第2話
胸が苦しい。息ができない。重いものに潰されているような圧迫感と息苦しさ。
そして、暑い!
「お兄ちゃん! 何してんの!」
この声は……妹のシオン!? なぜ? 俺は生きているのか?
「寝ぼけてないで早く起きなさいよ! 今日、入学式なんでしょ? 遅れるよ!」
目を開けると、頬を膨らませた子供っぽい顔と見慣れた部屋の天井が見えた。
「あ、起きた」
「人の上に乗るんじゃねえ! 暑いし重い!」
俺はシオンを押しのけて、ベッドからガバッと身を起こした。どう見ても俺の部屋。カーテンは開いていて、朝日が差し込んでいる。
「俺……助かったのか?」
「何言ってんの? 頭おかしくなった?」
「いや、だって、俺、廊下で倒れた後、どうなったんだ?」
「はあ? お兄ちゃん、倒れたの? なんで?」
「なんでって……高校生活ももう終わりだと思って、卒業式のあとに……」
「ちょっとちょっと。まだ高校に入ってもいないのに、何言ってるの? 怖いんだけど……」
「高校に入ってない……?」
「だって今日が高校の入学式じゃん」
「シオン、それ、本当なのか?」
「自分でスケジュール見ればいいじゃん……」
あきれた様子のシオン。ふざけたり、からかったりしているようには見えない。
なんだこれ。わけが分からない。俺は寝ぼけているのか? さっきのは夢? いや、そんなはずはない。確かに俺は、高校で三年間を過ごしたという記憶がある。
スマホ画面を見た。
「四月十日!? シオン、今、何年だ!?」
「今日から私は中二だけど」
「そうじゃない。西暦何年?」
「2023年でしょ」
愕然とした。俺が高校を卒業したのは2026年の三月。約三年の時間が巻き戻ったことになる。
これって、つまり……タイムリープ!? もしかして俺って、時間を操れる系の能力者!? ちょっと待て。記憶を整理しよう。俺は高校の卒業式の後、クラスで一番可愛いユウカに告白して派手にフラれた。それで後悔していたら、急に胸が苦しくなって、意識がなくなった。その先は何も覚えていない。
そして、目を覚ましたと思えば、高校の入学式の日に戻っている。
なんで……?
少し考えて、俺は天才的な結論を弾き出した。
俺は高校の三年間、女子とほとんど接点がないまま過ごした。そして、もっと運命的で劇的な出会いがあればよかったのに、と思いながら突然死した。そこで、慈悲深い神様的な人が、俺に出会いからやり直すチャンスをくれたのだ! そうに違いない!
「この状況、すべて理解したぞ。アニメやマンガでよくあるヤツだ。予習しておいてよかったぜ」
「は? 何? お兄ちゃん、マジでキショいんだけど……」
「妹よ。どいてくれ。兄は忙しい。これから美少女との運命的な出会いが待っているんだからな!」
「あ、うん、どうでもいいけど、警察のお世話になるようなことだけはやめてね。朝ご飯はキッチンに置いてあるから」
白い眼をして去っていく妹。
俺はすぐに制服に着替えて家を出ることにした。今、七時五十分なので、もう少しすれば、みな登校し始めるはずだ。あまり時間の余裕があるとは言えないので、朝ご飯なんて食べている場合ではない。
たいてい運命的な出会いは、通学路で起こる……ような気がする。例えば学校へ急いでいて美少女とぶつかったり、空から美少女が降ってきたり、不良に絡まれている美少女を助けたりだ。
とにかく何らかの接点、きっかけを作る必要がある。それも、人間関係のグループが出来上がる前、つまり入学式前なら最高だ。そのあと、しれっと教室で再会して、「あっ! 今朝、助けてくれた人ですよね……?」などというふうに、展開が進んでいけば、来月辺りには俺の彼女になっていること間違いなしだ。
そういうわけで、善は急げ。俺は自転車に乗って自宅を飛び出した。
向かうはクラスで一番可愛いユウカの家……ではない。NOだ! あいつは性格ブスのビッチだと判明したから論外。だからクラスで二番目に可愛かったチサトの家を目指す。家の近くで待ち伏せすれば、確実に何らかの接点を作れるだろう。
ちなみに、クラスの可愛い女子の家は、独自の調査によって把握している。こんなときのために調べておいて正解だったぜ。
途中、見知らぬ婆さんが、横断歩道で転んでいた。気の毒だが、見なかったことにして、とにかくチサトのところへ急いだ。なんせ高校の三年間がかかっているのだから、時間は大切にしなきゃならない。
俺の記憶によると、確か入学式に遅刻してきた恥ずかしいヤツが一人いたはずだ。もし美少女と運命的な出会いを果たしても、式に遅刻していたのでは格好が悪すぎる。あんな見知らぬ婆さんは無視するのが正解だ。
十分ほど自転車を走らせると、チサトの家の前に着いた。ひと目で裕福だと分かる、立派な一戸建てだ。ちなみにチサトは、育ちの良さをうかがわせる、おっとりした性格のお嬢様だ。温厚で、器が広くて、性格ブスのユウカとは対照的。
ところで、家の前に来たのはいいが、ただ待っているだけでは平凡な出会いにしかならないような気がしてきた。
どうすれば運命的な出会いになるんだ?
都合よく女性に絡んでくれそうな不良が歩いているわけもない。いたとしても、正直、俺は不良を追い払える自信も勇気もない。
そうだ! とりあえず、曲がり角でぶつかろう。それで、倒れそうになったチサトを抱き留め、紳士的に振る舞い、好感度を上げる。名前は名乗らず、入学式で再会すれば、自然と会話できるに違いない!
俺は作戦を実行すべく、チサトの家が見える曲がり角に隠れて待機した。
さあ、来い!
しばし待っていると、制服姿のチサトが玄関から出てきた。豊かなロングヘアがふわりと風になびく。……可愛い。あんな美少女とイチャイチャしたい!
なぜかチサトの後に着飾った両親も現われた。三人は車に乗り込む。高そうな黒のBMW。
両親も式に参加するなんて想定外だ! これじゃ、チサトとぶつかれない。運命的な出会いも起こらない……。
車にエンジンがかかった。
どうしたらいいんだ!? このままチサトを見送って、のこのこ登校したのでは、今までの三年間と何も変わらないではないか。せっかく神様がくれたチャンスなのに。だけど車に乗ってしまった以上、もう声をかけることもできない。
こうなったら、今から別の女子のところへ行くか? いや、もう間に合わないかもしれない。時間がない。
BMWがゆっくりと門から出て、俺が隠れている曲がり角へ向かってくる。助手席にチサトが見える。やっぱり可愛い。あんなお嬢様な女子と普通におしゃべりしてみたい。お近づきになりたい。そのきっかけが欲しい。もうあんな、灰色の三年間を繰り返したくない!
俺は決意して、車の前に飛び出した。とにかく接点を作りたいという気持ちが、俺を駆り立てたのだ。車はあまりスピードを出していなかったが、急ブレーキを踏んで制御を失い、スリップした。チサトの驚いた顔。迫りくる鋼鉄の塊。
衝撃、そして浮遊感。
俺は車にぶつかって吹っ飛ばされ、アスファルトに叩きつけられた。
頭がクラクラして、やけに暗い青空がぼんやりと見えていた。誰かの悲鳴が聞こえる。頭が濡れている気がして、手で触ってみたら、血黒いものがべったりと付いていた。
「おいおい、マジかよ。これって、やばくね?」
そう呟こうとしたのに、呂律(ろれつ)が回らない。
「大丈夫ですか!? ねえ!」
チサトが俺をのぞきこんでいる。だけど、視界がぼやけて、顔がよく見えなくなっていく。どんどん暗くなっていく。
どうやら俺は失敗したみたいだ。打ち所が悪かったらしい。考えてみれば、車の前に飛び出すなんて愚かだった。最悪の出会いだ。
せっかくタイムリープしたというのに、また死ぬのか……?
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