ジュウサイタイ【獣人災害対策本部】

秋風坊

第1話 一陣の風

 大の男たちが地面に胡坐をかいて、エサとして投げ与えられた鼠や昆虫類を頬張っている。


「良いことしたぜ。俺が言うのもなんだが、人のために働くってのはいいもんだ」と、自分たちの過去を誰の手も届かない大きな棚に上げ、無責任に喋っている。

 

 私は文字通り、虫や畜生を見る目で彼らを見た。

 彼らは本作戦の主力部隊だ。立てこもり犯の蝙蝠型獣人:識別番号八三九を無力化し、罪なき市民を不安と絶望から救ったのも彼ら梟型獣人だ。しかしこのときの私はまだ二三歳。それは偏見という罪を捨て去れなくてもまだギリギリ許される年齢。

 元囚人への救済措置(という建前で行われる実験)によって動物や虫の力を発現した彼ら雇われ獣人は、言わば科学の進歩という免罪符を見せびらかすだけの、ただの犯罪者と変わりない。


「私は彼らを許さない。彼らと識別番号:八三九を別ったのは単なる運とタイミングに過ぎない。彼らのしてきた所業は私の父を殺した佐藤サトウとなんら変わりない。だから、私の彼らに接する態度も、犯罪者へのそれと変わらない」


 大元オオモトさんが言った。「僕から言えることは何もない。美希ミキちゃんはそう言いつつも上手く獣人たちと折り合いをつけてきたって、皆わかってるから。君は君なりに色々考えてる。皆知ってる。安心して」


「でも大元さん。私本当は折り合いなんて付けたくないの。犯罪者なんて全員この世から消えてなくなればいいと思ってる。それを、いくら獣人災害から人々を守る為とは言え、私たちが犯罪者の手を借りるなんて……」


 大元さんの携帯が鳴る。大元さんが応答し、新たな現場情報の報告を受ける。大元さんが電話を切る。その話はまた今度、という表情を私に向ける。私は少し寂しい感情に襲われる。


「行こう。僕たちに出来ることをしに」


「はい」


 本当はもっともっと考えていたいのに、いつも決まって、考える時間がない。



× × ×



 手足に巨大な爪を持ち、鋭い嗅覚を備え、土の中に潜って生活する動物、土竜。

 土竜型獣人:識別番号八四〇を工場敷地内で包囲したまでは良かったが、頭を出して隊員を引き裂いては土に潜ってしまう八四〇に対し追撃手段が無く、事態はもはやハンマーの無いモグラ叩きの様相を呈していた。


「ハッハッハ!! どうした!! 爆薬や火炎放射を穴の中に投げ込めば済む話だろうに、工場ではそれも出来んか!?」


「悔しいけど奴の言う通りだね。出てきたところを銃で狙おうにも、反応が間に合わない。全ての穴に照準を合わせようにも人員が足りない。応援を待っていたら新たな犠牲者が出かねない。こうなったら……」


 ハチヨンマルが再び地中に潜った。


 大森さんの叫びが敷地内に響き渡る。「全員備えろ!! どこからくるか分からない!! 刺し違える覚悟で行くんだ!!」


 ぼこん、という鈍い音。

 地面が爆ぜ、下から五本の強靭な爪を突きあげる土竜型獣人。貫かれる人体。「刺し違える覚悟で」の言葉通り、自分の身体には目もくれず獣人に向かって銃を発砲するのは、他ならぬ大元さんだった。


「クソっ……」


 土竜が潜る。大元さんと一緒に。そして後から大元さんの身体だけがぽんっ、と穴から投げ出される。


「大元さん!!」


 私は思わず駆けよらずにはいられなかった。

 誰かが言う。「美希ちゃんダメだ!! 離れろ!!」


 しかしそんな忠告は私の耳には入らない。父の大学時代の後輩で、私がこの組織に入局する前から何度も家に遊びに来ていた大元さん。就職後も、私の面倒をずっと見てくれた大元さん。

 犯罪者は全員消えればいいという私の思想に心から同意してくれることは最後までなかったけど、優しい大元さん、ひょっとしたら犯罪者に同情的な立場だったのかな。

 私には分からない。この人は父親を犯罪者に殺された私に気をつかったのか、そんな思想を口にすることなんて無かったから。


「ねえ大元さん。アナタを殺したハチヨンマルにも、アナタは同情するの? それとも、死んだら同情できない?」


 すでに大元さんの表情からは抜けきっていた。

 優しさが。

 強さが。

 愛が。

 思い出が。


「キッヒッヒ!! 小娘が何を泣いてやがる!! 泣きたかったらあの世でその上司と一緒に泣くがいい!!」


 目の前の穴から飛び出すハチヨンマル。邪悪な笑みを浮かべ、両腕を広げ、交差する十本の剛爪で私をまな板の上の切り身にしようとしている。


 私は思った。

 ああ、こんな気色の悪い笑みを眺めているよりだったら、死んでお父さんと、大元さんと一緒にいる方がいいかも。


 ハチヨンマルの一対の腕が嚙み合わさる瞬間、私の身体はバラバラにされるはずだった。


馬鹿野郎バカヤロウ。なに諦めてやがる」


 一陣の風。爽やかな草原のそよ風のようで、ハリケーンの荒々しさが宿ったような、感じたことの無い風。

 気付くと私は五体満足で座り込んでいて、目の前にいるはずだったハチヨンマルは姿を消していた。



× × ×



「キィッ、キィッ!! 何しやがる!! 放せ、下ろせ、下ろしてくれぇ……」 

 

 はるか上空。

 ジタバタと自慢の爪を振り回しながら空の上に連れ去られたのは、土竜型獣人:識別番号八四〇。その獣人を強靭な脚と爪で掴んで身動きを封じているのは、下から見た所、猛禽型の獣人だった。知らない、あんな奴情報に無い。さては政府の雇われ獣人じゃない、通りすがりの野良?


 流線形の綺麗な翼を羽ばたかせ、彼はぐんぐんと上昇していく。


「よおモグラ。綺麗な女をいじめて楽しかったか? あ、お前ほとんど目が見えないんだったか」


「キィッ!! 降ろせ!! 貴様何者だ!! Neithersネイザーズ(どちらでもない者たち)の仲間じゃないな!?」


「違う。俺はついさっき国のお偉いさんに雇われたんだ。サラリー獣人ってとこか。識別番号:八四一。よろしく」


「ふざけやがって!! 死ね!!」


 また土竜は爪を振り回す。その様を下から見上げていた私。


「すごい。土竜があんなに動いてるのに、全く動じてない」


 シルエットが地上の私にどんどん近づいてきた。彼は急降下しているんだ。


 猛禽型の獣人が言った。「なあ土竜、アンタに一つ質問がある」


「……」


「人を殺して、どうだった。良心の呵責とか、後悔とか、そういうの有ったか?」


「……」


「不思議なことによ、無いんだ。俺には。そりゃ、あのときは自分が生きのびるために必死だったし、良いとか悪いとか考える余裕は無かったんだけどよ、それにしたって俺も三人殺したんだ。だのに全く感動も後悔も無いプラマイゼロってのは、おかしいんじゃないかと思うんだよな。なあ、土竜、どう思う?」


 獰猛な猛禽の脚力によってあばらを握りつぶされた土竜は、既に死の淵に立たされている。


「……母、さ……死に……たく」


「……はあ。なんだ。アンタも一緒か。自分は散々殺しておいて、いざ自分が殺されるって時には後悔するタマか。なあんだ。残念だ。お前にはがっかりだよ」


「かあ……かあさ……」


「人は誰しも孤独を抱えてる。孤独ってのは日の光や草花のさざめきと似たようなもんで、拒んだってどうしようもないんだが、かといって孤独に迎合し過ぎても良くはない。孤独に迎合し、社会を一つの人格であるかのように捉えて敵視すると、必ずアンタみたいになっちまう。迷惑な犯罪者にな」


「助け、て……」


「だから俺が重視するのはたった一つ。筋を通すってこった。善だろうと悪だろうと、自分で決めたルールに従って一本筋を通して生きていく。これが大事なんじゃないかと思うんだよな」


「……」


「隼のようによ」


「……」


「アンタみたいに、自分の快楽に目を眩まされて筋を違えるようじゃだめだぜ。それを肝に銘じて、あの世に行きな。あばよモグラ」


 直滑降。

 今や彼の体勢は頭を真下に向けた格好になっており、脚でつかんだ土竜を引っ張りながら地面に向かって激突せんばかりの勢いで落下している。ミサイルの様だ。音が聞こえてきそうだ。


「危ない。あの勢いでは彼もスピードを殺しきれない」


 後方で様子を見守っていた仲間たちが、私を心配して集まっていた。


「たったいま本部から情報が入った。彼は新たに獣人部隊に加わった隼型獣人:識別番号八四一。本名:三島ユウ


「そう……。ということは、彼も犯罪者なのね」


「殺人だ。三島の両親は五年前強盗グループに殺害されている。そのとき十八歳だった優は三人の犯人たちを殴って殺害したが、殺し方があまりにも残虐だったために正当防衛が認められず実刑判決を喰らい、今日の昼まで刑務所にいた」


「……犯罪者に貴賎は無いわ。それが殺人、しかも三人となればなおさらよ」


 私は立ち上がった。

 次の瞬間、三島優が地面との激突寸前ですいっと方向転換して投げ飛ばしたハチヨンマルが、轟音を立てて工場の地面にクレーターを穿った。見ると既に、土竜の原型はとどめていない。挽肉の様な赤い塊と血潮だけが、ウェイター不在の不味い料理の様にしてクレーターに残されている。


「お、おい美希ちゃん。どこ行くんだ」


「帰らなきゃ。大元さんの遺体も、手続きしなきゃだし。誰か大元さんをお願い」


「あ、ああ。そりゃあそうだが……」


 私はちらっと上空を見た。

 土竜を殺した隼型獣人が、私に力を見せつけるようにしてぐるぐると旋回している。

 ありがとう。私を助けてくれて。おかげで私はまだ生きられる。生きて目標に向かっていける。全ての犯罪者をこの世から消し去るという目標に。

 でも、ありがとうはこれっきりよ。アナタもいずれ私が消し去るんだから。


 私はその場を仲間に任せて、隼には挨拶もせず工場を後にした。

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