君の最期を決定する。
雨乃よるる
発端、夏の始まり
夏の生命を濃縮したような鮮烈な青が窓の外に広がる。外の湿度からガラス一枚隔てて、教室はクーラーがガンガン効いていた。
生徒たちは心そこにあらずで、担任の話す声など耳に入っていない。それぞれこれから始まる夏休みについて別々の想像を膨らませているわけだ。
俺は隣の席の三島佐奈と顔を見合わせる。たぶんあちらも同じことを考えているのだろう。目の色にわずかな寂しさが混じっている。
「玲唯、今日も来なかったね」
佐奈がぽつりとつぶやく。
「心配だな」
「まあ、まだ体調不良なんじゃない?」
深刻な顔をした俺を笑わせるように、佐奈は首をかしげた。
「いや、なんかそれだけじゃないと思うんだよな」
「敦也は玲唯のこと心配しすぎ。寂しいのはわかるけどさ。どうせまた二学期から来るって、学校」
どうせ、玲唯のことだから、心配しなくていい。俺はそうとは思えなかった。
玲唯の細い体とか、顎の線の頼りなさとか、日焼けしない鎖骨の部分の白さとか、そういうものが頭から離れない。
心配せずにはいられない、ともいえるけど、俺が彼に会いたがっているだけなのかもしれない。
もう、一ヶ月も浅川玲唯に会っていなかった。
「またいつもみたいに三人で一緒に帰りたいな」
その言葉には、佐奈もうなずいて、それから俺の肩をいきなりばしっとたたいた。
「痛っ。なにすんだよ」
「そんなに好きなら、早く告白しちゃいなさーい」
うたうように言って、佐奈は前を向いてしまう。そういう問題じゃないんだよな、と思ったのは、声に出さないでおいた。
俺が玲唯を好きなことは、本人には絶対にいわない。ずっとこのまま友達としての関係が続けば良いと思っている。それは玲唯が男性だからではなく、単に玲唯を恋愛対象として見る前から、俺たちが友達の関係だったから。完全に友達として始まった人間関係に、恋愛を持ち込みたくなかった。
「告白は、一生しません」
それだけいうと、俺はワイシャツをぱたぱたして体の熱を冷やした。あとちょっとで、今日は帰れる。同時に一学期も終了だ。
担任の話と授業後の挨拶が終わって、チャイムが鳴った。一斉に生徒たちがにぎやかになり、廊下がこみあう。
その波が少し引いたころに、俺は佐奈と並んで教室を出た。エアコンの冷気が弱まり、けだるい暑さが体にまとわりつく。
校門を出ると、アスファルトからの照り返しと直射日光で肌が焼ける。大通りをゆく人々もどこかだらんとして歩いていた。
「それにしても暑いね」
佐奈は手で自分をあおぎながらいう。俺は、それには何もいわず、別の話題で返す。
「今日さ、玲唯に電話しようと思うんだけど、佐奈も話す?」
LINE通話なら、三人同時に話すこともできる。
「いや、いいんじゃない。コクるなら、邪魔しちゃわるいし」
「告白とかじゃないって。心配だから話聞くだけ」
「玲唯は中学の時も学校あんま来てなかったし、今回も大丈夫なんじゃない?」
佐奈はあいかわらずの楽観だ。学校の最寄り駅に着いて、改札を通って二駅。座れはしないが、電車内はだいぶん空いている。
「佐奈もいた方がいつメンだし、安心するんじゃないか」
佐奈は、ちょっと真面目な顔に戻る。
「こういうのは、人数が多いと緊張するから、二人の方がいいかもね」
「わかった」
「なんか恋の進展があったら、きかせてね」
佐奈はまた急に明るくなって、ポニーテールを揺らして笑う。なんとなく、彼女といると涼しげな気分になる。
自宅の最寄りに着いた。佐奈と俺と玲唯は同じ最寄りが同じT駅で、佐奈と玲唯はそこから坂を上り、俺は下る。
じゃあねと手を振って、別れた。
自宅に帰る。親はまだ帰っていない。
自分の部屋に駆け込んで冷房をつけてから、LINEで玲唯のアイコンを探す。
通話をかける。呼び出し音に、少し緊張した。久しぶりに聴く、彼の声。
「はい、玲唯です」
声からあからさまに疲れがにじんでいて、戸惑った。
「……敦也です。久しぶり」
気まずい沈黙。
「お前、今日も学校来なかったよな」
違う。責めたいんじゃない。
「ずっと学校休んでたけど、大丈夫か」
「……それは、体調のこと?」
聞き返さなくても会話が成り立つときにわざわざ聞き返すのは、頭が働いていない証拠だ。その口調からも、玲唯の余裕のなさがわかった。
「じゃあまず、体調のことで。ずっと体調悪いのか?」
「……こたえたくない」
彼の声が、一気に暗くなった。同時に、さっと自分の体が冷えていくのを感じた。今玲唯がどんなところで通話をとったのか、一瞬で察した。
閉め切られた窓とカーテン。
冷房が効き過ぎて寒い部屋で、上着を着込んでいる玲唯。
薄暗い部屋はしばらく掃除されておらず、散らかってたものはすべて、ホコリを被っている。
彼が鬱状態であることは、通話ごしでもわかった。もう声を明るく保つ気力すらないのだ。
「じゃあ、質問変える。なんか俺に、話したい事あるか?」
「ない」
「……二学期から、学校来れるか?」
彼は何も答えない。ミスった、と思った。先のことを考えることが彼にとってプレッシャーになるのは、想像できたはずなのに。
「もう、行かないと思う」
か細い声。
「そうか」
音がとぎれる。俺の部屋の窓からさしこむ、場違いに明るい日差し。
「もうたぶん、学校は行かない」
しばらくのちに、また声が返ってくる。
「うん」
「行かないから」
すがるような同じことの繰り返しに、胸が痛む。
だから、少し余計かもしれないことが口から滑り出た。
「なんか俺に助けてほしいこととか、やってほしいことあったら言って。何でもやるから」
玲唯は何もいわない。ただかすかに彼の呼吸の音が携帯から漏れる。
たぶん、何かを声に出そうと準備しているのだろうと思ったから、俺は静かに待った。
「じゃあ、自殺を、助けてほしい」
「え?」
思考停止状態になって、自分の耳を疑った。
「自殺を、助けてほしい」
さっきまでの弱々しい口調から一転して、小さくてもきっぱりとした声だった。
予想外の返答に何も追い付かず、いろんなことが駆け巡って俺の脳内をぐちゃぐちゃにした。自殺、という言葉を友人の口からきくこと自体が、初めてだった。
でも、とりあえず、今は玲唯の話を聞こう。
「具体的には、なにをすればいい」
恐怖半分で訊いた。
「自殺の方法を、一緒に調べてほしい」
やっぱり、彼の声はきっぱりしていた。
「それ以外は?」
「それだけでいいよ。僕の死に方を一緒に決めて」
首を吊るロープを持ってきてほしいとか、そういうことでなくて少し安心したような。
「わかった。やるよ」
本気で彼が自殺しようとしているのかは分からないが、ここで「自殺しちゃいけない」なんて説教したら、彼は確実に心を閉ざしてしまう。彼の言ってくれた言葉を、大事にしたかった。
「……噓でしょ?」
本当に、意外そうな声が返ってきた。語尾に、疑いの気持ちがはっきり表れている。
「嘘なわけないじゃん」
「普通、人の自殺に関与したくないと思うけど」
真面目に心配しているようだった。
「玲唯はべつだろ。あと変な心配するなよ。俺が何でもやるって言っただろ」
「ありがとう。……じゃあ明日の午前中、僕の家に来て。詳しく話すから」
「わかった。行くよ」
「本当にありがとう。じゃあ、明日また」
通話が切れる。
後半少し元気になったかと思ったが、やっぱり最後の声は心の疲れ切った暗い感じに戻っていた。
玲唯が自殺をしてしまうかもしれないことは、あまり実感として理解できなかった。
ただ、もう少し彼の話を聞きたい。どうして自殺を考えるまでに至ったのか、ゆっくり知りたい。もし彼がこの世からいなくなってしまうなら、それまでそばにいて、彼を見ていたい。彼が望むことを最後までしてあげたい。自分の満足でしかないが、それが本音だった。
今まで会えなかったのに、明日会える。それだけで、これはいいことなのだと思えた。それに、玲唯の気が変わって自殺なんてやめてしまうかもしれないのだから。
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