第5話

「うー……」


 しばらくして泣き止んだ少女は、和室に敷かれたままだった布団の上で横向きになってお腹を抑えていた。


「いくら美味しいからって、食べ過ぎだな。ま、確かに美翅の炊いたご飯は宇宙一美味いから、仕方ないかもしれないが」

「何を言っているのよ、もう」


 美翅はそう言うと、頬を赤くして悠一から視線を逸らした。


「でも、美味しそうに食べてくれるのは嬉しいかな」

「うぅぅ……」

「……苦しいところで申し訳ないが、ちょっといいか?」


 呻く少女に近寄り、膝を追った悠一が触れたのは、少女の首に巻かれた機械。

 突然の接近に、少女はびたりと固まってしまったが……悠一はお構いなしに首輪に顔を近づけた。


 やがて――。


「なるほどな」


 そう呟いて、顔を離す。


「どうしたの?」

「ほら、これだよ」


 美翅からの質問に、悠一はリビングから持ってきた新聞紙を開き、見出しに書かれていた文字を指さした。


『福岡研究施設にテロ』

「これ……」

「昨日の早朝に、擬態種研究施設がテロにあったらしい。死亡者数名、重傷者も数名。……行方不明、数名。尚、ヒトガタも含まれる。そして――」


 悠一は、少女の髪を掻き上げて、首輪に記されていた文字を顕にする。


『福岡支部AM0002』


 美翅は驚き、口を開いた。


「は、早く連絡して保護してもらった方が――」

「……それはどうだろう。少なくとも僕は、反対だな」

「え……?」


 悠一はしばらくの間少女の瞳を見つめて言った。


「何があった」

「…………」

「これは大事な質問なんだ」


 少女はヒトガタである。


 それはつまり、人類にとっての敵である事と限りなく等しい。


 ――僕と、同じ。


 悠一が先程示した紙面。

 見出しではなく、記事の中でライターはこう書いていた。


『行方不明となったヒトガタが、テロリストたちをてびきしたのではないか?』

「ひどい……」


 美翅が自然と漏らした呟きに、悠一は首を振った。


「分からない話じゃないよ。過去、ヒトガタの解放を謳って、関西でも同様のテロが起きたことがある」


 研究施設に対するテロというのは、前代未聞の事態というわけではなかった。

 歴史上、これまでにも同様の事件が起きている。


 そして、悠一が話した関西テロは十余年前に起きた事件だ。


 人間を食すという、擬態種にとってのアイデンティティーを奪われたヒトガタが哀れで仕方ないと――防除された首謀者が言った。

 悠一が少女に投げた「何があった?」という質問。


 要約すれば、つまり――。

 少女は、首謀者組織と繋がっているのか?


「――っ」


 少女はきっと目を見開き、身体を起こした。

 それから、ぶんぶんと強く、左右に首を振った。


「しらない」

「…………」

「ねてたら……おおきなおとがして。へやに、けがしたひとがきて。……きづいたら、あのおとこのひとが、わたしを、はこんでた」

「――なるほどな」


 少女のたどたどしい証言を信用するのであれば、それは誘拐だ。

 テロ集団の目的がヒトガタの解放であるのだとすれば、不自然な点はない。


「よしっ」


 悠一は軽く少女の頭を撫でた。少女は呆然として、触れられた頭に両手の指先を当てて、そのまま立ち上がる悠一の姿を目で追った。


「連絡は一旦見送る」

「……どうして?」


 美翅からの問に、悠一ははっきりと答えた。


「危険だからだ」

「危険?」

「まだ、テロの実行犯は一人も捕まっていないらしい。今、この段階でこいつを引き渡したところで、疑いは晴れない。きっと、碌な目にあわない」

「……それは――」


 美翅は少しの間無言で考え、それから意を決したように顔を持ち上げる。


「……悠一くんは、少し優しすぎるよ」


 美翅が首をぶんぶんと振って、顔を持ち上げた。


「わたしも、かわいそうだって思う。でも、ここに匿うことは……たぶん、悠一くんにとってはリスクにしかならない」

「……例えそうだとしてもさ。あんな美味しそうにご飯を食べる顔を見せられて……満足な食事も与えられるか分からないような場所に、こいつを放れないよ」


 美翅は俯き、暗い顔をして押し黙った。

 悠一はそんな美翅に、続けざまに言った。


「引き渡すにしても、事件の全容が明らかになるまでは、待つべきだ」

「……うん、そうだね。ごめん。悠一くんの言う通りだと思う」

「いや……」

「……どうして?」

「え?」


 それは、少女から投げかけられた問だった。

 少女には分からなかったのだ。


 美翅の言う通り、ヒトガタを匿うメリットは一つとしてない。

 難しい理屈など分からない少女でも、これまでの人生経験から、自分が避けられていることを知っていた。


 だから、「どうして」と聞いた。


「"仲間"を助けることに、どんな理由が必要だ」


 きっぱりと、迷いなく悠一は口にした。


「少なくとも僕はキミのことを"仲間"だと……同胞だと、勝手にだけど思ってる」

「……っ」


 少女はぐっと握りこぶしを作り、顔を持ち上げた。

 真摯に悠一の瞳を見据えて、口を開く。


「か、カイリ!」

「あ?」

「カイリ。わたし、そうよばれてた……から」


 語尾が小さくなっていく少女。

 それから悠一は、小さく何度か「カイリ」と口にして、うんと頷いた。


「わかった。僕の名前は悠一、こっちは美翅。好きに呼んでくれ」

「う、うん。……ゆういち。……みう」


 気恥ずかしいのか、視線を逸らして二人の名前を呼んだ少女。悠一は頬を少しだけ赤くして、後ろ頭を掻く仕草をして照れを隠した。


「…………」


 対して、美翅は表情が何処か暗く……影が刺していた。


「あ、あの――」


 それから、カイリは語った。

 言葉足らずになろうとも。


 すべてを伝える事が、悠一たちへの恩返しになるのだと信じた。

 何がどうして――今日、自分はこの街に来たのかを。

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