2. 不思議な温もり

「俺はカイト・アルガーロだ。お前は?」


 地べたに座る少女の隣にカイトも腰を下ろした。固く冷たい地面がカイトの体温を奪う。


「エニカ・ミッフェルです」


 エニカと名乗ったその少女は、カイトの横顔をチラリと見て少し安堵したように縮こまらせていた体を緩めた。


「年は?」


「15歳です」


「マジか!? 俺と同じじゃねえか。てっきり2つ3つ下だと思ってたぜ」


 エニカの背丈はカイトより頭一つ分小さく、体格はほっそりしている。

 そのストレートに伸びた藍色の髪は、座っていると地面につくほど長く、つやがいいものの土埃で少し汚れている。


 その見た目に反し同い年だったことに驚いたが、カイトは気にせずに過ぎ去る人の波を眺めながら聞いた。


「で、なんで泣いてたんだ?」


 一番の問題はそこだ。

 幼い子供なら親とはぐれてしまったという理由で決め打ちができる。しかし、そういうわけではなさそうだった。


「私、昨日王都から来たんですけど、どこかでお財布をなくしちゃって、宿にも泊まれないし王都にも戻れないしでどうしたいいかわからなくて……」


 王都セリティアはオーレスタ王国の中心都市だ。フィノール学園もそこにあり、今日のカイトの目的地でもある。


 そんなところからなぜこんな田舎町に来たのか気になったがそこには触れず、カイトは他の疑問を口にした。


「じゃあ夜はどこで寝たんだ?」


 目線を逸らし、エニカは言いづらそうに口をもごもごと動かした。


「ここで野宿しました……」


 ボソリとつぶやいた衝撃の回答にカイトは手で顔を覆ってため息をついた。


「マジかよ……」


 冬ほどではないが夜はそこそこ冷える。

 そんな中、年端もいかぬ少女がたった一人で野宿をしたと言うではないか。

 アラベルは比較的平和な町だが、寝ている少女を襲う悪辣な輩がいないとは言い切れない。


 エニカは悲しげに瞳を揺らし、恥ずかしさからか頬を少し赤らめた。


「じゃあ、昨日からろくに飯も食ってねえだろ、これやるよ」


 カイトは紙袋に入っていた最後の食糧であるキネ茶をエニカに渡した。

 財布をなくしたのなら、アラベルに来てからはほとんど食事ができていないはずだ。


「ありがとうございます。喉カラカラだったんです……!」


 エニカはキネ茶を嬉しそうに両手で受け取ると、そのまま一気に飲み干した。


 よほど喉が渇いていたのか、枯れ木が水を吸い上げるように水分を体に取り込み、エニカは満足げな顔をする。

 心なしか血色も良くなったように感じられた。


「それで、財布を落とした場所に心当たりはないのか?」


 恍惚とした表情で目を閉じているエニカ。

 ただのお茶一本でここまで幸せになれるほどエニカを追い込んでいた元凶に、カイトは焦点を当てた。


「この町に到着して馬車を降りるときに馬車代を払ったので、そのときまではあったんです。なので、なくしたとすればこの町のどこかなんですけど、通った場所は昨日死に物狂いで探しました。でもありませんでした……」


 土がこびりつき汚れているエニカの指。

 きっと必死で地べたを這いずり回って探したのだろう。


「そっか……」


 それだけ探してもないということは、今更カイトが探したところで結果は見えている。

 エニカの目的は王都に帰ることであり、カイトの目的地もまた同じ。


 カイトは自分の財布を嫌そうにポケットから取り出すと、その中身をじっと見つめた。

 王都までとなると馬車代はそれなりにかかってくる。

 今日のために近所の店でバイトして金を稼ぎ、それを何とか切り詰めて貯金してきた。  

 それでも貯まった金額は十分とは言いがたい。


 その苦労を思い出し、カイトは大きくため息をついた。


「よし……!」


 カイトは何かを決心したように声を上げると、勢いよく立ち上がる。


「俺もこれから王都に行くんだ、一緒に来いよ。帰ってきたときにお前のすすり泣く声が聞こえてきたんじゃ目覚めが悪いからな。とっとと王都に帰って、今度はウォレットチェーン付きの財布でも買っとけ」


 そう言って歩き出そうとするカイトに、エニカは困惑しながらゆっくりと腰を上げた。


「え、でも……お金……」


「この町のバイトはわりかし時給がいいんだ。二人分の馬車代くらい余裕だっつうの。ほら、行くぞ」


 カイトはエニカの腕を掴んで足早に人混みの中に入っていった。


 目をキョロキョロさせて困惑するエニカの手は細く冷たい。

 ろくに食事も取っていない。不安と緊張で十分な睡眠がとれていない。

 そんなふらふらの体でとぼとぼ歩くエニカがはぐれないように、カイトはしっかりと腕を握った。


 日陰で冷え切ったエニカの体に日光の熱がじんわりと染み込んだ。

 久し振りに感じた温かさ。それ以上に、カイトの手から伝わる温もりが何より温かかった。


「あったかいですね……」


 エニカはカイトの手をにぎにぎと触ってその温もりを確かめた。

 人の血が通った温かい手。


「当たり前だろ、生きてんだから。それにしてもお前の手は死体みたいに冷てえな。これにこりたら、野宿なんてするんじゃねえぞ。恥かいてでも人に頼れ。一人で生きる術を知らないなら、頭を地面にこすりつけてでも誰かと一緒にいろ。まあ俺は、そんな情けない生き方なんてごめんだけどな」


 カイトは一人での生き方を知っている。だから、そうそう人に頼ることはない。そして、人を助けることもない。

 今日エニカの手を握ったのは、まずすぎるパンの後味を少しでもましにするため、それだけの理由だ。


 エニカは黙って地面を見つめ、カイトの手を握り続けた。


 カイトは実に不思議な男だ。軽口を叩き面倒臭そうにため息をつきながらも、その言葉には優しさがにじむ。

 ぶっきらぼうで荒々しいのに、その手はどうしようもなく温かい。


 この不思議な男の背中を、エニカはそっと見上げた。黒い上着を羽織り、少し猫背で、人混みをかき分けエニカが通れる道を確保しながら進む。


 カイトの人間性がいまだにつかみきれないところではあったが、その霞がかった温かさに惹かれ、エニカは何も言わずについていった。



 しばらく歩いて、カイトとエニカは馬車乗り場に到着した。多くの馬車がずらりと並んでおり、たくさんの学生で賑わっている。

 しかし、どの馬車も人がパンパンに乗っており、わずかな隙間さえ見当たらなかった。


「遅かったか……」


「ごめんなさい、私がもたもたしてたから……」


 エニカがまた泣きそうな顔でうつむいた。


 実際、エニカに声をかけていなければカイトは何の問題もなく馬車に乗れただろう。しかし、そんなことを考えていても今更どうにもならない。


 カイトは何か手はないかと考え、周囲を見回した。


「あ、あれだ!」


 カイトの視線の先には荷物を大量に積んだ荷馬車があった。

 人を乗せるための馬車ではないため、その周りにはほとんど人がいない。


 それに目を付け、カイトはエニカの手を引き荷馬車に駆け寄った。

 荷馬車からはロープが伸びており、その先には馬車を牽引するための馬がいる。


 この馬車の持ち主である御者は、そのがっしりとした体躯の馬の上にまたがり、手綱を握っていた。どうやらもう出発するようだ。


 カイトは急いで馬の正面に飛び出ると、そのまま頭を地面に擦りつけて土下座した。


「おいおっさん頼む、俺たちを王都まで乗せてってくれ!」


 突然、土埃を上げながら地面に頭をつけるカイトに驚きながら、御者はしっしっと追い払うように手を振った。


「この馬車はもう荷物でいっぱいだ。他をあたりな」


 御者は荷台に積まれた荷物を指さす。

 確かに荷物は大量に積まれているが、よく見れば隙間がないこともない。


 カイトはここが正念場だと悟り、顔を上げて御者の目をまっすぐに見つめた。


「そこを何とか頼む! 俺は今日何としても王都に行かなきゃいけねえんだ! 俺が今まで目指してきた夢のために、どうしても行かなくちゃならねえ! 頼むよおっさん、この通りだ! 馬車に乗せてくれ!」


 そのあまりの勢いの良さに目を見張りながら、御者は顎に手を当ててうーんと唸った。


 カイトはこれでもかというほどに御者の目を真摯に見据える。それに耐えかね、御者はやれやれと首を振ると、しぶしぶ頷いた。


「……わかったよ、乗り心地は最悪だろうが、それでもよければ乗りな」


 カイトは顔をパッと輝かせ、元気よく立ち上がった。


「おっさん、マジで助かるぜ!」


「ただし、乗せてある荷物には触るなよ。特にその木箱には危険な魔道具が入ってるんだ。もし触ろうとしたら、川に放り捨ててバイルワニの餌にするからな」


 ギラリと光る御者の眼光。それに気圧され、カイトは小声でエニカにつぶやいた。


「……このおっさん怖えな」


「……怖いですね、手握ってていいですか?」


「……俺が握っててほしいくらいだ」


 カイトとエニカは恐る恐る慎重に荷台に乗り込む。荷物の隙間はギリギリ二人が座れるかどうかというほどに狭かったが、乗れるだけましだ。


 二人が木造の荷台に腰を下ろすと、荷馬車がゆっくりと動き出した。

 荷物がギシギシときしみ、馬車が揺れるたびに衝撃が体に伝わる。御者が言ったとおり乗り心地は最悪だ。


 カイトは顔をしかめながらエニカの方をチラリと見た。

 エニカも馬車の揺れでお尻が痛いのか顔をしかめている。

 そんな二人に御者が振り返り、視線を向けた。


「我慢できないようなら降りてもいいんだぜ。根気さえありゃあ徒歩でも王都まで行ける。まあ、途中で盗賊に身ぐるみ全部剥がされて野垂れ死ぬだろうがな。はっはっは!」


 豪快に笑う御者を見てカイトは呆れたように息を吐いた。


「盗賊っていっても遭遇する確率は高くないだろ。それに、人をバイルワニの餌にしようとするような凶悪な御者が乗ってりゃ、例え盗賊が来ても尻尾巻いて逃げるだろうな」


 盗賊とは、主に山で拠点をつくり、通りかかった人を襲って金品を奪う無法者たちのことだ。


 盗賊に襲われたという話はたまに聞くが、頻度は決して多くない。よほど運が悪くない限りは出会わないだろうとカイトは何となく思っていた。


 すると、御者は眉をひそめ驚いたように口を開いた。


「何言ってんだ、お前さん知らないのか? 最近、ルータス盗賊団の目撃情報が増えてるらしいぞ。馬車が襲われる事件も多発してるって話だ」


「ルータス盗賊団って、盗賊団の中でも所属してる人員が一番多いっていう、あの大規模盗賊団のことか?」


 盗賊は稀に徒党を組んで戦略的に人を襲うことがある。

 そのような組織は盗賊団と呼ばれ、中でもルータス盗賊団は、あまり盗賊に興味のないカイトでも風の噂で耳にしたことがあった。


「ああ、赤い鷲のシンボルマークを掲げた、首領のルータス率いる最悪の盗賊団だ。近頃は他の盗賊団ともつながりを持って、自らを盗賊ギルドと名乗っているらしい。そんなのに目を付けられたら、俺たちは一緒にバイルワニの腸に詰められて新鮮なソーセージにされちまうな。はっはっはっは!」


「笑い事じゃねえよ……」


 御者の高笑いを聞きながらカイトは深々とため息をついた。


 聞いた話によると、ルータス盗賊団はその大きさも強さも他に類を見ないほど強大で、ギルドもその討伐に手こずっているらしい。 

 そもそも拠点の場所さえ巧妙に隠されていてわからないとか。


 すると、エニカがカイトの袖をクイクイと引っ張って首をかしげた。


「あの……ギルドって何ですか?」


 赤子のように無垢な目で、エニカは疑問を口にした。


 その問いに、カイトは驚いて声を荒げる。


「え、お前そんなことも知らないのか!?」


 エニカは少し恥ずかしそうにしながらカイトの袖をギュッと握った。

 その手はわずかに震え、エニカの目に暗い影が差す。


 カイトはその様子を見て少し心配になり、エニカの顔をそっと覗き込んだ。


「おい、大丈夫か?」


 その声にエニカはこくりと頷き、重い口をゆっくりと開いた。

 まるで、喉に何かが詰まっているかのような苦しげな表情で、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。

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