3. 鉄の籠に小鳥二羽
「あの……私……実はほとんど外に出たことがないんです。パパとママが過保護で外は危険だって言って部屋から出してくれなくて……。だから私、何も知らないんです。私の部屋にある本は子供向けの絵本ばっかりで、もう読み飽きちゃったし。本当につまらない毎日を送ってたんです」
エニカは悲しげにうつむいた。
15歳とはいえまだまだ独り立ちしていない娘に対し親が過保護になるのは当たり前と言えば当たり前のことかもしれない。
しかし、一番物事を吸収できる多感な時期に何の刺激もない部屋の中に閉じ込められるというのは、子供にとっては息苦しくつまらないものだろう。
「ママが魔法雑誌のモデルをやってて、私にもモデルになれって言うんです。それでモデルは顔が命だから、外に出て怪我でもしたらどうするんだって、部屋の扉のカギを閉めました。私の意志なんてそこにはありません。私の気持ちなんて、何も考えてくれないんです」
他の子供たちは外で元気に遊んでいる。それを部屋の窓から見ることしかできず、泣いた夜もあった。
そんな苦しい過去を思い出し、エニカは軽く唇を噛む。
例え親の心配が行き過ぎたのだとしても、子供の夢を勝手に決めて言い権利なんてあるわけがない。
しかも、その宙ぶらりんに掲げられた夢を理由に子供を部屋の中に縛り付けるなんて、信じがたい行動だ。
「まさかお前、それで……」
そんな閉じられた環境の中で抑圧された感情が爆発したらどうなるのか。
その答えを、エニカは行動で示していた。
「はい、だから私は家を飛び出してアラベルまで来たんです。できるだけ遠くに行って、絵本で見たような大冒険をしたかったんです。いろんなものを見て、いろんなことを知って、小さな部屋だけに収まっていた自分の世界を広げたかったんです」
本当ならどこまでも飛んでいけるはずの若く自由な翼。
それを持ちながら、窓を閉じられ、翼を押し込められ、小さな四角い世界で外に焦がれるエニカは、ずっと鳥籠に閉じ込められているように感じていた。
いつも妄想するのは、絵本の中の主人公のように大自然を駆け回り、仲間と共に困難に立ち向かっていく自分の姿。
頭の中でならいくらでも飛べるのに、現実の自分は羽を広げることもできない。
そんな不自由な世界を、エニカはぶち壊したかった。
「そして私はいつか、冒険者になりたいんです! 冒険者になって、自由に世界を飛び回りたいんです!」
エニカは突然声を荒げると、決意を秘めた目でカイトの方を向いた。
両手の拳を握り締め、興奮で顔が少し赤くなっている。
「どれだけあの部屋に閉じ込められても私は絶対に諦めません! どんなにこの身を鎖で縛り付けられようと、その鎖を一本一本ちぎっては投げ、ちぎっては投げです! こっそり家を抜け出したことだって何度もあります! そのたびに連れ戻されて怒られましたけど……。とにかく、私は自分を囲む鳥籠をぐっちゃぐちゃにしたいんですよ! もうめっためたのバッキバキに……!」
エニカは手を握ったり開いたりしながら、鼻息を荒くしてまくしたてた。
その熱量に押され、カイトは軽く体をよじってエニカから離れようとしたが、袖を握られているため離れることができない。
さきほどまで弱々しく儚げな雰囲気を醸し出していた少女が、今は頬を真っ赤にして自分の決意を熱く語っている。
「お前、そんな大きい声も出せるんだな。もっと物静かなやつだと思ってたぜ……」
「私は元気なのが売りなんです! じゃなきゃ一人でこんなに遠くの町まで来たりしませんよ!」
野宿のせいで摩耗していただけで、本来のエニカは活発で元気な少女なのかもしれない。
白かった肌には少し赤みが増し、だんだんと生命力が戻っていっているように感じる。
「まあ確かにな。外に出たいからって理由だけでこんな田舎町まで来れるのは、並外れた行動力がないとできねえわ。いろいろ大変だったかもしれねえけど、最初の冒険にしちゃ上出来だな。何より冒険の辛さを知れたことが一番の収穫だ。冒険は楽しいだけじゃない。それなりの苦労もある。それを知った上でまだ外を夢見るなら、何度だって家を出ればいい。ただし、今度は冒険の準備をちゃんとしてからだな」
「はい! 野宿するのは辛かったですけど、星空の下で眠ったのは初めてでした。大変なことも楽しいことも全部含めて冒険なんだってこと、ちょっとだけわかった気がします。それでも、私はやっぱり冒険がしたいです。冒険者になって世界のいろんな景色を見てみたいです!」
カイトだって、冒険と言える冒険なんてほとんどしたことがない。
しかし、少なくともエニカよりは冒険の厳しさを知っている。
昔師匠と一緒に冒険する中で、何度も危険な目にあったことがあるからだ。
冒険にはいつだって命の危険が伴う。
それを理解した上でなお、未知の世界に羽ばたきたいのなら、そう願った者の前には青空のような無限の可能性が広がっていくのだ。
カイトは自分よりも小さな冒険者の卵に秘められた思いに心を動かされ、少しだけその殻を破る手助けをすることにした。
「お前の真剣な思い伝わったぜ。だが冒険者になりたいなら、最低限の知識は持っとかねえとな。その熱意に免じてお前の夢に少しだけ協力してやる」
「最低限の知識……ですか?」
冒険者になるためには、当然知っておかなければならないことがたくさんある。
エニカは特にほとんどのことを知らないようだから、これから多くの勉強が必要になるだろう。
その第一歩として、カイトはエニカの最初の問いに答えることにした。
「そうだ。冒険者を志すなら、本でも買って勉強しろ。その入り口として、さっきお前が聞いてきたギルドについて教えてやる。ギルドってのは冒険者の本拠地のことで、各地から届いた依頼であるクエストを受けることができたり、食事や宿泊をしたりすることができる。冒険者登録や犯罪者の逮捕もやってるな」
ギルドは冒険者にとってなくてはならない場所だ。
冒険者になれば、嫌でもギルドに行く機会が増えるだろう。
「じゃあ、ギルドはどの町にも必ずあるものなんですか?」
「そういうことだ。そしてギルドの中には、自らクエストを受けて戦いに行ったりする戦闘型のギルドもある。その中でも三大戦闘ギルドと言われる三つのギルドは特に有名だな。トップに団長をすえて、その下に副団長、その下は戦闘員っつう構成になってる。いくつもの国や町に支部があって、本部は王都にある。冒険者になるならソロやチームでもいいが、ギルドに入るっていう手もあるな」
「なるほどです。でも私は冒険をたくさんしたいので、ギルドには入らないかもしれないですね。そういえば、そもそも冒険者になるにはどうすればいいんですか? ギルドで冒険者登録っていうのをするんですか?」
エニカが興味津々で体をグッと寄せる。
「基本的にはそうだ。ただ、力不足のやつはクエストを受けても無駄死にするだけだから、自身の強さを証明する必要がある。一番手っ取り早いのは学歴だな。ちゃんと魔法学校を卒業してれば、大抵はそれだけで十分な証明になる」
魔法学校では、魔法の基礎から応用に加え魔族との戦闘訓練もある。他にも薬学や体術など、学べる範囲は幅広い。
そこを卒業したのであれば、危険な冒険でも生き抜いていけるという証明になる。
「魔法学校ですか……。あ! あの有名なフィノール学園とかですか?」
「お、知ってんのか。フィノール学園は多くの魔法学校の中でも随一の名門校だ。そこの卒業生ってだけでギルド側からうちの冒険者になってくれって声がかかるんだぜ」
フィノール学園の規模と財力は他を圧倒している。高度な魔法教育に裏打ちされた確かな実績。
有名な冒険者を何人も輩出しており、フィノール学園を卒業すればまず間違いなく明るい未来が待っていると言える。
「すごいですね! 私もフィノール学園に入れたら立派な冒険者になれるでしょうか?」
目をキラキラ輝かせて聞いてくるエニカに、カイトはニヤッと笑って答えた。
「そううまくはいかねえよ。フィノール学園の入学試験は難易度が高い上に倍率も高い。それに在学生のほとんどは生まれつき魔力量の多い貴族だ。俺たちみたいな平民にとってフィノール学園への入学は、夢のまた夢なんだよ」
「そんな……世界は非情です」
フィノール学園はその実、王都に住む貴族たち御用達の学園になっている。
それは決して貴族を贔屓しているのではなく、貴族は生まれつき平民より多くの魔力を持っており、必然的に貴族が試験に受かりやすいというだけのこと。
その事実に露骨に落ち込むエニカに対して、カイトは天高く拳を突き上げた。
「だがな、俺はこれからその非情な世界をぶち壊しに行くんだ! 今日、王都でフィノール学園の入学試験が行われる。俺はそれに参加して、貴族どもを薙ぎ倒し、平民の恐ろしさを見せつけてやるんだ! そしていつか、最強の冒険者になる!!」
興奮で声を荒げるカイト。
その様子を見て、エニカの顔がパッと明るくなった。
「すごいです! 本当にフィノール学園の試験を受けるんですか!? 尊敬です!」
フィノール学園への入学は、カイトにとって夢の第一歩に過ぎない。
その中で自身の魔法を磨き、誰よりも強くなること。それがカイトの目標だ。
その夢に向かって突き進んでいくカイトの姿にエニカは感銘を受け、その目を輝かせる。
すると、エニカは何やら真剣な雰囲気で正座し、頭を荷台にこすりつけた。
「その豊富な知識と強い志、感服しました! どうか、師匠と呼ばせてください! 私に世界のいろんなことを教えてください! お願いします!」
エニカは確信した。
今までぼんやりと眺めていた外の世界、夢見ていた青い空。
その不確かな灰色の未来に、今日初めて色がついた。
カイトの希望に満ちた顔を見ていると、自分も天高く飛び立てるのではないかと思わされた。
カイトの背中には、自分に足りないものがあるような気がした。
「断る」
しかし、その一世一代の切実な願いは、カイトのぶっきらぼうな返答によって一蹴された。
「何でですかー!?」
カイトの顔に近づいて、エニカは声を上げる。
「おい、近づいてくんな。何でって言われてもそりゃ当然だろ。何だよ師匠って、面倒臭え。俺は一人で最強になるんだよ。他のやつに構ってる暇はねえんだ。言ったろ、お前の夢に少しだけ協力してやるって。ここから先は自分の足で歩け。俺が思うに、お前はまず財布をなくさないようにするところから始めた方がいい」
カイトは頑として首を縦に振らない。
自分のことで精一杯なのに、こんな子供の世話をするなんてまっぴらごめんだった。
何の意義もない。何の得もない。どれだけ潤んだ瞳で見つめられても、これだけは了承できなかった。
「ううっ……世界はやっぱり非情です。でも私は諦めません! 師匠、弟子にしてください! 師匠!」
「うぜえ……」
「しーしょう! しーしょう!」
カイトの隣で、なぜか師匠コールが始まった。
「助けなきゃよかった……」
やはりエニカを助けた自分の判断は間違っていたと確信し、カイトは愚かな自分を呪った。
すると、御者がこちらにグルリと首を回してその目を尖らせた。
「おい、こっからはルータス盗賊団の目撃情報が多い区域だ。でかい声出すんじゃねえぞ。もし騒いだらバイルワニのソーセージをお前らの腸に詰めるからな」
「それもうただの食事だろ。ソーセージを美味しくいただいてるだけだろ」
とにもかくにも、騒いで馬車から降ろされることだけはあってはならない。
カイトとエニカは口をつぐんで、そこからはおとなしく馬車に揺られることにした。
途中でエニカが何回か小声で師匠コールをしたが、カイトは頑なに無視した。
それから道なりに進むこと2、3時間。
馬車は今、崖沿いのガタガタ道を速度を落として進んでいる。
道の右側はゴツゴツした山の側壁だが、左側は踏み外したが最後、奈落に落ちる深い崖だ。
その奈落からは、水の流れる音が聞こえる。
どうやら下は川のようだ。
「もし土砂崩れが起きて下に落ちても、川なら生き残れるかもな」
「そんな縁起でもないこと言わないでください」
カイトはふっと笑い、何気なく上を見上げた。
すると、山の上にいくつかの人影があることに気付き、目を細める。
「なんだ、誰かいるのか?」
太陽が眩しく、顔はよく見えない。
そのとき、人影が何か小さな物体を馬車に向けて投げたように見えた。
その瞬間──。
「!?」
鼓膜を揺らす轟音と太陽を覆い隠すほどの閃光。
体に響く衝撃が脳にまで伝わり、一瞬上下の感覚がわからなくなった。
閃光がおさまり、カイトが思わずつぶっていた目を開けたとき、そこには青空が広がっていた。
今日の朝、家を出たときに見たのと同じ晴れ渡った青い空。
一つ違うのは、カイトの体が空中にあるということだけ。
重力を受けて落下が始まるカイトの体。
首を無理矢理動かしてさっきまでいた道の方を見ると、馬車だったはずの木片やタイヤ、そして荷物が無残に散らばっていた。
なぜかはわからないが、カイトは馬車から放り出されたのだ。
「嘘だろ、なんだよこれ……!? クソ、あいつはどこだ!」
体をひねってエニカを探すと、数メートル下にエニカの姿が見えた。
しかし、目を閉じており体が空気抵抗を受けて力なく揺れている。どうやら気を失っているようだ。
「まずい!!」
カイトは手を限界まで伸ばしたが、エニカの手には届かない。
そのまま二人は崖下の川へと真っ逆さまに落ちていった。
まるで翼を折られた小鳥のように、なすすべなく落ちていく。
逃げ場のない、暗い水底へ。
その羽はもう動かない。
ただただ下へ、落ちていく。
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