こうちゃん

藤原 汰地

第1話

 同窓会がはじまってから二時間ほどたった二十一時すぎごろ。佐川の口から、耳なれないフレーズがこぼれでた。

 貸きられた大部屋の座敷には二百人ほどの人間がひしめきあい、各々が昔話でもりあがって、アルコールも混じりテンションがたかい。全員の声がふだんよりおおきくなっていて、それが二百もあつまると、宴会場ぜんたいが非常にガヤガヤしていてうるさかった。面とむかって座っているヤツの言葉でさえ、たまに聞きとりづらい。芋焼酎をジュルジュル下品な音をたててすすり、「なんて?」と俺は聞きかえした。

「ん? だから、こうちゃん、だよ。あいつ、まだ来ねえのかなって」

 こうちゃん、という人物がピンとこず、「ああ」とあいまいな返事をする。

 こうちゃん。佐川の口ぶりからして、おそらくは俺たちの同級生なのだろう。

 しかしそんなヤツがいたかどうか。ほどよくアルコールがまわり、脳内でなにかが引っかかるかんじがして、思いだせそうで思いだせない。

「そいつってさ、おまえと仲いいヤツだっけ?」なんの気なしの俺の言葉に、佐川は「はあ?」とすっとんきょうな声をあげた。

「いちばん仲よかったの、お前じゃん! 親友わすれんなよ!」

 予想外の剣幕にひるみ、俺はつい「冗談だって」と言った。「こうちゃんくるまえに、もうできあがっちゃった?」あからんで弛緩した佐川の頬が、ニヤッとわらう。そんな佐川の様子をみると、なぜか寒気がした。

 こうちゃん。俺は、こうちゃんとかいう俺の親友を、ほんとうに、知らない。あるいは高校生のとき、なんどか話したことくらいはあって、知りあいといえるくらいの間柄なのかもしれない。

 だが、親友といえるほど仲がよかったのなら、忘れるはずがない。俺の親友であるというのは、佐川の記憶の改ざんにちがいなかった。

 酔っぱらった佐川がおもしろくなり、すこしからかってみることにした。

「わすれるわけないだろ。こうちゃんとはよく陸上部の練習サボって、放課後の教室でモンハンしたもんな」

 ちなみに、一緒によく練習をサボったのはこうちゃんではなく、菊田という別のヤツだ。のちにサボってゲームをしていたのが顧問にバレ、俺と菊田は、激怒した顧問に退部させられそうになったのだ。

「あー、あれバレたときヤバかったよな。顧問の吉野先生ブチギレて、おまえと菊田とこうちゃん、退部させられそうになったんだよな。あのとき副顧問されてた古川先生が仲裁してくださったから、なんとかなったけど。先生あれやっぱたいへんでしたよね?」

 佐川が、自分のとなりにすわっている、担任だった古川先生に話をふった。俺はことの動向をたのしみに見まもる。

「ああ、あれねぇ。僕もこわかったよ。吉野先生は先生のなかでもきびしめの先生で、いかにも体育会系でしょ。僕はいかにも文化系の色白だし。しかも僕はあのときまだ新任の若輩で、吉野先生が五十歳こえたベテランだったからなぁ。そこにたてつくわけじゃん? こうちゃんが『先生、マジでたすけてください』って、泣きついてきたんだよ。ほんと、勘弁してほしかったよ」、

 古川先生は冗談っぽいフランクな口調でそう言ってから、わざといたずらっ子みたいな、おちゃめな表情をつくり、俺のほうにウインクした。「はぁ」とまどう俺をよそに、「先生はマジでやさしいですよね」と佐川がかえす。古川先生は柔和な、俺が高校生だった当時とかわらないやさしい表情にもどり、ニコニコほほえんでいる。

古川先生も、こうちゃんを知っているのか? いやそんなことよりも、あの退部騒動はおれと菊田がおこしたものだ。こうちゃんなんてやつ、あの場にはいなかった。ふざけて佐川に同調しているだけか?

 俺はかんがえをめぐらせ、腕組みしてうえをむく。すると天井からつりさがった電球のひかりが、瞳孔をつうかして、猛スピードでよった脳に直撃した。まるで眼球の三センチさきでフラッシュをたかれたような、快楽的なまでの眩暈がした。

「何の話?」

 さっきまでとおくの座敷で談笑していた新美がよたよたあるいてきて、俺の横であいていた座布団にストンと腰をおろした。新美はおなじ陸上部だった女子だ。さらには退部騒動があった高二のとき、俺と菊田とおなじクラスだった。

「ほら、こいつ部活サボって退部させられそうになったことあったじゃん。その話してたんだよ」

 佐川がニヤケ面で新美に説明する。

 俺は喉をならし唾をのみこむ。パチンコ台にラストの一万円札を投入するときのような、最後の期待に似た感情が新美にたいし湧きおこった。

「あー、あれね! なつかしいね! こうちゃんが泣きながら古川先生に、たすけてくださ~いって懇願したんだよね。ほら、先生にちゃんとお礼しなきゃだよ?」

 新美がクスクスわらい、俺のコップをヒョイと手にとって、すこしだけのこっていた芋焼酎をかってに飲みほした。

 俺はうらぎられた気もちがした。新美までが、こうちゃんを知っている。そればかりか、あの退部騒動に、こうちゃんなる存在がかかわっていたと、彼女までもがそう認識しているのだ。

 二百人いじょういる学年のなかに、こうちゃんとかいうヤツがいて、酒によった俺がそいつを思いだせない、というだけの話ならまだわかる。しかし退部騒動のことは当事者だったから、俺もはっきりとおぼえている。それなのにこうちゃんのことだけは、記憶からすっぽりぬけおちているというのか。

 みんなが知っている人間を、しかも俺の親友だというそいつのことを、俺だけが知らないと? そんなバカなことがあるか。

 俺は現状況のぶきみな異様さをおもい、そこしれず居心地がわるくなった。「こうちゃんって誰なんだよ!」とたちあがって叫びだしたい衝動にかられた。

「あのさ……」おれがきりだすのと同時だった。

「そういやこうちゃん! まだ来ないの!」新美の、よっぱらった人間の無神経な大声がかぶさってきて、俺の言葉をかきけす。

「ああ。その話もしてたんだよな」佐川が言う。すると古川先生が、

「こうちゃんは、思いやりがあって、とても優しい子だけど、すこし抜けてるところもあるからね。こうちゃんのことだから、もしかすると、いまごろ道にまよって、どこかで……」

としんみり話しはじめたので、ぜんいんの視線がなんとなく古川先生にあつまる。

「車にひかれてグチャグチャのひき肉になっているだろうねっ」

 そう早口に言いたてるやいなや、古川先生はこらえきれないといった様子で、豚のようにみにくく顔をゆがめ、「ブフッ」とふきだした。ぜんしんに鳥肌がたった。こいつはきゅうに、なにを言っているんだ、とおもった。

「きゃははははははは!」新美が、耳ざわりなほどかんだかい奇声をあげ、腹をよじってわらいだした。

「ははははは! 俺もぜったいにそうだとおもいますよ、先生!」佐川がクシャっと顔に皺をつくり、黄いろい歯を剥きだしにした。

 こいつら、きゅうにどうしたんだ? いくらよっぱらってるとしても、頭がおかしいのか?

 俺は一気によいがさめ、居場所のなさをかんじて、左腕にはめた腕時計にいみもなくふれる。腕時計はあるひとつの時間をさしたまま、停止していた。

 俺は意をけっし、空になったコップをみつめ、何気ないふうをよそおって、

「なあ。俺さ、こうちゃんってヤツのこと、知らねえんだけど、誰だっけ、そいつ」

と言った。

 三人がバッと顔をあげ、きゅうにわらうのをやめて無表情になり、俺をみる。

俺は三人のきゅうな態度の変化にたじろぎ、視線をさまよわせた。すると俺からみたななめ左上、天井のかどに設置された大型テレビに目がいった。スクリーンには、中年くらいの女性がりょうてで顔をおおい、しずかにすすり泣くすがたがうつしだされている。それをみて新美が「かわいそー」とつぶやいた。

「チッ」ふいに誰かの舌うちがきこえ、俺はおどろいて三人のほうに視線をもどす。と同時に、左手に、しめったぬるい感触がした。みると新美が、俺の手の甲にじぶんの手をそっとかさねている。なんのつもりだ、とギョッとして新美をみると、新美はうっとりした表情で瞳をうるませ、ジッと俺の目をみつめていた。

「頭うって忘れたの? それとも、忘れたいから忘れたの?」

 ひどくあまったるい声音だった。なにを言っているのかわからず、俺はくちが半びらきの状態であぜんとした。

「--------------!! --------------!!」

 そのとき、なにかの音がなりひびいた。

「わりぃわりぃ、電話だ」

 佐川がポケットからスマホをとりだし、耳にあてる。その様子からはさっきまでの異様なくうきがなくなり、ふだんの彼にもどっていた。

「おお。うん、うん。そっかー。うん。うん? ああ、おっけー、おっけー。ほい」

 なにやら相槌をうったあと、佐川がスマホをしぜんなながれで俺にさしだした。

反射的にうけとってしまった俺は「え? これだれからの電話?」とたずねる。佐川が「ん? ああ、あいつだよ」とそっけなく言う。

「こうちゃんか? 俺、こいつのことおぼえてねえんだけど」

「いいからいいから。でてみろって」

 佐川が少年っぽいえくぼを頬にうかべ、無邪気そうにニコッとしてあごをしゃくり、俺をうながす。そこには歯をむいてわらっていたさきほどまでの邪悪さはみじんもない。毒気をぬかれた俺は、とりあえずスマホに耳をかざす。そのいっしゅん、佐川のくろい瞳が、好奇の光でかすかに揺れたきがした。

「もしもし~? こうちゃん、ですか?」

 おそるおそる、スマホのむこうがわの気配をうかがう。しかし返事はない。数秒まってもなにもきこえないので、スマホを佐川にかえそうとした。そのとき、わずかに音がした。

「…………。…………ッ……」

 俺はスマホのむこうに意識を集中させた。電波がわるいのか、砂嵐というか、風というか、擦れた音がとぎれとぎれにきこえてくる。

「なあ、なんか電波わるいんだけど」

 そう言って佐川をみる。佐川と新美と古川先生は三人でかってに会話しはじめていて、きいていない。

 とつぜん耳もとで「ハア……」と、あきらかに人間の吐息が、耳をなでた。俺は緊張して耳をすませる。すると非常にかぼそく、なにかがきこえてくる。泣いているような、あるいは笑っているような。かすかな囁きだった。ひどく不明瞭で、なにを言っているのかわからない。

「なんかへんな声きこえるぞ」俺は気もちちわるくなって佐川にスマホをかえす。佐川はなんでもない調子で「はいはい、それじゃー」とスマホをきった。佐川とはふつうに会話できているのに、なぜ俺がかわると電波がわるくなったのか。へんだ。

「あいつ、もうすぐ着くってさ」

「ええ! 会うのすごくひさしぶりだからたのしみー!」

「僕も会えるのがたのしみだなぁ」

 俺はだんだんとイライラしはじめた。

「だから! こうちゃんって、だれだよ!」

 俺はやや声をあらげ、その場からにげたくなって、トイレに行こうとたちあがる。  

 すると二百人いじょうがはっするガヤガヤとした雑音がやみ、宴会場がしんとしずまりかえっているのに、気がついた。大部屋にいるおおぜいの人間、その一人ひとりぜんいんが、俺を凝視している。息をのみ、いっしゅんからだが硬直する。

「は? なんだよ、この状況?」俺はたすけをもとめるように、わざと半わらいで、 三人をみた。

 三人はうつむいて、茶いろい机の一点をみつめながら、沈黙している。おもむろに、古川先生がたちあがり、俺の背後をみつめはじめる。よくみると、部屋中の人間は、俺ではなく、俺の背後を、ジッと、みつめているようだった。

 古川先生は、俺の背後に視線をやったまま、無表情で、

「こうちゃん、くるよー」

と言った。棒読みで、抑揚のない、機械の発音だった。

ガタンと、背後で襖のひらく音がした。

 背中を、つめたい雫がツーッとながれおちる。俺は、背後をふりかえった。

 一本の、電柱が視界にとびこんだ。

 開けはなたれた襖のさきには、まっ赤にぬりたくられた電柱が一本、なにもないまっくらな空間に、うかんでいる。その周囲を、電柱をつつむようにして、まっ黒い闇がおおっている。その奇怪な光景を目にしたしゅんかん、瞳孔のおくで光がばくはつし、脳の芯につき刺さった。その圧倒的な光のまえに立ち眩み、その場にへたりこむ。動悸がひどく、吐き気がした。

 背後でクスッと、大部屋のだれかが一人、かすかにわらった。そこには、俺にたいするあきらかな蔑みの感情が、悪意か、敵意かが、こめられていた。

「なんだよ、これ。ここは……。ここは、どこなんだ」

 耳たぶにふれそうなほどの至近距離から、「んー? ヴヴン……」という、古川先生の、痰のからんだいやな咳ばらいがきこえた。

「俺はどうなるんですか。どうすればいいんですか。先生」

 なまぬるい、ふかいな息が耳にかかった。

「これからずっと、地獄だよー」




                  *




 目をさますと、そこは病院のベッドだった。母親が俺の左手をにぎり、泣いていた。

 医者を名のる白衣の男がきた。白衣の男は、「あなたは三日間、昏睡状態でした」と言った。

 そのしばらくあとに、刑事をなのるトレンチコートの男がきた。トレンチコートの男はてみじかに、二つのことを俺につげた。

 おれは過失致死傷罪で逮捕されること。同窓会がおひらきになったあと、おれが飲酒運転したくるまは電柱につっこみ、こうちゃんは電柱とひしゃげた車のボディにはさまって潰れ、即死したこと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

こうちゃん 藤原 汰地 @sanpachi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る