デートは視察とともに――1

 一週間後の夕方、俺は自室で仕事をこなしていた。パソコンの前に座り、カタカタとキーボードをタイピングする。その手はふたつあった。


「やっぱり、左手が自由になるとはかどるな」


 具合を確認したところ、左手の調子がかなりよくなっていたので、今朝から包帯を外すことにしたのだ。いま仕事をしているのは、山吹グループの会長の座を継ぐ者としての義務であるとともに、リハビリの目的もあるわけだ。


 左手が使えなかったせいで、当然ながらタイピングの速度は落ちていた。結果として、この一週間で仕事に遅れが生じている。不可抗力と言えど、俺は山吹グループの会長になるのだから、甘えは許されない。今日から挽回しなくてはならないのだ。


「捻挫が長引いたら致命傷だった。蓮華には感謝しないといけないな」


 一週間のあいだ、献身的に介抱してくれた蓮華に感謝して、「ただ」と、俺は遠い目をする。


「いろいろと大変だったなあ」


 たしかに蓮華は介抱してくれたのだが、とにかく距離が近く、ボディタッチなんて日常茶飯事、初日に風呂に突入してきた事件があったけど、それが一週間、毎日続いた。俺だって健全な男子高校生だ。蓮華のような極上の美少女にそんなことをされたら、たまったものじゃない。


 何度理性が崩壊しかけたことか……本当によく我慢できたものだよ。まあ、おかげさまで捻挫は最短で治ったわけだけど。


 煩悩との戦いの日々を振り返り、俺は乾いた笑い声を漏らす。


 そのとき、テーブルの脇に置いてあるスマホが鳴った。発信者は父さんだ。


「最近、よく電話をしてくるな。また頼み事か?」


 独りごちて、俺はスマホを手にとり、通話を許可した。


「はい、秀次です」

『やあ、秀次。調子はどうだい?』

「先日、左手を捻挫しました」

『私が電話するたび、なにかしら調子を崩しているね……正直、心配だよ』

「大丈夫です。いまは完治していますから」

『ふむ。蓮華さんが介抱してくれたわけだね?』

「……まあ、そうですね」


 相変わらず鋭い父さんに言い当てられて、俺はなく肯定する。蓮華のおかげなのは事実だけど、正直に答えるのはやはり気恥ずかしいのだ。


 俺の反応を面白がっているのか、スピーカーの向こう側で、父さんがクスクスと笑みを漏らす。


『相変わらず仲良くやっているようでよかったよ。先日のパーティーでもラブラブだったらしいじゃないか』

「あ、あれは、蓮華が一方的にグイグイ来ただけで……」

『そうかい? きみだって、ナンパされて困っていた蓮華さんを助けたのだろう?』

「うぐ……っ」

『「蓮華は私の妻になる女性ひとです。わかりますか? ひとの恋路を邪魔しているのはあなたなんですよ」――だったかな?』

「な、なんで俺が口にしたセリフを……!?」

『蓮華さんが嬉々として報告してくれてね』

「なにしてくれてんだ、あいつはぁああああああああああ!!」


 明かされた事実に、俺は思わず絶叫した。


 ナンパ男から助けたとき、たしかに蓮華は喜んでいたけれど、まさか父さんにその話をしているとは予想外も予想外だ。というか、日本を代表する企業グループの会長に、のろけ話をするために連絡するなんて、蓮華は本当にぶっ飛んでいる。


 目元を覆い、俺は深く溜息をつく。


「蓮華には振り回されてばかりですよ」

『けど、まんざらでもないんじゃないかな?』


 からかいを含んだ声色で、父さんが尋ねてきた。


 正直、認めるのはしゃくだ。しかし、蓮華がそばにいてくれることを嬉しく感じている自分がいる。


 お見合いの日に蓮華から婚約したいと願われたとき、最初俺は断った。それでもいま、蓮華との生活に不満はない。もっと言えば、蓮華のいない日々に戻れる自信がない。婚約を解消したいと思ったことも、ただの一度もない。


 よく俺なんかに尽くしてくれているものだよ、蓮華は。こんな、人間不信で素直じゃない男にさ。


 自虐的なことを考えながら、それでも俺は口元を緩めた。


「まあ、悪くはないですよ。蓮華と過ごす毎日は」


 俺の返答が意外だったのか、父さんの反応が遅れる。


『……それはなによりだよ』


 わずかな沈黙を挟んでからの父さんの声は、微笑み混じりで、息子おれの現状を祝福してくれているかのような、とても優しいものだった。そんな父さんの反応が、どことなく気恥ずかしい。


 いつもはからかってばかりなのに、そんな優しい声をされたら調子が狂ってしまうじゃないですか。


 熱を帯びはじめた頬をきつつ、俺は話題を逸らす。

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