第3話 あれから三ヶ月

 あれから三ヶ月。中学校に入った泥棒はまだ捕まっていない。その間も父さんは当日、残業していたという理由で、何度も警察に呼ばれ、調書を取られ、時には帰るのが深夜になっていた。

 もちろん他にもその日、残業をしていた教師はいた。期末テストの後で、その採点があったからだ。でも父さんはその日に、夏休みの補講の資料も併せて作成していたため、かなり遅く、夜の十一時頃まで残っていた。犯人が侵入したのが十時半ごろだと言う。


 あの日、聞いた噂は本当で、鍵のかかっていなかった窓から侵入した泥棒はいつの間にか、全国大会のトロフィーを定位置から奪っていたとか。その際、窓のガラスが一部割れ、犯人のものと思われる血の跡もあったとか。


 でも世間のみんなはやがてそんな事件の事を忘れ始めたように思えた。近所の人達の態度も以前の和気あいあいとしたモードに戻っていた。あれは災難だったねと言い、事件は記憶の彼方に埋もれていこうとしていた。


 ところが夏休みが始まる少し前の事だった。

 まず家に刑事が二人やって来て、父さんでなく、家族に色々聞き取りをした。中年の目付きの良くない刑事と背がすごく高くて若い刑事と。私にも何点か聞かれた。父さんの所に来るお客さんの事。特に昔の知り合いを知らないかとか、アクセサリー類を家で保管していないかとか。


「父の知り合いで家にやってくるのは、勤めている中学校の生徒達だけです。数学パズル部という部活動の顧問をしているので、その子達です。昔の友達で今も仲良くしている人の事はよく知りません。アクセサリーなんて、持っていません。大学時代に時計や宝石を扱うお店でバイトしていたらしくて、時計のブランドには詳しいです。テレビで芸能人が付けている時計について、『あれはなんとかっていう時計だよ』と家族に話したりはします」


 中年の刑事は不審そうにそれを聞いていた。


「女性の知り合いについても知らないかい?」


「知りません。大体、校内で大きな物音がして、警察を呼んだのは父なんですよね。それなのに犯人と疑われるなんておかしくないですか?」


 中年の刑事は答える。

「それなんだが、侵入者がガラスを割った時の音がした時刻から、君のお父さんが通報した時刻までかなりタイムラグがあってね。驚いてパニックになっていたとも考えられるが……。君のお父さんは冷静でそんな感じにはみられないだろう?」


「いいえ。ウチの父さんは実はとても繊細なんです」


 そのすぐ後くらいだった。周りとの距離が急に遠くなったような、向けられる視線が急に氷のように冷たく感じられるようになったのは。はっきりとした何かがあるわけではなく、まず近所の人達の態度が違ってきた。挨拶しても返事がぎこちなかったり、こそこそと噂話をしていて、近付くと急にしんと押し黙るような空気があったり。

 高校の先生達の態度もどこかぎこちない。職員室に入った時、何人かの先生が私を見ながら小さな声で話をしている姿を見かけた。仲の良い子達は別として、他の同級生の中には、突き刺すような視線を向けてくる子もいる。


 ある日、いたたまれなくて学校の裏庭のベンチでラスクをかじっていた。入学した頃には花が満開だった桜の木も、今は鮮やかな緑の葉で覆われている。ぼんやりしていると、いつの間にか由乃が目の前にいた。由乃は隣のクラスなので、私の詳しい現状までは知らない。


「菜々、こんなとこで何してるの?」


「ラスク、食べてるの。ここの景色が好きだから。ね、由乃、私、何かしたかな、他の人からすごく避けられてる気がして辛いんだ」


 由乃はポカンとした表情でしばらく私を見つめると、言った。


「知らないの? ちょっと図書室まで一緒に来て」


 そう言って、校舎と別館になっている蔦の絡まった図書室の建物へと私を連れて行った。入ってすぐのホールには新聞コーナーがあり、一週間分の各社の新聞が読めるようになっていた。そのうちの一紙を取るとページをめくり、私に一つの記事を見せた。


「私は信じてないけど、これを見て」


 見慣れない印刷の文字を追う。わが家では現在、新聞を定期購読していなかった。

 由乃の指し示した所には父さんの勤める精華中学校の事件についての記事が載ってあった。


 ――精華中学校での窃盗事件は、依然犯人の手がかりが掴めないまま、新たな展開を見せている。事件の夜、残業していた四十一才の教師の校内に保管していた所有物の中に、盗難届の出ている高価な装飾品が見つかった事を警察が明らかにした。装飾品は押収され、現在、警察ではこの教師の事情聴取を行っている……――


「ここにある四十一才の教師って菜々のお父さんの事? 違うよね。菜々のお父さんに限って」と由乃。


「まさか! 年齢は合ってるけど、あり得ないよ。学校に装飾品を隠してたとか」


「だよね」


 私は、父さんが遅い時間まで残って仕事をする理由について、一人の方が仕事がはかどるからだと話していたのを憶えている。新聞に書かれているのは、間違いなく父さん本人だろう。だから刑事が家にまで来るんだ。それに装飾品というのは今の生活では縁がないけど、大学生の時にそういう関係のバイトをしていたという話は何度も聞いていたし。その時に持ち出した? いや、父さんに限ってそんな事をするはずがなかった。数字で割り切れる事以外に興味のない、レールに沿った生き方しか出来ない父さんに限って。

 私はいつの間にか、痛いくらい、唇を噛みしめていた。


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