新婚(仮)生活――1

 お見合いを終えてからはじめて迎える休日。


 午前一〇時前、俺と蓮華は巨大な建物の前にいた。都内の一等地にある十二階建てのマンション。俺の父さんが所有している、不動産のひとつだ。


「ここがわたしと秀次くんの愛の巣になるんですね」

「ならん。住居にはなるけどな」

「つれないですねー。わたしと秀次くんは夫婦じゃないですか」

「夫婦じゃない。まだ婚約しただけだ」


 ふざけた物言いをジト目でぶった切るも、蓮華はクスクスと笑みをこぼすだけだ。まったく応えていない。それどころか、俺とのやり取りを楽しんでいるようにさえ見える。


 こんなくだらないやり取りで喜ぶなんて……かまってちゃんの子犬か、きみは。


 内心でツッコミを入れて、俺はマンションへと目を戻した。


 蓮華が言ったとおり、今日から俺たちは、このマンションの一室で暮らすことになる。いわゆる同棲だ。


 俺が蓮華と婚約することに決めたと報告すると、両家ともが同棲を勧め、父さんが、このマンションの一室を新居として貸してくれることになった。『婚約したのだから一緒に暮らすべきだし、親がいてはお邪魔だから』という理由で。


 正直、余計なお世話だ。俺と蓮華の婚約は政略結婚。互いに恋愛感情などないのだから、親が邪魔になるような甘い展開になるはずがない。


 それでも、俺以外の全員が賛成したので拒むことができず、渋々ながらも引っ越すことにした次第だ。


 父さんも母さんも蓮華の家族も、一体なにを考えているのやら。


 はぁ、と溜息をつき――ふと気づく。


 いまにして思えば、俺以外の全員が同棲に賛成したのって、おかしなことじゃないか?


 俺と蓮華の婚約が政略結婚であることは、当然ながらどちらの家族も知っている。新婚夫婦みたいな甘い雰囲気になることはないと、わかっているはずなのだ。


 それなのに、どうして同棲を勧めたんだ? もしかしたら、俺だけに知らされていない秘密でもあるのか?


 顎に指を当てながら考えていると、不意に蓮華が俺の手を取った。


「早く行きましょう、秀次くん!」

「ちょっ!?」


 蓮華が俺の手をグイグイと引っ張って、マンションのエントランスへと走っていく。散歩にはしゃぐあまり飼い主を振り回してしまうワンコみたいだ。


 蓮華に引っぱられながら、俺は頬の火照りを禁じ得なかった。しかたないことだ。ボッチ気質の俺は、親族以外の異性と触れ合った経験が、ほとんどないのだから。


 男の手とは明らかに異なる、柔らかく繊細な感触。緊張のあまり俺の体は強張こわばり、足取りもおぼつかないものになる。


 そんな俺の異変に気づいたのか、蓮華が足を止めて振り返った。


「どうしたのですか、秀次くん? なにやら顔が赤らんでいますが」

「いや、その……て、手が、だな……」

「手?」


 コテンと首を傾げ、蓮華が自分の手元を見やる。


 自分の手が俺の手を取っているのを確認した蓮華は、目をパチクリとさせて、頬をカアッと赤らめた。


「す、すみません!」


 弾かれたように、蓮華が俺の手を解放した。予想外の初心うぶな反応に、俺は蓮華の顔をまじまじと眺めてしまう。


「な、なんですか? ジーッと見て」

「いや、蓮華は人付き合いに慣れてるから、意外な反応だな、と」


 指摘すると、蓮華は気まずそうに目を逸らしながら、ごにょごにょと打ち明けた。


「し、しかたないじゃないですか。男のひとと手を繋いだ経験なんて、ほとんどないんですから」

「そうなのか?」

「ええ。ですから、秀次くんは……と、特別、なんですよ?」


 殺傷力のある発言に俺の心臓が跳ねる。


 ドキドキとうるさいほどに鼓動が鳴るなか、俺は危惧した。


 蓮華との同棲生活に、俺の心臓は耐えられるのだろうか、と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る