスピリチュアルな価値観が重視されているんです」

「へえ」

「私がサキュバスであることよりも、私であることの方が大事なんですよ」

「なるほど」

「だから私をだって釣りをしたい」

「持ってくればよかったな、釣り竿とか…」

「ほんとうにそう」


 しばらくそうしていると、轟音が空から降ってきた。

 自衛隊の戦闘機らしい。

 空を見上げども、機影は見えず。

 やがて、辺りに響いていた音も次第にかすかになり、消えた。


「でも」と、サキュバスが言った。「してほしいですか?」

「え‥」

「サキュバスっぽいこと、してほしいですか?」

「ここで?」

「どこだっていいですよ。結果は同じです」


 それは実際、その通りだった。

 その晩、はじめてキスをした。

 二人で笑った。

 酒を飲んでいた。


 深夜、ぼくはアパートのドアをそっと閉めた。

 歩きながら、いろんな考えが浮かんだ。

 たとえば、宇宙と人生と射精について…。


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夏のサキュバス 葭ノ浦一未 @kazumi_yoshinoura

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