みがわり -1-

 康太の失踪から三十三年後。良夫は一児の父となり、家族三人で幸せな家庭を築いていた。康太が居なくなった直後は、子供ながら自責の念に苛まれたが、月日の流れとともに時間に追われるようになり、康太を思い出すこともなくなった。


 大学卒業後に入社してから、十五年以上働き続けている今の会社では、役職が上がった分、責任も増えた。一人息子の悠馬ゆうまは九歳になり、四六時中監視する必要はなくなったが、それでもまだまだ手がかかる。


 仕事と子育てで手一杯で、昔のことに構っている余裕はなかった。


 土曜日のある日。妻の由加里ゆかりは昼からパートに出ており、良夫と悠馬の二人でテレビゲームを楽しんでいた。夢中になってプレイしているうちに、いつの間にか時間が過ぎたようで、窓の外を見れば、陽が傾きかけている。


 長時間、目を酷使した二人は休憩を挟むことにし、由加理が用意していたおやつのプリンを向かい合って食べた。


 悠馬が食器を流し台に置いて再びゲームに戻ろうとしたその時、玄関から物音がした。ポストに何か入れられたようである。そういえば、今日はまだ夕刊が届いていなかった。いつもより届くのが遅い。気のきく悠馬は、僕がとってくる、と玄関に向かった。


 モニターの表示をいったんテレビ番組にすると、『小学生男児が行方不明』というニュースが流れていた。映っていたのは全く知らない男児だったが、同じ年頃の一人息子がいる良夫にとっても他人事ではない。自分の身に起きたら、「気の毒に」では済まない。


 無事に見つかってくれることを祈るばかりだ。


 ニュースはグルメリポートに変わった。池袋の路地裏にある隠れた名店の特集だった。


 ――居酒屋じゃなければ、悠馬を連れていってもよかったな。


 水を一口含んで、ふと気づく。悠馬がなかなか戻ってこない。夕刊を取りに行くだけなのに、どうしたんだろう。


 心配になり玄関を出ると、悠馬ではなく別の男の子が立っていた。見たところ、年齢は悠馬とそう変わらなそうで、今どき見ない、短いパンツにハイソックスという出で立ちだ。


 悠馬の友達だろうか。彼は俯いて微動だにしないので、良夫の方から声をかけることにした。


「こんにちは。何か用事かな?」


 少年は一度顔を上げ、良夫と目を合わせたが、すぐまた俯いてしまった。どうしたものかと良夫が思い悩んでいると、少年がぽつりとつぶやいた。


「良夫くんが連れてかれちゃった」


 意味が分からなかった。良夫は自分だ。ここにいる。それとも、自分と同名の同級生でもいるのだろうか。


「良夫くんって友達? ここには良夫くんっていう子はいないよ」


 すると、少年は涙を浮かべて顔を歪めた。


「良夫くんが、僕の代わりに連れてかれたの。ごめんなさい。ごめんなさい」


 とうとう堰を切ったように泣き出してしまった。良夫は突然のことで困惑したが、自宅の玄関先で泣かれていては世間体が良くない。ひとまず家の中に招き入れて、泣き止むまで待つことにした。


 少年はひとしきり泣いて落ち着いた。彼の正面に座り、目を赤くした少年の顔を観察する。どこかで見た顔だ。会社のイベントに子供を連れてくる社員もいるから、その時にでも見たのだろうか。


 いや、違う。そんな最近のことじゃない。もっと昔……。だめだ、思い出せない。良夫はひとまず、彼の名前を訊いてみた。


 少年は答えた。


「康太。高木康太」


「高木、康太……」


 その瞬間、遠く深い海の底から勢いよく引き揚げた網のごとく、三十年以上前に姿を消した友人を思い出した。


 良夫は唾を飲み、もう一度少年を見てみる。自分の記憶に残っている『康太』と同じ顔だ。古めかしいと思った少年の服装は、自分が子供の頃に当然のように着ていた格好だ。


 ありえない。『康太』が失踪してから三十年以上は経っている。生きていたとしても、子供のままのはずがない。


 良夫は困惑した。


 同性同名の別人にしては似すぎている。康太の実子というわけでもなさそうだ。自分と同じ名前を授けるわけがない。良夫は『康太』にそこで待つよう伝え、押し入れに閉まってあるはずの昔のアルバムを探しに行った。


 こういう時、マメな性格でよかったと思う。どこに何をしまったか、はっきり分かっている。目的のものは、すぐに見つかった。小学校の卒業アルバムをぺらぺらと捲ってみる。


 あった。康太が写った写真だ。『康太』と瓜二つだった。


「まさか……」


 早くなった鼓動と抑え、居間に戻る。アルバムを探す前と同じ姿勢で待っていた『康太』に、質問をしてみる。


「康太君……。訊いてもいいかな。今、何年だか分かるかい?」


 康太は、何でそんなことを訊くんだろう、という顔をしつつも、はっきりと答えた。


「昭和六十二年」


「はは……。おじさんをからかっちゃいけないよ。昭和はとっくに終わって、もう平成になったじゃないか」


 ひとつ嘘を入れた。平成も終わっている。どういう反応をするか見るためだ。


「へいせい……? おじさん何言ってるの……? 今は昭和だよ。子供だってそれくらい知ってるよ」


 良夫の望んだ回答はしてもらえなかった。額に冷汗が浮かぶ。


 本当に、この子は『康太』なのか? まさか、三十年以上も経って、タイムスリップしてきたとでもいうのか……。


 それと同時に、『康太』の言葉を思い出す。


――良夫くんが連れてかれちゃった。


 良夫が『康太』をすぐ認識できなかったように、『康太』にとってのは自分ではない。彼の言うは、まだ子供のはずだから。となると、連れていかれた『良夫くん』は誰なのか。


 良夫は嫌な予感がした。


 息子の悠馬が戻ってきていないこと。悠馬は、他人が見ても親子と気づくくらい、自分に生き写しで、子供の頃の良夫にそっくりであること。まさか、連れていかれた『良夫くん』は……。


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