9. 守るべきものは今か未来か
強く書き殴られた
そのページだけ、紙がくしゃくしゃによれている。
きっと泣きながらその思いを綴ったのだろう。その罪の重さに、涙を流し続けたのだろう。
ゼイム・ラートが書き記した罪、思い、願い。
エニカは涙目になり口を押さえた。
カイトはなおも岩の雨に立ち向かいながら歯をグッと噛み締める。
「ゼイム・ラート、あんたの願い、確かに受け取ったぜ」
どうか、幸せになってほしい。
自分の罪に苦しむゼイム・ラートが残した、たった一つの願い。
バルシーダたちに平穏に暮らしてほしいという祈り。
その願いが、祈りが、届いているかはわからないが、それらが本当のことなら今のこの戦いは実に虚しいものであると言える。
バルシーダたちは子供を守るために攻撃している。
しかし、カイトたちはただこの通路の先に進みたいだけ。
そこにバルシーダへの敵意など一切ない。これは、本来必要のない戦いなのだ。
だからこそ、カイトは全身を襲う疲労感と苦痛に耐え、怒りに体を震わせるバルシーダたちに向けて叫んだ。
「お前らの過去は全部知った! 真っ赤に染まったその記憶、俺は全部理解したぜ! お前らが何に恐怖し、何に怒り、なんでこんな暗闇の中で生きてるのか、全部わかった!」
燃え盛る怒りを携え、鋭く光るその目の奥には、決して拭えない血塗られた過去がある。決して消し去れない赤の記憶がある。
「そのせいで子供が何人も死んできたんだろ! もう誰一人死なせないように必死で守ってるんだろ! その背中には、お前らの大切なものがたくさん乗っかってんだろ! お前らの痛みも苦しみも、俺には想像しきれねえけど、その怒りの矛先を向ける相手はもっと別にいるだろ!」
自分たちの目的のためなら手段を選ばず、残虐に爪を突き立てる赤い鳥。
そこにどれほどの悲しみが生まれようと、どれほどの幸せが焼かれようと、それをただ天から見下ろす。
まるで、獲物を狩る鷲のように。
「お前らの敵は今もまだ、お前らが見られなくなったあの空を悠々と飛び回ってるぞ! お前らのその怒りは、燃え盛る思いは、そいつらを地に落とすためにあるんじゃねえのかよ!」
その砲門は、バルシーダたちを地中に叩き落とした、あの赤い翼を打ち落とすために使うべきものだ。
「俺たちはそいつらとは違う、お前らに危害は絶対に加えねえ! だから攻撃する必要はねえんだ! お前らが、罪のないやつを傷つける必要なんてねえんだ! そんなこと続けてたら、ギルドに危険視されて、冒険者に駆逐されちまうぞ!」
その攻撃に何の正当性もなく、見境がなくなってしまえば、ギルドに目を付けられ討伐対象にされかねない。そんなのは、あんまりだろう。
その悲しみにも怒りにも気付いてもらえず、ただただ危険な生物として見られ駆逐されてしまうなんて、あまりにも悲しすぎるだろう。
「それでいいのかよ! 子供を守るために関係ないやつにまで攻撃して、その手を赤く染めちまって、それじゃお前らを地中に引きずり下ろしたやつらと同じじゃねえか! それでお前らは子供に胸張れんのかよ! 自分みたいな立派な大人になれって言えんのかよ! 子供にその血塗られた背中、見せれんのかよ! 子供に誇れる親でありたいなら、これ以上、その手を赤く汚すんじゃねえ!!」
カイトは必死に叫んだ。
子供の命を守るためには見境なく攻撃するしかないのかもしれない。
しかし、子供はそんな親の背中を見て育つ。
きっとその子供が大人になったら、同じように見境なく、罪のない人たちに攻撃するのだろう。
それが親が見せた手本であり、それが正しいことであると思い込んでしまうから。
そうやってどんどん敵を増やして怒りを買ってしまえば、最も忌むべきあの悲しみの過去を、今度は自分たちの手でつくり出してしまう。
今はしのげるかもしれない。
だが、子供たちがこれから生きていく未来にそのつけが回ってきたとき、激しく後悔するのではないだろうか。
今は大事だ。でもそれ以上に未来にも目を向けてほしい。
そんな思いが込められた言葉に、バルシーダたちは何を感じただろうか。
再び、岩の雨が止んだ。
バルシーダたちは呼吸を荒げながらゆっくりと腕を下ろす。
つり上がっていた目尻は下がり、その奥で燃え盛っていた怒りは少しずつその勢いをなくしていく。
迷っているのだ。カイトの体は血だらけで、今すぐにでも排除しなければならない。ずっとそうやって大切なものを守ってきた。
しかし、カイトから伝わるその思いは、今までの赤とは何かが違う。
その赤からは、高笑いが聞こえない。
まるでそれは、恐怖も怒りも感じる必要はないのだと告げているかのようだった。
「はぁ……はぁ……なんだ……? 伝わったのか……?」
カイトは早くなっていた呼吸を戻しながら、バルシーダたちに視線を向けた。
恐怖と怒りを感じながらも、悲しみに視線を落とすバルシーダたち。
カイトの言葉の意味は理解できている。
カイトの思いも伝わっている。
しかし、不安なのだ。
今まで赤い物に対しては徹底的に攻撃して排除してきたから。
そのやり方をここで変え、もしも子供に危害が加えられてしまったらと思うと、不安でたまらないのだ。
子供のためなら何でもする。
例えこの手が汚れようと。例えそれが赤い鷲と同じように罪のない者を傷つける行為だとしても。
子供の未来のためなら、その体を赤く染めることもいとわない。
そう思って、今まで必死に守ってきた。
否定して拒絶して、赤い記憶にむしばまれる恐怖を薙ぎ払ってきた。
しかし、払うたびにその赤い記憶はより深くより固く根を伸ばしていく。
もうどうあがいても引き返せないほどに、赤い根が全身に広がっていく。
それでいいのか。この恐怖と怒りを携えた赤い根を、子供に深く植え付けてしまっていいのか。生きていくためにはそうするしかないのか。それとも、何か別の道があるのか。
子供の未来を明るく照らすために、今自分たちは何をすべきなのか。
その葛藤に、攻撃することを躊躇しているバルシーダたち。
その様子を見て、カイトは少しずつ後ずさりし、エニカの近くまできた。
「逃げるなら今しかねえ……。でも……」
「バルシーダさんたちも爆発に巻き込まれちゃいますよね……」
本当ならこの隙に全力で逃げるのが正解だ。
しかし、このままバルシーダたちを置いていっていいのか。
判断に迷い足を止めていたそのとき、カイトは天井や壁のいたるところから魔力を感じて周囲を見回した。
「やべえ……!」
カイトは瞬時に黒切を瘴気に戻すと、エニカの方に駆け寄ってその体を強く抱きしめた。
直後、激しく鳴り響く爆音。地面がぐらぐらと大きく揺れ、上から瓦礫が降ってくる。
「クソ、もう夕方か。あいつら爆破を始めやがった!」
「やばいです! 死んじゃいます!」
カイトが感じた魔力は、山に仕掛けられた魔導式の爆弾だ。魔力が流し込まれたことによって爆発が始まったのだ。
カイトたちが逃げるはずだった通路は、今の爆発による瓦礫で塞がれ、通ることができなくなっている。
「嘘だろ……! クソ、他に通路はないのか!」
瓦礫に気をつけながらカイトは辺りを見回し、別の逃げ道を探した。
そのとき、カイトはあることに気付いた。
「あれ? てことは……。そうか、そういうことか!」
カイトは急に何かを確信したように頷いた。
「今日は確か、天気が良い日だったよな?」
「はい、そうですけど……それがどうしたんですか?」
今日は朝からずっと、澄み渡った青い空が見えるとても天気の良い日だ。
エニカはそれがどうしたのかというように首をかしげる。
カイトは出口を探しながら思考を巡らせた。
「あいつらの目的はここを爆破することだけじゃなかったんだ。真の目的は別にある。本当に反吐が出るような非人道的な目的だけどな」
そのとき、カイトの視界の端にバルシーダたちが奥の暗闇の方へと逃げていくのが見えた。
「とりあえずその話は後だ。バルシーダが逃げてったあの暗闇の向こうに逃げ道があるかもしれねえ。行くぞ!」
「うわっ! 師匠何を……!」
カイトはエニカの体を抱き上げて走り出した。
暗くてよく見えないが、バルシーダたちが消えていった方向に外へと続く道があるのかもしれない。
しかし走り出した直後、爆発音とともに天井から降ってきた瓦礫の山がカイトの目の前に落ちた。
激しく舞う土埃。カイトが目を開けると、バルシーダたちが逃げていった道が大きな瓦礫で阻まれてしまっている。
「クソ、マジかよ……! 他にどこか逃げるところは……!」
カイトが壁を見回すと、爆発によってできたわずかな岩の割れ目があることに気付いた。そこからは日の光が漏れている。
しかしその幅は狭く、ギリギリエニカが通れるかどうかといったところだ。
「もうここしか……!」
そのとき、さらにカイトの頭上で爆発が起こった。
真上から巨大な岩が落ちてくる。逃げ場はない。例え全力で走っても、あの岩の割れ目には届かない。
それを悟り、カイトは全身に力を込めてエニカを割れ目に向かって放り投げた。
「届けええええ!!!」
体の痛みを無視して、思い切り放り投げる。
瓦礫が落ちてくる前に、ギリギリ間に合うかどうか。
「師匠! 師匠!!!」
エニカは宙を舞いながらカイトの方に視線を向けた。
そのときにはすでに、複数の巨大な瓦礫がカイトの頭上に迫っていた。
「いやああああ!!!!」
エニカは手を伸ばそうとするが、その手は虚しく空をつかむ。
そんなエニカの目をまっすぐ見て、カイトはニッと笑った。
「エニカ、お前はあの赤い鷲なんかより、もっと高くもっと自由に飛べ!」
エニカはそのまま岩の割れ目を通って外に放り出された。
直後、山は崩壊し、その崩れ去る音が大きく響く。
草地に体を打ち付けながら倒れ込んだエニカは、すぐに立ち上がると崩壊した山の方に駆け寄った。
「そんな……」
エニカは力なく膝をつく。
その視界に広がるのは大量の瓦礫の山。
少女を命がけで守り抜いた男の声はもう、聞こえなかった。
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