第5話

 気づいたときには、いつも通りの、私がよく知るダイソーの店内だった。

 時刻は、私が不思議ダイソーに迷い込んだときと同じ、夜の八時ちょっと前。日付も、あの日に戻っている。


 店内には、数人のお客さんと店員の姿がある。

 ありがたいことには、「あのダイソー」に迷い込んでいたこの数日間の間に私たちが勝手に使った店の商品は、すっかり元に戻っていた。好き勝手に食べたり飲んだりした食料や、寝床として使っていたキャンプマットも、完全に元通り。なにより幸いだったのは、店内に勝手に作っちゃった簡易トイレが、跡形もなく消えていたことだ。アレがもし他人に見られちゃってたら、社会的に人生終わってたところだから……。

 まあ、もともと「あのダイソー」と今いるここは、内装がよく似た別の場所っぽかったから、それは当たり前なのかもしれないけど。


 店内放送は、いつの間にかホタルの光になっている。その音楽に導かれるようにセルフレジに向かうお客さんたちを見ながら、私はその場に立ち尽くしていた。


 レジの向こう側には、ずっと熱望していたはずの出入り口の自動ドアがある。他のお客さんがそこを通って、外に出ていくのも見える。

 きっと私もそこを通れば、ここから外に出ることができる。いつもどおりの、これまでどおりの生活に戻ることができる。

 でも……。

 私はそれを、受け入れることが出来なかった。

 元の生活に戻ることを、拒絶してしまっていた。


 きっと私は、分かっていたんだ。最初から。「あのダイソー」に迷い込んだ瞬間から。

 私はいつか、元の世界に戻れるってことを。


 あの、出口のない「不思議ダイソー」は、あくまでも一時的なもの。偶然迷い込んでしまっても、いつかは元の世界に戻れる。そこで食べたものや使った商品も元通りになって、すべてのものは何事もなかったかのようにいつもどおりに戻ってしまう。

 だから……。

 「あのダイソー」で出会ったミクさんとも……きっといつかはお別れになっちゃうんだ……って。


 私が戻ってきたいつも通りの普通のダイソーには、ミクさんはいなかった。

 どれだけ探しても……。店員に注意されて追い出される閉店ギリギリの時間まで、店内を徘徊して探し回っても……。彼女は、どこにもいなくなっちゃってた。



 ミクさん。

 会った瞬間から意気投合して、小学校からの親友みたいに仲良くなってくれた、キレイなおねーさん。

 でも……。

 そんなの、やっぱり不自然だ。

 出口がないダイソーくらい、ありえないことだ。


 だから、やっぱりあれは……あの人は……私の妄想だったのかもしれない。

 日頃の生活で心がすり減っていた私が、無意識のうちに求めてしまった想像上の友達……。それが、ミクさんだったのかもしれない。



 彼女が店内の肌着とかペラペラのレインコートとか子供のおもちゃのティアラとかを使って、突然ファッションショーを始めたこととか。

 お菓子の味に飽きたからって調味料を入れまくって、かなりの量の食料を台無しにしちゃったこととか。

 カップ麺用のお湯を沸かしててたら、天井のスプリンクラーが作動して大騒ぎになったこととか……。

 そういう思い出も、きっと、現実のことじゃなかったんだ。

 私はいつしか、そう思うようになっていた。


 あの、キレイなおねーさんと過ごした不思議な数日間の出来事は、今ではもう、夢の中のことのように曖昧になっていた。



 それでも……。

 あれから何かを買いにダイソーにやって来るたびに……ふと、あの不思議な数日間を思い出してしまうんだ。懐かしさと寂しさと、どれだけあがいてもどうしようもないことに対する諦めのこもった複雑な気持ちが湧いてきて、急に店内で立ち止まって、体を震わせてしまうんだ。

 だから今日も……フラッとやってきたダイソーで、私はそんなことを考えてしまっていた………………んだけど。



「『付箋ふせん』とか? それか『ゴミ袋』……『コーヒーフィルター』って可能性もある? 多分、消耗品系だよねー?」

 そのとき後ろのほうから、聞き慣れたそんな声が聞こえてきた。

「えっ……」


 振り返ると、そこには、

「どうせまた、何買いにきたか忘れちゃってたんでしょー? 相変わらず、抜けてるなー。もういっそ、『えりかちゃん現象』って名前つけちゃおうかー?」

 あの「不思議ダイソー」と一緒に消えてしまった、ミクさんがいた。

「ど、どうして……?」

 まるで幽霊でも見ているみたいな気分で、眼の前のことが信じられない。


「だってえりかちゃん、最寄りのダイソーが『あのダイソー』に似てるって言ってたじゃん? だから私、ネットで片っ端からダイソー調べてさ。『あのダイソー』と似たような内装の店を、ずっと探してたんだよー。また、えりかちゃんに会えるようにって」

「そ、そんな……そんな……」

 「なんだかんだ、半年近くかかっちゃったよー!」なんて言って、あのときのままの笑顔で笑うミクさん。


「わ、私も……ずっと、会いたくて……。でも、ミクさんはきっと、私の妄想なんだ、って…。きっともう、二度と会えないんだって……」

「もぉーう、えりかちゃんはバカだなー! 私、言ったでしょーっ⁉ 私は架空の人間なんかじゃなく、ちゃんと実在するよー、って。『私もえりかちゃんに会えて良かったよー』ってさー!」

「う、うそ……あのときミクさんは、そんなこと言ってなかった……」

「あれ、そうだっけ? ま、あのときは私だって不安だったからさ。もしも、えりかちゃんが実在してなかったら、どうしようって……」

「え?」

 らしくもなく小さな声でつぶやくので、ミクさんの最後の方の言葉はよく聞き取れなかった。

 でも、彼女はすぐにいつもどおりのハキハキした明るい調子で、

「つか、ダイソーの商品は当たりハズレあるから、品質にブレがあるのはしゃーないよ! あのときのえりかちゃんの耳栓は、当たり、、、だったんだねー?」

 なんて言った。

「……もう、ミクさんったら」


 まったく……。

 ダイソーなんて安いだけで品質ショボくて、ろくな商品ないって言われるけど……たまにこういうことがあるから、来るのやめられないんだよ。


 それから。

 閉店時間になったダイソーから追い出された私たちは、ちょうど隣のスーパーで半額シールを貼られ始めていたお惣菜をめいっぱい買い込んで、私の家で軽いパーティみたいな事をした。それは、やっぱり最高にショボくて……だけど、最高に楽しい夜だった。




 それで……あ、そうそう。

 そのあとしばらく経ってから、私の家にダイソーで新しく買い揃えた食器やマグカップが一セットずつ追加されたりするんだけど…………それはまた、別のお話かな。

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出口のない100円ショップで、キレイなおねーさんと出会う話 紙月三角 @kamitsuki_san

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