【悪友時代】St. Valentine's Day ~night~



「あがるぞ」


「お邪魔します、とか言えないわけ」


「邪魔すると思ってんならあがんねぇだろ」


「……。靴はそろえなよね」


「ハイハイ仰せのままに」



 ふざけてそんな言葉を吐きながら、レンが部屋にあがりこむ。なんだかんだ言って慣れてしまっている自分が怖い。



「で、何作ってくれるの」


「あー……今日寒いから野菜のスープ。具たっぷりのとろとろで、あとはグラタンかなんか」


「手伝わなくていい?」


「俺が晩飯作るって条件で来たんだから手伝うなよ」


「いやそうだけど」


「いいから本でも読んどけ。手伝うなら片付けの時な」


「じゃ、食器の片付けはやるから他よろしく」


「言われなくても」



 そこまで言葉を交わして、レンは台所に、自分はリビングに向かう。

 置きっ放しになっていたハードカバーの本を手にとって眺め、さして興味をそそられずに本棚に戻しに行った。直すついでに他の本を物色するが、どれも内容を容易に思い出せてしまったので読まないことにする。

 台所からはリズミカルな包丁の音が聞こえ始めた。大方スープの具を切っているのだろう。

 所在無いので滅多につけない(というかつけても見ない)テレビのスイッチを入れる。バレンタイン特集だとか何とか銘打って、音楽番組をやっていた。

 つまらないのでチャンネルを回すが、どれもこれも似たようなものでうんざりする。


「バレンタインね……」



 ぼそりと意味もなく呟き、リモコンでテレビを消した。それと同時に台所からレンが姿を現す。手には深鍋。



「これより深い鍋ってねぇの?」


「ない。アンタみたいに無駄に調理器具持ってるわけないし。それで十分だし」


「スープは多めに作って次の日リゾットにするとかあるだろーが。これじゃ少ねぇだろ」


「一人分ならそれくらいだっての。アンタの分があるから足りなく思うんでしょ」


「ったく、気のきかねぇやつだな。俺の分も見越して鍋買えよ」


「誰がアンタの分まで考えるか。この自己中男が。ていうかそれ買ったときアンタ家に来ること無かったし」


「そっすか。……ちっ、仕方ね―なー。とりあえずこれでやるか」


「早くして欲しいんだけど」


「うっせえよ。黙って待ってろ」



 言ってすぐ台所へと姿を消す。待っているだけというのは存外暇なものなんだな、と思いながら視線をめぐらせて、レンが持って来たらしい荷物に目を止めた。家に置いてこなかったらしく色とりどりのラッピングの可愛らしい包みが覗いている。

 迷惑だといいながらも一応は受け取るのはいいところなのだけれど、如何せん地を知りすぎているこちらからすると何であんな男に皆が夢中になるのか分からない。

 知らぬが仏、みたいなものだろうか……などと考えているうちに睡魔が寄ってきて、寝心地のいいソファにもたれて目を閉じた。



「こら、起きろよ」


「……んー……」


「人が飯作って持ってきてやったのにソファで熟睡してるとかアリかよ」


「……アリですよ~……」


「寝ぼけんな。おら、スープ冷めるだろうが」


「冷めても美味しいスープなのです……」


「わけわからねぇこと言ってねえで起きろ」



 呆れたような声と共に、誰かの手が頬に伸びる気配。嫌になるほど聞いているはずの声に、あれ誰だっけなんて考えた。

 少し筋張った手が頬に触れる。そして――



「いい加減起きろよ」



 思い切り、頬をつねられた。



「ったぁ……」



 痛みに顔をしかめて目を開けると、心底呆れた様子のレンの顔があった。



「つねるだけで済んでありがたいと思え。つーか普通あそこまで思いきり寝るか?」


「ねむかったんだよ」


「一応俺だって男なんスけど」


「寝込み襲ったら110番して即座に警察行き。賠償金たっぷり支払ってもらうから」


「あーのーなー。俺そこまで女に飢えてねぇよ」


「なら寝たっていいっしょ。さ、ご飯食べよ」



 起き抜けでも食欲は変わらない。鼻をくすぐるスープの匂いに食欲がさらに刺激されている。

 これ以上待たされるのは堪らないので、まだなにか言いたそうなレンを放ってスプーンをとった。



「あ、おいし」



 大ぶりに切られた野菜は口の中で溶け、スープは複雑に味覚を刺激する。「適当」でこんな料理を作るレンは、料理の苦手な女の子からすると彼氏にしたくないタイプではないだろうか。



「だろ。自信作」



 気を取り直して自身も食事に手をつけたレンが自慢げに言う。しかし分量がいつもいつも適当で、同じ材料で作った「自信作」でも違う代物になるという面白い特技を持つ。同じものは二度と食べれない。



「グラタンもおいしー。うわー幸せ……」


「やっすい幸せだな」


「黙れ。いいじゃん、食事は最も身近な娯楽なんだよ」


「そうなのか?」


「そんな気がする」



 なんだそれ、と笑うレンは、無邪気な子供みたいだった。多分他の女の子には見せない顔。「悪友」のポジションで、尚且つこうやって軽口を叩き合うからこその特権だ。

 ちょっとだけ優越感に浸りながら、食事を続けた。




「ごちそーさま」


「いえいえ。美味かったろ」


「うん美味しかった。あとで作り方教えて」


「大体でいいんならな」


「ありがと」



 自分の分の食器を持って流し台に向かう。続いてレンも食器を持ってきた。流し台の周りは綺麗で、使い終わった鍋やらはきちんと片付けてある。つくづく手の回る男だ。

 洗剤で食器を洗い、水ですすぎ、ふきんで拭く。レンはそれを見るたびに食器洗い機でも買えばいいのに、なんて言うが、そんな贅沢をしようとは思わない。元より一人分ないし二人分しか洗わないのだから。



「いつまでいるの」


「うわ、食い終わった途端それかよ」


「だってもう遅いし」


「いざとなればタクシーで帰ればいいだろが」


「金の無駄」


「じゃあ泊めろよ」


「あらぬ誤解を受けるからヤだ」


「別になんもしないっての」


「したら金輪際アンタを友人とは呼ばない」


「だからしないって。いーだろうが、初めてって訳でもねーんだし」



 不本意ながら何度かレンをこの部屋に泊めたことはある。何を好き好んで自分の家より格段に狭いこの部屋に泊まりたがるのかは理解できないが、「悪友」なのだからとさして深く考えずに泊めた。一応釘はさしておいたが。

 しかし今日は少し事情が違う。含みは無いといえど、バレンタインの日にそういうことをしてどこからかそれが漏れてしまえば、周りの憶測はほぼ確定へと向かうだろう。「わたしとレンが付き合っている」と。

 レンの恋人志願者から余計な恨みを買いたくはないのでそれは出来れば避けたい。



「って、レン!」



 気付けば、ソファに寝転んで幸せそうに寝ている。お前はのび太くんか、と半ば呆れ、面倒なので起こすのもやめた。

 ちなみにソファはレンがいつだかに突然プレゼントしてきたものだ。レンが泊まるときにはベッドに早変わりするほど大きい。

 風邪を引くといけないので毛布を引っ張り出して上に被せ、整った顔を少し眺めて落書きをするか真剣に考えた。



 バレンタインだからって何が変わるわけでもない。

 恋愛感情なんて持ってないから甘い夜なんて過ごすはずも無い。

 だけどまあ、せっかくだからゆっくり寝かせてやるか。

 こんな無防備な寝顔が見れるのも、やっぱり「悪友」の特権なのだし。



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