第4話
佐島はすぐに思索の世界に入り込む。俺をどこで見つけたのかと考え始める。
砂場遊びが好きな幼稚園児だった佐島は、じょうろに水を入れて泥団子ばかり作っていた。泥団子を砂場に並べて団子を売る人を演じたこともある。あの出来事のせいで、佐島は団子屋のばばあとからかわれたりした。団子屋には男、じじいもいるだろうと反論したが、佐島を笑った同園児は団子はばばあが作るんだよと当たり前のように言った。佐島はムキになりはしない。ただ、泥団子を作ることができる砂場があればそれでよかった。
だが、誰かが悪戯で砂場に釘を入れて、砂場は半年も閉鎖された。きっと、佐島の団子売りの遊戯の邪魔をしたかったんだろう。
それで砂場が使えなくなった佐島は、近所の人の家の花壇の土で泥団子を作るようになった。泥団子を花壇に置いて帰るので、花を愛する近所の壮年の女性らから佐島の両親に苦情が殺到した。佐島は何故怒られるのか分からなかった。母は花が台無しだと説教した。父も、人の家の庭に勝手に上がるんじゃないと言った。
花を狙ってやったわけではないことを、小学生の佐島は上手く伝えられず、一通り叱られたらトイレにこもって泣いた。大人の言葉は小学生の佐島には難解だった。大人は近所づきあいや人との距離を保つために、自分を押し殺していきるべきだと説いていた。それが佐島にはなんだか許せなかった。
それから、どうして団子なんか作ったと問い詰められた。母だったか、父だったか。翌日家に遊びにきた伯父さんにも佐島は詰問される。団子なんか作って何になるのかと。団子は普段食べないじゃないかと。
佐島は土の触感が好きだった。だが、当時は「触感」という言葉を知らない。
土の中に佐島は魅せられていた。佐島がひんやりとした土を握りしめると、土に段々熱がうつって、土の方でも佐島の掌を温め返した。そうなるには、五分以上握り続けないといけなかったが、大事なのはその土を通して佐島が自己の内部へと階段を降りていくことができると知ったことだ。階段の先、その深淵にて名前をまだ持たない俺ことDの片鱗と出会う――。
俺は佐島の手を握り返して目覚めたんだ。自分の心を言葉で表現できないのは往々にしてある。特に年齢が低いほど顕著に。佐島は極端に喜怒哀楽を表情に出さなかった。俺は佐島が土を触っている間、よく笑うことを突き止めたんだ――。
「伯父さんが斡旋してくれたらそれで済むのに」
佐島は昔話を思い出すのを中断した。俺も自己回想してしまって、佐島が照れてしまったのかもしれないな。
「馬鹿を言うな。私は推薦はしない主義だ。自分で何かを見つけなければ意味はない」
厳格に言い放つ伯父さんは、昔から父の会社のことにも口出ししてくる。佐島が仮に内定を決めたとしよう。途端、伯父さんはお前の会社の株を買ってやったとか言い出しそうだ。
「とにかく内定を取らないことには、人生はじまらんだろう」
確かにそうだ。伯父さんは佐島が働くという行為そのものを嫌っていることを嗅ぎ取っている。
佐島は不安に駆られて、まだ、何も成していないと頭で反芻する。その場しのぎの進路しか選んで来なかったこと、気づいたら卒業していたことを悔やんだ。
佐島が尋ねる。
『D、俺はサッカー選手になりたかったか?』
《ワールドカップに本田が出場するのをテレビで観ただけだ》
『警察官になりたかったか?』
《中学の友達の父親が交番で昼寝しているのを見て、楽そうでいいなって思ったからだ》
『飛行機のパイロットになりたかったか?』
《空を飛ぶものがかっこいいと思っただけだ。仮にドクターヘリのパイロットだったとしても、飛んでいればそれでいいんだろう? ドクターヘリは人を救わなければいけないんだ。お前には向いてない》
『宇宙飛行士になりたかった?』
《宇宙の神秘には惹かれるが、大気圏を出て仕事をしたいとは思わないだろ? あれの試験は就職活動より厳しいと思った方がいい》
佐島は力を得たようで伯父さんに反論する。
「はじまるってなんだよ」
「学生時代は遊びだ。社会に出てからの人生の方が長いのは分かるだろう?」
人間百歳まで生きられるとして、学生時代という期間は二十歳前後のたった二割だ。俺は百歳まで生きるとは考えない。思うがままにやるべきことを達成したら、その時点で死んでもいい。
佐島は俺の思考に押されるようにして、何か言おうとしたが上手くいかなかった。
伯父さんは若さについて何も知らない。学生時代の数歩先は真っ暗なのだ。それも、学年を上がるごとに暗さは増す。学生は夢に溢れている生き物ではない。特に就職活動においては。仕事を探すことは、先に進むほどに薄暗い夕闇が増す冬至の帰り道を行くようなものだ。
「学生時代に遊んでいたわけじゃない」
俺が佐島の代わりに伯父さんにつらつらと上辺だけで告げてやった。
「なんだ急に」
「やれるだけやってるんだ。朝一番に求人情報を見て、電話して、メールして、エントリーして。伯父さんは俺のことを何も分かっていない。自分の周りのことにも気づいてないだろ。俺の父が伯母さんと今仲がいいことは知ってるのか?」
最後は嘘だった。
伯父さんが電話口の向こうで絶句する。
「あ、あり得ん、哲也に限ってそんなことは」
哲也は佐島の父の名だ。
「哲也には私を怒らせるメリットがないだろう。そもそも子犬ほどに臆病なあいつに浮気なんて大それたことができるわけもない」
「俺はここ二年ほど父が祝日になると泊まってくるのを母にも教えたんだ。別に誰も驚かなかった。父は『仕事で泊まりだ』で通してる。俺たちは信じるしかない」
俺の喉が鳴り、押し殺した笑みがばれないように用心しなければならなかった。
「待て、まさか本当なのか。一体どういう経緯で。いや、哲也に電話で聞く」
父は今も母と二人暮らしなので、平日の今日は残業もなく夕方には帰宅することだろう。家庭は修羅場を迎えるが、伯父さんが佐島から内定や就活の興味を失ってくれるのであれば、それは仕方がない犠牲だ。さらに伯父と父の間に邪悪な感情を抱かせることができたら、それはそれで万々歳だ。
俺は唇を素早く動かす。
「伯父さんは人を見る目がない。それでも人事なのか? 伯父さんはそもそも斡旋してくれないのならどうして電話をかけてきたんだ? 心配しているのは形だけか?」
「今はそれどころじゃない。あの、馬鹿野郎。……かけなおす」
「大丈夫。俺は自分のペースで就職活動するから」
言い終わる前に通話を切られたが、俺は電話の子機を降ろして愉快に笑う。胸がすいたので、佐島を桜舞う外界へと誘う。
『また外に行くのか』
佐島が弱弱しい声を出す。情けないったらない。俺は電動ロクロはそのままで、粘土は水分が逃げないようにラップとビニールで保管してから外に出る。慌てていたので、指先には粘土の溶けた水滴が滴った。
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