5. 鈍く光る土色の思い出

 ざらざらした岩壁に手をつきながら、階段を少しずつ上っていく。


 暗闇の中、足元に注意しつつ歩を進めるカイトの後ろで、突然エニカが声を上げた。


「きゃっ! 今なんかでっかい虫がいました! 間違いなく私の足の上を通っていきました! 気持ち悪いです!」


 ここは地下の使われていない採掘場だ。虫など当たり前のようにいるだろう。


 階段を上る途中、何度もその叫び声を聞かされ、カイトはついに堪忍袋の緒が切れたのか、後ろにいるエニカに怒鳴りつけた。

 

「うるせえ! 虫ぐらい我慢しろ! じゃないとこの手、離しちまうぞ!」


 カイトが後ろに伸ばしている手を、エニカはがっしりと掴んでいる。


「お前が暗くて怖いって言うから手つないでやってんのに、騒ぐんじゃねえよ」


「だってぇ……虫が……」


「虫を避けたきゃこの手を離せ」


「いやです! 師匠の手はとても温かくて怖さが紛れます! 離したくありません!」


 エニカはカイトの手をギュッと力強く握った。


 エニカの手は小さく細い。

 この手で本当に冒険者になれるのかとカイトは疑問に思ったが、口には出さなかった。


 不安そうに手を握るエニカに呆れつつ、カイトは再び前を向いて階段を上り始める。



 コツコツと石階段に靴が当たる音だけが永遠と響く。


 もうどれほど上っただろうか。

 さすがに目が慣れてきて、階段や岩肌の様子がわずかに見えてきた。


 その目で階段の先を見てみたが、予想通り階段が長く伸びているだけでまだまだ先は長そうだ。


 カイトは逸る気持ちを無理矢理抑えて、歯を噛み締めた。


 このままだとフィノール学園の入学試験に間に合わない。

 その焦りで冷静さを失いそうになる。本当なら転げ落ちる覚悟で階段を駆け上がって行きたかったが、エニカを連れている以上、それはできない。


 一瞬、エニカをここにおいて一人で脱出し、試験が終わってから迎えに来ようかとも考えたが、握り締めたエニカの手がわずかに震えているのを感じ、思いとどまった。


 子供が一人でこんな暗闇の中にいたら、トラウマになってしまうだろう。


 そんなことを考えながらカイトが暗闇に目を向けると、側面の壁に小さなドアがあることに気付いた。


「お! まさか出口か……!」


 突然降ってきた希望にすがるように、カイトはそのドアに近寄って、ネジがゆるんだ取っ手をゆっくりと回した。


 ドアがギーッと音を立てて開く。

 その先にはたくさんの木の棚があり、ダンボールに入った工具や資材が大量に置かれていた。


「なんだ、物置か……」


 カイトの後ろからエニカも部屋を覗く。


「出口ではなさそうですね……」


 ひどくほこりっぽく、採掘場同様にここもしばらく使われていないようだ。


 カイトは物置の中に入ると、ダンボールの中に手を突っ込みごそごそとあさり始めた。


「これだけ物があるってことは、もしかしたらあの道具もあるかもしれない。……お、これだ」


 カイトはダンボールの奥から、細い持ち手がついた円柱状の小瓶を引っ張り出した。


 外側は透明なガラスのように透き通っていて、その中心には白い球体が入っている。


「これは魔導式ランプだ。魔力を流して貯めることで光が灯る」


 そう言ってカイトが魔力を注入すると、ランプの中心にあった球体が白い光を放ち始めた。


 照らされる範囲は決して広くないが、暗闇を進んできた二人にとってこの光は希望の光に感じられた。


「これで暗闇が少しだけ怖くなくなりますね!」


 その灯を頼りに部屋の中を見回すと、奥に小さな机があることに気付いた。

 木の板に四本の棒が付いているだけの簡素な造りだ。


 そしてその上には、ほこりをかぶったノートが一冊置かれている。


「これは……日記か?」


 カイトがノートのほこりを払うと、表紙には『採掘場日誌 ゼイム・ラート』と書いてあった。


「ゼイム・ラート……。この採掘場で働いてたやつの名前か? どっかで聞いたことがあるような……」


 採掘場が使われていたときの記録が書いてあるのなら、この日誌は何かの手がかりになる可能性が高い。


 そう考えノートを手に取り、カイトは後ろを振り返った。


「これに採掘場の地図や出入り口の場所が書いてあるかもしれない。時間もねえし、読みながら移動するぞ。ほら、お前はランプ持ってろ。虫が寄ってきても落とすんじゃねえぞ」


 カイトは光が灯されたランプをエニカに差し出した。


 その光に虫がわんさか集まってくる様子を想像して、エニカは気持ち悪さに口を押さえる。


「虫はいやなんですけど……」


 そう言いながらもエニカはしぶしぶランプを受け取った。


 二人は物置を出ると、再び長い階段を上っていく。

 さっきと一つ違うのは、白い光で深淵が照らされていることだ。


 カイトがノートを読めるように、エニカがすぐ後ろからランプで暗闇を明るく照らす。


 案の定、虫が集まってきてエニカがぎゃあぎゃあ騒いでいるが、カイトはそれを無視してノートを読み始めた。


「さて、何か有益な情報があるかどうか……。日付は、10年前だな」



──────────


『〇〇年 8月6日

 今まで地道に働いてきたおかげか、俺はこの採掘場の現場責任者になることができた。

 昔は悪いこともたくさんやったが、今は足を洗ってちゃんと働いている。


 一緒に働くメンバーはみんな気のいいやつらで、退屈することはなさそうだ。この日誌はいずれ、俺の宝物になるだろう』


──────────


『〇〇年 8月7日

 今日から本格的に採掘場での作業が始まる。俺たちが掘り出すのはマグタイトという赤く輝く鉱石だ。魔力を加えると熱を発する貴重な鉱石らしい。


 だが、強い衝撃を与えると赤い輝きが失われて黒く濁り、使い物にならなくなるとかで、作業にはかなりの慎重さが必要みたいだ。

 みんな肉体労働ばっかりやってきた連中だから少し不安だが、やっていくうちに慣れるだろう。


 今日は採掘のための道具を運んで整理するだけで一日経っちまった。採掘作業は明日からだ』


──────────



 カイトは洞窟の至る所にあった赤い鉱石を思い出した。


 ここはあの鉱石を掘り出すための場所だろうと考えていたが、その予想は当たりだったようだ。


「あの赤い鉱石、マグタイトっていうんだな。知らなかったぜ」



──────────


『〇〇年 8月8日

 俺たちの寝床は岩山の中をくりぬいて作られた場所にある。簡単な台所なんかもあって生活するには困らなさそうだ。

 かなりの広さがあるのはいいことだが、下手したら迷子になるかもしれない。


 そして、その地下には採掘場がある。

 階段が長すぎて上り下りするだけで一苦労だ。マグタイト鉱石を担いで階段を上ってるときなんて、四肢がもげるかと思ったぜ。


 なにはともあれ仕事が終わった頃にはみんなくたくただった。今日は腕が痛いから、このへんで筆を置くことにする』


──────────



 そこで、カイトは納得したように頷いた。


「なるほど、ここはやっぱり地下なんだな。ならこの階段の先には、こいつらが生活してたスペースがあるはずだ。そこから外に出られそうだな」


 脱出の糸口が見え始め、カイトの胸に希望が湧く。



──────────


『〇〇年 8月11日

 数日経って、少しずつこの仕事にも慣れてきた。

 相変わらずマグタイトをつるはしで叩いちまって、ただの瓦礫に変えちまうことが何回かあったが、階段の上り下りはあまり疲れなくなってきた。


 仲間の一人が外からこっそり酒を持ってきたから、夜は宴を開いて馬鹿騒ぎした。

 安酒でも、一緒に飲める仲間がいれば、どんな高級酒よりもうまく感じるもんだ。明日は二日酔い確定だけどな』


──────────



 ベロベロになった状態で書いたからか、文字が歪んでいて非常に読みづらい。


 すると、カイトの後ろからエニカが日誌を覗き込んで首をかしげた。


「師匠、お酒って美味しいんですか?」


 自分が知らない未知の飲み物に興味を示すエニカ。


 しかし、カイトもエニカも15歳とまだ子供だ。大人になるまでは飲むことができない。


「知らねえよ。俺たちがその味を知るのはまだまだ先の話だ」


「えー」


 エニカは残念そうに肩を落とした。



──────────


『〇〇年 8月14日

 今日は仕事の後に、みんなで採掘場の溜め池に入って汗を洗い流した。

 ちょうど上に空いた穴から川の水が噴き出していて、久しぶりに体の垢を落とせてスッキリしたぜ。

 木や石も混じってて決してきれいな水とは言えなかったが、数日間風呂にも入らず土や泥にまみれた体よりはよほどきれいだ』


──────────



「お風呂に何日も入ってなかったら体から虫が湧いてきちゃいますよ!?」


 恐怖に体を震わせるエニカに、カイトは呆れた目を向けた。


「そんなわけねえだろ。そうなるのは死体くらいだ」


「怖いこと言わないでください!」



──────────


『〇〇年 8月17日

 今日は俺が料理当番だった。あいつらは何やら不安そうな顔をしていたが、気にすることはない。

 料理は切って焼いて塩を振れば何でもうまくなる。


 だが、俺の自信作を食った瞬間、トイレに駆け込むやつが後を絶たなかった。

 俺は悪くねえと思うんだけどな。まあ、まずいのは認めるが、食えないほどじゃないはずだ。


 いつかあいつらに美味いと言わせることを目標に、料理の研究をしていこうと思う』


──────────



「こいつら、割と楽しくやってたんだな。もう出口はわかったし、こっから先は読む必要ねえかな」


 カイトはページをペラペラとめくり、淡々と綴られているゼイム・ラートの採掘場での日々を流し読みした。


 そして、最後まで読むこともなくノートを閉じようとしたそのとき、途中から突然様子が変わっていることに気付いた。


「これは……!」



──────────


『〇〇年 10月26日

 大変なことが起きた。仲間が何者かに襲われ怪我をしたのだ。

 突然のことで、襲ってきたやつの顔や姿形は見ていないと言う。


 マグタイトを担いで階段を上りきり、地上部で歩いているときに瓦礫をぶつけられ意識を失ったらしい。

 俺の仲間がそんなことをするとは思えない。もしかしたら魔族や他の生物による仕業かもしれない。


 みんなには一人で行動しないように注意を促した。これからは俺も気をつけよう』


──────────


『〇〇年 10月28日

 また仲間が襲われた。先日の事件もあり、二人組で行動するようにしていたのだが、俺と行動を共にしていた仲間が地上部でマグタイトを運んでいるときに、突然瓦礫をぶつけられた。


 そのとき、俺は見たんだ、その犯人の姿を。人に近い形をしていたがあれは人じゃない。魔族でもなかった。見たこともない生物だ。


 とにかく、あんな生物が蔓延はびこる場所でこれ以上働くことなどできない。俺たちは採掘場を出て、解散することになった。


 寝食を共にした仲間たちと別れるのは寂しかったが、命の危険を冒してまであの場所で働いても、そこに希望などない。


 部下を危険な目にあわせたってことで、現場責任者である俺はクビになった。これからどうやって生きていこう。


 そうだ、料理の研究をしている間に磨かれた腕前を活かして、飯屋でも開いて見るか。

 結局、あいつらに一度も美味いと言わせることができなかった、ちんけな腕前だけどな』


──────────



 その内容に、カイトの額を冷や汗が伝う。


「マジかよ……。なら、俺たちも危ないんじゃねえのか」


 10年前とはいえ、その生物がまだここに住み着いていたら、カイトたちも襲われるかもしれない。


 日誌はこれで終わりかと思われたが、カイトがページをめくるとまだ続きがあった。



──────────


『〇〇年 12月15日

 久しぶりに日誌を書く。俺はあのとき見た謎の生物が何だったのか気になり、図書館で本を読みあさった。そして見つけた、あのとき見た生物を。


 それは、“バルシーダ”という人型の植物だ。全身が緑色で、人間と同じように顔や胴体、そして腕があり、何十本もの蔦が足のように伸びている。


 洞窟などの暗く閉じた場所に生息し、主食はどこにでも生えているマルリ草という葉っぱだ。

 一度にたくさんの子供を産み、その子供は一年ほどで成長して次の子供を産む。


 そして最も注目すべき特徴は、周囲の環境を色で知覚することだ。

 人間が目で物を見るように、バルシーダは色で物を認識するらしい。


 特に赤色には敏感な反応を示し、赤い物を見ただけで攻撃してくるんだとか。

 攻撃方法は、片腕で壁や地面の岩を削り、もう片方の腕で標的に向けて発射する、というものだ。


 ここまで知れば、あのときの事件の真相が否が応でも理解できる。

 襲われた仲間は二人とも、地上部でマグタイトを持っているときに瓦礫をぶつけられた。

 おそらく、地上部にあった俺たちの生活スペースのどこかにバルシーダが住み着き、赤いマグタイトを見て攻撃してきたのだろう。


 これであの日の謎は解けた。だが、まだ何かが引っかかる。もう少し調べてみよう』


──────────



 まだ続きがあったが、カイトは急いでノートを閉じると、振り返ってエニカの全身を見回した。


「お前、なんか赤いもの身につけてないよな?」


 バルシーダの攻撃欲をあおる赤い色。

 あまりにもありふれた色であるため、すでに服や持ち物に赤色が混じっていてもおかしくない。


「大丈夫だと思います。師匠はどうですか?」


 カイトも自身の体を隅々まで確認し、息をついた。


「俺も問題ない。とりあえず、ここにまだバルシーダがいたとしても、襲われることはなさそうだな」


 すると、その心配をよそにエニカが何やら楽しげに微笑んだ。


「でも赤い物さえ持っていなければ、もしかしたらバルシーダさんとお友達になれるかもしれませんよ?」


 そんな頭の中がお花畑になっているとしか思えない考えに、カイトは呆れ果て手で顔を覆った。


「お前はバカか。脳みそどうなってんだ。そんな気性の荒いやつらと一緒にいられるわけねえだろ。下手したら殺されるかもしれねえんだぞ」


「そうですかねー」


 エニカは納得していない様子で足元に転がっていた石ころを軽く蹴った。


「とにかく、襲われないにしても遭遇したら面倒そうだな。バルシーダに関する他の情報がこの続きに書いてあればいいんだけど……」


 そう言ってカイトがノートを開こうとしたとき、今まで暗闇だった階段の先に扉が見えた。


 おそらくこれが、ゼイム・ラートたちが日夜通っていた地下への入り口なのだろう。


「やっと着いたか」


 長い深淵の果てに、ようやくゴールが見えた。


 エニカも心身ともに疲弊したようで、少しぐったりとしている。


「もう歩き疲れました」


 地上へと出られる唯一の扉。

 それを開けようとカイトが手を伸ばしたとき、扉の奥から小さく人の声が聞こえた。


「しっ……」


 カイトは口に人差し指を当てて、後ろのエニカに物音を立てないよう注意を促した。

 エニカはこくりと頷き、緊張した様子でじっとしている。


 扉の向こうにいるのが誰かわからない以上、下手に姿を現すのは危険だ。


 カイトは扉の取っ手を掴み、音が鳴らないようにゆっくりと少しだけ開いた。

 そして、恐る恐る中を覗く。


 人が3人、何やら話し込んでいる。

 もしかしたら冒険者かもしれないとカイトは目をこらした。


「……!」


 そして見た、彼らの腕に刻まれた、赤い鷲のエンブレムを。

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