選んで欲しい。私以外の全てを捨てる道を

しーしい

選んで欲しい。私以外の全てを捨てる道を

「私のつるぎになって。春華」

 教壇上の秋穂は、太刀を両手で捧げ持つと、盟約を私に求める。

「これからずっと、そうするよ。秋穂」

 秋穂が横に持ち直した太刀を、両手で受け取ると、私は盟約に同意した。抜き身の刀身が、朧月に照らされて静かに煌めく。

 これで私は、秋穂と同じ時に繋ぎ止められる。

 切っ先を床に突き立てるとリノリウムが割れて、モルタルに食い込んだ。

「重い?」

 秋穂は私に聞いた。

「うん、重い」

 確かに重たかったが、私の筋力で、持ち上がらない訳では無い。

 この太刀は、かつてはそうだったが、今は振るうためのものでは無く、私の立場を示す象徴的なものだ。

 それでも私は、教室のドアに刃を叩きつけた。ガラスは砕け、華奢な建具は裂ける。刀として使えない訳では無い。

「行こう、春華」

 振り向いた私に、椅子に座った秋穂は微笑んだ。私を手に入れて、とても満足そうだ。

「これは、どうするの?」

 太刀を扉から引き抜くと、片手でもてあそぶ。

「置いといて。望む時には、春華の側にあるから」

 そう言うものだろうか。

 私の机、いや明日からは違う。窓際のそんな机に、無造作に乗せた。

 閉鎖された玄関まで下りると、細工した扉の錠を内側から回す。

 ガラス扉が開かれると、玄関前に一本だけ植わっているソメイヨシノから、花びらが一斉に散った。

 駐輪場で、秋穂の赤い自転車を引っ張り出し、校門までの細道を一緒に押して歩く。二人とも、何も語らなかった。昨日までと違って、それも心地良い。

 無人の校門は、薄ら寒く、防犯カメラだけが首を振っている。鉄製の扉は閉まり、鎖がかけられていた。

「壊して良い?」

 南京錠を指でつつきながら、秋穂に問うた。私は新しいおもちゃを手に入れた幼な子だ。

「良いよ、壊して」

 宙を探った右手に、太刀のつかが当たる。花壇脇のコンクリートからそれを引き抜くと、南京錠だけを斬った。秋穂は転がった南京錠を拾い上げると、自転車の籠に放り込む。

 太刀を校庭に突き立てると、二人で鉄扉てっぴを押した。

 細く開けた校門から自転車を覗かせると、秋穂はペダルに足を乗せる。

「春華、乗って」

 私は後ろの車軸に足をかけると、彼女の背中に抱きつく。

 秋穂は、しばらく助走すると、校門から国道に続く坂道を、ブレーキをかけず、しかも漕ぎながら下った。

「秋穂、スピード出しすぎだって」

 今にも舌をかみそうだ。

「夜は長い方が良い」

「分かった。秋穂が望むなら」

 なおも自転車は加速を続け、国道脇の側溝で盛大にジャンプする。

 秋穂は着地後、後輪をスライドさせ、センターラインあたりで自転車の方向を回転させた。

 クラクションが鳴り響き、不法投棄のダンプトラックがわずか横を通り過ぎる。

 そこから、秋穂の自転車は、ライトも着けずに……もといライトが無い自転車は坂道を下った。朧月は私達の行く道を影も無く照らし、立ちこめる霞が音を消した。


 秋穂は、赤い自転車を漕いで国道の坂をひたすら登る。私は荷台に座って、秋穂に抱きついている。

 太陽が西斜面を照らす中、山を流れ下る霞が、二人の制服をしっとりと湿らした。

「学校は、どうする?」

 秋穂は荒い息で、私の方に振り向く。

「始業式だし行くよ。お父さんがぶち切れない限り」

 今のうちにしか出来ないから、親の叱責も受け入れよう。

 学校を通り越し、国道をしばらく昇ると、左に脇道が延びている。その先の集落に、私の家がある。

「そこの坂は私が漕ぐよ」

 秋穂の背中に伝えた。

「分かった」

 古びた自転車のペダルを替わってもらうと、秋穂が抱きついてくるのを待った。国道を横切りながら助走すると、脇道の勾配に挑みかかった。円環の模様が付いたコンクリート路盤は滑らないが、振動が酷い。

 脇道を越えると、最初に見えてくる屋敷が私の家だ。この時間、出勤しているはずのお父さんの車は、ガレージに残ったままだ。

 私は門柱脇に乗り付けると、秋穂に自転車を返した。

「春華、ここで待ってる」

「うん。うちの家族が、秋穂に何かするようだったら守る」

「手は出さないで」

 秋穂は、そう忠告する。

 自宅の戸を開けると、毛布一枚かけたまま、玄関で寝ていたお母さんが飛び起きた。

 声にならない呪詛を呟きながら、殴りかかってきたが、難なくそれを避ける。物音に、居間から飛び出したお父さんは、半狂乱のお母さんを抑えた。

「はる、お父さんは門限はともかく、無断外泊を許した覚えは無い。また、廣瀬って不良か。付き合うのは止めろと、言ったはずだ。そんなんだから、落第する」

 お父さんは怒りを抑えきれず、手をぷるぷると震わせながら、怒鳴った。きっと近所にも聞こえたはずだ。

 これからは、私を取り巻く因果は、自ずと書き換えられる。単位も出席日数も足りていたが、落第だ。進学予定だった女子大の話も霧散した。

 私と秋穂は永遠に一年を繰り返すが、周りはそうでは無い。常に置いて行かれる。

「あやまります」

「あやまるじゃ無いだろう。ごめんなさいだろ。そして事情を説明するんだ」

「秋穂と一緒にいました」

「やはりか。おい、母さん、自転車の女を追い払え」

 秋穂に累が及びそうだったので、お母さんを羽交い締めにする。

 耐えきれなかったお父さんは、手の平で殴ったが、私は泣きもしなかった。

 お父さんは、物事の優先順位が全て変わってしまった私に当惑する。

「はる、何かあったのか。どうなんだ……」

 言いよどんだお父さんは、車に逃げ込むと、そのまま仕事に出かけていった。

 お母さんは、玄関に崩れ落ちて嗚咽し始める。

 これが私の選んだ道だ。いつか秋穂以外の全てを失う。世界との繋がりもしかり。

 私は門柱に戻る。秋穂は一連の騒動をずっと眺めていた。

「春華、行こう」

「きっと遅刻だね」


🌾🔁🌷


 秋穂と出会ったのは、冬休み前の再試験の時だ。


 隣に座った赤いカーディガンの美人は、廣瀬 秋穂だろう。他の女子生徒に比べて、美しさがずば抜けている。転入してしばらく、その美貌で学内を騒がせたが、素っ気ない態度が災いして、すぐに忘れ去られた。

「ねえ、廣瀬だよね。今日の試験はいくつ?」

 なれなれしいが、同病相憐れむ思いから声をかけた。

「六つ」

 それは、全部だ。サボタージュでもしない限り、普通そんな点は取れない。顔が小さいと、おつむも小さいのだろうか。

 原因はすぐに分かった。再試験の最中だろうが、かまわず寝ている。

「廣瀬、起きてよ」

 何度か起こすものの「眠い」と言ってはすぐに寝てしまう。

 試験監督も慣れたもので、起こそうとすらしない。

 五つ目の試験を終えた後、何故か気になって廊下で彼女を待った。

「何か用?」

 スマホで適当に遊んでいると、目の前でささやかれる。

「そうじゃ無いけどさ、まだ眠い?」

 その顔の近さに、仰け反りながら言葉を返した。あぶない、この美貌は女をも落とす。

「もう、眠く無い」

「なら、良かった。ねえ、一緒に帰ろう」

 高嶺の花にかける言葉じゃ無かったが、つい欲望が勝った。

「自転車だけど」

「乗せてよ」

「分かった」

 すんなり了解を得た私は、戸惑いながらも廣瀬の後をついて行く。再試験後の校舎は人が乏しく、昨日の初雪と合わせて静まりかえっていた。

 駐輪場から引き出した赤色の自転車は、ライトとかリフレクターとか必要なものがごっそり無かったが、ペンキが塗られて清潔だ。

 廣瀬はブレーキの効きを確かめながら、それを校門まで押す。

 「乗って」

 彼女が促すので、私はそれに股を割って乗った。

 生徒に踏まれて茶色になった薄雪を器用に滑りながら、廣瀬は校門前の坂を降りる。

 そこから国道を下って、学校から街までの半分ほどの距離で、小さな脇道に逸れた。道のどん詰まり、砂利道の先にある蔦葛つたかずらに覆われた一軒家が、廣瀬の家だ。

「すっごい、ぼろ屋」

 私は失礼な事を言った。枯れた蔦が、家をそう見せていたのだろう。

 自転車の荷台から降りると、雪にまみれたカタバミを踏む。

 坂の上に家がある私は全然帰宅になっていないが、これは廣瀬の家に招かれたという事だ。

「名前は?」

 自転車を軒下に入れた廣瀬は、名を求める。

「小山 春華だよ」

「じゃあ、春華。私の事は秋穂と呼んで」

 孤高の美少女は、戸惑いも無く私との距離を詰めた。

 家の中は、外観よりずっと綺麗だ。高い天井の下、黒光りする柱梁ちゅうりょうが縦横に走っている。一方で、いたるところに隙間があり、私の家と比べてかなり寒い。そのためか、中央に掘りごたつが設けられている。

「こたつ入ってて」

 コートを脱いで室温に凍えていた私は、素直に秋穂の好意を受けた。

「暖かい。なつかしいね、こたつ」

 冷えた手と足を差し入れて、暖める。

「夕食食べる?」

 冷蔵庫を探る秋穂を待っていると、そう聞かれた。

 既に刻まれているタマネギを見れば、門限があるなんて言えなかった。

「一緒に作るよ。親は?」

「いない」

「そうなんだ」

 一人暮らしなのは見て取れる。他に住人がいる気配は無い。

「何がいい? 夕食」

 タマネギを刻み終えた、秋穂は私に聞く。

 下ごしらえしながら、決めるタイプだろうか。

「お肉とか、お魚とかある?」

 私はタンパク質から決めるタイプだ。

「豚ロースがある」

「じゃあ、生姜焼きにしよ」

「分かった」

「お料理好き?」

 生姜を刻みながら、なんとなく聞いてみる。

 お母さんは料理が嫌いだ。だから必要な事は、調理実習で習った。

「しないと、お腹が減る」

 そりゃそうだ。

「あ、街のスーパーだ」

 豚肉の値札から、購入場所が分かった。私もたまに行く。

「スーパーで、春華を見た」

「ええ、そんな目立っていたかな」

「気になっていた」

 なんと返せば良いのだろうか。

 秋穂と一緒に作った生姜焼きを、こたつの上に乗せる。

「美味しそう」

 主菜の他は、付け合わせとお味噌汁だけだったが、その香りに家で得られなかったものを感じた。

「二人で食べれて、嬉しい」

 秋穂は、目を細めて喜ぶ。その表情は、お高い少女では無かった。

「一人きりだしね。でも私も嬉しいな」

 お母さんの料理は、はっきり言って不味い。お父さんが一緒に食べる事は少ないし、お母さんと食べても会話が成立しない。

「あ、お箸」

 秋穂は台所に戻ると、下ろしたての塗り箸を差し出す。秋穂のものと、お揃いの色違いだった。そう言えば、お茶碗も組になっている。

 食べ終わると、七時を超えていた。歩いて帰ったら確実に門限を越える。

「時計を見ていた」

 それは表情に出ていて、秋穂に気付かれた。

「私、門限があるんだ」

 急いで支度して玄関を出ると、秋穂は赤い自転車を引き出す。

「家まで自転車で送る」

「上り坂だからいいよ」

 流石に私は遠慮する。

「平気」

 そう言うのならと荷台に乗ると、彼女は国道を必死の形相で登り始めた。

 何度か交代しようと持ちかけたが、とうとう私の自宅まで秋穂は登りきった。

 どちらにせよ、雪がたまった国道脇を自転車で登るのは、私の技術では無理だ。

 秋穂が自転車を門柱の前に止めると、私は荷台から降りる。

「助かった。ぎりOKかな」

「どうだった? うちに来て」

 秋穂は、まるで旅館の女将みたいな感想を求める。

「? ごちそうさま。楽しかったよ。また行って良い?」

「来て。じゃあ、また明日」

 彼女は、自転車を左手で支えたまま、笑顔で手を振った。

「また明日」

 私は呼び鈴を押さずに玄関の戸を引く。途端に、お母さんの平手を受けた。門限からは五分と遅れていない。

 秋穂はその様子をじっと見ていたが、気がついた時にはいなかった。


 惨めな気分だ。秋穂は私の甘えを突き放した。

「春華は、私と会わない事を選んだ。それは約束のはず」

 彼女はそう諭す。

 私は秋穂の家で夕食を食べては、門限違反を繰り返した。

 それほど執着したのは、秋穂といる事が心地良かったからだ。恋をしたと言い換えてもいい。性別なんて関係が無かった。

 門限破りが続いて、お母さんは腹に据えかねた様だけれども、私が同性に惹かれている事は理解不能だったらしい。

 ともかく、親は秋穂に会う事を禁じた。勘当を匂わせるとか、全寮制の女子校に転校させるとか、色々脅されて屈服した。

 結局、私は、何が大事で、何が大事では無いか、分かっていなかった。

 つまり、私は、何かを得るためには、代償が必要な事を、分かっていなかった。

「春華は、『さよなら、もう会わない』と言った。だから会わなかった」

 別れ話を切り出した時、私は涙を流していたはずだ。秋穂がいるクラスの前で、高嶺の花と私はそんな話をした。憧れを捨てきれない男子生徒も、薄々気付いていた女子生徒もギョッとしたはずだ。

「春華は、『私の事は忘れて』と言った。だから忘れた」

 私は忘れられなかった。廊下を歩く秋穂をずっと目で追っていた。家で勉強している時でさえ、喪失感で鉛筆が動かなかった。

 私は、クラスの前でもう一度秋穂にすがっている。結んだ約束が、身を傷付けて我慢できなかった。

「春華、後一回しか選べない」

 秋穂は考え込むと、譲歩した。

 すなわち、私は全てを手中にする事は出来ない。秋穂を得るか、それ以外だ。答えは出ている。

「秋穂、愛している。寂しさに、耐えられなかった」

 思いもかけず返答は、愛の告白になった。

「良いよ」

 秋穂はにんまりと笑った。


「もう一度、三年生だ」

 秋穂はめでたく全科目で及第しなかった。

 転入とは言え、どうやって三年まで進級したのだろうか?

「そりゃ、そうだよね。この後、どうやって会おうか」

 私は溜息を付いた。

 夕闇が迫る中、学校のテラスに折りたたみ椅子を二つならべて、秋穂とくつろいでいる。春とは言え山中の高校はまだ寒く、コートが必要だ。

 今日は三月の末日。芽吹いた山桜が校門前の坂道を飾る。

 毎日のように、秋穂の家で一緒に料理して、門限を破って、自宅の夕食を残す訳にも行かず、多くはこうして学校で話している。春休みの間は時間に余裕があるが、夕方までは部活の生徒に紛れて校舎に侵入している。

「春華は女子大に行く」

 秋穂は寂しさを声に含ませる。

「乗り気じゃ無いんだよね、親が決めた事だし。ほい」

 チョコレート菓子を差し出すと、彼女は数本を指で摘まんだ。

「私には、進学する意味が無い」

「そうなの? じゃあ私も進学しない。そうすれば一緒にいられる」

 何言ってるのだろう。

 高校を卒業して、女子大に合格した私が、進学しない道を選ぶのは難しい。

「それを選べば、春華は多くを失う」

「そうだよね」

 間違いない。無きに等しい親の信頼だけで無く、共に進学するはずの学友、人生設計、全て失う。要するに秋穂以外の全てを失う。

 道は険しいが、それは甘美な匂いを放つ。

「……春華、選んで欲しい。私以外の全てを捨てる道を」

 思いもかけない強引な言葉に、私は気がついた。これは秋穂からのプロポーズだ。

「ねえ、私で良いのかな」

 それは破滅の中、二人で隠れ住む事になる。私はかまわないけれど、秋穂にとって人選ミスがあったら不幸だ。

「春華は、私を愛していると言った。だから選んで欲しい」

 秋穂は私の問いを、すがるような嘆願で返す。

「会えなかった時期に、気がついた。秋穂といるためには犠牲が多い。犠牲を払ってでも秋穂といたい。だから、良いよ、秋穂以外全て捨てる」

「ありがとう」

「秋穂は?」

「春華が欲しかった。見つけてしまったんだ。だから世界に関わって、気を惹いて、誘惑した。時間の籠に囚われていて、寂しかった……ずっと寂しかった」

 らしく無い震え声で、秋穂は経緯を語った。

 良く分からないけれど、私を選んでくれて、ありがとうと言いたい。

 秋穂が沈黙し、私も沈黙する。

 すじ雲がおぼろ雲に崩れ、雲を照らす薄暮は薄明に移ろう。部活の生徒は帰宅の途についていた。

「秋穂、いいよ……」

「春華、つる……」

 二人の発言は、かち合った。

「いいよそれで、私は何をすれば良い?」

つるぎになって欲しい」

 お互いに、言い直す。

つるぎ?」

 時間の籠とか、つるぎとか分からない単語が出てきた。

 秋穂は、たまに意味が分からない事を言うので驚きはしないが、今度ばかりは確かめなければならない。

つるぎは、私の供人ともびとつるぎになれば、二度と進むときには戻れない。私と供に、時間の籠に繋ぎ止められる」

「んー」

 結局意味が分からない。

「春華、盟約の太刀を見せる」

 秋穂は先導するとテラスから教室に戻った。校内にはもう誰もいない。

 秋穂は教壇の上に登ると、私に正面に立つように促す。秋穂は何も無い所から鉄の棒、いや一メートルほどの刀を取り出した。

「春華。これに手を伸ばせば、私だけが手に入る。永遠に繰り返す時の中で」

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