書かない勇気

玄納守

第1話 対話体小説

 かつて「巨大な田舎」と呼ばれた東海道の中ほどの街に「文学は単純であり、人は誰でも小説家になれる」と説く先生が住んでいた。納得がいかない若者は先生の元を訪ね、その心理をただそうとしていた。


 悩み多き若者の目には、昨今の文学界は矛盾に満ちた混沌としか見えず、ましてや小説家になるなど、夢のまた夢だった。


  ◇


若者:「文学は単純である」というのが先生の持論なのですね?


先生:ええ。文学は信じがたいほどに単純にできており、小説家もまた単純です。


若者:理想論としてではなく、現実を見ていますか? つまり、このカクヨムに溢れる多くの小説家になりたい人たちの苦悩は、まやかしだと?


先生:もちろんです。


若者:いいでしょう。今日は存分に先生のご意見を聞かせていただき、論破してさしあげようと思っています。


先生:ふふふ


若者:というのも、風の噂に先生の評判を聞きまして。なんでも「小説は変化する。文学は単純である。誰でも小説家になれる」だのと。私にとっては、全く受け入れがたい話です。

 それで実際に先生とお話をして少しでもおかしな部分があれば、その誤りを正してさしあげようというわけです。

 ご迷惑ですかな?


先生:いえいえ。大いに歓迎いたします。私自身、あなたのような若者の声に耳を傾け、おおいにPV数を稼ぎたいと願っていたところです。


若者:ありがとうございます。私は別に先生を頭ごなしに否定したいのではありません。まずは、あなたの説に乗っかって、その可能性を考えてみましょう。


 文学は単純であり、誰でも小説家になれる。もしもここに少しでも真実があるのだとしたら、それは子供の真理。いや、厨二病の真理でしょう。この年齢は自分こそが人と違う何かを持ち、それを目指すだけで小説家になれると思う、浅はかで単純な思考です。


 なるほど中二が読む文学はシンプルでしょう。

 しかし、大人になるにつれ、文学界は本性を現します。公募やコンテストのたびに「お前の文章はその程度なのだ」という現実を嫌というほど見せつけられ、目指していた方向性がいつの間にか八方ふさがりになり、幸福な夢見る中学時代が終わり、残酷な夢破れた中年時代がやってくるわけです。


先生:なるほど面白い。


若者:それだけではありません。気付けば乱立する人気のジャンルやWeb小説サービスの傾向、性の問題や、作者の年齢が読者から乖離する問題、子供の頃には理解できなかった18禁や薄い本も無視できなくなります。違いますか?


先生:続けてください


若者:出版社が力を持っていた時代であれば、まだ救いもあったでしょう。編集者の教えこそが真理であり世界であり全てだった。その教えに従ってさえいれば、創作に悩むこともなかった。しかし、出版社は力を失い、今や編集者への信頼も形骸化しています。頼れるものが何もないまま、どの作家も不安に震え、猜疑心に凝り固まり、自分の作品にいかに注目が集まるかだけを考えている。それが現代の文学界というものです。

 さあ、先生お答えください。

 あなたはこれだけの現実を目の前にしてもなお、文学は単純だと仰るのですか?


先生:もちろんです。文学は単純であり、小説家もまた単純です。


若者:どうしてですか? 誰がどうみても、答えがない中を彷徨っているではありませんか!? 長編娯楽小説の公募もどんどんなくなり、ラノベの新人賞は日に日に厳しくなり、Web小説ではたいして面白くもない小説が平然と上位にいられたりする。「異世界転生は終わった」「次は異世界恋愛だ」「異世界恋愛も終わる」「配信系がくるぞ」「いや、あれは一瞬だけだ」「次は歴史転生だ」「いや歴史転生は今まで来たこともなければ、この先も永遠に来ない」と毎日情報に振り回され、電撃大賞ですら、過去の傾向が役に立たなくなっていく。

 第30回電撃大賞の一次選考突破は5%を切るほどに絞られているのです。我々に死ねというに近いもの。何十年も目指してきた人たちに失礼というものです。

 いや、それどころか、ラノベか文学かは問わず、毎年の小説の大賞の受賞者が、その数年後には名前も忘れ去られて、新人対象の公募に応募が出来なくなるという悲しさ。

 そして出版不況と嘆かれ、既に十数年。

 いったい読者はどこに行ってしまったのか。

 この混沌のどこが単純というのでしょうか?

 先生は、何故笑っておいでなのですか?


先生:失敬、失敬。ですが、それは文学が複雑なのではなく、あなたの作家になりたいという気持ちが、複雑に見せているだけです。


若者:作家になりたいという気持ちが?


先生:そもそも作家になれば世界に承認されるという幻想が、そのような複雑さを産んでいるだけです。その為に職業としての作家を夢見てしまい、いかに文壇に出るかを考え始めてしまう。

 その結果、あなたは、みなと同じことを始めていませんか?

 消費者がイチゴを望んでいると聞いて、農家全員が一斉にイチゴを作り始めれば苦しいだけだというのに、作家は、まるでそれを望むように動きます。

 消費者は、イチゴだけを食べているわけではありません。イチゴはイチゴ専門に作る方々が、その需要を満たせばよいのであって、何故、キャベツ農家が美味しいイチゴづくりを目指さなくてはいけないのかを考えたことがありますか?


若者:ははは。やはり、それこそ理想論。我々は、食べて行かなくてはならない。食べていくには市場が求めるものを作らねばならない。市場が求めるものが何かは、いま流行っているものを見ればわかるというものだ。イチゴが流行っているのなら、美味しいイチゴを目指すのが、ありようというもの。


先生:既にあなたは、いくつかのことを見誤っています。


若者:なんですと? 私の認識が違うというのですか?


先生:はい。残念ながら。


★★★

 これ、くっそ、書き易いなぁ。


 これは『対話体』という小説様式です。対話篇とも言います。

 ダイアローグ対話篇は、古くはプラトンの著作でも使われています。


 岸見一郎先生の名著「嫌われる勇気」では、ギリシア哲学の研究をされていた哲人と若者のダイアローグ形式で、アドラー心理学について語り合うもので、大変興味深いです。今回は、そのパスティシュで書いてみました。


 台本のように書きましたが、かぎ括弧の連続体でも可能です。

 利点は地の文がほとんど入らないことと、視点の問題から解放されることです。読者はどちらかの立場かに立って読むので、相手が目の前にいるような感覚になります。


 欠点は地の文が入らないことで、相手がどういう表情なのか、もう片方が説明してあげないといけないですね。それと、小説ではよくないとされる「相槌会話」が入ってきてしまいます。でないと、「モノローグ独白小説」という別ジャンルになってしまいます。


 また2名くらいの対話なら簡単ですが、数がふえると大変です。

 応用的には「取調室」的な短編小説や「コント」的な内容には最適かもです。シチュエーションコメディは、これで行けそうな気がします。

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