6. 肉食の鷲は草を噛む

 カイトの視線の先に映る赤い鷲のエンブレム。


 あれは間違いなく、史上最悪の盗賊団であるルータス盗賊団のシンボルマークだ。


 扉の向こうにいる3人の腕には、そのエンブレムがはっきりと刻まれている。


「レティ様、本当にマグタイト鉱石は取らなくていいんですかい? あの地下につながる扉のカギを開けるの苦労したんですぜ。これでもかってぐらいガチガチに施錠されてましたから」


 3人のうちの一人、長身の男が口を開いた。


 その男が視線を向けるのは、レティと呼ばれた赤髪の女だ。

 長い髪を後ろでしばり、灰色の薄い鎧で身を包んでいる。


 腰には銃のような魔道具が入ったホルダーを付けており、3人の中心に置かれているランプに照らされて、その紅い瞳がギラリと光った。


「その話はさっきしたろ? マグタイトは取らねえ。ただでさえ、あたいの髪は赤いってのに、マグタイトまで持ってたらバルシーダに殺されちまうよ」


 どうやら盗賊たちはマグタイトを狙ってここに来たらしい。

 しかし、赤色に攻撃するというバルシーダの特性上、マグタイトを持ち運ぶことができないということだろうか。


 レティの言葉を聞いて、長身の男の隣であぐらをかいて座っていた太った男が大きく頷いた。


「レティ様の言うとおりっす。マグタイトも大事っすけど、自分らの命が最優先っす!」


 太った男は、その大きく膨らんだ腹を叩きながら言った。


 長身の男は渋い顔をしたが、レティはそれに構わずニヤリと笑った。


「確かにルータス様の命令はマグタイトの回収だ。あたいらはそのために、この採掘場に足を踏み入れた。だが、バルシーダたちの総攻撃を受け、ボロボロになって撤退した。あたいらはあの植物どもに屈辱を味わわされたんだよ。マグタイトなんて他の採掘場に行けばいくらでも手に入る。だから、あたいらが今すべきことは、ルータス盗賊団に喧嘩を売ったあの植物どもに報復することさ。お前たち、あれの準備はもうできてるね?」


 卑しく口角をつり上げるレティ。


 最初はバルシーダの存在を知らずにこの採掘場に立ち入り、ルータス盗賊団の赤い鷲のエンブレムを見たバルシーダたちが攻撃してきた。

 不意打ちを食らったレティたちはなすすべなく追い返され、今はその雪辱を果たそうとしている。


 復讐の炎に燃えるレティの瞳を見て、太った男が喜々として答えた。


「はい! あれは馬車から十分に確保できたんで、山のあちこちに大量に仕込んどいたっす!」


 今まで何度も馬車を襲った理由は、ある物を手に入れるためだ。

 それらは今十分に確保され、採掘場の外側を覆っている岩山に仕掛けられている。


 それを楽しそうに報告する太った男。

 それとは対称的に、長身の男は不安げに顔をしかめた。


「でも俺は心配ですぜ。こんなことがバレたら、ルータス様の逆鱗に触れるかもしれねえ。そうなったら俺たちきっと、拷問部屋で死ぬまで痛めつけられますぜ」


 長身の男は青い顔をしてブルブル震えている。


 ルータス様とは、その名のとおりルータス盗賊団の首領の名前だ。

 盗賊団史上、最大規模のルータス盗賊団を治める豪傑。


 レティたちのような下っ端では、その姿を見る機会さえほとんどない。

 何かへまをすれば容赦なく切り捨てられる可能性は十分にある。


 しかし、レティは怖がるどころかその口に余裕の笑みを浮かべた。


「大丈夫さ。ルータス様は今、どこかの森で目撃されたって噂の“黒腕こくわんの男”とやらを探すのにやっきになってるって話だ。どうやらルータス盗賊団の戦力として、そいつを引き入れたいらしいよ。少なくとも、そいつの捜索をしている間は、あたいら下っ端の行動にとやかく言うことはないさね」


「その“黒腕の男”ってのはなんなんですかい?」


「さあね。黒い腕を振るって森で暴れ回ってたのを、通りかかった冒険者が目撃したらしい。特筆すべきはその圧倒的な魔力量と、それを使って放たれる魔法の強さだ。そいつが暴れた後、その周辺一帯がさら地になってたって話だよ」


 それは本当に人間なのか。

 それすらあやふやな情報だが、その突出した強さにルータスは目を付けたらしい。


 確かに、そんな男がルータスの部下になれば、ルータス盗賊団はさらにその脅威を増すことになる。


 そして裏を返せば、その暴れ回っていたと噂の“黒腕の男”をルータスは手なずける自信があるということだ。

 ルータスもまた、“黒腕の男”に勝るとも劣らぬ実力者であるということだろう。


「ひええ! おっかねえっす! でも、そんなやつがルータス盗賊団に入ったら百人力っすね!」


 興奮して唾を飛ばす太った男を横目に、レティはランプを持って立ち上がった。


「さて、それじゃバルシーダたちに見つかる前にさっさと移動するよ。最初に言ったとおり、作戦は夕方に決行だ。この山を盛大に爆破して、あたいらに喧嘩を売ったこと、後悔させてやろうじゃないか!」


「「はい!」」


 拳を握り締めて元気よく声を上げる太った男。


 その勢いとレティの圧につられて、まだ納得いっていない様子の長身の男も声を張って返答した。


 3人は近くの岩にかけておいた黒いローブを手に取ると、赤い鷲のエンブレムを隠すように羽織った。

 またバルシーダたちに攻撃され、二の舞を演じることだけは避けたいようだ。


 そして、レティだけは赤い髪を覆うようにフードをかぶった。

 髪や瞳まで赤いレティは、バルシーダの標的として一番狙われやすい。


 その対策も抜け目なく行い、レティたちはそのまま通路の奥へと歩いて行った。


 その足音が聞こえなくなったのを確認して、カイトは勢いよく扉を開ける。


「おい、これはやべえぞ。あいつら、バルシーダに返り討ちにされた腹いせに、この山を消し飛ばすつもりだ」


 焦りで早口になるカイトは、今自分たちが置かれている現状の危うさを感じ歯がみした。


 この岩山が爆破された場合、当然のことながらカイトとエニカは岩に押しつぶされて死ぬことになる。


 これから最強の冒険者への第一歩を踏み出す予定のカイトにとって、そんなあっけない最後は何より避けたかった。


「師匠! 早く逃げないと私たち瓦礫に埋もれちゃいますよ!」


 その事実にわたわたと慌てるエニカ。

 エニカもまた、これから冒険への第一歩を踏み出したいと願う冒険者の卵だ。


 夢見ていた楽しい冒険がこんなところで阻まれるなんて、不本意極まりないことだろう。


「いやです! まだ全然冒険してないのに死ぬなんて絶対に嫌です! 外に出たかったのはそうですけど、天国にまでは行きたくないです」


 命の危険を感じ、パニックになってじたばたと騒ぐエニカ。


 こんな死と隣り合わせの状況も冒険と言えば冒険なのだが、エニカが望んだ心躍るような冒険とは違うのだろう。


 狭い部屋の中から焦がれていた青い空も、その先の天国まで行ってしまうともう二度と戻っては来れない。


 隣で自分よりも焦り散らかし声を上げるエニカを見て、カイトは少し平静を取り戻した。

 より焦っている人間を見ると冷静になれると言うが、本当だったらしい。


 カイトは泣き叫ぶエニカを横目に思考を巡らせた。


「いや待て、あいつらは夕方に作戦を決行するって言ってたな。それに、自分たちがここを脱出して確実な安全が確保できるまでは絶対に爆破しないだろう。自分たちで仕掛けた爆発に巻き込まれるほど惨めなことはないからな。だとしたら、まだ時間はある。出口はあいつらが歩いて行った方向にあるはずだから、バレないように気をつけてあの通路を進んでいけば、いずれ外に出られるはずだ」


 冷静に考えてみれば当然のことだった。

 危機的な状況に陥ったときは、いかに当然の事実を集めて考えられるかが、その後の生死を分ける。


 エニカのように思考も何もなく無様にパニクってしまえば、すぐに死んでしまうだろう。


 当のエニカは、カイトの分析を聞いて騒ぐのを止め、尊敬のまなざしを向けた。


「死ぬかもしれないのに落ち着いて物事を考えられるなんて、さすが師匠です!」


 エニカが冒険者になったら、その日のうちに死んでしまうのではないか。

 そう考え、カイトは少し不安を感じたが、今はその問題を頭の隅に追いやることにした。


 エニカの目から降り注がれる尊敬のまなざしを手で払いながら、カイトはエニカに近づく。


「はいはい。それよりランプを貸せ。こっからは俺が持つ」


 カイトはエニカからランプを受け取ると、足音を殺して通路の方に歩いて行った。

 奥は暗闇が続いていて見えづらいが、盗賊たちの気配はない。


「あいつらはいねえな。よし、行くぞ」


「はい!」


 大きな声で返事をするエニカ。

 元気があって非常によろしいことではあるが、この現状にいたってはその元気さが裏目になる。


 カイトはエニカをたしなめるように目を細くしてじっとにらんだ。


「声は抑えろよ」


「……はーい」


 カイトに注意されエニカは申し訳なさそうに小声で返事をした。


 ノートを握り締め、ランプで通路を照らしながら進むカイト。

 エニカはその後ろをとことこついてくる。


 狭い通路を歩きながら、カイトは盗賊団たちの会話を思い出していた。


「まさか、こんなところにルータス盗賊団がいるなんてな。しかも話の内容から察するに、俺たちが乗ってた馬車を襲ったのはあいつらだ」


「そういえば、馬車から十分に確保したって言ってましたね」


「やつらが馬車を襲ったのは、山を爆破するために必要な爆弾を手に入れたかったからだろう。覚えてるか? 御者のおっさんが、危険な魔道具が入ってるから触るなって言ってた木箱があったろ。あれにはおそらく、爆弾として使える魔道具が入ってたんだ。魔力を流して時限式で爆破させるタイプの、工事現場で使うようなやつがな」


 最近起きていた荷馬車が襲われる事件も、あの盗賊団の仕業と考えれば説明がつく。


 馬車が襲われたときにカイトが見た人影も、当然あの盗賊たちだ。

 他の荷馬車から奪い取った爆弾でカイトたちが乗っていた馬車を爆破し、魔道具を奪った。


 少しでも爆破する場所がずれていたら、馬車に積んであった爆弾が誘爆していた可能性もある。かなり強引な手口だ。


「ああいうやつらには下手に関わらねえ方がいい。今は入学試験に向けて、できるだけ魔力を温存しておきたいしな。まあ、もう手遅れかもしれねえけど」


 今の時刻はわからないが、盗賊団が言うように夕方が近いのだとしたら、試験はとっくに始まっているだろう。


 しかし、ここから王都まではかなりの距離がある。絶望的な状況だ。


 それでも、カイトにはこの日のために血と汗にまみれて頑張ってきた鍛錬の記憶がある。

 あの努力を無駄にしたくはない。だからこそ、簡単に諦めることはできなかった。


 その努力の日々を思い出し歯を噛み締めるカイトの後ろで、エニカがそういえばと疑問を口にした。


「あの人たちが言ってた“黒腕の男”っていうのは誰のことなんでしょうか?」


 森の中で目撃されたという正体不明の男。

 ルータスがその男を狙っていると盗賊たちは話していた。


「さあな。でも、森で暴れてたってのは少し違うんじゃねえかな。そんなことして何の得があんだよ。単に魔法の特訓をしてただけなんじゃねえの」


「そうですかね。どちらにせよ少し興味があります。私も見てみたいです。そういう化け物みたいなのって絵本でしか見たことないので、実際に会ってみたいんですよね」


「化け物ってお前な……。好奇心が多いのはけっこうなことだが、無茶して人に迷惑かけるんじゃねえぞ。お前みたいな考えなしに行動するやつの尻拭いをしてくれるやつなんて、俺みたいな頭のおかしい愚か者しかいねえんだからな」


 エニカを助けてしまった愚かな自分の行動を悔いてカイトが自虐を口にすると、エニカが腕を振って怒りだした。


「師匠は愚か者なんかじゃないです! 頭はちょっとおかしいですけど! 普通泣いてる女の子の口にパンを突っ込んだりしますか!」


「あれは俺が悪かったよ。あの方法以外にやり方が思いつかなかったんだ」


 エニカを最初に目にしたときのことをカイトは思い出す。


 少女の涙の止め方なんて知らなかった。

 日陰でうずまくる少女を、日の当たる場所に連れて行く方法なんて思いつかなかった。

 その冷たい手を温める方法なんて知る由もなかった。


 それでも少女に手を差し伸べたのは、一体なぜなのか。

 自分でもその理由がわからなかった。

 きっと考えてもわかることではないのだろう。


 ランプの白い光が周囲を照らす。

 二人はいつの間にか、通路を抜けて開けた場所に出ていた。


 ここで働いていた人たちの生活スペースなのだろうが、それにしては妙に広い。


 そのことに若干の違和感を抱きながらも、カイトは構わず歩を進めた。


「とにかくよかったじゃねえか。俺がいなきゃ、今頃お前はあの軒下で野垂れ死んでたかもしれねえんだし……」


 そのとき、不意にカイトの視界の端に緑色の影が映った。


 瞬間、心臓がドクンと脈打ち、カイトはノートを脇に挟んで、空いた手を後ろに伸ばしエニカの手首をがっしりとつかんだ。


 カイトの背筋が一瞬にして凍る。

 つかんだエニカの手首から高速で脈打つ心臓の鼓動を感じ、エニカも緊張していることが伝わってきた。


 カイトは体を動かさず、視線だけゆっくりと横に動かす。


 緑色の体。よく見ると、葉っぱのような構造物が頭や腕にびっしりと張り付いている。

 蔦が何十本も絡まったようにうごめく足は、ゆっくりとたわみながらその胴体を前進させる。


 間違いなくこれは、10年前にゼイム・ラートが見たのと同じ、人形の植物、バルシーダだ。


 しかし、こちらに気付いているのかいないのか、バルシーダはカイトとエニカの横をゆっくりと通り過ぎていく。


 ほっとしたのも束の間、カイトが視線を空間の奥に移動させると、何十体ものバルシーダが背筋を伸ばし、こちらをじっと見つめているのが見えた。


 やはり気付かれてはいるのだろう。

 しかし、日誌に書いてあった通り、赤い物を持っていなければ襲っては来ないらしい。


 カイトはもう一度自分とエニカの服装を頭の中で思い出した。


「大丈夫だ、赤い物は何もない」


 そのとき、カイトの後ろからエニカの声が聞こえた。


 その声は何かを我慢しているかのような、抑えられた苦しげな声だった。


「し、師匠……」


 カイトがゆっくり後ろを振り向くと、涙目のエニカがカイトの方をじっと見つめて震えている。


 そして、恐る恐るエニカの腕に視線を向けると、この採掘場に流されてきたときにできた切り傷を縛る布から、血がにじみ出ているのが見えた。


 いつ開いたのか、腕を伝ってポタポタと、真っ赤な血が流れ出ていた。

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