episode06 sideクロ
三日目の朝、僕と君は町外れの少女と老婆の家にいた。
目の前では枕にもたれかかるようにベッドで上体を起こす老婆の姿がある。
「魔女様ありがとうございます」
「いえ、痛みはありませんか?」
「ええ、ええ。身体中が痛くて起き上がるのも言葉を発するのも辛くて、早くお迎えが来てくれないかと願う日々だったのが嘘のようです」
老婆は弱々しくも笑みまで見せている。
ベッドサイドに膝をつき、少女は老婆に抱き付くようにベッドに身を乗り出している。
そんな少女の頭を愛おしげに撫でる老婆。
「この子の両親は都市に出稼ぎに行っていてね……仕送りはあるもののいつ帰ることやら。わたしが死んだらひとりぼっちでこの町で生きていかねばならない。後見人を見つける余力もなく、それだけが後悔だったのじゃが……おかげさまで町長がこの子を気にかけてくれると言うのでな。こうして話せるおかげで色々と伝えることができましたよ」
「それはよかったです」
嬉しそうな老婆を見つめる君の目は、どこか寂しそう。
眉尻を下げて困ったような笑みを貼り付けている。
ああ、そうだね。
元気そうに見えるけど、寿命は変わらない。
「魔女様、そんな悲しそうな顔をしないでください。この子もわたしも、分かっていますよ。さあ、マリー」
頭を撫でられてうっとりしていた少女――マリーは、老婆に名前を呼ばれて、静かに顔を上げた。
「おいで」
「おばあちゃん……っ」
マリーは瞳いっぱいに涙を溜めて、老婆の胸に飛び込んだ。二人はしばらく互いの存在を確かめ合うように抱き合っていた。
「さて、そろそろ横になろうかね」
老婆がそう言うと、グジグジ目元を擦ったマリーが老婆が横になる手助けをする。
横になった老婆は、ふぅーと長く息を吐いた。
そして君をじっと見つめて、皺くちゃの手を伸ばした。
君は老婆の意図することが分からないようで、戸惑っているのが空気を通して伝わってくる。はあ、やれやれ。
「なー」
「おやおや」
仕方がないので僕が見本を見せてやる。
伸ばされた老婆の手に、ふにっと肉球を押し付ける。老婆は何度も嬉しそうに頬を緩めている。
ほら、君もやってご覧。と見上げてやると、ようやくハッと気がついたようで、躊躇いながらも老婆の手を取った。
老婆は残された力で強く君の手を握った。
「ああ……魔女様、ありがとうねえ」
「そんな……私は何も」
老婆の感謝の言葉に僅かに視線を下げる君。
病気を治してやることも、寿命を延ばしてやることもできなかったのにって、素直に感謝の言葉を受け取れないらしい。まったく、まだ分からないのかね。
「いんや、わたしは心から感謝しているんですよ」
「え?」
そんな君に優しく言葉を紡ぐ老婆。
君はそっと視線をあげて老婆の顔をやっと見た。
「話すのも辛くて、もう二度と家族と会話することは叶わないと嘆いていたんだけどね……おかげで最期に言葉を交わすことができました。こんなに穏やかに逝けるなんてねえ。わたしは幸せ者ですよ。ありがとう、魔女様」
「っ、どう、いたしまして」
静かに手を解くと、老婆は今度はマリーを手招きする。
「手を握っていてくれるかい?」
「おばあちゃんっ、うん、うん。ずっと握ってるよ」
「ふふ、ありがとうねえ。わたしはマリーと一緒に暮らせて本当に幸せだったよ」
「マリーも、マリーもだよ」
「本当に、わたしは幸せ者だねえ……マリー、愛しているよ。幸せにおなり」
「おばあちゃんっ」
老婆は最期にそう言うと、天井を向いて静かに瞼を落とした。
次第に呼吸が浅くなっていく。やがて、老婆は息を引き取った。
「おばあちゃん……うっ、天国で、見守っていてね」
マリーはまだ温かい老婆に抱きついてわんわん泣いた。
泣き止んだ頃に、初老の男がやって来た。
何度か町で見たことがある。この男が町長だね。
「おや、魔女様。いらしていたのですね」
「おはようございます」
聞くところによると、老婆が自分は今日の朝に旅立つからあとのことは頼むと町長に言っていたのだとか。
あとのことは彼に任せるとして、僕たちはそろそろお暇しよう。
扉に向かおうとして、ドンッと小さな鈍い音がした。
マリーが後ろから君に突進して抱きついたらしい。
目をぱちくり瞬く君に、マリーは満面の笑みで言った。
「魔女様っ、ありがとう! おばあちゃんときちんとお別れができてよかった……おばあちゃん、すごく幸せそう」
ベッドで横たわる老婆に視線を流すと、なんとも満ち足りた顔をしていた。
「マリー、元気でね」
「うん」
君は躊躇いがちにマリーの頭をポンポン、と撫でた。
マリーは嬉しそうに泣き腫らした目を細めた。
◇◇◇
帰り道、君は箒で空を飛びながら、ローブの胸元から顔を出して風に当たっていた僕に声をかけて来た。
「ねえ、クロ。これでよかったのかな」
「にゃん」
「そっか……うん、ならよかった」
僕はそっと体重を後ろにかけて君にもたれかかる。
その意図に気付いた君は、フッと笑みを漏らすと僕の頭を撫でてくれた。
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