episode.01 遭遇戦

第1話

   ◆◆◆五年前


 ――どうして、僕はこんなことをしているのだろうか。


 オーソドックスな黒の学生服に身を包んだ青年が、暗い路地裏に立ち竦む。


 ビルとビルの隙間にぽっかりと生まれ、丁度コンビニの裏口が見え隠れするその場所で、青年――"谷村悠一"の足元には、数分前まで『人間だった』、肉片が転がっていた。


 引きちぎられた四肢は辺りに転がり、数えてみれば、部位がどうしたって足りない。

 そんな悠一の左手には、切断された"二の腕"が握られている。


「…………」


 悠一はそんな"人間だったものの欠片"を強く握りしめ、顔を俯かせた。


 然るべき専門の人間でなくとも、この惨状を見れば一目瞭然である。

 ――ここが『捕食現場』であったことは、間違いない。


 だとすれば、そんな捕食現場で被害者の遺体の一部を握りしめる悠一は――。


 擬態種は食い好みをする。

 捕食事件の現場において、綺麗に丸ごと、被害者の身体が食い尽くされることは稀だ。


 擬態種が人間の歴史に姿を現して、数年が経過した。

 これまで防除されてきた擬態種の証言や研究成果から、彼らの生態は明らかになりつつある。

 とある擬態種が、自らが捕まる危険性を厭わずに、自費出版で発行し、世間に浸透した本がある。

 その本には、事細かに食人に対する彼らの考えが記載されていた。


・女、子どもの肉は柔らかい。男は大抵固く、生で食すには向かない。

・白人はまずい。フランスよりはスペイン。アメリカよりは、まだイギリス。

・臭みが増したジビエ。慣れないうちは香辛料を使って、丁寧に調理すべし。

・古くなった肉は、腸詰めがオススメだ。

・人によっては、血液だけ飲む輩もいる。オレには理解できないね。


 テレビで報道される捕食事件の数は月単位で一度、あるかないか。

 背景には、そもそも道端で人を殺し、そのまま生で齧りつく擬態種が圧倒的に少ないことが挙げられる。


 ここ数年で急上昇したと言われる行方不明者の数が、捕食事件の被害者を表しているのではないかと囁かれていた。


 しかし、時に人の目に付く場所で犯行におよび、惨憺たる現場を残して立ち去る擬態種も存在した。


 緊急事態。

 趣味嗜好。

 性的興奮。


 そこには、彼らにしか分かり得ない、確固たる理由が存在する。

 今宵、人目が少ない場所とは言え、まだ日付も変わっていないような時間に犯行が行われたことにも――そうすべき理由が間違いなくあったのだ。


「……これで、なんとか……」


 悠一は握りしめた肉片をジップロックに丁寧に入れ、新聞紙で包んで鞄に放り込んだ。それから、ウェットティッシュで、血に濡れた両手を拭う。ゴミを捨てて帰るわけにはいかないので、拭いたティッシュも鞄に投げ入れる。


 ――ピロロン。


 鳴り響く電子音に、悠一は我を取り戻す。

 慌てて周囲の状況を確認し……人気がないことに安堵した。

 ポケットからスマホを取り出して、メッセージを確認する。


『悠一どこいんの?』


 それは電車に乗って、一緒にこの街へ遊びに来ていた友人からのものだった。

 友人は同じ学校に通う、悠一とは違う"ただの人間"だ。

 楽器屋を見て回ると言って一人デパートへ行き、悠一とは別行動。

 そしてお互い用事が終わったタイミングで、こうして連絡を取り合って落ち合う。


 いつもの流れだ。

 なにも不審な点はない。


「…………」

『すぐ行く。駅前で待ってて』


 ――ピロロン。

 すぐにレスが付き、返事がきた。


『あいよ』


 人目に付く前に。

 そう考え、すぐに現場を後にした。


「……助かった」


 そんな小さな声が、路地裏に響く。


 それからしばらくして――。

 事件現場のすぐ近くにあったコンビニの裏口から、一人の男が顔を覗かせた。


「っしょ、ふう……」


 その日の廃棄品を詰め込んだ大きな袋を指定された場所に運び、息を吐く。

 そこで、――鼻につく、異臭に気がついた。


「んだ、この臭い。……昨日の分、回収されてないのか?」


 向けられた視線。

 驚愕に染まる瞳。


「ひ、ひゃあああっ! だ、だれかっ!」


 驚きの色で塗り固められた男の声が、夜の世界にこだました。


   ***


 瞼越しの瞳を焦がすようなまばゆい朝日が悠一の意識を覚醒させる。


「おはよう悠一くん。朝だよ?」


 漂ってくる香りはバニラのように甘く、その声は無慈悲に悠一を叩き起こした朝日よりもずっと優しく、撫でるように鼓膜を揺らした。


「ほら、起きないと大変だよ? 学校、遅刻しちゃうから」


 ――目覚まし、目覚まし……。


 悠一は固着した瞼を落としたまま、ふらふらと手を動かす。


「あ、こ、こらっ。どこ触ってるのよ」


 恥ずかし気な声と共に、柔らかな感触。

 およそ、無機物であるところのスマートフォンとは思えない。


「もうっ。寝坊助な悠一くんは――こうだっ」


 ぐっ、と頬をつねるような感触。

 痛くはない……が、意識だけは否応にでも覚醒していく。


「……美翅(みう)?」

「おはよ。朝ですよー?」


 そこには、"同じベッド"の上で横になる幼馴染の顔があった。

 途端に鼓動が早くなり、そしてこの異常事態に警鐘が鳴らされる。


「え。……えっ。え、あ、いや! な、なんでお前……僕のベッドに」

「やだなぁ。いつも一緒に寝てるのに」

「い、いつも、一緒……? そんな馬鹿なこと――」

「まだ寝ぼけてるの? ふふ、可愛いんだから」


 こつん、と額を指先でつつかれた。


 ――なんだっ? 何がどうなっているんだっ?


 あまりのことに悠一はすでにパニック状態で、心臓の鼓動も荒い。

 だが――もしかしたら、そうだったかもしれないと思い始めていた。


 悠一と美翅は幼馴染である。

 そして二人が同居しているというのは間違いなく正しい。


 同じベッドで眠る――なんてことはこれまで一度もしたことがなかったが……いや、幼い頃には一度か二度かはあったかもしれない。

 いいや、しかし目の前で美翅自身が「いつも一緒に寝てる」と言っているのだ。であれば、間違える訳がない。きっとそうなのだ。二人はいつも、同じベッドで眠り、そしてこうやって起こしてもらっているのだ。


「そう、だったか」

「うんそうだよ。だから、『谷村、起きなさい』」

「はは、何だよ急に苗字で呼んでさ。いつも、下の名前で呼ぶ癖に」

「『谷村』」

「だから、どうしたんだ? もしかして照れてるのか? いや、確かにこの状況を俯瞰してみるとそうなってもおかしくないかもしれないが……でも、僕たちは」

「『谷村ぁっ!!!』」


「ふぐ」


 ――バシン、と大きな音が教室に響く。


 同時に、後頭部に軽い衝撃。

 眼前で微笑んでいた美翅はぼやけるとそのまま姿を消し、開いた瞼と眼球に映り込むのは見慣れない朝の一幕ではなく、見慣れた教室。


 むくりと身体を起こし、すぐ傍には丸めた教科書を持って立ち竦む厳つい男性教師の姿があった。


「おはよう。『谷村』」

「たはは……はい。おはようございます!」


 ばっと立ち上がってはっきりとした物言いで悠一がそう返すと、どっ、とクラス中で笑いが起こった。悠一はその笑い声を聞くと、今度はびしっと敬礼してみせる。さらに笑いが拡散して――怒っていた教師も息を吐いて背を向けた。


「まあいい。とりあえず寝るな」

「了解であります!」


 明るく朗らかで、クラスのムードメーカー。

 どんな時でも一笑いを起こそうとするまるでピエロじみた行動が積み重なり、学内で彼の一挙手一投足には基本的に笑いが付いて来る。


 悠一が座り、小さく息をつく。

 すると、今度は背後から小さな声を彼に届いた。


「よだれ、めっちゃたれてんぞ」

「まじ?」


 見れば机の上には彼の涎が作った水たまり。

 慌てて、悠一はポケットからハンカチを取り出した。


 ――と、そこでハンカチと共に小さな紙きれが一枚、落ちて来る。

 ひらりはらり、と宙を舞ったそれを悠一は拾い上げた。


『お疲れ様です。ありがとう』


 悠一がいつも持っているハンカチは、同居する幼馴染の美翅がいつも折りたたんでテーブルに置いてくれている。今日も今日とて、それを無意識でポケットに放り投げてきたわけだが……その突然の手紙に、悠一は驚きつつ、笑顔を零す。


「どうした? 悠一」


 背後から聞こえる声に、悠一は軽く「いいや?」と返事をした。


 いつもと変わらない日々。

 いつもと変わらない午後。


 この平穏を守る為なら、僕は……。


 ――どれだけの"悪"にだって、なってやるさ。

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