第19話 カイン・バルトロイ


 飛竜に乗ってきた乱入者は、黒髪の若い男性だった。少年と言ってもいいほどの若さだ。赤い目には烈火のごとき怒りが宿っていて、そしてその顔立ちはどこか辺境伯に似ていた。

 少年はリディアーナを鋭い眼光で睨み、次いでバルトロイ辺境伯の前にいるヴァルターを指さす。


「おれがいるというのに、どこの誰とも知れぬ養子を迎えて、すべてを継がせるなんて――何を考えているんです!」


 怒りが青空に響く。

 バルトロイ辺境伯は眉をひそめたが、ヴァルターはまったく相手にしている気配がない。彼にしてみれば虫が鳴いているくらいにしか――もしかしたらそれすらも思っていないだろう。


 バルトロイ辺境伯は剣の稽古を中断し、少年を見た。


「やれやれ。そんなことを確認するために、わざわざ飛竜を飛ばしてきたのか。落ち着きのないやつだ」

「……あの、バルトロイ様。親族は全員亡くなったのでは――?」

「そういうことにしています。暗殺の恐れがあるので。カインは唯一残っている身内、私の孫です」


 ――孫。

 孫がいるなら本当にどうしてヴァルターを養子にするだなんて言い出したのか。


 ――ああ、違う。


 バルトロイ辺境伯が本当に後継者にしたいのはリディアーナだ。そのリディアーナがヴァルターを夫だと言ったから、ヴァルターを養子にしようとしたのだ。


(私のせいだわ……)


 浅はかな考えでヴァルターを夫だと言ったから。辺境伯の継承をめぐってこんなにもややこしいことになっている。

 しかもいまさらりと暗殺という言葉が出た。


「ではここは王姪殿下であるリディアーナ様に決めてもらいましょう。どちらが後継者にふさわしいか」

「ええっ?」


 いきなり決定権を振られて間の抜けた声を上げる。

 なんてことを決断させようとしているのか。考えるまでもない。辺境伯の継承者にふさわしいのは孫であるカインだ。


 だがそれをここではっきりと言えば。


(ヴァルターが拗ねる!)


 今度こそ確実に拗ねる。それどころか怒る。

 辺境伯になるつもりはまったくないだろうが、リディアーナがヴァルターではなく他人を選んだら、絶対に機嫌を悪くする。


 リディアーナはヴァルターを見る。ヴァルターはリディアーナをしっかりと見ていた。答えるのを耳を澄ませて待っていた。


 ヴァルターは《氷の魔女》に認められたいがために、力を研鑽し、知識を蓄え、第一従魔まで上り詰めた。それがヴァルター=フェンリルだ。


 リディアーナがカインの方がふさわしいと言い出せば、殺して自分の方が上と示しかねない。恐ろしい。

 ただでさえミルルリカを従魔に加えたばかりの微妙な時期なのに。ここは慎重にならなければ。


「やはりこの地は、強い殿方が治めるべきと思います」

「そのとおりだ。リディアーナはよくわかっている!」


 カインは満足そうに頷いた。


「ですので剣で決めるのが良いかと思います。騎士の剣で」

「そうだ! その決め方が一番ふさわしい!」


 カインは絶賛する。かなり腕に自信があるようだ。


「ふむ。ヴァルター殿もよろしいですか?」

「リディがそれを望むなら」


 辺境伯がヴァルターに問うと、ヴァルターはあっさり受け容れる。

 リディアーナは良心の呵責に襲われた。


「ならばそれで。それでは決闘は十日後で、立会人は私が勤めましょう」

「おれはいますぐで構わない!」


 血気盛んに宣言する。


「お前の都合だけで物事を決めるのではない」


 辺境伯が厳しく注意する。

 カインは短く息を飲み、ぐっと拳を握って堪えると、ヴァルターを睨んだ。


「怖かったら逃げてもいいぞ」


 勝気に言って、その場を去っていく。

 バルトロイ辺境伯はやれやれと小さくため息をついた。


「申し訳ございません。礼儀を知らぬもので」

「いえ、カイン様にとって私たちの存在は許せないものでしょう」

「あれはまだ若く、物事がまったく見えていないのです」


 困ったように言いながらも、にこりと笑う。リディアーナの耳元に顔を寄せて。


「リディアーナ様。彼は素直です。十日もかからないかもしれませんよ」


 こっそりと囁いて、ヴァルターに修行をつけに戻っていく。

 その評価はうれしくもあり。そして恐ろしくもあった。



◆ ◆ ◆



 リディアーナは専属メイドに少し一人にしてほしいと伝え、一人で与えられた部屋に戻っていく。


「マスターもスパルタね。十日で剣を極めろなんて」


 リディアーナの足元で、白猫の姿になったミルルリカが感心したように言った。


「理由がある負けならば、ヴァルターも受け容れるでしょう」

「マスターはフェンリルが負けると思っている?」

「さあ。勝敗はヴァルター次第ね」

「マスターが勝てと言えば、フェンリルは必ず勝つわよ」


 気合いだけでなんとかなるほど、騎士剣というものは簡単ではない気がした。


 もともとの力の差が圧倒的といえど、慣れない騎士剣というハンデを背負っての勝負。カインはおそらく小さいうちから辺境伯の手ほどきを受けているだろう。実践経験も十分なはずだ。でなければあんなに自信に溢れていない。


 ――それでも、リディアーナが勝てと言えばヴァルターは勝つだろう。どれだけ制約をつけても勝つだろう。


「勝ったら夫婦でこの地を治めるのよねー。マスターにもやっと領土と城が!」

「もしそうなってもここを魔界にはしないわよ。私は人間だもの」

「凍死しちゃうものね!」


 笑い話にもならない。


「ねえねえ、マスターはどうしたいの?」


「マスターもなんだか流されるままっぽいし。ほんとはどうしたいのかなって。前は魔王になりたくてなったんでしょ?」

「そうね……」


 三魔女は仲間内のノリと勢いで、当時の魔王を倒して魔王になった。崇高な理念も何もなかった。あったら三人がかりでなんて手段、取っていない。


(若気の至りだったわ)


 ではいまはどうか。いまの自分は何がしたいのか。リディアーナは己に問いかける。答えひとつしか思い浮かばなかった。


(お母様の仇を取りたい)


 魔族に殺された母親の仇を。

 ――どこの魔族かはわからない。いまも存在しているかもわからない。

 それでも、仇が取れたら。


「あなたたちと一緒に、どこかの地でゆっくりと暮らしていきたいわ」


 家が欲しい。安心して暮らせる家が。


「わあマスター、それってサイコー」


 嬉しそうに笑うミルルリカの姿がすっと影に溶ける。

 リディアーナの部屋の前に、誰かが立っていた。


 ――カイン・バルトロイが。


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