第36章−4 異世界の騎士団長サンは苦労人です(4)※

 オレは首に回していた手を離すと、フレドリックくんの制服に触れる。


「違います」


 強い声で否定されたけど、オレは軽く笑ってそれを受け流し、制服の金ボタンをひとつ、ひとつ、外していく。


「ううん。違わないよ? 魔王はね、自分の欲望を満たすために、ヒトを簡単に騙そうとするし、騙せるんだ。覚えておくといいよ?」

「そんなこと……そんなことはおっしゃらないでください」


 フレドリックくんが悲しそうな顔をする。


「ねえ……フレドリックくん、お願いだから、今だけでいいんだ。オレに騙されて? 今日のこれからは、全部、魔王であるオレが悪いんだ。フレドリックくんが誰を好きで、誰に遠慮して、なにを恐れているのか……今だけでいいんだ。忘れて?」

「ま……魔王様……」


 フレドリックくんの喉仏がごくりと上下に動く。

 上着のボタンが外れ、そこから白いシャツが覗いている。

 なんと……シャツにもこれみよがしにたくさんボタンがついている……。

 制服のガードの硬さに少々うんざりしながらも、オレは次なるボタンへと手をかける。


 ごめんよ。フレドリックくん。

 オレの我欲につきあわせてごめんよ。


「今だけは、なにもかも忘れて、オレだけのことを考えて? 今だけは、オレもフレドリックくんのことだけしか考えないから」


 力を込めた眼差しで、迷いをみせているフレドリックくんをじっと見上げる。

 お互い別のヒトを想っていたとしても、今だけは忘れてしまいたい。

 身分やしがらみから開放され、ただ、欲に溺れて互いを求め合いたい。


 嘘と本当のことを巧みに織り交ぜながら、魔王であるオレは、自身の欲望を叶えるために言葉を紡いでオレの専属騎士を誘惑する。

 心の中ではフレドリックくんに何度も何度も繰り返し謝りながら……。


「わたしは魔王様を傷つける存在でしかありません」


 ボタンを外していたオレの手を握りしめると、フレドリックくんはそこにキスを落とす。


「オレもフレドリックくんを苦しめる存在でしかないんだよね?」

「そんなことはありません」


 フレドリックくんは即座にはっきりと否定する。オレの手にフレドリックくんの熱い息がかかった。


 ごめんね。フレドリックくん。

 こんなに困らせてしまって、本当にごめんね。

 本当は、もっと時間をかけた方がよかったんだろうね。


 フレドリックくんは、オレをそして、ドリアを傷つけたくなかったんだろうね。

 オレの傷が癒えるまで、オレの心が定まるまで、待つつもりだったんだよね。


 こんなのは嫌だよね。


 たぶん、フレドリックくんが……オレの予想が外れていなかったら、フレドリックくんはそういうヒトだから。


 でもね……。

 でもね……。


 今だけは……。

 今だけは、許されるんだよ?


「ああ。なんて、オレは罪深い存在なんだろう。ごめんね。フレドリックくん」


 フレドリックくんはフルフルと首を横に動かしながら、己の手でシャツのボタンを外していく。

 そのひとつ、ひとつの動作をオレは息を殺し、しっかりと目に焼きつける。

 仕草、癖、呼吸、眼差し……オレへの接し方……。ひとつたりとも見逃せない。


「勇者様……。あなたは今、聖女様の魅惑の魔法にかかっています」

「うん。抵抗に失敗した。そして……至高神アナスティミアの祝福も受けてしまったんだよ。そして、聖女様は、女神の神託に従ったまでだ」


 フレドリックくんの眉がぴくりとはねあがった。


「あなたというかたは、本当に……」


 という小さな呟きと一緒に、フレドリックくんは溜息を吐きだす。


 オレは自由なままのもう片方の手を、フレドリックくんの頬に添えた。

 そう、今なら、様々な枷を忘れて、全てを女神様のせいにできる。


 女神様もそれを望んでいらっしゃる……。


 オレの口元に自嘲めいた笑みが浮かんだ。


 三十六回も魔王をやっているというのに、肝心なときは逃げてしまう弱虫な自分を笑う。

 女神様たちの後押しがないと、一歩も踏みだせない小心者のオレ。

 言い訳がないとヒトを愛せないなんて、オレはなんて、ちっぽけで、姑息なヤツなんだろうね。

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