トンネル

 まどろみの一歩手前。

 目を瞑って、瞼の裏のスクリーンに上映する思い出。


 夏に友人と訪れた熱海。

 18時。

 水着の旅行客のために拵えられたのであろう、コンクリートの階段に腰掛けて、友人と見た夕暮れ。


 分類するならピンク色。でも、桃色というよりはもっと淡い、夕暮れの始まりの色。としか言えないようなその色と、真夏の昼の眩しい色が、混在した空。幻想的で、非日常的な景色だった。


 潮の匂いがした。


 しばらく空と、もう数えられるくらいになった人々を眺めながら、私たちはいろんな話をした。過去の話も、未来の話も。

 このまま美しい夕暮れに包まれて、未来にも過去にもたち行けなくなれれば良いのに。


 友人は、早死にがしたいとよく言う。

 20代には亡くなりたいと。

 私はそれを聞くと毎回、置いて行かれたような気持ちになって、寂しくなるのだった。

 でも、やめて、と言ったことはない。なぜ友人が死にたくなるのか、私には理解できなかったけれど、私に彼女のことを決める権利は無い、と思ったからだ。もし彼女が理由を言ったとしても、もしそれが彼女の自己嫌悪に由来するものなら、私は無遠慮にもそれを否定してしまうだろう。なぜなら私は彼女のことが、当たり前に好きなのだ。


 それに私は、できるなら、長生きがしたい。


 未来に関する願望が大きく違う私たちが、その瞬間、ともに夕暮れに留まりたいと願っていたから、それくらい、夕暮れは本当に綺麗だった。




 夕暮れはそれから段々と、色を濃く、鮮やかにしていったかと思えば、たちまちに霞んで、墨汁よりも強烈な暗い青色にかき消された。

 いつのまにか向かいの建物たちの光の群れが見える。

 立ち上がって、尻の砂を払い、ホテルへ戻った。


 海への道の途中にあるトンネルは夜には暗くて、友人と身を寄せ合って通り抜けた。

 


 よく覚えてる。


 トンネルを怖がって歌った声。

 ホテルのいかにも清潔な匂い。

 朝、友人の起きるのが早かったこと。

 早くに海へ行って、踏みしめた綺麗な砂の感触。

 海鮮丼に出汁を注いだものが美味しかったこと。

 お土産屋の、結局買わなかったTシャツ。


 全部今でも思い出せる。大事な大事な思い出なのだ。


 友人にとってもそうであって欲しい。



 「私、貴方より先に死にたいな。」

 と私が嘯くと、友人は、

 「大丈夫、私は早死にするから。」

 なんて、得意そうに言った。なにを誇らしそうに、と思った。


 だから、少々嗜虐的な気分で、

 「だから、それよりも先に。」

 と言うと、友人は嫌そうな顔をして、その続きはなかった。


 実の所、彼女の予定のそれよりも先にこの世を去るつもりは毛頭ない。けれど、ただ置いてかれるしか選択がないだなんて許さない。この世のどこに、友人に先立たれて嬉しい人間がいるだろうか。できるなら、長生きしようよ。


 欲張るなら、もっと先の未来でも彼女と旅行に行きたい。


 夕暮れを見るためじゃない、私はまた、彼女とトンネルを歌いながら通りたい。

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短い話 星祈 @ho42-inoRIO

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