エネルギー

過去という存在が在ったという事実が累積をしていくに当たって、そのエネルギーは如何にして生じるのだろうか。


仮に、エネルギーという存在が、有限で、一過性の物であり、概念そのものに影響を及ばす物で在るのならば、過去という存在を補完するに当たり、エネルギーの総量は減って行っているのではないかと思った。


過去という概念は莫大に、増加をし続けており、それは現在という概念に何倍も比例をして、膨張を続けている。


そのエネルギーは一体、何処から生じてきた物で在り、そして、何故尽きないものなのだろうか。


そもそも、時間という概念の発生が、もし、在ったのならば、それに内包される為に、意味の無い論に成る事になる。


時間とは、そもそもの、エネルギーであろうか。


事物が形を変えるに当たり、動き出すのが時間で在るのだろうか。


もし、事物が動く可能性を失った場合、時間という概念は存在出来るのだろうか。


私は、存在は可能だと思った。


可能性を失った事物の存在の中、時間は存在出来ると思った。


しかし、ここで又、話を拗らせるのが、可能性の無い事物の存在が有ると仮定をしている事で在る。


時間という物が、存在という概念に内包される物であれば、時間という概念は無くなる事も出来るであろう。


これは過去という物が時間という物に内包され、又、時間という物が存在に内包をされるという、事に成る。


そうすると、過去という物は存在に還元される物と言う事だ。


その、存在という概念は果たして、エネルギーに基づいているのだろうか。


莫大なマイナス面とプラス面のエネルギーが拮抗していた、その時代から、存在という概念は存在出来るのだろうか。


私は、存在を出来ると思った。


つまり、存在という概念は二元的に存在する物で在り、エネルギーも又、そうで在るという事である。


存在という物が絶たれない限り、過去という概念はその無限のエネルギーによって、存在を続け、今、未来も、存在を続けていくので在ると私は思った。




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