第14話 不屈の約束


ヤバいヤバいヤバい!


心中でそう叫びつつ、声を出さないよう手で口を押さえ木の陰で縮こまる。

そんな聡と木を挟んだ向こう側を、バキバキとを踏み固めながらその巨大な二足歩行の何かは素通りしていった。

足音が聞こえなくなるまで音を潜めていた聡は、周囲から物音が聞こえなくなった事を確認するとホッと一息をつく。


「……レベルが違う」


今まで戦ってきた動物達がペット用の小動物に見える様な巨大生物。

今のも合わせてこれまで三度もそれと遭遇してきた聡の神経はかなり摩耗していた。


挫けそうな心を叱咤し立ち上がる。あの霧は森の外縁部にしか充満していなかったらしく、この森は鬱蒼としているがそこそこ遠くまで見通せるのだ。

もし偽エリックが森の入り口で待ち伏せしているのならまだいい。

しかし、もしこちらを追ってきているのなら出来るだけ移動を続けた方がいいだろう。


念のため足跡をあまり残さない様に硬い地面を歩いたり、定期的に土魔法で広範囲の地面を覆った上を渡り、進行方向を誤魔化したりはしているが……所詮は素人の浅知恵だ。効果はあまり期待できない。


「エリックさん……マジで頼みますよ……」


腕輪を見ればC字型の円環はほとんど真っ白に染まっている。魔力ももうじき尽きるだろう。

状況は絶望的。しかし聡は諦めない、挫けない。


もしあの陽気な騎士が間に合わなかったとしても、最期まで生き足掻いてやる。潔い死自害なんて真っ平ごめんだ。


恐怖のあまり、一周回って太々ふてぶてしくなった賢者が再び歩き出そうとしたその時——ザッと、背後から何かが着地するような音が聞こえた。



◇◇◇



その頃、エリックは霧を纏う森の前にたどり着いていた。

襲いかかってきた見たこともない生物、頭からウネウネと触手を生やした馬の様な化け物を片手間に一刀両断したエリックは、ポケットから金の糸束を取り出す。


糸導ストリングスパス


静かな詠唱と共に金の糸が輝き始める。その状態で、エリックが糸の端を摘み一周分の糸を出すと、その糸はまるで時を止めたかの様にその場所に固定された。


糸束をポケットに再度押し込み数メートル歩く。するとポケットの中でシュルシュルと勝手に解けた糸がどんどん浮かび上がり、エリックの通った跡を照らし出していく。


「……これ無理だったら俺も諸共なんだよな」


『魔霧の森』と呼ばれるこの森の最大の特徴、というより唯一判明している・・・・・・・・特徴が、森の周囲に漂っているこの霧を通り抜けると戻れなくなる、というものだ。

以前、長いロープをつけた犬を投入し、暫く待って引き戻せるかという実験が行われた。

その結果、犬が森に突入した瞬間にロープが途中から消失・・したのだ。


その後も様々な検証が行われ、結果立てられた仮説が『魔力を纏った物体が霧を通り抜けると森の何処かへ強制転移させるのではないか』というもの。

それは言い換えれば、魔力を纏った物体が通り抜け・・・・切らなければ・・・・・・強制転移は発動しないという事である。

もしこの仮説が正しいのなら、魔力を纏い、使用者の帰り道を照らし導くこの魔法具『金輝の導糸』を使えばエリックは聡共々この森から脱出できるのだ。


ただ、その仮説の実証実験はまだ行われていないため、生還できる確証は無い。


先に試しとけよババア、などと呟きながら乾いた笑みを浮かべたエリックはしかし、一切の躊躇なく森の中へと足を踏み入れていった。



◇◇◇



「ウインドブラスト!!」


何が、という考えをすっ飛ばした反射行動。

己の脇腹に剛風の爆弾を叩きつけるという自傷行為を敢行した聡は、吹き飛ばされたことで上下・・が逆さになったまま一瞬前に自分がいた場所に振り下ろされた巨斧を目撃し、己の一手が最善だった事を知った。


「シッッ!」


「ロックウォール!」


体を必死に制動し、創り出した超急勾配足場を蹴って横に跳ぶ。

すぐ横を飛んでいった短剣に顔を引き攣らせつつ、手近な木の幹を片手で抱き付くように掴み急停止。

そして一瞬だけ身体強化魔法を発動すると、全力のバックステップで背後の草むらに飛び込み、追跡者偽エリックの目から身を隠した。


「待ちやがれぇ!」


背後から追いかけてくる癇癪混じりの大声を無視しながら、聡は今の今まで気にしない様にしていた紫の煙を頼りに疾走する。


もう十分に耐えた。おそらくエリックもそろそろ付近まで来ているはずだ。というか来てないと本格的に詰みである。


草むらを抜け、また別の草むらへ。当てずっぽうで飛んでくる短剣や拳大の石にヒヤヒヤしながら突き進む。

そして草むらを抜けた聡は、目の前の景色に小さく呻き声を上げた。


見通せる範囲に草むらがない。


逃走するのに最適な遮蔽物がないことに思わず足を止め、振り返る。

このまま進むと見つかるのは時間の問題だ。なら草むらへ戻った方が良いのではないか?


そんな躊躇いは少し離れた場所で宙を舞う切断された大量の草を見ることですぐに消え失せた。

『かくれんぼ』という次善策を下策に変え、ついでに逃げ道も封じる。確実にこちらのを潰してくる偽エリックに舌打ちしながら再び走り出す。


とにかく距離だ。距離を稼げさえすればまだ希望はある。


しかし、そんな聡を嘲笑うかの様にそれは振り下ろされた。


「フンッ!」


「っ!?」


頭上から聞こえた声になんとか反応し、我武者羅に横へ体を投げ出す。

振り下ろされた斧がドゴォンッ!と大地を凹ませる音を聞きながら無様に地を転がる聡は、この絶望の逃避行が終わったのだと悟り、そっと静かに目を瞑った。





「おぉ、よく避けれたな」


不意に、場違いに明るい声が掛けられた。

なんの気まぐれか、向こうは聡との対話を望んでいるらしい。


なら答えてやろう。お前の油断を利用してやる。

そう決意し、立ち上がろうとして——愕然とした。


手足の震えが止まらない。一度諦めた心が楽になれと、もう生き足掻くなと誘惑してくるのだ。


「っ……………ぁぁっ!」


それでも、立ち上がる。今ある全ての気力を振り絞り起立した聡は、キッと偽エリックを睨んだ。


「……何でですか」


「あん?」


こちらの様相を嘲笑する様に顔を歪めた男に問いかける。


「何で僕を殺そうとするんですか?」


「お前……まだ状況読めてねぇのか?」


そんなもの、まったく読めていないに決まっている。

ここはいったい何処なのか。目の前の男お前が誰なのか。なぜ自分が殺されようとしているのか。

分からない。分からないながらも知った風を装い会話を繋ぐ時間を稼ぐ


「そう命令されたから、ですか?でも誰から——」


「国王陛下からだ」


…………は?


意味不明な言葉に二の句を継げなくなった。国王が?いや、そんなはずが無い。流石にそれは嘘だ。

たとえ王の本性が人を人として扱わない様な屑だったとしても、今の所大人しく国に従っているを切り捨てるには早すぎるはずだ。

余程の事がない限り、先ずは戦争に投入して様子を見るだろう。


なら何故この男は嘘を吐いた?自分が偽物だと気付かれていないとでも思っているのだろうか。

……いや違う。まさかこの男、嘘を吐いていな———



刹那の熟考の末、聡がとある結論に辿り着こうとした瞬間、比喩抜きに空気が震えた。


土が飛び散る。草も根っこから引き抜かれていき、木すらも風に煽られグラグラと激しく揺れ始める。

魔法を使っている様子がないにも関わらず、気迫だけで周辺環境を吹き飛ばしていく偽物エリックの加減抜きの殺気。

真正面からソレを浴びた聡は、最後まで己を縛っていた冷静さをかなぐり捨てしまった。


「ファイヤーブラスト!」


掌から豪炎が走る。直径2メートルを越えんとするそれはしかし、軽くスイングされた両刃斧によってあっさりと打ち返された。

慌てて『オールガード』を発動し受け止めながらほんの少し落ち着きを取り戻し、無駄に魔力を浪費した己を非難する。


分かりきっていた事だが、魔法は絶対に通用しない。剣も偽物から渡された物であったため追跡魔法GPS的なものを警戒して逃走段階で捨ててしまった。もちろん徒手空拳ステゴロは論外だ。


攻め手が無く、逃走もここまで万全な状態で近づかれては不可能。相手の実力が未知数な以上、回避できると考えるのはあまりにも楽観的……結論、これまで一度も破られていない古代の魔法オールガードに賭けて防御するしかない。


「まだ……時間さえ稼げばっ!」


「させねぇよ!!」


魔法陣を両手に展開するのと同時に、男が動いた。

瞬きの間に間合いを詰め、巨斧を大上段から振り下ろす。

その一連の流れは、聡の反応速度を遥か後方へと突き放していた。

しかし次の瞬間、必殺の一撃は魔法陣に阻まれ不協和音を響かせながら動きを止める。

完全に予想外の展開だったのか、偽物は僅かに驚嘆の表情を浮かべた。


これまでの訓練で培われた相手の出方を予測する技能。そしてとある仮説・・・・・に基づいた勘により、聡は攻撃される箇所を正確に読んでいた。


黒斧と白輪がせめぎ合う。しかし拮抗はたったの一瞬で、斧は結界に一筋のヒビを入れ、ジリジリとめり込み始めた。


「っ———!」


声にならない悲鳴を上げ、一心不乱に魔力を込め魔法陣を維持せんとする。

しかし、必死の抵抗を嘲笑うかのようにヒビの数はだんだんと加速度的に増えていく。

そして突然、フッと全身から力が抜けた。


「死ね!賢者ぁ!」


「っ!うぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!」


根性で一瞬虚脱し掛けた体を持ち直す。腕輪を見るまでもなく、魔力が底を尽きたことを察した聡はそれでも魔法陣を維持し続ける。

何故まだ魔法を行使できているのか、という疑問を振り切って、賢者は絶叫した。





エリック偽物は見た。己に抗う少年から段々と生気が抜けていく様を。

髪から色が抜け、腕は一回り細くなり、顔がげっそりとやつれていく姿を。



賢者は気づいていた。これ以上抗うと、たとえ命を繋ぐ事ができたとしてもその代償に苦しむことになるだろう事を。

命が零れ落ちていく。ゆっくりと、しかし確実に。

それでも少年は抵抗する。それは死への恐怖からか、それとも——



『——生きて……僕の分まで』



——約束。

そうだ。約束だ。伊藤聡は生きなければならない。この逆境に屈してはいけない——!


能動的に命を絞り出す。絞り出た命は魔力へと変換され、結界を維持する糧となる。

それは完全に自殺行為だ。生命力を魔力に変換するなど、一歩間違えればそのまま命を落としかねない。

しかし多大なリスクを背負った聡の意地は、相応のリターンを掴み取り始めた。


突如、斧の進撃が止まった。

驚きに目を見張る男の前で、白円に刻まれていた幾筋もの亀裂が中央から急速に修復されていく。

そうしてヒビを完治し、新しく入った亀裂も片っ端から消していく魔法陣が未だ激しく輝いているのは、魔力が飽和している証左。

偽エリックがいくら力を込めても魔力リソース過多な結界は微動だにせず、更に輝きを増していく。

そして遂に、斧を押し返し始めた。


「っ!?おまっ、どっからそんな力を!?」


「ァァァッ———————!」


純白の円盤の下から黄色の光が仄かに漏れる。

オールガード二枚と身体強化魔法枚、計六枚・・・の魔法陣の平行発動。

これまで魔法を二枚しか同時行使できなかった賢者は、この土壇場で己の限界を突き破っていた。


じっくりと、しかし確実に斧と結界の境界線が持ち上がっていく。

ステータスでは圧倒的にまさっているはずの男は、己が競り負けている現状に驚愕し、目を疑い……ほんの僅かに、気を逸らしてしまった。


「んな馬鹿な——うおっ!?」


クイっと、正面から押し寄せてくる圧力を受け流すように魔法陣を右に傾ける。

それだけで、何かに気を取られていた様子の偽物は突然の出来事に反応しきれず、近くの木を吹き飛ばしながら盛大に体制を崩した。


好機チャンスだ。


己の冷静なところが何やら引き止めようと騒ぎ立てている気がするが、今は思い過ごしだと断じ無視する。致命的な隙を晒した敵に両の手をかざし、自然と頭に浮かんできた見覚えの無い魔法・・・・・・・・を浮かべ、唱えた。


「死ね」


黒雷が放たれ、着弾し、黒光が視界一杯に閃く。

その光の奥に倒れゆく人影を確かに目視しながら、聡はゆっくりと意識を手放して———


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