流浪の癒し手 〜願いの花と友情の行方〜

U0

第1話 幻惑の森

 『幻惑の森』に足を踏み入れてはいけない。


 それは、幼い頃から何度も言い聞かされてきたことだった。


 しかし、ソウはもう13歳、大人たちの言うことに無条件に従う年齢でも無かった。


「なあ、ソウ。『願いの花』を見つけたら何を願う?」


 暗い森の中を歩きながら、後ろにいるテオが聞いてきた。


「そうだな……」


 願いの花、それは見つけたら願いが一つだけ叶うと言われている花だ。


 その願いの花が幻惑の森にあるという噂を聞いたから、ソウとテオの二人はこうして森の中を探検しているのだ。


「パッとは思いつかないな。願いなんてものは自力で叶えてなんぼだろ?」


「まったくソウはいいよな。僕なんて数え切れないくらい思いつくのに……」


 テオは天才の幼馴染に軽く嫉妬しながら、嫌味っぽく言う。


「じゃあ願いの花を見つけたら、僕に譲ってくれる?」

「ああ、いいぜ」


 あっさりと答えるソウに、テオは眉間を寄せて悪態をつく。


「これじゃあ、性格までソウの方が上みたいじゃないか」

「あ? 何か言ったか?」

「いや、何でもない!」


 前を向いて森を歩くソウの口角はわずかに上がっている。


 ソウとしては、幻惑の森を探検するだけで嬉しいのだ。危険と言われるこの森で、自分の力がどこまで通用するのか、力試しに自然と胸が高まる。


 幻惑の森は二人が暮らす村からは程近かったが、例の言いつけもあって入るのは初めてだった。


 昼だというのに薄暗く、道らしき道も見つからない不気味な雰囲気が漂う森。


 森に入った直後はそんな感想を抱いたが、しばらく歩いた今では慣れて、草花を観察する余裕があった。


「それで、テオ、願いの花ってのはどんな見た目なんだ?」


「いやー、それは知らないよ。見れば分かるらしいんだけど……」


「なんだよそれ? テオが願いの花が欲しいって言い出したんだろ?」


「でも、幻惑の森に行ってみたいって言ったのはソウだろ?」


 こんなことで口論しても仕方がないと、ソウは周囲の森の方に目を向けた時だった。


「ソウ? どうした急に立ち止まって」


 ソウは左手で後ろのテオを制止した。


「どうやら、魔物様のお出迎えのようだ」


 次の瞬間、ソウに正面から猛スピードで何かが突っ込んできた。


 しかし魔物はソウの前に現れた黒い風に阻まれて、動きを止めた。


 それは、角の生えた黒い兎だった。角の先端は針のように尖っている。


「ようやく、危険な森らしくなって来たな」


 ソウは楽しそうな笑顔で言う。


「ぶっ飛べ」


 ソウが手を振ると、黒い風はそのまま黒兎を吹き飛ばした。


 キュー、と叫び声を上げながら飛んでいった魔物に、ソウは物足りなさそうに呟いた。


「手応えがないな」

「ソウが強過ぎるんだよ。それだけ魔法がつかえたら、危険な幻惑の森もただのまやかしの森だろうよ」


 だが、次の瞬間にはソウの表情に緊張が走っていた。


「いや、そう甘くも無いみたいだぜ?」


 二人の前方には、何かが押し寄せるような物々しい気配があった。


「テオ、俺の後ろにしっかり隠れておけ」

「あ、ああ」


 その黒く大きな塊が見えた次の瞬間には、ソウたちは黒い集団の中に飲み込まれていた。


 それは何百匹もの黒兎で、弾丸のように次々に突っ込んでくるのを、ソウは風の魔法で防いでいた。


 まともに止めていたら太刀打ち出来ないから、風で左右や上方に受け流していたが、耳をかすめる黒兎の勢いは嵐のようで、当たれば即終了の黒い雨粒に緊迫感は尋常ではなかった。


 だが黒兎による死の特攻もそう長くは続かず、にわか雨のように早々に止んだ。


「終わった?」


 ソウの後ろで肩を縮めていたテオは、振り返って黒兎の行った方向を見た。


「戻って来ない……のか?」


「ああ、そうみたいだな」


 そう言って目を細めたソウの両手はピリピリと痺れていて、額には汗が滲んでいた。

 

 ソウは黒兎が戻って来ないことに心底安堵していた。もう一度襲われたら、防ぎきれる自信が無かった。


「なにがしたかったんだ? あの兎の群れは……」


 テオのその呟きに、ソウの緩んでいた緊張の糸が再び引っ張られた。


 ソウは即座に、黒兎の行動を客観的に考察する。


 黒兎が戻って来ないということは、ソウ達が獲物として狙われていたわけではない。ならば、なぜ黒兎達は猛スピードで突っ込んで来たのか。


「……何かから逃げていた?」


 ソウはすぐに黒兎がやって来た方向に警戒心を向けた。


 あの小さな魔物達が一斉に逃げ出す程の、恐ろしい魔物。息を呑んで、その気配を探った。


 だが、視線の先には何もいなかった。大きな怪物の影も無く、平穏な森のゆったりとした風が流れているだけだった。


「なんだよ、怖がらせるなよ。何も来ないじゃないか」


 テオは大きなため息を吐いて、無駄に張り詰めた空気を醸し出していたソウに不平を述べた。


「ああ、そうみたいだな……」


 ソウもゆっくりと息を吐いたが、妙な胸騒ぎだけは一向に無くならない。そんなソウに、テオは声をかける。


「ソウって、意外に心配症だよな」


「うるせぇ、警戒心が強いだけだ」


 ソウはそう言い返してから、ようやく集中を解いて周囲の景色をざっと見回した。


 一方のテオは、ソウが言い返してきたことが嬉しくて、小気味よい笑顔を浮かべていた。


 そんな時だった。体の芯の方から沸き立つような寒気に、二人が戦慄したのは。



 テオの足元から突き出したのは、つるのような緑色の植物だった。


 そして背丈を超える程に伸びた瞬間、まるで花が開くが如く、固く鋭い棘を周囲に解き放った。


「イッタッ!」


 ソウに突き飛ばされて地面に尻もちをついたテオは、間一髪で植物の棘を避けられたことに安堵しつつ、助けてくれたソウを見た。


「ソウ、ありがとう……って、お前!」


 ソウの腹部を植物の棘が貫通し、棘の先端からは血がしたたっていた。


 ソウは痛みに顔を歪めていたが、棘を折って体から抜くと、余裕のない緊迫した様子でテオに言う。


「テオ、逃げるぞ!」


 周囲を見渡すと、さっきの蔓のような植物が地面のいたる所から伸びている。


「もうここ一帯は、あれのテリトリーだ」


 周囲の蔓が四方八方に鋭い棘を広げるとほぼ同時に、ソウはテオを抱えて動き出していた。


 全身にかすり傷を負いながらも、殺気溢れる棘の隙間を縫って、一目散に来た道を引き返す。


 ソウは体中に纏わせた風にのって、高速で移動していた。


「追いかけてくる!!」


 ソウに抱えられていたテオは、背後に置き去りにしたはずの蔓がこちらに向かって伸びてくるのを見て、必死に叫んだ。


 それは、その蔓の植物が明確に二人の少年達を獲物と認識しているようだった。


「ヤバい、ヤバい!」


「テオ、少し大人しくしてろ!」


 ソウは黒い風を巧みに操り、地面から伸びてくる蔓と、そこから広がる棘の攻撃をかわしなから逃げ続ける。


「何なんだよ、コイツら」


「植物の魔物、いや地面の下で何か動いているのか?」


 この魔物の正体が何にせよ、ソウ達に合わせて移動するこの魔物の範囲内から抜け出さない限り、まともに地面に足をつく事さえままならない。


 ソウは腹を括ると、前方を見据えて言った。


「テオ、しっかり捕まってろ」


 ソウは地面を力強く蹴ると同時に風を爆発させて、半ば吹き飛ばされるようにして一気に速度を上げた。



 そうして蔓の魔物を振り払い、勢いのままに幻惑の森を出た所で、ソウはテオを下ろした。


「ソウ、ありがとう。マジで死ぬかと思った」


「ああ、無事でよかっ……」


 呼吸を荒げていたソウは、血の気が引くような感覚にその場に倒れ込んだ。


「ソウ!!」


 テオはソウの傷だらけの姿を見て青ざめる。全身のかすり傷はともかく、最初に腹部を貫通してできた傷口からは、血が流れ出し服を真っ赤に染め上げていた。


 ソウがこんな酷い体の状態で魔法を行使して、テオを抱えながら逃げていた事に、テオは驚愕した。


「ソウ! ソウ! しっかり!!」


 顔色が悪く、ぐったりとしているソウに、テオは必死に声を掛け続けた。


 

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