You are determined

@rabbit090

第1話

 「おい、聞いたか?」

 「いや。」

 「ヤバいってさ、もうここにはいられない。そうお嬢様が言ってたよ。」

 私は、起き上がって体制を整えた。

 真紀子は、呆れたような顔をしてこちらを見ている。そして、叔父はもう知らんといったような顔で、真紀子の肩を叩き部屋を出た。

 「お兄ちゃん、ふざけないでよ。まじめな話なんだから、みんな、お兄ちゃんに頼るしかないの、本当は分かってるんでしょ?」

 不安そうな顔でキンキンと喚く妹を、私はぼんやりと眺めることしかできない。

 この家の女は、みな神経が細かすぎるのだ。些細なことで怒っていて、他のことには目が向かない。だからとりわけ、家族のことになると執拗に、言葉を投げかけてくる。

 だが、目の前にいる妹は多分、母の影響を受けたのだ。

 母は、子どものような人だった。はた目には美人で器量がよく、何でも前向きに物事を消化することができる素敵な人、という印象を与えているのだが、家族はみんな分かっていた。

 母には、近づかない方がいい。

 なるべく、距離を取り最低限関わっていれば、悪いことなど何も起きないのだということは、もう掟のようなものだった。

 「真紀子、私ちょっと、お嬢様の所に行ってくる。」

 「分かった。気を付けて。」

 「うん。」

 その言葉通り、私は最大限の用心をして家を後にした。

 近々、ここにはいられなくなる。

 また、空から大雨が降ってくる。

 それを避けることなどできない、だからみな、逃げ惑うしかなかった。

 

 どれ程、逃げ惑ったのかもう誰もしっかりとは覚えていない。

 だって、この矢のような大雨が降り続けることになったのは、結構昔のことで、それ以来普通に暮らすことなどできなくなっていた。

 つまり、外で活動をするということがかなり制限されていて、そのせいで何かをしようと思っても成し遂げることができず、もどかしい思いばかりを強いられていた。

 「来たよ、椎子しいこ。」

 「ああ、来たんだ。別に呼んでないけど、まあいいか。で何?今度はどこに行くのかって、そんなの知らないわよ。」

 「いや別に、会いに行った方がいいと思って、お前また、めんどくさいことに巻き込まれてるんだろう?」

 「分かってるならほっといてよ、まったくもう。何でアタシなの?アタシは何もできないし、でもみんなあたしを頼っているし。もう、もう。」

 私は黙って彼女の横顔を見つめる。

 この哀れで可哀想な女の、その横顔には疲れたようなげっそりとした頬のコケが表われていた。

 大雨が降る、その異常事態が起きたのはそんなに前のことではない、そして。

 椎子はただの女の子だった、けれど。普通の感覚では立ち向かうことなどできない天災に、みんなの心が少しだけ、ずれてしまったのだと思う。

 椎子は寡黙な女の子だった、何も話さず、家も貧しかったし、孤立していた。

 けれど、椎子には、不思議な力があってそれは、少しだけ他の子供よりも頭が働いたというだけのことだった。

 いや、少し過小評価をしているのかもしれない、なにしろ、私は椎子と幼いころからの知り合いだから、でも。

 とにかく、理知的でその存在を神秘だととらえる人が現れて、それでどんどん話は大きくなり、今ではお嬢様として敬われ、一人牢獄のような、しかしとても豪勢な家に住み、研究を続けていた。

 その過程を見ているだけでも、あまりにも現実味がなくて、でも現実だということを分かっていて、それがとても恐ろしかったのを覚えている。

 だから、私は椎子のことを、気にかけようと決めていた。

 だって私は分かっているから、分かっているからこそ放ってなどおけなかった。

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