島は夜に昇る

Aiinegruth

 Eat me Eat me

 Eat me Eat me


 ・・・・・・


 島になるかどうかは、ゆっくり決めていいですからね。脳裏を過るおさの言葉をモップの先で消すように、レベッカは広場中央にそびえ立つ列柱槍れっちゅうそうを磨いていた。脚立に上り、二八本ある銀の切っ先の手入れをしながら、眼下に目をやる。惑星ピラ、瘴圏しょうけん。この四之島よんのしまは重々しくうねる水素・ヘリウム層面の三キロメートル上に浮遊していて、落下防止の鉄柵の向こうにはかつての地球の衛星ほどの幾つもの斑模様が渦巻いている。

「四之島、かんなぎレベッカ。上昇します」

 そうつぶやくと、遠く離れた廃棄孔からグォオオオオオと唸り声がする。島は大小あるが、平均して厚さ二〇メートル、半径五〇〇メートルほどの傘状をしていて、内部に層を成した生活区がある。クラゲの触手にも似て側壁から伸びている一〇本の触枝しょくしのうち、一本がすっとレベッカの元に伸びてきて、半透明のケラチン板で彼女を撫でると、最も深い層に押し込んだ。

 ギュムっと、巫室かんなぎしつのふかふかソファーに押し付けられたレベッカは、天井が膨張した肉壁によって埋まっていくのを見届けた。しばらくして、やってきた浮遊感のままに近くのベッドに倒れると、棚から文字の掘られた椎骨板すいこつばんを取り出す。

 歴史Historyの見出し文の下に掘られていることは以下の通りだ。太陽系をおしゃかにした人類最後の大戦争は、和解も停戦条約もなく、ワープによって二大派閥が――避難民も含めて――それぞれ逃げ出して終わった。生存可能な惑星リストを持たない彼らにとって、宇宙の果てからの謎の信号だけが、唯一の旅の指針となった。レベッカたちの祖先の二〇〇〇人は数年の流浪の果てにこのガス惑星に辿りつき、超科学の薬剤により人を浮遊島に変えることで生活基盤を確立した。ピラは、鉄のコアから続く水素とヘリウムに満ちた瘴圏しょうけんと、巡る恒星の黒体放射により一五時間周期で何もかもが焼却される涯圏がいけんからなり、それらは高度二五〇〇キロメートル地点に位置する白い幕によって隔てられている。

 昼は陽を避けて幕の下に降り、夜は瘴気を避けて幕の上に昇る。大気圏で日周鉛直移動にっしゅうえんちょくいどうを繰り返す島と、とある食糧がなければ、新惑星ピラ文明圏は形成されなかったに違いない。

 しばらくすると、ズンと重い振動が部屋全体を揺らし始める。中間帯へと突入した証拠だ。レベッカは灰色の板をベッドに投げ、その隣に寝転がる。ふぁさっと広がったブロンドの髪を弄んでいるうちに、巫室かんなぎしつの祭壇に置かれた『島の種』が目に入る。

「ゆっくり決めろったってさ」

 繁栄に伴って人口が増え、新たな生活の基盤が必要とされる。現在適合値の最も高い一八歳のレベッカは、新しい八之島の第一候補だ。七日前の測定で最も適合値の高かった妹のオリヴィアは、秘密裏に開かれた島長会議しまおさかいぎで無理矢理に七之島の種を飲まされ、脱獄した凶悪犯と、彼らと結託して新しい土地の利権を我が物にしようとした改革派、合計六〇人ほどの不当な侵入者を乗せて、涯圏がいけんへ消え、何度かの恒星放射の昼を経ても帰ってこなかった。

 正直な話、寝て起きたら妹を失っていたことには、ほっとした。何もかも自分より優れているくせに、しつこいくらい話しかけ続けてくる腹違いのオリヴィアは、レベッカにとって厄介な相手だった。種は同じだから、死んだ母が侮辱されるようで腹立たしかった。近くにいるだけで、自分が小さくて、汚れていて、劣っているということを嫌でも感じた。これからもずっと当て馬にしてやるぞ。彼女の笑顔の裏には、そんな感情があったに違いない。

 どれだけの武器を持ち込もうが島は人間が操縦できない関係上、七之島オリヴィアが消えたのは、彼女の意志以外の何物でもない。怒ったのか、混乱したのか。分からないが、それは自由だった。レベッカは歯噛みする。適合値さえ負けていなければ、自分が先んじて島になって、妹から離れただろうに。

 住民たちは、ほとんど島化の儀式を生贄のそれと似たようなものだと思っていて、七之島を失ったことで、第一候補となったレベッカに驚くほど丁寧に接するようになった。前々からいた倫理観を問題視する活動家の数も増えたもので、別のやり方で居住区を拡げる方策を考える流れが強まっている。島になってほしい、あるいはなるべきではない。そんなやかましい嘆願が彫られた椎骨板すいこつばんは、それなりの数この部屋にも届けられている。全く骨の無駄だ。本当は違う。島になるのがそれほど致命的なことでないのを、レベッカは知っている。

『やめなやめな、島とか全然いいことないよ。ほら、二之島クロネの長、プライドばっか高いおばさんで、丁度いいじゃん。そういうのに種飲ませて――あ、私たちのお局さんになっちゃう。やっぱだめ、レベッカ、島になって』

「どうでもよかったのに、いますごく嫌になってきた」

 適合値の高い者には、島の声が――思いのほかめちゃくちゃ流暢に喋っているのが――聞こえる。四之島アガトは、五〇年前、レベッカと同い年で島になった少女だった。ほかに、一之島モラ二之島クロネ三之島ルイーズ五之島キルワース六之島ヴァレリー。彼らは島の中央に空いた廃棄孔から常人には理解できない音を鳴らしながら会話を続けている。そこに底抜けの悲しさや、何処までも広がる闇はなく、ただ島でない人々と同じだけの他愛ない日常が満ちている。歯は列柱槍れっちゅうそうに、指は触枝しょくしに。口は廃棄孔に、身体は巨大な岩の円盤に。形を大きく変えた彼らだが、それによって自分を失ってはおらず、それぞれが個性を持って住民たちの生活を意識的に支えている。島に一人以上いる適合値の高いかんなぎは、彼らの操縦者ではなく、ただの話し相手だ。

 勝手に移り住んだ不心得者たちの安否には期待しないが、ともかく言葉を飛ばしながら、七之島オリヴィアが降りてくるのを待つ。それが島たちの共通見解で、島長会議の出席者たちには、彼ないし彼女の部屋の面積を半分にしたり、突然の揺れでひっくりこけさせたり、あるいは触枝しょくしで直接叩いたりして、おしおきをしたらしい。

 そんなに妹さんを邪険にしないの。四之島アガトの言葉に、レベッカはそれほど不快感を抱かなかった。妹という枷が外れて、自由になった。そのはずなのに、過去のどの地点よりも重苦しい気持ち悪さに、彼女は今日になって気付いた。手に入れた第一候補という立場ですら、儀礼等の面倒さからもう嫌いになりつつある。

『いよっしゃぁ、最後の三匹まとめて、獲ったどおおおおお! 誇りなさいレベッカ! 今夜の漁獲量対決は、四之島が第二位よ』

「それはトップだった時のテンションでしょ」

 ドンっと打ち下ろすような衝撃が走ったあと、島が静止したのが分かった。ベッドから転げ落ちたレベッカは、部屋端までふっとんでいった椎骨板すいこつばんを棚に入れ込んだあと、巫室専用の階段を上る。

 円盤の地形の中央にある広場。聳え立つ列柱槍れっちゅうそうに貫かれて、レベッカの一〇倍はありそうな大きさのいかつい魚が何匹か死んでいる。裂かれた傷から臓物を漏らし、白い体液を大量に流すそれは、ピラ唯一の生物だった。この惑星そのものともいえる、ごつごつした鱗の巨魚たち。涯圏がいけん瘴圏しょうけんの間の帯状の空域に無数に住むそれらによって、彼女たちの生活は維持されている。体液は飲料に、肉は食物に、背骨は文字を記す板になる。一日に一回。夕方。白い川を上昇するときに、二八本の槍によって行われる漁。一〇メートルほどの個体が四匹もあれば島の人口を一日食べていかせることができるから、今日の八匹は大量だといえた。

 一之島モラに勝てるわけないじゃん! という四之島アガトの愚痴を聞きながら、触枝しょくし数本の補助を得たレベッカは、獲物の腹を割いてその巨体を降ろした。広場は大きなすり鉢状の地形になっていて、魚の体液や肉は全てくぼみの内側に収まる。最初の一口をナイフで切り分けて廃棄孔に落とした第一候補者は、次に彼または彼女自身が同じ部位を食する。他人に注目されながらの食事は慣れない。最悪で、不味い。広場を囲む丘陵の向こうで見守る住民に意識を向けないように刃物を動かす。形成された白い血の海に横たわる一番大きな個体の上に乗り、白濁した目と、人間くらい一〇はまとめて飲み込みそうな銀の大あごの近くの、エラ横の肉を千切り取って口に運ぶ。下に白の川。上に無限の闇。高度三〇〇〇キロメートルは星と宇宙の狭間だ。間隔を開けて天空に連なる六つの島々。幾つもの銀河が織り込まれた夜の幕の下で、死んだ魚の体液に塗れながらその肉を貪り食う。今日まで七回。繰り返すたびに、この惑星のひとの浅ましさの全てを自分が代弁している気がする。

『終わったよー! ほら、皆も食べた食べた!』

 役目を終えて広場から抜け出すのにそれほど時間はかからない。ドロドロの上着を落下防止の柵にひっかけて絞っていると、四之島アガトの咆哮が響いた。丘の向こうから住民たちが列をなしてやってくる。島長の老人に続くのは大柄な青年、厨房番ちゅうぼうばんだ。生で食べなくていいの、ずるいな。ささやかな嫉妬を脳裏に浮かべ、次々に鳴る他の島々の号砲を聞きながら伸ばした白衣をはたいていた、その時だった。

 シュンっという風切り音と共に足元が爆ぜた。背後に飛び出すケラチン質の板。斜め下から錨のように島に打ち込まれたのは、触枝しょくしだ。舞い上がった砂埃を切り裂いて伸びてきた二本目が、レベッカの身体を巻き取って、中空に略奪する。

 地面を失った足元に浮かび上がって現れたのは、黒焦げの巨塊。恒星放射によって、列柱槍れっちゅうそうがへし折れ、触枝しょくしも半分を失った、傷だらけの島だった。七之島オリヴィアだ。

『痛ッ!? って、待って、逃げないで! 話をしようよ!』

 四之島アガトの説得も空しく、錨代わりに突き刺した指を自切した七之島オリヴィアは、高緯度の方面へ逃げ出した。夕食時。大勢の人々を広場の上に出していたために、どの島もそのあとを追うことはできなかった。

 



  

 

 

 

 

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