2-2
「父ちゃん、荷物全部降ろしたよ」
久太郎は事務所のドアを少し開けて顔だけ中に入れ、久明に言った。
「そうか、今いく」
久明は久太郎に向かって手を上げてから、マスターに三人分のボート代と
「それでは行ってきます」
「表に並んでいるバッテリーは全て充電済みですから、どれを使っても結構です」
「わかりました。それでは」
ボートが係留されている桟橋は、高さ五メートルほどの崖の下にある。久明が事務所から出ると、久太郎と隼人はボート桟橋に降りる階段の脇から湖面を眺めながら、何やら大声で話をしていた。水位は満水より三メートル程低く、湖岸は黄土色の地肌がむき出しになっている。
「軽いものだけ桟橋に降ろしておいてくれないか」
久明は久太郎達に指示しておいて、事務所脇に並べてあるエレキとその電源になるバッテリーを持ち上げた。
桟橋に降りる階段の横には電動ウインチで上下するエレベーターが設置されていて、客が重量物を桟橋まで上げ下げするための便宜が図られている。
久明は自分でエレベーターのスウィッチを操作して、エレキとバッテリーを下に降ろした。他の道具を降ろし終わった久太郎たちは、その作業を興味深そうに見つめている。
桟橋に降りると、久明は三人が乗れる大振りなボートを選び、水抜き栓をしっかり閉めて、エレキを船尾に取りつけた。
「舟に乗る前に、ちゃんとライフジャケットを着ておけよ」
真夏の上、減水中なので、湖水は冷たくはない。しかし落水したら、半袖半ズボンでも、服を着たまま、靴を履いたままで泳ぐのは簡単なことではなく、溺れる危険がある。また最深部は二十三メートルもある湖なので、もしも沈んだらすぐに救出することはほぼ不可能であろう。久明も万が一に備えてライフジャケットを着用した。
荷物は全部積み終わった。
「忘れ物はないか?」
久明は子供達に訊いた。
「大丈夫」
「食べ物は持ったか?」
久太郎と隼人は互いの顔を見て、
「持った!」
「トイレは? 今のうちに行っておいた方がいいぞ。舟に乗ったら降りられる所はあまりないからな」
「うーん。……オレ行ってくる」
久太郎はそろりと舟を降りて一気に階段を登り、事務所に向かって走っていった。
「僕も行ってきます」
隼人も後に続いて走った。
二人はすぐに戻ってきた。急な階段を転げるように駆け降りてくる。
「やけに早かったな」
久明は訝しがった。
「ちゃんと用足ししてきたのか」
「したよ、時間がもったいないから超速攻で。下っ腹に思いっきり力を込めて、ジャーってしてきた」
「僕も大急ぎで。急ぎすぎて、おしっこが撥ねてちょっと長靴に付いちゃった」
二人ともニコニコしながらボートに乗りこんだ。
──隼人君も意外に腕白の気があるのかな。あるいは久太郎と一緒にいるから、そそっかしいのがうつったか?
久明は苦笑し、この奇妙なデコボココンビを眺めながら思った。
「よし、準備完了。いざ出航!」
舳先に坐った久太郎はボートを桟橋に繋いでいたロープをほどき、船頭になったかのように大声で号令する。
ボートは鏡のような水面を静々と滑っていく。エレキは電動モーターの船外機なので、音はほとんどしない。多少の水切り音がするだけである。
「快適だなあ」
久太郎は空気中の臭いを嗅いでいる犬のように、顔を少し上に向けて目を細めた。
入り組んだ形状の湖上には、釣り客のボートが多数浮かんでいる。そのほとんどがブラックバス狙いだが、稀にヘラブナ狙いのボートが岸際にいる。
「この辺で少しやってみようか」
久明は大きな木の枝が湖面に覆い被さるように伸びている岸辺を指差した。
「あそこの木の下辺りだね」
久太郎はそう言って、竿を一本久明に渡した。
久明はそれにオモリとハリを付け、軟質プラスチック製の「プラスチック・ワーム」をセットして、隼人に渡した。久太郎は同じ仕掛けを自分で作る。
「こういう風に糸を指に掛けて、ベールを返して……」
と、隼人にリールの扱い方をレクチャーしてから、
「それじゃあ、第一投!」
と久太郎は言って、片手で十五メートルほど先の岸すれすれを狙ってワームを投げた。しかし糸を指先から離すタイミングが遅すぎて、目と鼻の先に叩きつけてしまう。
これが失敗だったということは、さすがにずぶの素人である隼人も分かる。体を揺らして笑い、からかうように言った。
「そんな近くに投げても釣れるの?」
「釣れるんだよ!」
「本当? 強がり言ってない?」
「うるさいな!」
久太郎は顔を赤くして怒鳴り、仕掛けを投げなおした。
今度はうまくいった。ワームは岸から二メートルほどの水面に着水した。
「ああいう風に放れば、もっといっぱい釣れるんだよ。ジャイアンも早く始めろよ」
「うん。それじゃ始めるぞ!」
隼人は両手て竿を握り、後ろに大きく振りかぶってから前に竿を勢いよく振り下ろした。しかし狙いを右に大きく外し、仕掛けはほとんど真横に飛んでいく。
「お前下手くそだなあ」
久太郎は自分のことを棚に上げて笑った。
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