海に灰色は溶けない

小谷幸久

プロローグ…現在

 『私の子供の命が奪われたというのなら、いち早く真実が明らかになってほしいと思います』

 カーナビに映るニュースには、連続殺人事件の被害者だと思われている赤石和真の画像と、彼の母が目元に涙を浮かべながら、そう話す様子が再生されていた。

 昼下がり、とある記者の男が海沿いの道路で車を走らせていた。

 周りは民家も少ない田舎町であった。

 海に来た観光客も多くはなく、仕事で記者がこの辺りに訪れることは少ない。

 だが、記者の男は記事を書くためにこの町へ訪れた。とある事件の取材のためだった。

 先月の下旬、この海岸で真夜中に巨大なコンクリートを海に流そうとしていた男が、その場でたまたまパトロール中だった警察官に見つかり逮捕されるということがあった。

 しかし、そのコンクリートの不法投棄だけが問題だったのではない。それでは記者は記事など書かない。ただの巨大コンクリートの不法投棄を細かく調べて掲載しても「へぇ、不法投棄か、けしからんなぁ」で終わりだからだ。それでは、ほとんど大衆の興味を引く事はできない。

 実際はそれがただのコンクリートではなかった事が問題だった。

 不審に思った警察官がコンクリートを男から取り上げて、精密な調査を行うと、そこにはなんと半白骨化した遺体が丸められて入っていた。

 犯人はコンクリート詰め人間のレシピを隠す事なく、滔々と悪びれもせずに語り始めた。

 遺体は強酸性の液体に体を浸し、ある程度皮や肉が溶けたらコンクリートを上から流し、固めたらしい。

 彼は過去に何人もの人を殺し、同じやり方で証拠隠滅を行った事も自白した。

 警察は供述が事実かどうか慎重に捜査を進めている。

 実に胸糞悪い話だ。そして、記事にはもってこいだった。

 テレビのニュースでは、この残虐な事件が広く報道され高い視聴率を得ている。世間では歴代もっとも残虐な連続殺人事件として、事件の動向に注目が集まっている。

 記者としては事件は残酷な程、記事の書きがいがあるというものだ。何せ、注目されている事件に関する記事は読んでもらえる可能性は高くなる。

 だが、書く側としては情報を追う内に得たくもない情報が入ってきたりもする。記者の男はこの仕事を始めてから、色々な取材に赴いてきた。そして、その度にゆっくりと精神が磨耗していくのを感じるのだった。

 「あと一年働いたら、転職しよう。どうだろう、アパレルとかは。ゲームの製作とかも面白そうだな」

 彼はそう独り言を言った。つい漏らした独り言というよりは、自分に言い聞かせるためのものだった。記者という仕事に期限を設けることで厚みがなくなったモチベーションを無理やり高めようとしていた。そして、この自己暗示を使い始めて、もう十年が経とうとしていた。ほぼほぼ暗示としての効力を失ってはいるが、ルーティンのようなものだった。

 無性に虚しく感じられて、記者の男は窓を開けて穏やかな初夏の匂いと海風を胸いっぱいに吸い込んだ。

 「綺麗だな…」

 海を見ながら、ふと、そう呟く。

 海は恐ろしいほどに青く、透き通っていて青空を地面に転写したかのように見える。青の絨毯はどこか優しく、寛容な印象を与えた。そして、その水面の下のどこかにあの男が沈めた未発見のコンクリート詰めの死体もあるのだ。

 美しく青いベールの奥に潜む、闇。ギャップどころの騒ぎじゃない。

 海浜公園の駐車場に車を止め、外へ出た。まずは、海浜公園の看板の写真を撮った。錆びついたただの看板だった。

 砂浜に立ち、水平線の写真を数枚撮った。目についたものをとにかく、撮っていた。

 白い砂浜には、人気がなかった。気味の悪い事件があったからだろうが、夏にも関わらず海水浴客が少しもおらず、キラキラと人を迎え入れようと輝く海はどこかもの寂しい印象だった。

 しばらく歩きながら、撮れた写真を確認していると、気づいた。海辺に一人の女性が立っていた。

 彼女は長い髪を靡かせながら海を眺めていた。二十代前半くらいだろうか。

 だが、彼女は海の水面を見るというより、海の底の何かを探しているように見えた。

 「すいません」

 「はい、なんですか」

 記者の男の呼びかけに、彼女はゆるりと首をこちらに向けた。彼女の顔立ちは美しかった。

 「突然すいません。あなたは地元の方ですか」

 「はい、そうですが」

 「私、記者をしているのです。こちら名刺です」

 「あ、ご丁寧にどうも」

 女性はペコリとあたまを下げて名刺を受け取った。女性は緊張した様子もなく、記者の男を見つめてきた。品定めするかのような目だった。

 「改めて突然お声がけしてしまって申し訳ないです。ここら辺で最近変な事件があったじゃないですか、ほら、コンクリート詰めの死体を海に沈めたとか」

 記者の男は話しながら女性の顔をチラリと伺った。彼女は眉ひとつ動かさずに話を聞いていた。

 「ええ、話は伺いました。怖いですね、殺人だなんて。ですが、記者さんに私がお話しできる事は多分ないと思いますよ」

 「いいのです、どんなに些細なことでも。犯人についての噂とか、なんでもいいので何か知りませんか?」

 彼女は少し考えるそぶりをしてから、ハニかんだ。

 「いえ、何も聞いていません」

 記者の男はこの女性から有益な情報を得るのを諦めた。

 彼女が自分を疑っているのを、彼自身感じていた。きっとこの人は俺を疑っているなという感覚を持つことは記者を始めてから、よくあることであった。

 「週刊誌の記者をやっています」と言っただけでたまに人が怪しむような目をしてくることは、記者の男が仕事を辞めたいと考える理由の一つだった。世間一般では新聞社の記者はエリートなのに、週刊誌の記者は他人の生活に勝手に踏み入って、それで飯を食うネズミみたいな扱いをされる。彼はそう思い、仕事への不満を募らせていた。

 まぁ、いいだろうと記者の男は自己暗示をかけた。彼はどのみちこれからこの近くにある犯人の出身高校に取材をする予定だったので、そこで有益な情報を得れることに期待しようと思うことにした。

 女とその後少し喋ってから別れ、駐車場に戻った。もう一度海の写真を一枚撮る。そこにはなんの変哲もない青い波達が写っていた。

 太陽が眩しい。太陽が南中する時間になっていた。

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