給湯器

あべせい

給湯器



 とある住宅団地の1戸。

 作業服を着た男性・赤崎岬(33)が、外壁に沿って置かれた据え置き型ガス給湯器の前で、その家の主婦・黒井マユ(35)に説明している。

「奥さん、何度も申し上げていますが、この給湯器は壊れています」

 マユ、首をかしげ、

「でも、何度も言うけれど、昨日まで使っていたのよ」

 赤崎、少し苛立ち、

「もう一度申し上げますが、今朝、壊れたンです」

 マユ、負けずに、

「もう一度聞くけれど、そんなはずはないわ」

 赤崎、呆れて、

「とにかく、この給湯器は新しく取り替えるしかありません」

「交換!? 高いンでしょ。困るわ」

「しかし、お湯がなくても平気ですか?」

「それも困るわ。安い、中古の給湯器って、ないの?」

「中古ですか? うちは、中古は扱っていません」

「そォ。ちょっと待ってね」

 主婦、玄関に入る。

 間もなく、ガスを点火する音がして、すぐに主婦が戻ってくる。

「お兄さん、ちゃんとお湯が出るわよ」

「そりゃ出ますよ。これは当社の10年前の製品ですが、お湯が出なくなるというトラブルはいままでありません。問題はお風呂です」

「お風呂? お風呂もお湯は出るンじゃないの」

「奥さん、お風呂は、お湯が出るだけでいいンですか。この機種は全自動タイプですから、本来はスイッチ1つで、浴槽に、指定した温度のお湯を、指定した分量だけ張り、お使いになった分のお湯を自動的に補充する機能を備えています。しかし、この給湯器はお湯張りに不具合が生じています」

「どういうこと?」

「奥さんは、浴槽にお湯が200リットル出るように設定されていますが、実際にはそれ以上出ているンじゃないですか?」

「よくわかるわね」

「うちのコールセンターから、そのように苦情があったと報告を受けています」

「そうだったわ。私が、そう電話したンだっけ。聞いて。昨日なんか、浴槽からあふれ出たの。だから、今朝急いで、修理の電話をかけたンだった」

 赤崎、やってられないという顔で、

「ほかに、足し湯ができない、という苦情もいただいております」

「そう、そうなのよ。お湯が減ったら、使った分だけ足し湯してくれるはずなのに、それもできない……」

「ですから、新しい給湯器を取り付ける以外に方法は……」

 マユ、赤崎のことばに被せて、

「修理はできないの。そのために電話したのよ」

「それは、こちらにお伺いして最初に申し上げました。この給湯器はお使いになって10年経過しています。お湯を送るポンプが故障しているンですが、そのポンプの替えがありません」

「どうしてないの?」

「給湯器部品の保有期間は、法律で給湯器本体の製造打ち切りから7年間とされています」

「だれが決めたのよ」

「法律ですから、国会の議員さんでしょうね」

「部品さえあれば直るンでしょうに。もったいない話じゃない」

「部品の在庫が残っていればいいンですが、この機種のポンプは在庫切れです」

「法律も在庫も、メーカーさんの都合のいいように出来ているのね……」

 赤崎、胸のうちで(勝手にほざけ!)とつぶやき、

「では、新しい給湯器と交換なさいますか?」

「そうはいかないわ」

「?……まだ、何か、ご不満でも?」

 マユ、居直るように、

「大ありよ!」

「どんなことでしょうか?」

「あなたね。私だって修理を依頼するからには、それ相当のことを調べているのよ。ネットでね」

 赤崎、不安になってくる。

「どういうことでしょうか?」

「いまあなたが言ったことは、みんな想定内、ってことよ」

「想定しておられたのですか。だったら、話は早い……」

「いまはネットでたいていのことがわかる時代よ」

 赤崎、気乗りしない風に、

「そうですか」

「給湯器の修理だけを専門にやっている会社があるじゃない。給湯器はポンプの故障が最も多いらしくて、ポンプさえ取り替えれば、いくらでも給湯器の寿命が延ばせる、って。その会社のホームページに書いてあったわ」

「では、その修理専門の会社に依頼されたほうがよろしいンじゃないですか」

 赤崎、そう言いながら、心の中では(そうはイカンのだよ)。

 マユ、カチンときて、

「その会社はうちから遠いのよ。うちは、その会社の営業区域に入っていないから、依頼したら、バカ高い出張費を請求される」

「そうでしょうね。それに、例えポンプが無事交換できたとしても、10年もたっていますと、給湯器全体が経年劣化していますから、この先、ポンプ以外のほかの箇所が次々にトラブルを起こし、その度に修理が必要になって、結局、給湯器本体を交換したほうがよかった、と悔やむことになりかねない」

「あなた、よく知っているわね」

「当然です。その修理会社はうちの協力会社ですから」

「私の話は、みんな想定内だと言うのね」

 赤崎、得意げに、

「そうでないと、私の仕事は務まりません。想定外のお話なンて、久しくありません」

 マユ、不気味な笑みを浮かべて、

「そうかしら」

「?……」

「あなた、どうしてうちに来たの?」

「おっしゃっている意味が理解できませんが……」

「修理担当の方は、会社であなただけ?」

「いいえ、10人ばかし、おります」

「だったら、あなた以外の人が来てもよかったのでしょ?」

「私が、この赤塚地区の担当です」

「この地区担当は、あなた1人じゃないでしょう?」

 赤崎、驚く。

「2人いますが、電話で若いほうの男性とご希望があったと聞いたものですから……」

「そうよね。この地区担当の修理部の方は、あなたと、あなたより年配の基山(きやま)さんの2人。だから、若いほうの人といえば、赤崎さん、当然あなたを指名したことになる……」

「奥さん、待ってください。うちはホストクラブじゃない。指名なンてできません。若いほうの作業員とおっしゃったのは、元気で力のある作業員を希望されたと考えたからです。基山は昨日、今日と連休をいただいています」

「知っているわよ。基山さんは一昨日、この数軒先のお宅に修理に来られたでしょ。そのとき、いろいろお話したの」

「奥さん! あなた、いったいどういう方なンですか」

 赤崎、怖くなる。

「ここじゃ、人目があるでしょ。中に入らない?」

「はァ……」

 赤崎、マユに案内され、しぶしぶ玄関から中へ。

 リビングの応接セットで向き合う2人。

「赤崎さん、あなた、うちに来たとき、何か気がつかなかった?」

 赤崎、しきりに思い出そうする。

「うちの名前……」

「黒井さん、でしょ」

「私は、黒井マユ。ここは3百戸ほどある住宅団地だけれど、あなた、この住宅団地に来たのは何度目?」

「これが2度目ですが……」

「前回は?」

「3ヵ月ほど前になります……」

 赤崎、まだ思い当たらない。

「そのとき、何か、なかった? すべて想定内のことだった?」

「……アッ!」

 赤崎、やっと気がついた。

「うちはこの住宅団地の東区のはずれにあるけど、あなたが3ヵ月前に行ったのは、西区のおうちだったでしょ」

 赤崎、萎れて、

「はい……」

「そのお宅でも、給湯器が故障して、あなたの会社に修理をお願いした。当然よね、この住宅団地は東西南北と4区画に分かれていて、東区と南区は建て売りで、北区と西区は注文建築になっている。建て売りの家の給湯器は、全部お宅の会社の製品が入っている。どんな手を使ったのか知らないけれど、ふつうは3社か4社で分け合うのに。北区と西区の注文住宅の給湯器は、各家でメーカーが違っていて製品はバラバラ。あなたが3ヵ月前修理に行った先は、別のメーカーの製品が入っていた。でも、あなたは自分の会社の給湯器との交換を勧めた……」

 赤崎、何も言えない。

「第一、別のメーカーの給湯器なのに、どうしてあなたの会社に修理依頼が来たの。おかしいでしょ」

「そんなことはありません。うちは、いろいろな媒体を使って、常にPRしていますから。この住宅団地にも定期的にチラシを配布しています」

「そォね。あなたの会社の宣伝チラシには、『修理は、全メーカーに対応します』とある。それに『早く、安く、うまく!』って、牛丼屋さんみたいなフレーズが付いている」

「奥さん、少し違います。『安く、早く、うまく!』です。価格勝負ですから」

「でも、お風呂用の給湯器は、浴槽との相性があるンじゃない。据え置き型の場合、すでに設置済みのガス管と給水管や給湯管との接続位置、給湯器本体を据え付けるコンクリート板でできた台の位置とか、各メーカーさんで微妙に違うでしょ」

「それは多少……」

 赤崎、元気がない。

 マユ、元気になって、

「最初の取り付け工事で、その給湯器に最も適した配管位置や給湯器を据え置く台の位置が決まる。だから、修理だけなら問題ないけれど、給湯器本体を交換するとなると、すでに取り付けてあるガス管、給水管などとの接続工事が難しくなったり、給湯器を据え置くコンクリート板の台の高さや位置が使いにくかったりするでしょ」

「それは、うちの給湯器どうしの交換の場合でも、機種が変わると、どうしても多少位置のずれは出てきます」

「あなた、3ヵ月前も同じことを言ったわね。そこの奥さんに」

「チッ……」

 赤崎、舌打ちして、(おれは何しに来ているンだ)。

「あなたは、『この給湯器は壊れています。いまが取り替え時です。いまならお安くできますから、いかがですか』と勧めた。さっき、私に言ったようにね。そこの奥さんは、大手メーカーの製品から、あなたの会社の給湯器に変わることに不安があったから、念を押した。『大丈夫ですか? 同じメーカーの製品のほうが安心なンだけれど……』。そうしたら、あなたは『このメーカーの給湯器もご用意できますが、お値段が高くなります。うちの給湯器なら、間に業者が入りませんから、はるかにお安くできます』と強引に説得した。自社製品のほうが利益率が高いのだから、あなたは当然のことを言っただけ」

「そうです……」

「あなたはそこの奥さんが承諾するや、会社に取って返し、新しい給湯器を持ってきてすぐに工事にとりかかった。通常、2時間弱で終わる工事よね。でも、あなたは3時間以上かかった。どうして?」

「それはガス管や給水管、給湯管の接続に手間取ったからです」

「それと、給湯器を乗せるコンクリート板の位置が10センチほど、横にずれていた、でしょ? 本当なら、その分だけコンクリート板を横に10センチずらせばいいのだけれど、あなたはそれをしなかった。なぜしなかったのか。横に少しずらすだけといっても、コンクリート板の台は、水平に保たなければならない。そのためには、コンクリート板が置かれている下の地面をならし、水準器を使ってコンクリート板が水平になるまで、何度も調整しなければいけない。だから、手を抜いた。配管の接続工事に時間がかかりすぎたから、面倒になったンでしょう」

「……」

 赤崎、(なぜ、知っているンだ。この女は!)。

「で、あなたはずらすべき10センチに頬被りして、コンクリート板の縁ぎりぎりのところに、給湯器の端を置いた。ふつう、物を台の上に載せるときは、台の左右の両端を少し開けて、その間に物を置く。それがふつうよ。それなのに、その奥さん宅の給湯器が載っているコンクリート板の台は、左側は20センチも空いているのに、右側は余裕が全くない。給湯器が崖っぷちに載っているみたいになっている」

 赤崎、開き直り、

「それは見た目だけです。使用上は全く問題はありません」

「いいわ、いまのところはね。でも、地震や車の振動で、この先、給湯器が台からずれ落ちることが充分考えられるわ」

「そのときはまた修理におうかがいします」

「そのほうが営業収入になる、ってこと? せこいというか、みみっちいというか、聞きたくない話よね」

 赤崎、怒りを満面に表し、

「奥さん、いい加減にしてください! いままで大人しく聞いていましたが、いったい私にどうしろとおっしゃるンですか」

「あなた、その奥さんに工事代金を水増しして請求したでしょッ」

「当然です。接続工事がやっかいで、標準工事では収まらなかったからです」

「それは、あなたが強引に自社製品を押しつけたからでしょ。それとあなたの技術不足」

「奥さん、私を侮辱するンですか。私は、こう見えても、この給湯器工事には5年のキャリアがあります」

「いくら経験があっても、上手下手はあるのよ。基山さんがやってくだされば、その後の問題は何も起きなかったはずよ」

 赤崎、不安になる。

「その後? 給湯器が台からずり落ちましたか?」

「それも、いずれはあるわよ。きのう、その奥さんから『お湯が出ない!』って苦情の電話があったの」

「どうして、こちらに苦情がくるンですか?」

「あなた、にぶい人ね。その奥さんとはこどもが同じクラスで、その奥さんにおたくの会社を紹介したのは、私だからでしょ。それくらい、わかりなさいよ!」

 赤崎、まだ頭が働かない。

「どうして、うちの会社を紹介してくださったのでしょうか?」

「基山、って私の兄なンよ。それなのに、あの奥さんの所にはあなたが行ったでしょ。どうして、兄が行かなかったの!」

「基山さんは、こちらのお兄さんですか」

「あんた、本当ににぶいのね!」

「すいません」

「3ヵ月前、あの奥さんがあなたの会社に修理依頼の電話をかけたとき、コールセンターの人には、念を押したはずよ。『赤塚地区担当の修理の上手な人をお願いします』って。そう、聞かなかったの? それとも、あなたが自分から行きますって、買って出たの」

「待ってください。いま、思い出します。あのときは……そうだ。『修理先の製品は大手のリンガイ製だそうだから、売り込みの上手な赤崎がいい』って、係長に言われたンです。それで、基山さんの代わりに私が……」

「修理の上手な人が、売り込みの上手な人に代わった、ってこと! それで修理しないで、自社製品と交換した、って。兄は、おたくの会社に雇われているけど、社員ではない。1件いくらの請け負いでやっているンでしょ」

「そう、聞いています。腕はいいけれど、正直すぎるから、給湯器の取り替えを勧めないで、できるだけ修理で対応しようとする。会社では、煙たがられています」

「そんな兄だから、一件でも多く修理の仕事を回してあげたい、のッ! この気持ち、あなたにわかる」

 赤崎、納得したのか、

「奥さんは、お兄さん想いの妹さんなンですね」

「わかったら。早く行きなさいよ!」

「エッ!? どこに、ですか?」

「ホント、殺したいぐらい、カンのにぶい男ね」

 赤崎、再び押し黙る。

「決まっているでしょ。3ヵ月前、あなたが給湯器を押しつけた西区の奥さんのところよ」

「かしこまりました。これからすぐにうかがいますが、こちらの給湯器はいかがいたしますか?」

「あんた、ホントのバカね。本当に修理が必要なら、兄に頼むわよ!」

「それは、そうですね。でも、いま思い出しましたが、西区の奥さんがおっしゃっていましたよ。私が給湯器を取り替えて帰ろうとすると、『おたくの会社、お客さんを紹介すると、おたくからご褒美がいただけるンです、ってね』」

 マユの顔色が変わる。

 赤崎、おもしろそうにマユの表情を見つめて、

「私はそのとき、ご返事しました。『ハイ、一件ご紹介いただくと、松阪牛1キロを差し上げます。さらに5件ご紹介いただくと、1泊2日の温泉旅行にご招待します』って」

 マユ、ただ聞いている。

「でも、但し書きがあって、『キャンセルはもちろん、給湯器取り付け後、トラブルがあったときは、ご褒美をお返しいただく場合があります』って」

 マユ、顔を真っ赤にして、

「あの奥さんが、その5件目よ。だから、早く、行け、って!」

                (了)

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給湯器 あべせい @abesei

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