第7話 冒険ばかりが人生じゃない
ちょうど一年が過ぎた。
僕はシスターとしてここで生きている。
旅に出るのも悪くないが、案外居心地がよかったので、ここで一生を終えるのも悪くない。
それに毎日が充実している。それはとても良い事だ。
何も人生を冒険に生きるのがすべてではないのだ。
そうだ、ベアトリクスに手紙でも出してみるか。
机から紙とペンを取り出そうとしたそのとき。隣の部屋から赤ん坊の泣き声が聞こえた。
最近、孤児院に預けられた子だ。両親は騎士であったが、二人ともモンスター討伐で亡くなってしまったようだ。
ふむ……母親も騎士か、地球ではなかった。ここは女性でも騎士になれるのだ、さすがファンタジー世界だと思う。
だが、それも考え物だ。父親が死んでも母親さえいれば、騎士階級の身分ならば遺族年金で暮らせるものだが。
まあ、異世界の社会制度についてあれこれ考えてもしかたないか。
しかし、よくないのはその両親も孤児出身で身寄りがない事だった。
孤児の両親の子も孤児、皮肉な話だ……。
おっと、そんなことはどうでもいい。今は泣いてる赤ん坊が最優先だ。
僕は新しい清潔なおしめを取り出し、赤ん坊の泣き声が聞こえる部屋まで速足で向かった。
「おーよしよし、クレアちゃん。おしめが気持ち悪くなっちゃったかなー。今、綺麗にしますからねー」
赤ん坊の名前はクレア。女の子だ。
この孤児院には似たような境遇の子供たちがたくさんいる。
そんな身寄りのない彼らに、自立できる16歳になるまで育て教育を施すのだ。
孤児院は院長のシスター・テレサを始めとする数人のシスターたちによって運営されている。
財源は王国からの補助金で賄われているため、名君とされる現エフタル王の統治下では何不自由ない生活が出来ている。
唯一の問題はシスターのなり手がなかなかいないことだ。
シスターはなかなかに過酷な仕事である。
子供達に学問を教えないといけないことからある程度の教養が必要で、それは裕福な平民か貴族の女子に限定される。
さらには子育ても同時にしないといけないため、なり手が少ないのだ。
そして一人前になるころには嫁入りの話がきて卒業といったところだ。
だから僕がここに来て助かったということだ。
「シスター・ユーギ。シスター・テレサが呼んでおります。院長室まで来てくださいって」
先輩シスターの一人が僕に声を掛けた。彼女もまた来年卒業していくご令嬢さんだ。
「おっけー。すぐいくよ。……じゃあね、クレアちゃん。また何かあったら大きな声で泣くんだよ。すぐに僕が駆けつけるからねっ!」
「シスター・ユーギ。貴女って本当に子供の世話が上手ね。私なんて二年もいたのに今だに慣れなくって」
「あはは、それは仕方ないよ。僕は慣れてる……気がするからね。記憶は無いけど子育ては自然と出来るんだよ」
先輩シスターよ、僕は特別なんだ。今までの全ての生を合わせると僕は358人の子供を産んで育てた。
君も自分の子供を産めばそんな不安は消えるよ。というか不安になる暇なんてないからね。
まあ孤児院で得た経験は必ず生きてくるさ。安心するがいい。
そう思いながら先輩シスターにクレアを任せると院長室に向かった。
扉をノックすると中から院長の声が聞こえる。
そう、僕はノックをした。当たり前だ。おかしくないぞ。いくら僕でも身分にあった行動くらいはできるのさ。
特にシスター・テレサは別格なのだ。
部屋に入るとテーブルにはお茶の準備がされている。
彼女はたまに僕と長話をして過ごすことがある。今日は何の話だろうか。補助金のことだろうか。
とりあえず彼女に促されるままに席に座る。
しばらくの間、簡単な業務報告や子供たちの生活状況についての会話をしたあと。
シスター・テレサは空になったティーカップに紅茶を注ぎながら。
「シスター・ユーギ、あなたが来てくれて本当に助かってるわ。……まだ記憶は戻らないのかい?」
珍しく表情が暗くなった彼女は申し訳なさそうに会話を続けた。
「正直に言うわ。いいえ。私の罪を懺悔します。
シスター・ユーギ。貴女にはずっとここにいてほしい。この孤児院には貴女が必要なの。
でも、それは貴女にあったであろう本来の人生をここで縛ってしまう。……私は何と罪深いのでしょう。
ですから記憶が戻ったらいつでも言ってください」
まったく。このお方は。
まあ、そんなことを言われたらますます僕の記憶は戻らないだろうね。
「あはは、それがまったく戻らないんですよ。でも平気ですよ。こうして暮らせているだけで幸せですから」
「そう、ならいいけど……でも、シスター・ユーギ。あなたには子供がいるでしょ? 随分と子守に慣れてるようだし。心配じゃないのかい?」
「うーん、たぶん大丈夫ですよ。きっと立派に育っているはずです。それだけは確信がありますから」
もちろん立派にならなかった奴も何人かいるけどね。中には酷いサイコパスもいて、不謹慎ながら爆笑してしまった。さすがは我が子だとね。
シスター・テレサは僕の言葉を聞くと、いつも通りの聖女に相応しい凛々しい表情に戻った。
「うふふ、そうね、貴女が育てたのなら、さぞ立派になってるでしょうね」
しばらく世間話をしていると。部屋の外から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
大きな声だ。これはクレアちゃんの声だな。
「ユーギさあぁぁん! 助けてくださーい! クレアちゃんが泣き止みませんー!」
やれやれ、クレアちゃんはじゃじゃ馬だからね。彼女は僕以外では手に余るだろう。
子育てのベテランである僕の出番だ。
「ではシスター・テレサ。お話し中ですが失礼します」
「ええ、いってらっしゃい」
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