訪れ
その夜はとても澄んだ空気だった、
朝から夕方に掛けて雨が降り
月も
男は旅館の玄関先に出ると深く呼吸した
京都の洛西、桂川の西に位置し竹林に覆われた少しばかり奥まった所に在る為、街中の
男は一息入れると
男はこの旅館の主で名を
「もし、部屋は空いていますか?」
不意に国重の背後から声がした、
「夜分遅くにお邪魔してすみません
どの宿も明かりが点いておらず困ってしまいまして、ご迷惑でなければ一晩部屋をお貸し戴けないでしょうか」
振り返りみれば行燈の灯に淡く映り黒く長い髪は月明かりで銀色に輝きまるで
「御一人様で宜しいですか」
国重は女性の侵し難いとでも表現すればいいのか、
息をのみつい、形式ばったもの言いで返答してしまうも此処は宿屋の主人として礼節に適う対応で一階奥の部屋へと女性を通す。
女性を部屋へと通し
今晩はなんともはや、夜に宿を探すのが最近の流行りなのかと思いながら玄関を開く
正直に言えば驚いた、
この時間では何処の旅館も暖簾を下げており明かりを燈していたのはこの宿だけだそうだ、
「この
ぽつりと渡世人姿の男が呟く、
「全国各地での不作、甲州の米騒動、
答える様に国重は言葉を重ねる、
この時代夕暮れ前に店を閉める事は珍しい事ではない、
だが幕府の
遭難した日本人を届けに来訪したアメリカ商船の撃沈、それに伴う外国からの抗議、
さらに外国人に対する対抗意識や幕府から政権を奪取し朝廷を復活させようと考える公家や
千年の都と謳われた京は日本の中でも特に治安が悪化しつつあり、
留まるが夕暮れ前には戸締りを徹底して外出を控える者
人其々だが皆一様に以前の活気は昔の話の有り様である。
「御主人、どうかなさいましたか」
どうやら
昔からの癖とは言えいい加減直さねばならないと思いつつも長年の習慣は離れ難いものがある、と
国重は気を取り直して客人を二階の奥部屋へと通す、
階段を上がり
「しばらく後に御食事を御持ち致しますので其れ迄は御ゆるりと
国重は一通りの説明と
階段を降り玄関口を通ったところで、先程の女性客と立ち合った、
「もし、
この時代は厠(トイレ)は屋外に設置されている事が殆どで旅館などの大きな邸宅では離れに作る事多い。
「庭に出て少しの離れに御座います、宜しければ案内を致します」
国重が答えると女性客は一礼し
「
女性客はにべも無く断るがふと、二階を見つめ、
「先程……尋ねられた方は御客で?」
国重は一拍置いて説明をする、女性客の目が鋭いものに見えた為だ、
「えぇ、貴方を部屋へ御通しした後に来られましてね、立ち居振る舞いもしっかりとした気持ちの善い方達でした」
女性客は
「西の方でしたか?」
国重は不思議に思いながらも
「素性は解りませんが言葉づかいは関東の方のようですね、」
先程の会話の中で女性客も男性客も関東圏の言葉を使いどちらにも
「御連れ様でしょうか」
女性客は視線を下に向けると
「いぇ一人旅ですので、もしかしたらと思いお話しをさせて戴いただけですので」
言い終えると女性客は半歩下げて振り返り部屋へと向って行き、
国重はその背を見ながら用は無かったのかと思うが
下を見ながら女性客は
「……、」
国重は二組の食事の用意の為に調理場へと行く。
今晩の
献立に肉が含まれないのは
この頃は地方にでも行かないと肉料理は
中には
元々は奈良時代にまで起源を
料理を膳に盛ると先ず一階の女性客の元へと足を運び、
「
そう言って開くと女性客は既に床に就いており、
国重はそっと出ると台所へ戻り二階の客人の元へと膳を運ぶ、
こんな時に箱膳は役に立つ
上に重ねて一度に二つ三つ運べる
昔から大工と喧嘩をしても料理人とは喧嘩をするな、と言う言葉もある。
見た目とは裏腹に料理人は常日頃から食材や膳を運ぶ、
膳を運ぶのもコツがいる、何より腕の使い方が違う、
肘を直角に盆を水平に保ちながら指先にかかる力と掌の握力だけで一貫(約3.75kg)の膳を日に何度も運ぶのである、
自然と指は太くなり二の腕は上腕に比べて盛上って大きくなる。
そこいらの喧嘩師やゴロツキなど相手にすらならない。
優男だからと言って料理人を
国重は戸の前で片膝をつき
「おばんです、膳をお持ちしました」
戸を開くと客人は机を挟まずに向い合せで座っていた、目測で三尺くらいだろうか、膳を運ぶ上では都合がよかったので特に気にも留めずに己の仕事をする、
「なんやぁ道場通いをされていはるんですか?」
と尋ねる声に
「いいぇ、
そう返す客人を見て先程も返してくれたのはこの方だった様な……、
深く
自身にそう
「お察し、ありがたくお受け致します、御主人殿」
今もそして先程も返してくれた客人は何か微笑ましいモノを見る目で語りかける、
……口角が攣っていた。
「重ね重ね申し訳ありません」
答える国重に
「仕事の上で人の嫌な面ばかりが際立って見えてしまい、
疲れてしまうのですがご主人を見ていると
失礼ながら心が
「それよりも御主人___
見て取るに以前にも増して
珍しく、と考えるのは失礼だろうか、
入館から今迄一言とて話さなかったもう一人の御仁が尋ねて来るとは、油断と言うのかどうか
「
特に大阪の方面では大揉めに揉めたとか、
特に揉めた場所が大阪となると
それ處か京都に集まる米も御公儀や大店の商人、
御公儀には申し訳ありませんが
気がつけば気まずいまでの沈黙で場を満たしているこの始末。
正直言って於いて無責任に捉われるだろうが御客人からの一言が喉から手が出るほどに欲しい、
「
確か江戸の
あれ、話に乗っている……、うん
「京では出世の為に
食い入る様に話しを聞きながらも思案を繰返しているのだろうと、見て取れる表情に国重は客人に重ねて言葉を投げ掛ける、
「幕臣ではないので、いつからこうなった、いつ頃から始まった事かは私は存じておりません、ですが
それに引き換え大阪町奉行は良い噂を聞きませんね、江戸でやらかして西に追いやられたっと陰口を叩かれる有り様ですから」
言い終えた事で瞬きをひとつ、……、相手の意図も汲み取らず自分の思う事を聞かれたからとは言えども、
やっぱり言い過ぎたと反省する
何より場の沈黙は痛い。
よく先程迄話しを返してくれた客人も、
もう一人の顔を目の端で捉えつつ言いたい事を含みで隠す仕草。
うん、相当気まずいと判断できますこの状況。
「ものの見方とは人の数だけ在るモノなのだな、人生老いて尚勉強だと爺さんも言っていたが、
改めて自覚する事になろうとは考えが及ばなんだ、」
御仁は切り返してくれた
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