第3話 ゴーマとゼウス

「マッタク、警戒心ガ無サ過ギダゼ」


 ゴーマはエルフの街に簡単に侵入出来た。

 本来は外からの侵入者など考えにないのか、監視は見張りが数人、矢倉や高台の上から視線を巡らせる程度だ。

 時間帯は早朝と言う事もあり気が緩んでいるのだろう。

 暮らしているエルフ達が一日の生活を始め、楽しそうにしているが、彼らもゴーマの洗練された隠密術に気づく事はない。


「ヘッ、余裕ダナ」


 宝石より伸びる光線を確認しながら、エグサに渡した本の位置を頼りに街の中をコソコソと進む。そして、


「ヤッパリ、アノ塔カヨ」


 遠目にも目立つ塔を光は指し示していた。






「まったくもう。雑ね」


 ゼウスはどさどさと落ちてきた本を見て、落としてきた開口を睨むように眼をやった。


「…………」


 ゼウスはここから逃げると言う考えは無かった。何故なら彼女にとっての“世界”はこの鳥籠と世話をするエルフ達だけだから、逃げ出した所で行くあては何もない。


「……本当にわたくしは何者なの?」


 目を覚ますと、そこは原っぱだった。そして状況も理解できずに徘徊していると、エルフ達に捕まったのである。

 彼らはしきりに“『叡智』が枯れてしまった”と口にしていた。


「……わたくしの失った記憶に……どれだけの価値があるのかしら」


 新しく落とされた本を手に取り、高い位置にある格子窓を見上げる。そこから射し込む光の色から朝であるとわかった。その時、


「ん?」


 その格子窓に外から鉤爪のような何かが引っ掛かった。

 何だろう? と普段とは違う様子に見上げていると、


「何ダヨ。本バカリジャネーカ」


 外から格子を掴む様に中を覗き込む一匹のゴブリンがいた。

 エルフ以外の存在との邂逅にゼウスは衝撃を受ける。


「ン? ヤベェ! 人ガ居ヤガッタカ!」

「あ! 待って!」


 逃げようとするゴブリンを呼び止める様にゼウスは叫ぶ。自分にこんな声が出せる事に少し驚いた。


「……オマエ、耳ハ尖ッテネェナ」


 ゴブリンのゴーマはゼウスの姿を見てエルフじゃない様子を確認する。


わたくしは……ゼウス。貴方は?」

「ゴーマ、ダ。バレル前ニ逃ゲルゼ。アバヨ、ガキ」

「あ! 待って! 待たないと叫ぶわ! ここに貴方が居るって!」

「…………オマエ、面倒ナ奴ダナ」


 格子に掴まりつつ、ゴーマは必死な様子のゼウスに呆れる。別に叫ばれても問題は無いが、帰り道が面倒になることは避けたい所だ。


「トリアエズ、中ニ入ルゼ」






 持ち歩いている酸で格子を数本溶かして外すと、ゴーマは鉤爪ロープを内側に垂らして鳥籠の中に降りた。


「何ダヨ。ヤッパリ本バッカリジャネーカ」


 噂の秘宝がここに在るかも思ったゴーマは、適当に物色をしてから改めて落胆する。


「好きな物をあげるわ。わたくしは全部読んだから」

「イラネーヨ。文字読メネェシ」

「ええ!? 文字が読めなくて……不便じゃないの?」

「アノナ、オ嬢チャン」

「ゼウスよ。名乗ったでしょ? ゴーマ」

「……ゼウス、別ニ文字ガ読メナクテモ生キテ行ケルンダゼ?」

「そうなの? どうやって?」

「ヤレヤレ。ナーンニモ知ラネェンダナ」


 教えて教えて、とゼウスの期待する目にゴーマは座ると得意気に外の事を教えてやった。ゼウスも座ってワクワクしながら話を聞く。

 一日一日を精一杯生きている者が多い事や、文字が読めるのは本当に一握りである事、複雑に絡み合うヒトの関係や、利害のみで繋がる者など……外の世界は目まぐるしく回り続けていると説明した。


「基本的ニハ、ソノ日暮ラシサ」

「明日の事は気にならないの?」

「明日ハ明日ノオレニ丸投げで良インダヨ」

「明日の自分……それって無責任じゃないかしら?」

「良イ子チャンダナ、ゼウス。オ子様ニハ理解出来ネェカ」

「むー。わたくしはこう見えても100歳よ。貴方よりも全然歳上なんだから!」

「言ウダケハ、タダ、ダカラナ」


 ゴーマはゼウスの話を冗談半分で聞きながら笑う。

 ゼウスは最初こそ感情的になっていたが、次第に静まる様に表情が曇っていく。


わたくしは何も知らないのね」

「少シハ、外ニ出タ方ガ良イゼ」


 その提案にゼウスは首を横に振った。


「外に出ても……頼る人は誰も居ないもの」


 ここから逃げ出す事は時間を掛ければ出来るだろう。しかし、そこから何をすれば良いのか、どこを目指せば良いのか。

 何も……“先”を見出だせないのだ。


「難シク考エ過ギダゼ? ゼウスヨ」

「え?」

「サッキモ言ッタロ? 明日ノ事ハ明日ノ自分ニ丸投ゲデ良インダヨ。ソレクライ、世界ッテヤツハ退屈シネェゼ?」


 ゴーマの言葉はゼウスにとって一つの真理の様に心に響いた。


「ジャア、オレハソロソロ帰ルゼ」


 そう言ってゴーマは立ち上がる。


「ゴーマ」

「ン?」

「……その……」


 ゼウスは呼び止めたにも関わらず、そこから先の言葉が出てこなかった。

 言いたいけど迷惑をかける。そんな気遣いに葛藤している様である。


「…………アーア、面倒クセェナ」


 ゴーマの否定的な言葉にゼウスは拒絶されたと気持ちを沈めた。


「密告スルッテ脅サレタラ、ソイツモ連レテ行カナキャ、面倒ナ事ニナリヤガルゼ」

「ゴーマ……」

「脅スダロ?」

「――ええ……連れていかなきゃ……叫ぶわ」

「ソイツハ……参ッタゼ」


 ゼウスの言葉にゴーマは笑った。






 長は狩人長のエグサを呼び出した。


「どうされました?」

「近い内に長老会を開く。本来ならゼウスの覚醒を待ってからの方が良かったが……他の部族からも刺激となる知識を提供して貰わねばならん」


 これより半世紀の間、俗世との関わりを断つ以上、物珍しい知識を得るには同族を頼るしかないと考えた。


「しかし、それでは我々の回収した“知識”を共有する事になります」

「ゼウスが覚醒すれば大した知識ではない。我々が『叡智』を手にいれてこそ、現状に意味があるのだ」


 長は他の部族に使者を送る様にエグサに告げた、その時、


「大変です!」

「どうした?」


 走って来たエルフに長とエグサは向き直る。


「その……ゼウスが。逃げました!」

「なんだと?」

「今、追跡を行っています! どうやら……街に侵入者があったもので……」

「エグサ、追跡の指揮へ行け」

「はい」

「お前は状況を詳しく説明せよ」

「ハッ!」


 それでも長は焦ってはいなかった。森の追跡で我々エルフに優る種族はいないのだから。

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