第23話 11-3.今の生活に満足しているか?

 メールでのアンケート調査に回答していて、時間が経ってしまった。

 ポイントがもらえて、小遣いの僅かな足しにもなるので、色んなアンケートに答えている。今日答えたのはある広告会社からの『生活満足度アンケート』と称する、今の生活や仕事に満足していますか?と言った調子のアンケートだ。

 ライター講座へ一年間通い、週刊誌記者を一年間だけ勤め退職した和彦はインドを旅行したのをきっかけに旅に目覚め、日本へ一時帰国し、半年位工場などで集中的に働いて作った資金で世界を旅した。出版関係の仕事には、二度と就くことはなかった。

 三十歳を過ぎて帰国し、現在は実家のある京都から近い大津に三十五歳の時に結婚した妻と一児とで住んでいる。

 結婚してから現在の介護の仕事を始めたが、和彦にとってはようやく自分に合った仕事に巡り会えた感触がある。認知症の老人が同じことを何度も繰り返して言うのに付き合うには、聴く側もある程度アホになり、相手の話を否定することなく聴きながら落ち着かせる能力のようなものが必要であると感じる。和彦には、特に訓練せずともそんな技術が身についていた。

 週刊誌記者を辞めた後、世界各地を旅行して、言葉が通じなくても何となく意志疎通する中で自然と育まれたものなのか、元々ペースがゆっくりで口数が少ないため聞き役に回ることが多く、相手の話を我慢強く聴くクセがついているだけなのか。

 いずれにしても、和彦は十年以上続けている今の仕事で、何か無理をして努力をしたという記憶がない。週刊誌記者時代に同じ張り込み班の先輩記者から、お前は努力というものを知らない、できなかったらできるようになるために努力するのが普通だろう?などと散々に言われ続けたことが未だに忘れられないが、そういう種類の努力は、ついに身に着かなかった。

 一時は自分に自信をなくし、先の展望が全く見えない状態だったことを思うと、紆余曲折を経て辿り着いた現在の仕事や家庭生活には満足している、と言えるように思う。

 記者をクビになり旅に出た時点で、結婚できたり、正社員として雇ってもらえるとは想像していなかった。介護は世間では低賃金と言われているが、生活して行けないほどではない。問題は、年齢や勤続年数に応じて収入が上がって行かないことで、先々のことを考えると不安になる。世間やマスコミでは介護職員の待遇は悲惨だ、と流布されているが、これは決して介護職員に限られた話ではなく、非正規雇用の人がたくさんいるし、和彦の父親のような自営業者も年齢に応じて収入が上がるということはない。

 和彦の父は仕事をコンピューターに奪われてしまい、ホテルの掃除のアルバイトをしていた。七十歳過ぎまで働き、今は少ない年金でやりくりしている。

 子供が生まれて間もない頃、子ども手当などの目玉政策とともに介護職員の月収四万円アップもマニフェストに盛り込んだ民主党が政権を獲得した。これで生活も良くなるのでは、と和彦も大いに期待をした。 

 民主党は政権奪取したのとほぼ同時に野党となった自民党やマスコミから政治とカネの問題などの猛攻撃を受けて足元をすくわれ、国民に約束したことをほとんど実現できず、三年後の選挙で惨敗した。

 民主党政権の時には打ち出す政策のことごとくを批判、否定してきたマスコミが、安倍政権に代わってから鳴りを潜めた。

 安倍政権はマスコミ各社に対し、公平な報道をするよう要望書を出すという今までの政権がしたことのないことをして、暗に政権批判を許さない姿勢をみせた。新聞社やテレビ局の幹部との会食も頻繁に行われた。番組改編時に各局の政権に批判的な言動をするキャスターが一斉に交代したこともあった。

 現在の政権は当時ほど強硬な印象はないが、安倍政権の方針をそのまま受け継いでいて、防衛費の倍増や消費増税などを目論んでいる。物価上昇などによって国民生活は明らかに疲弊しているのに、それを認めることはない。

 『生活満足度アンケート』に対して、単純に仕事や生活に満足していると答えると、現政権に利用されるのではないか、とも思った。安倍政権が大手広告会社をブレーンに使っていたことは知られているが、それ以来報道側が萎縮してしまっている状態が続いている。安倍元首相の国葬には反対している人が多いのに、あまり報道されず、安倍政権の間に生じた未解決の問題は追求せず、凶弾に倒れた元首相を美化する。

 和彦は、あくまでも自分の人生レベルでは一時期は住所不定無職だったのがよく持ち直した、という満足度は高いが、今の政権が進める政策に満足したり、応援する気持ちは微塵もない。ただ多くの人達は、自分レベルで満足していたら満足と答えるだろうし、それはすなわち現政権を追認しているという風に政権やマスコミは解釈するのではないだろうか。結局、回答するのをやめた。

 

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