「言葉の網に引っかかる」
「カテゴリーに沿っている場所が区分される」
めちゃくちゃ共感します。似たようなことを考えていた方がいるのだと知ってうれしくなりました。
「人間はみんな発達障害」という言葉があるように、程度の問題であるはずなのに、テストによって「障害の有無」で分けられてしまう。すぐ隣の世界を見られずに、多様さを知らないまま「多様性」という言葉だけ習う。
鋭い視点を端的に言葉にできる表現力、尊敬いたします。
作者からの返信
テストを受けられる回数も決まっているようで、一度の結果で判断されてしまうこともあるようです。そこら辺も調べてみたいと思います。確かに、多様性を大切にすることが大事だと教えられるけど、多様な教育機会は保障されていないのかもしれないと思います。
編集済
我が子もスペクトラムと診断され、登園しながら療育を受ける日々です。どこで区分けするのか、そもそも区分けする必要があるのか、社会にも人の心にとっても本当に一筋縄でいかない問題に思います。
漠然とした不安を持つ親としては、ここに登場する子どもたちの将来が明るいものであってほしいなと思いました。
この小説を投稿してくださりありがとうございます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。小学校の通常学級に配置される個別の支援員の先生は、数が限られていて、十分に必要な数の人員が集まっていないように思います。必要な子がいたら、必要な数だけ人を雇えればよいと思うのですが、本当に必要かどうかの審査のようなものがあり、配置されないケースがあると思います。本当の意味でインクルーシブな教育を実現するためにも、制度設計の話は重要だと思います。読んでくださり、ありがとうございます。