王の護衛官に任命されたので、可愛い三人娘と城で楽しく暮らそうと思います
野地マルテ
《第一部》妻の実家警備員から王の護衛官になる。しかも近衛副団長の肩書き付きで。
第1話 さっそく因縁をつけられる
「フンッ! 五年も騎士業を休み、十二年も田舎に引き篭もっていた軟弱者に今更何が出来る。さっさと嫁さんの実家へ帰るんだなァ!」
袖に四本線が入った真新しい灰色の制服を、外套の隙間からチラつかせながら、男は宣う。
後ろに撫で付けたくすんだ茶髪、嫌味なほど整えられた細い口髭、身長は騎士にしてはやや低めだが、そこそこ体格は良さそうだ。腰に差した剣も上物だと思われる。年齢は三十代半ばぐらいか。一目でそれなりの階級者だと分かった。
(腕の四本線……。この男、どこかの部隊の新しい団長か)
登城して早々、おかしな奴に捕まってしまったと「彼は」心の中でため息をつく。
ここは近衛部隊の詰所の前、なるべくなら王城敷地内で騒ぎを起こしたくないが、無視して立ち去ったところで、これからもこの男は絡んでくるだろう。
ちなみに彼はこの男のことをよく知らない。なんとなく顔は見たことがあるような気がするのだが、名前までは思い出せない。何せ、王立騎士団には騎士や一般兵、その他内勤者含め約八千人もの所属者がいるのだから。いくら横の繋がりが強い騎士団とはいえ、知らないものは知らない。
(面倒だが……)
仕方がない、と彼は諦めると、はめていた白手袋をはずし、石畳の床の上に投げつける。パシッと乾いた音が響いた。
彼は嫌々、因縁をつけてきたよく知らない人間に決闘を挑んだ。
「拾え。俺の剣がなまくらかどうか、自分の目で確かめるんだな」
「……面白い。一度貴様と剣を交えてみたかったんだよ、『宗国の猟犬』さんよォ」
男は彼のことを『宗国の猟犬』と呼び、にやりと口元を歪ませると白手袋を拾い上げ、彼に投げ返す。
軍事力が高く、戦争に勝ち続けているこの国は『宗国』と言う。彼はその宗国の『猟犬』と呼ばれていた。
男は腰に差した剣の柄を握る。そしてそれを勢いよく引き抜いた。
剣を抜いた男は、すぐに違和感に気がつく。にやついた表情は一転、小さな目を見開かせると、ぴたりと手を止めた。
驚愕の表情を浮かべる男とは裏腹に、涼しい顔を崩さない彼は淡々と尋ねる。
「どうした?」
「ああぁっっ! お、俺の剣が……!」
男の剣は刃が短くなっていた。小指の先ほどしかない。そのなけなしの刃も、ぴしりと亀裂が入ると、ポロポロと崩れ落ちていく。
「……騎士ならば、剣の手入れは怠るなよ」
彼は決闘は無効だと言わんばかりに、スッと踵を返し、白手袋をはめ直す。
すると、すぐに後ろから怒号が飛んできた。
「おい、逃げるんじゃねえ!」
彼の肩が掴まれようとしたその瞬間、男の身体は宙に浮いた。
「えっ」
彼は男の制服の胸元を思い切り掴むと、片腕をひっぱり、そのままブンッと背負い投げた。
男の身体が吹っ飛び、土嚢が詰まれた一角に背中からどすんと音を立てて落ちる。
辺りには軽く砂埃が舞った。
彼は切れ長の目を細めながら、手のひらをぱんぱんと打ち鳴らす。
「く、くそ、舐めた真似を……!」
「これ以上は止めておけ。貴様は新任の団長か、補佐官の長だろう? 騒ぎを起こせば降格だぞ」
「へっ、望むところだ!」
(望んでいるのか……)
本当におかしなやつに捕まってしまったと、彼は心の中でまたため息をつく。
上の立場に就きたくないと思う人間は珍しくないが、だからと言って他の人間に喧嘩を売ってまで昇進を逃れようとするバカは稀だ。
男はすぐに立ち上がると、拳を振り上げ、「うおぉぉぉっっ!」と雄叫びをあげながらこちらへ向かってくる。
彼はそんな男の後ろへサッと回り込んだ。彼の深緑色の瞳が陰鬱な光を放つ。
「遅いな」
「ひっっ!」
彼は男の首にトンッと手刀を打ち下ろす。すると、男は「あぁぁ……ん」と、か細い声を漏らしながら半目をむき、そのまま膝から崩れ落ちた。
「おい、誰かこの男を片付けておけ」
「は、はい!」
彼は形の良い顎をくいっと上向かせると、びくびくとこちらの様子を窺っていた他の騎士達に命令する。
「この男は何者だ?」
「はい、特務部隊団長のブルーノ殿です!」
「特務部隊……団長?」
倒れた時に切ったのだろう、唇から血を滴らせる男の顔を見、思わず「こいつが?」と言いたくなった。王立騎士団の数ある部隊の中でも特務部隊は精鋭揃いと謳われていて、戦果は常にトップクラスのはずだ。
コネ入団が横行していた二十年以上前ならともかく、今の特務部隊の昇進に出自は関係無かったはず。完全実力主義で、強い奴が人の上に立つ。そんな組織だったはずなのに。
(あまりにも弱すぎる……)
彼は顎に曲げた指をあて、ふむと呟く。
先王が崩御し、新王の体制に変わったことで、王立騎士団の編成も大きく変わった。
団長が選ばれる基準も変更になった可能性がある。
(俺も今回の編成で、近衛部隊の副団長に選ばれた。何かあるのかもしれないな)
彼はこの十二年間、近衛部隊の騎士として、妻の実家である侯爵家の警護の任についていた。
貴族家の警護も立派な騎士の任務だが、王城勤務者と比べれば出世コースとは言いがたく、彼はなぜ自分がいきなり王の護衛官──それも近衛部隊の副団長という役職付き──に選ばれたのか分かっていなかった。
(……まあ陛下に直接お伺いすればいいか)
一人で考えていても答えは出ない。そう考えた彼は、自分の顎から手を離すと他の騎士達にもう一度声を掛けた。
「後始末は頼んだぞ」
「はっっ!」
◆
他の騎士達は、去っていく彼の背中を見つめる。その目には畏怖と尊敬の色が混じっていた。
「すげぇ……」
「おい、見てたか?」
「見てた見てた、あのブルーノ団長が手も足も出なかったぜ……!」
まだ二十歳前後らしい若い騎士二人は、気を失った男──ブルーノの脇や脚を支え上げながら、こそこそと声を出す。声こそ小さいものの、その目はキラキラと輝いている。
「ブルーノ団長って、確か三年連続戦果一位取ってたよな?」
「ああ。その団長の武装解除をした上に、背負い投げして、最後は手刀で気を失わせるなんて……! 凄すぎるにもほどがある。やっぱり、伝説の『宗国の猟犬』は違うんだな!」
「見た目は文官みたいなのに、人は見かけによらないよなぁ」
「めっちゃ美形なのに、強いってやばいな!」
かつてこの国の西には、帝国があった。約十六年前に終結した、宗西戦争。
彼はその宗西戦争にて、前人未到の戦果を上げ、こう呼ばれるようになった。
『宗国の猟犬』と。
◆
若い騎士達の話題になっているとは知らない彼は、謁見の間へ向かって歩を進めていた。
(……制服に少し埃がついてしまった)
立ち止まると、制服についた埃をはらい、懐から手鏡を取り出すと、ささっと身だしなみを整える。
騎士は身なりが命だ。前髪の分け目を直し、やや長くなった黒髪を耳に掛ける。
若い頃は「女のようだ」と言われ、馬鹿にされることもあった顔も、三十代も半ばになれば、すっかりどこにでもいるおっさんになったと彼は鏡を見つめながら自虐する。
門番に扉を開けてもらい、分厚い絨毯が敷き詰められた場所へ足を踏み入れる。
それまでは石畳の堅牢な空間が続いていたが、乳白色の柱が等間隔に立ち並び、いくつもの壁幕が掛かる荘厳な空間に変わった。自分の目に映る光景が変わっただけなのに、空気までもが変わったように感じるのは騎士のさがか。
「兄上!」
呼ばれた声に、彼は顔を上げる。
広くて長い廊下の奥から、赤い髪の小柄な青年が駆け寄ってきた。青年が腕を振ると、袖につけられた白いフリルが揺れる。
そこには、この国の新たな王がいた。
「兄上はおやめください、陛下」
自分を兄と呼ぶ主君を諌める。
王は彼の言葉に目を丸くした。
「えっ、でも。兄上は姉上のお婿さんでしょう? 兄上で問題なくない?」
「……それはそうですが、あなたが俺を兄と呼んだら、皆が驚くでしょう」
「そうかなぁ……」
新王マルクは先王の唯一の息子で、二十代も半ばになる。王家は近親婚を繰り返してきた影響か、障害を持って生まれてくる王族も珍しくなく、このマルクも情緒面の成長がゆっくりだという「設定」になっていた。
この新王の言葉使いが子どもっぽいのも、周囲をあざむくための「演出」だ。
なお、彼の妻と新王マルクは同じ母親から生まれた姉弟で、父親は違っていた。
「いきなり王城勤務を命じちゃって、ごめんね?」
彼はこれから、王の護衛官として働く。妻の実家を出て、王城敷地内で暮らすことになっている。
「かまいませんよ。三女がちょうど今年から兵学校へ上がったところですし、兵学校から呼び出しがあるたびに、領から王都まで行き来するのは大変でしたから」
彼には年子の娘が三人もいた。上から兵学校の三年生・二年生・一年生になる。一番上の娘は九歳だった。兵学校はこの王城敷地内にあり、王城からは目と鼻の先にある。
ちなみに妻の実家から王都までは、単騎で半日ほどかかる。彼はいつも八時間かけて兵学校まで出向いていた。
(学校に行くようになれば、少しは楽になると思っていたが……)
兵学校は全寮制で、現在娘達は親元から離れて暮らしている。長女が入学する前までは寂しくなると思っていたが、実際は、教師との三者面談や授業参観、保護者会に親子遠足に運動会と、何かと親は兵学校と関わる機会があった。
なお、真面目に対応している親は彼ぐらいなもので、よその家では侍従が親の代わりに対応していた。兵学校に子どもを入れられる親のほとんどは人を雇える富裕層だ。
「……陛下、しばらくは時短勤務でお願いしますね。子ども達が帰ってくる時間帯には詰所にいてあげたいので」
「えっ」
「連絡帳の確認や宿題を見たり忙しいんです。あと、子どもが病気したら休みます」
「えっえっ」
「陛下、俺はあなたの姪の世話をしているのですよ。理解を示して貰わないと困ります」
「別にダメだとは言ってないじゃん。……僕の警護は他の騎士達と調整してくれればそれでいいよ」
家族のために時短勤務しますといきなり宣う彼に、マルクは頬を引き攣らせる。
マルクはふうと息を吐く。
「兄上は相変わらず子煩悩だねえ」
「親なのだから、子どもに関心を払うのは当然です」
「でも、子どものために育児休業を五年も取るお父さんはなかなかいないよ」
「母親でも父親でも、親には変わりありませんから」
彼は表情一つ浮かべることなく、淡々と言い切る。
冒頭で特務部隊団長ブルーノが彼に「五年も騎士業を休み〜〜」と言っていたが、あれは年子の娘達を育てるために休業していたのだ。
「こんな我が子命の男をわざわざ呼び寄せて、副団長の地位まで与えるとは」
「兄上ほどの手練れはそうはいないからね」
表情を曇らせるマルクを見た彼は察した。この場で何かあったのかとは聞かなかった。何かあったから、この王は自分を呼び寄せたのだろう。
彼は口元にだけ薄く笑みを浮かべる。
「これから全身全霊をかけ、陛下をお守りしますよ」
「よろしく頼むね」
そんな少し緩い感じで、彼の王城務めが始まった。
◆◆◆
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